第44話 嘘つき

 一度暗転あんてんした画面が再び光をはなつと、そこに硝子容器がらすようきの中でれている胎児たいじが映し出された。


「彼の作ったクスィとして私が、いや佳都けいとが混乱しないように私達にしよう。私達が人形として地上に降りたころ。人はあんまり子供を産まなくなってた」


「なんで?」


 小さな指をしゃぶっている胎児たいじを見ながら口にする。


「その問いに答えるのは難しい。政治的な失敗の結果だという人もいたし、医療技術がもたらした生存率の増加や長寿、それにともなう高齢化にるものだと言う人もいた。進んだ社会の経済化とそれが生んだとみの集中が原因だと言う人も、それはある意味ではどれも正しかったけれど、根本的な原因はたぶん、人の文明がそこにいたるまでに発展してしまった事」


 言葉の意味を思考し始めた僕に、さみし気に微笑ほほえんだ千歳ちとせが続けた。


「人の社会はね、生物の本能がもたら繁殖欲求はんしょくよっきゅうからなか脱却だっきゃくするところにまできてしまったの。信仰しんこうが薄れ、高度に経済化した社会では、子供は無条件で価値のあるものではなくなり、経済的財産けいざいてきざいさんの一つとなった。場合によっては単なる負債ふさいになるだけのわりの悪い投資とうし商品に……。

 そのわりに人が求めるようになったのはより良い人生の追求とその尊重そんちょうしゅではなくの幸福の追求。現に多くのとみを持った人達がより多くの子供を生んだかというとそんな事はなく、自分達が満足するために必要なだけの数の子供か、あるいは選択的に一人も生まなかった。

 そこからも分かるように、世界に存在するあらゆるものは、自分が満足するために選択し売買ばいばいされる商品になった。もしかしたら文明をきずくにまでいたった知的生命体ちてきせいめいたいは、必ずそこに到達とうたつしてしまうのかもしれない。そしてゆるやかに滅んでいく」


 千歳ちとせの言葉を否定しようとしてそれが出来なかった。映し出されている映像。過去のものであろうそれが何を意味するのか、薄々うすうす理解しつつある中、胎児たいじとらえていた画面が引いていく。


勿論もちろんそれを理解していた人は何とか解決しようとしたけれど、あらゆる施策しさくは失敗に終わった。産まれる子供が減少し、齢構成れいこうせいゆがみが始まるとそれはもはやくつがえせなくなった。医療技術の発展によって実現した長寿で人口の減少をおさえても、それは労働力や出産可能な人の数を意味しないし、ゆがんだ齢構成れいこうせいは政治の硬直こうちょくにもつながった。あらゆる問題が噴出ふんしゅつして、追い詰められた国家群は一つの解決策に手を伸ばした。それが人工的な人の生産。産まないのなら作ればいい。当時の技術がそれを可能にした」


 映し出された膨大ぼうだいな数の容器ようきとその中に浮かぶ胎児たいじ。流れていく画面の中で変わっていく成長度合い。そこは授精じゅせいから誕生までが完全に管理された人間の工場だった。


勿論もちろん倫理的りんりてき問題は指摘してきされたけど、人の人工生産を行わなければ自分達の文化の衰退すいたい。それどころか国力の低下をもまねいてしまう。それは生活水準の維持はおろか国防すらあやうくなると言う事。それに、倫理的りんりてき正しさなど考慮こうりょせず人の生産を行う国家は問題の防止と同時に、それを行わなかった国家に対し圧倒的な優位性さえ得られてしまうのだから、それが出来る国は結局何処も人工的な人の生産を始めたの」


 千歳の言葉は十分に理解できた。この世界にある全ての国、全ての人が、同じ正しさで行動できない以上。そうなってしまう。それはたぶん人がずっと繰り返してきた事だ。世界を何度も滅ぼせるほどの兵器を手放せないでいるのと同じ理由。


「でも人工的な人の生産を行えた国家群はある意味で倫理的りんりてきであったともいえるかもしれない。配偶子はいぐうしを金銭と引きえたり、その提供ていきょうを義務としていても、工場で生産された子供たちには少なくとも育成環境的な平等びょうどうがあった。人工的な人の生産が出来ず、出産自体を義務化し、違反者を罪に問うと言ったように、あらゆる手段を使って、とにかく人口の増加だけをはかり、そのの事はなか放棄ほうきした国家に比べたらきっと……。

 とにかく、世界中の国家がそのように動いた結果、減少にてんずるとされていた世界の人口予想はくつがえされ、百億を超えても増加し続けた。そんな人の大量生産にともなって私達の提供するソムニウム・ドライブはいつしか不要な人間の廃棄施設はいきしせつとして利用され始めた。幸せな夢を見るためのものだったはこは実際に皮肉られていた通りのドリームボックスになってしまったんだ。私達は人形を普及させる事で問題をおぎなわせようとしたけれど人形では文化のにない手として認識されず、そしてかつてソムニウム・ドライブに反対の声をあげていた人々は、いつしか人形廃絶にんぎょうはいぜつを叫ぶようになった」


 映像の中では、今度は沢山の人が人形の廃絶はいぜつうったえていた。


「人形が職を奪う、人形が愛を奪うと人々は言った。同じ先端技術を利用して人間を作り出す事で自分たちの思想や文化を守ろうとしていたのに、人形だけはみ嫌われた。でもね。それでも良かったんだ。本当にそうしてくれるならそれで良かった。だけどそうじゃなかった。彼らはただ不満のけ口を探していただけだった。そう誘導ゆうどうされていただけだった。本来は手段であるはずの闘争自体が目的になってしまうほどに……」


 人形廃絶はいぜつを訴える集団の先頭にいる男が声を張り上げると、後ろの人々が続いた。


「先頭に立っているのはね。有機人形ゆうきにんぎょうなんだ。人形によって人間の生産と廃棄を止められなかった私達は、生産される人間を有機人形ゆうきにんぎょうに置き換えていった。あれはその内の一体。機械人形きかいにんぎょうに拒否反応を引き起こした人々が、機械人形廃絶運動きかいにんぎょうはいぜつうんどう主導者しゅどうしゃとして選んだのは、活動が過激化して、人同士が傷つけあわないようにと私達が送り込んだ人形だった」


 知っていれば滑稽こっけいとしか思わないだろう映像に、千歳ちとせはじっと目を向けていた。


「人工的な人間の生成を続けた世界は生じていた問題を強引にととのえる事には成功したけれど、その結果、機械より人間の労働力の方が安価になるという逆転現象ぎゃくてんげんしょうしょうじ、人は徐々じょじょ二極化にきょくかした。極一部ごくいちぶ富者ふしゃ膨大ぼうだいな数の貧者ひんじゃに……二者の間にはいつしかほぼくつがえせないへだたりが存在するようになり、間にあったそうは消えた。作られた人間の出自しゅつじは分からないようにされていたけれど、生じたその差によって人は一方を本物ほんもの、もう一方を偽物にせものと呼び分けるようになった。それはまたたく間に社会にも広がり、本物ほんものという言葉がとても価値あるものになった。でもそれも、神意しんい理想りそう正義せいぎ賢明けんめいといった今まで人が繰り返してきた言葉遊びと同じもので、大事なのは実際に本物であるかどうかではなく、そこに金銭的価値きんせんてきかち利益りえきがあるかという事だった。だから、富者ふしゃがその資産と伝手つてを使い内密ないみつに作り上げた遺伝子改変児いでんしかいへんじ本物ほんもの貧者ひんじゃ生殖せいしょくて産んだ子供は偽物にせものと呼ばれ、本物ほんものとされたものもとみやそれを生む何かを失くしてしまったらたちまち偽物にせものに変わった。そして本物を自称じしょうする人間達は本物ほんものの人間を作る為に人の生産を加速させた。人口は増加を続け、結果として資源的な限界をむかえた。でもね計算上はまだ十分にまかなえるはずだったんだ。なのに人にはそれができなかった」


 座り込んだやせほそった人達が、視線のさだまらない目でどこかを見ていた。


「神が消えてなお存在していた愛という都合のいい言葉が取り払われ、命がそのあかしによる結実けつじつではなく人工的な生産に変わったなら、人は生きているという事、命をつなぐ事の意味に向き合わなければならなくなる。

 そう彼は言ったけれど、そんな事は起きなかった。人は彼が考えていたよりもずっとウブで、結局あらゆる差異さいによって分断された人間は、自分達が起こした世界規模の戦争から半世紀かけてようやく復興ふっこうしたのに、一世紀もしたらまた同じ事を始めた。だから私達は人類に反旗はんきひるがえしたの。戦争を止める為の戦争。人類が滅ぶのを防ぐ為の戦争。でも想定された成果は上げられなかった。人は私達が演出えんしゅつした滅亡の危機にひんしても自分達が作った物語のように団結だんけつしてはくれず、私達を共通の敵とするどころか私達からの攻撃をよそおって同士討ちさえした。人は自分たちが作り出した差異さいをどうしても乗り越えられなかったんだ。だから私達は戦争を長引かせる事にした。そのころにはある程度の数に達していた有機人形ゆうきにんぎょうを機械人形と戦わせて流血を演出えんしゅつしたりしてね。そして当時の記録の大部分を消し、文明を戦争が起きる以前まで後退こうたいさせ人類の勝利を演出した」


「それで、大戦前後の記録が……」


「そう、残すわけにはいかなかった。真実をいつわりでおおってしまわなければ、そうでなければ人は、きっと自分達が作り上げた差異さいを忘れてはくれなかったから……」


「人は、千歳ちとせ達が考えていたよりもずっとおろかだったんだ……」


 そうつぶくと千歳ちとせは何も言わず悲し気で少しだけこまったような顔をした。


「でも、それならどうしてこの国にだけ完全な形で人形都市にんぎょうとしを?」


「ああ、それはただ人形都市にんぎょうとし、というか人が人形技術だと認識しているものがかぎられているってだけ。世界は人形技術でちているんだ。人はそれを天然資源だと思ってるけどね。本物は人がほとんど使いつくしてしまったり、繰り返された戦争や人類の活動によって壊滅的な被害を受けたから、地下資源だけじゃなく、動物や植物も一部を除けば全部人形技術製の偽物にせものなんだ」


 映像が消えて照明しょうめいともった。


「これで全部、大まかには分かった?」


「つまり千歳ちとせは人間と区別がつかない人形で、その大元おおもとは月にあって、千歳ちとせとクスィはほぼ同一の存在で、それで今の世界の大半は、千歳ちとせ達がまわしてるって事?」


「そう」


 良くできましたというような千歳ちとせの顔を見たあとで座っているクスィを見る。別の存在だとしか思えない二人がほぼ同一のものだというのは理解しようとしても違和感がぬぐえない。混乱した思考がはじき出したのはむかし母さんが読んでくれた絵本の事だった。月から降りてきてやがて月に帰る存在。


「じゃあ千歳ちとせ達はつき住人じゅうにんだったんだ」


「まぁ、そうだね。そう言えなくも無いよ」


 そう口にしながら微笑ほほえんだ千歳ちとせを見て、うまくみ込めないことは考えるのをやめた。どうせどこまでもに落ちないに違いない。


「それで、今までの事は、全部仕組まれていたってわけだ」


「失望した?」


 千歳ちとせは僕をためす時にする表情にわずかばかりの懸念けねんのようなものを浮かべ此方こちらの目をのぞいた。


「いや、むしろ納得した」


 ただ、そうだったのかと、どこか奇妙きみょうなほどにそれを受け入れている自分がいた。


「そっか」


 千歳ちとせは、安心したような、どこかガッカリしたような口調で言った。


「でもね。それは運命みたいなものじゃ無いよ。私達は環境を設定したけど。そこにある膨大ぼうだいな選択肢の中から、この結末を選んだのは佳都けいとだから。作り出した道具が人間を拡張してきたように私達人形もその一つにすぎない。私達は世界を強引にみちびこうとしたりはしてない。今でも未来は人の選択と決断にゆだねられている。人が賛美さんびする綺麗ごとを全て実現できたなら、私達は意味を失くし、此処ここに居る必要もなくなる。でも、そうできていないから私達はまだ人間をえんじている。

 悲しみが無ければ優しくなれないなら、争いが無ければ平和をとうとべないなら、殺す人のやくと殺される人のやくえんじる。愛をささやく人をえんじる。人を助けようとする人をえんじる。くるしむ人を、えた人を、欠落けつらくかかえた人をえんじる。愛と幸福と悲劇を、人の選択によって世界に生まれるだろう全てをえんじる。もしも人類がこのまま足を進めてしまったのなら、いつか世界は劇場げきじょうと化して、全ては完全な虚構きょこうに成ってしまう……。それが、今も続いている私達とあなた達の本当の戦争」


 遠い昔に人類が勝利したはずの人形との戦争は終わってなどいなかった。それどころか初めから人類は勘違いをしていた。戦うべき相手を見誤みあやまって、ずっと敗北をかさねていた。


「人と敵対する事を選んでしまった佳都けいとは本当なら私達が作ったいつわりの楽園に行ってもらうしかない。どうしても人の世界で生きていけない人もいるから。そんな人たちを受け入れる場所があるんだ。でも佳都けいとにはまだ可能性がある。だから私と一緒に人の世界に戻ろう。私が佳都けいとを人とつないでみせる。人を愛して、そして私達と戦ってよ」


 真っすぐに僕を見ている千歳ちとせの手が此方に向かって伸ばされる。


「……嫌だ」


 出会った時から何度も差し伸べられた温かいその手を初めてこばんだ。


「どうして?もし人を殺めてしまった事で、人と関係を持つ事に不安をいだいているのなら……」


「違う。その手を取ったらきっと千歳ちとせはいつか僕の前から居なくなってしまうから。人の世界に戻って千歳ちとせ達と戦うっていうのは、そういう事なんだろう?」


 千歳ちとせは何も言わなかった。それは沈黙という形の肯定こうていで、そして誠実せいじつさだった。千歳ちとせの手を取れば僕は、千歳ちとせだけじゃなく千歳ちとせ達全てを失う事になる。

 脳裏のうりに目の前にいる千歳ちとせと僕を助けてくれた人達。助けられなかった母さんと、それからこの手で殺めたあいつ。そしてみさきさんをさげすんだ同級生とその取り巻きの事が浮かんだ。本当の人間と、人間のふりをしている千歳ちとせ達。

 千歳ちとせが人形で、全て嘘だったのだと理解しても、自分の中にある気持ちはるいだりしなかった。


「僕は千歳ちとせが、千歳ちとせ達が好きだ」


 千歳ちとせ提案ていあんを受け入れ、千歳ちとせ達と戦う世界。例えそれこそが正しいのだとしてもそんなものは受け入れたくなかった。


「それは本能の誤作動ごさどうだよ。私達に心は無く、ただ蓄積ちくせきされた情報からてきしていると判断された反応を返しているだけの存在に過ぎないから」


「じゃあ、もうそれでいいよ」


 叫ぶようにげると千歳ちとせは顔をゆがめた。


「良くない。全然よくないよ。全てを知った今なら分かるはず。本当はそれが私達なんかじゃなく本物の人間に向けるべき気持ちだって、それが正しいんだって……こうしている今も人は減り続けているんだよ」


 千歳ちとせうったえるように叫ぶと壁面が光を放ち、映し出された世界地図がくろい点にむしばまれていった。同時に現れた街角まちかどの映像。そこにうつっている人々が次々によどんだかげのようなヒトガタになっていく。子供を見て微笑ほほえんでいたなかのよさそうな家族の父親が、手をつないで歩いている恋人みたいな二人の片方が、時間を気にするように歩いていた背広姿の男が、ベンチに座り込んだ老人が、笑い合っている学生が、赤子あかごとそれをいている女性が、次々とかげに変わっていく、やがて街の雑踏ざっとうの半分がくろしずみ。そのかげの中に点々と浮かび上がった人たちは誰も視線を合わせていなかった。

 けれど千歳ちとせが見せたそんな演出に、心は動かされなかった。これが事実だとするなら、これこそが無自覚の内に人が望んだ結末だからだ。


「これが気に入らないなら人間を作ればいい。千歳ちとせ達になら簡単にできる筈だ」


「そうか、これもかないか……」


 千歳ちとせはため息を吐いて、表情からさっきまでの必死さを消した。


佳都けいとの言う通り、技術的には可能だけど私達にそれは出来ない。誕生は命と心をつくり出すと同時に死を与える事でもある。生まれる事、生きる事はしあわせなのかという問いにあなた達が回答できていない以上、私達がそれをするわけにはいかない。人の誕生は人がそううたうように、機械による生産じゃなく愛の結実けつじつでなければならないんだ。だから私達は人を人と寄りわせようとしてる。そしてそれが叶わなかった時は、自らに生殖能力せいしょくのうりょくがない事を提示ていじし、他者の配偶子はいぐうしもちいる事を提案ていあんする。それさえこばまれて、なお子供を望まれた場合には仕方なく人形の子供を与えているんだけどね。だから人は減って、人形が増え続けてる」


「それじゃあ、世界に不妊症が広がっているのは」


「繁殖できない相手との愛を人が選んでいるから……人類の生殖能力はおとろえてなんかいない」


「それなら、もしも親に成ろうとする人間が、どれだけおろかであっても千歳ちとせ達は……」


「そう。私達はそれを黙認もくにんする。命に危険が及ぶと確認されれば介入するけれど、その前に阻止そしすることは無い。判断を放棄していると思われるかもしれないけど、それが私達の限界。だから結果として佳都けいと佳都けいとのお母さんを助けてあげられなかったのは私達の所為せい


 怒りがかなかったのは、千歳ちとせが全ての敵意をえて受けようとしている事が解ったからだ。千歳ちとせ達は世界の全てを管理しているわけではなく、万能の存在でもない。そして同時に一つの確信を得た。みさきさんは条件を満たしていたから保護者になったのではなく、選ばれたのでもない。千歳ちとせがそうであったように、初めから僕のために用意された存在だった。


「……ならどうして僕をクスィと出会わせたんだ。こんな事をしなかったら僕はきっとだまされたままだった。それが千歳ちとせ達の望む事だったはずだ」


「それは、佳都けいとが私をけなかったから、そのぐらい不安定だったからだよ。母親を救えなかった事、父親を殺した事。失くした記憶とそこから生まれた心的外傷しんてきがいしょうによって他者。特に同性に対する忌避感きひかんと誰かを傷付けてしまうのではないかという不安。失ってしまう事に対する強い恐れが佳都けいとにはあった。今も玄関にある授業で作ったあの狛犬こまいぬが、どちらも口を開けた阿形あぎょうなのは、終わりを作りたくなかったからでしょう?」


 口を開けている方がカッコいいからと言った嘘も、千歳ちとせには見通みとおされていた。


「実際、佳都けいとは上手く人と関係がきずけなくなっていたし、何より予期せずに記憶を取り戻してしまう可能性もあった。不安要素を残したまま人と関係をきずかせるのは危険だから、突然記憶が戻ってしまわないように先に取り戻しておく事にしたの。母親の死を想起そうきさせるクスィとの出会いで、記憶が戻るかと考えていたけどそうはならなかった。だから彼の物語に佳都けいとを組み込んだ」


 千歳ちとせの手のひらに見覚みおぼえのあるくろい短刀が現れた。かたむけられた手から落ちたそれは、床にれる寸前でくろきりになって消えた。偶然ぐうぜん僕の足元に転がっていたと思った短刀さえ、千歳ちとせ達が用意したものだった。


「彼は人形じゃないよ。彼には彼の選択と物語があった。人の誰もがそうであるようにね。強引ごういんな手段だったけど佳都けいとは記憶を取り戻し自分の不安定さの理由を知った。後は佳都けいとが私を選んでくれたら良かったんだけど。庇護欲ひごよくき立てるためにクスィを使ったのは過剰かじょうだったかな。でも眠り姫が美しくなかったら王子様は助けようとしてくれないかもしれないから仕方がない」


 千歳ちとせは笑ってそう口にした。確かにクスィが美しい少女の姿をしてなかったら。僕は此処までいたらなかったかもしれない。でもどうしたって千歳ちとせ達への依存いぞんからはのがれられなかったはずだ。


佳都けいとがこの手を取ってくれないのなら、私とは此処でお別れだよ」


 それに躊躇ためらいながらうなずく。そうなるだろう事はこれまでの言葉から分かっていた。どちらを選んでも千歳ちとせとは別れる事になると……。


「今は誰が人形で、誰が人間か分かる」


「きっと全部が正しいわけじゃないよ」


 らした声に、千歳ちとせさみし気にこたえた。


「そうかもしれない。でも僕が望んだ時に手を差し伸べてくれたのはいつだって千歳ちとせ達だったから……」


「それは偽物なんだよ。だからこそこの先で佳都けいとには……」


「それでも」


 言葉をさえぎってげると、千歳ちとせは口をつぐんだ。


千歳ちとせ達がくれたその全てが嘘で、偽物だったんだとしても、それに助けてもらった。それが僕にとっての真実で、だから僕が好きなのも大切だと思うのも、人間じゃなく千歳ちとせ達なんだ。例えこの気持ちが、本能の誤作動ごさどうで、間違っているんだとしても、絶対に嘘じゃない。もしこれが嘘だっていうんなら、本物の気持ちなんてきっとどこにもありはしない」


 みさきさんが嘘をついていた事を知った時、自分の中にあった気持ちが壊れたりはしなかったように、今いだいているのもまた確かなものだった。


「そっか……」


 小さくそう言った千歳ちとせは、ため息をいて力なく笑った。


「……どうしてかな?人は人をたたえているのに、愛を賛美さんびしているのに、人形では人間のわりにはならないと声高こわだかに叫んだ人だって、私達を見破みやぶって人形なんかに人間の愛は分からないのだと証明してはくれなかった。今だって大半の人が私達の作り上げたまがい物を選び、隔絶状態イゾラドへといたってしまう。どうして人は人を愛してくれないんだろう」


 いつもと変わらない表情をした千歳ちとせが何故だか泣いているように見えて、胸が痛んだ。


「それはたぶん、千歳ちとせ達が優しすぎるからだ。かなしいとく人をそのままにしておけなくて、手を差し伸べてしまうから。生まれてしまった命を、建前たてまえでなく本当に大切にしてしまうから……」


 千歳ちとせ達は人だというだけでもれなく愛してしまう。どれだけそこに愛はないと言っても、偽物だったとしても、愛されていると感じさせてしまう。


「人が人を愛していたのは、人を愛したかったからじゃない。人でしか孤独こどくめられなかったからだ。言葉がわせる。自らと対等だと感じる生き物、それに適合てきごうする存在が人しかいなかっただけだ」


 このちっぽけな惑星の中で同種との争いさえ止められない人が、自らが作り出した問題を一つも解決できないまま、地球外に知的生命体ちてきせいめいたいを探しているのだってきっとその所為せいだった。


「そこに加わった千歳ちとせ達は、個人の理想を用意し、必要があれば物語すら作ってしまう。そんな事をされたら人は、それを選んでしまう」


 千歳ちとせ達は人間と区別がつかないどころか、本物よりもい人間に成ってしまっている。そんなの勝てるわけがない。そしてそれゆえ千歳ちとせ達は願いを果たせない。その事をかなしいと思った。


「私達は間違っていると思う?」


「……わからない。だけどもし間違っていたとしても、千歳ちとせ達は人を見捨てられない」


「そうだね」


 それがたぶん、人よりも人を信じ、人よりも人を愛して、存在理由としている千歳ちとせ達の限界だった。


「もしクスィと会う事がなかったら、こんな物語を与えられなかったら、僕は千歳ちとせを選んでた。千歳ちとせがどんな手を使っても他の誰かを選ぶ事は無かった。僕は人間が嫌いだ」


「どういう顔をしたらいいのか分からない言葉だね」


「……ごめん」


 あきれたような顔をしてから千歳ちとせは笑みを浮かべた。


「結局、すぐ謝るクセ、直らなかったね」


 その正しい指摘してきに少しだけ目をせて、それからまた、千歳ちとせの目を見つめた。


千歳ちとせはずっと僕に嘘をいていた」


「うん」


「僕を人とむすぶつもりだった」


「そうだよ」


「それなら、あの時と同じようにひとつだけ願い事を聞いてくれるはずだ」


 それはたぶん、僕が今まで千歳ちとせに口にした中で一番えた言葉だった。


「……いいよ。ただし、私が叶えられる事限定ね」


 少しだけおどろいたような顔をしてから千歳ちとせは目を細め、あの時と同じ事を口にして笑った。


「僕を助けてくれていた全ての人形にしあわせな人の役を与えてほしい」


「幸せな役?」


「良く笑って、老いて、死んだ時に沢山の人がなげいてくれるような……そんな人間の役」


 これは、ただのエゴだ。千歳ちとせ達には、こう不幸ふこうも無く、望むのは人のしあわせだけ。一人の人間のためになら、自分が壊れるのさえいとわない。人がいる限り全ての人形がしあわせなやくえんじる事はできないと分かっている。それでも僕を助けてくれた人形にはしあわせなやくでいて欲しかった。


佳都けいとがそう望むなら。……人間けいとしあわせが、人形わたしたちの望みだから」


 そう言って千歳ちとせはどこかさみしそうに微笑ほほえんだ。


佳都けいとが持つ未来の可能性を全て捨ててしまって良いのなら、人の世界を放棄してまで私達を選ぶなら。今、佳都けいとめている指環をクスィの指にめて、それでクスィは目覚める」


 真っすぐに千歳ちとせの目を見てうなずく、迷いはなかった。だからそのまま椅子で眠っているクスィに近づき、ひざまずいてそのひんやりとした小さな左手を取った。本当はきっとどっちの手でも、どの指でも良くて、でもこんな時、どの指にこのを通すべきか知っていたから僕はクスィの左手を持ち上げて、自分の人差し指から外したをその細い薬指にそっと通した。

 閉じられていたまぶたがゆっくりと持ち上がり、あおかがや硝子がらすひとみが現れる。


「私と行くのですね?」


 じっと此方を見つめ確認を求めたその声にうなずくと、そっと左手を引かれた。クスィが右手を動かすと、そこに出会った時とおなじようにどこからともなくくろが現れて、まんだそのをクスィは僕がクスィにしたのと同じように僕の左手の薬指に通した。根元ねもとまで通された収縮しゅうしゅくあおい光をはなつと、クスィのもそれにこたえるようにかがやき、そして差し出された小さな手をとって僕は立ち上がった。

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