とことわのくに

第1話 人形を壊す人形①

　十階層（じゅっかいそう）下（した）まで続く吹き抜けのある空間に辿り着くと、微（かす）かに血の匂いがした。設置された作業灯（さぎょうとう）が照らしているのは高い天井を支える巨大な柱と、その間を埋める多様な大型装置。そんなかつての巨大工場の中を先行（せんこう）する者の合図に合わせて部隊は前進していく。

　金糸雀（カナリア）が沈黙してから既に三十分。取り残された坑夫達（こうふたち）の安否（あんぴ）は気になるが、遭遇戦（そうぐうせん）になる可能性がある以上索敵（さくてき）しながら進むしかない。空間に十分な広さがある事だけが救いだ。狭所（きょうしょ）での遭遇戦（そうぐうせん）になれば犠牲者が増える。

　そんな事を考えていると不意（ふい）に音が聞こえた。吹き抜けの向こう、遥か下層（かそう）から響（ひび）くそれは人が走っている音だ。生存者がいる。

　反射的に駆（か）けだし、制止する通信を無視してそのまま吹き抜けに身を躍（おどら）らせる。

　重力に引かれて落ちる特有（とくゆう）の不快感（ふかいかん）。警告音が騒（さわ）ぐ中、数秒で底面（ていめん）に到達。作動した安全機構（あんぜんきこう）を利用し、両足と右腕の三点で強引に衝撃を受け止める。

　響（ひび）き渡る着地音と共に、足音の出所（でどころ）を探りながら吸い込んだ空気は上層とは比べ物にならない程、濃密（のうみつ）な血の匂いで満ちていた。

　視界に映る空間の先は照明（しょうめい）が届かず闇（やみ）に沈んでいて、足音はその奥から響いている。次第に大きくなる足音。反響の具合から目星（めぼし）をつけて視線を向ければ、闇の中から現れた坑夫（こうふ）が足を縺（もつ）れさせて転倒した。立ち上がろうとした坑夫が俺に気付いて手を伸ばす。その顔は恐怖に染まっている。

「助けっ」

　引き攣（つ）った声が言い切る前に、降ってきた塊（かたまり）がその頭部を圧（お）し潰（つぶ）した。坑夫の口から言葉に成らなかった息が漏（も）れ、血と脳漿（のうしょう）が散ったのを見て走り出そうとしていた足を止める。

　潰（つぶ）された坑夫（こうふ）の頭部、その破裂（はれつ）した眼球はもうどこも見ていない。代わりに向けられたのは四つの青く光る硝子眼（がらすがん）。

　特徴的なその四つのセンサーを備えた頭部の下に続くのは無骨（ぶこつ）な機械の身体。2メートル程の人型兵器（ひとがたへいき）。坑夫（こうふ）を踏（ふ）み潰（つぶ）し即死させたその土蜘蛛（つちぐも）と呼ばれる機械人形（きかいにんぎょう）は、満足したように胸部装甲（きょうぶそうこう）を震（ふる）わせて音を立てた。

　響（ひびき）き渡る嘲笑（ちょうしょう）の如（ごと）き金属音。その後ろの暗がりに多数の青（あお）い光が灯（とも）る。疑似網膜（ぎじもうまく）に複数の人形反応（にんぎょうはんのう）。だが、もう退避（たいひ）する時間的余裕はない。

　僅（わず）かに左足と重心を下げ、腰に差した刀の柄（え）に手をかけると、装甲を閉じた土蜘蛛（つちぐも）が大きく上体を落とした。前方跳躍（ぜんぽうちょうやく）の予備動作（よびどうさ）。土蜘蛛（つちぐも）がその重量を無視して高く跳（と）びあがる。落ちてくるそれを見て間に合わないと悟（さと）り、身を投げ出す。

　距離を取りながら立ち上がろうとした所に薙（な）ぎ払（はら）うような蹴（け）り。咄嗟（とっさ）に引き上げた鞘（さや）で受ければ衝撃と共に身体が浮き、為（な）す術（すべ）もなく飛ばされる。

　体を捻（ひね）りながら着地すると目の前にもう土蜘蛛（つちぐも）が迫（せま）っていた。圧倒的（あっとうてき）な運動性能。瞬間的に跳躍（ちょうやく）した身体の下を突（つ）き出（だ）された手刀（しゅとう）が抜け、遅（おく）れた袖（そで）を僅（わず）かに裂いた。

　上昇しきった身体が落下を開始する前に、引き抜いた回転弾倉式対人形拳銃（かいてんだんそうしきたいにんぎょうけんじゅう）の銃口を、俺を追って上げられた頭部。四つある硝子眼（がらすがん）の一つに押し当てて連続で引き金を引いた。

　甲高（かんだか）い銃声と共に放たれた弾丸が硝子眼（がらすがん）を砕（くだ）き、その奥にある思考回路（しこうかいろ）に突き刺さる。

　痙攣（けいれん）しながら倒れていく土蜘蛛（つちぐも）の横に着地し、弾の尽きた銃を捨てる。一体壊すのと引き換えに有効な攻撃手段を失った。

　此方に向け駆けてきている残りの土蜘蛛（つちぐも）は六体。それに対し徒手（としゅ）で構える。倒したやつと同じように跳躍（ちょうやく）してきた土蜘蛛（つちぐも）の脚（あし）を最小限の動作で躱（かわ）し、別の土蜘蛛（つちぐも）が突き出した腕をいなす。首を傾（かたむ）けて手刀を避け、後退。

　六体を同時に相手取って凌（しの）ぐ事が出来ているのは、土蜘蛛（つちぐも）が同士討（どうしう）ちを避ける事と、目標を攻撃するという二つの単純な規則（きそく）だけで動いているからだ。

　それでも重なれば一種の連携（れんけい）が構築（こうちく）され、読み違（ちが）えれば死ぬ。置き去りにした部隊の展開にはまだ時間がかかるだろう。

　突き出された腕の側面（そくめん）に拳（こぶし）を叩き込み逸（そ）らす。反動でずらした身体の側面を土蜘蛛（つちぐも）の蹴（け）りが掠（かす）めていく。そのまま一歩踏み込み、数手（すうて）凌（しの）いだ瞬間に選択を誤った事に気付いた。

　複数の土蜘蛛（つちぐも）が繰り出そうとしている攻撃。その全てを受けきる手段がない。逡巡（しゅんじゅん）は一瞬。継戦能力（けいせんのうりょく）を失わない為に左腕を捨てる。

　左腕を襲うだろう衝撃に備えた身体を轟音（ごうおん）が揺（ゆ）すった。俺の腕を粉砕（ふんさい）する筈（はず）だった蹴（け）りが失速し、まるでその事を訝（いぶか）しむ様（よう）に首を傾（かし）げた土蜘蛛（つちぐも）が倒れていく。　

　その頭部側面（とうぶそくめん）には穴（あな）。

「‐また独断専行（どくだんせんこう）か？英雄（えいゆう）気取（きど）りが‐」

　一瞬動きを止めた土蜘蛛達（つちぐもたち）から距離を取る最中（さなか）、作戦中は閉鎖（へいさ）されている筈（はず）の個人回線（こじんかいせん）が開き、皮肉を含んだ声が聞こえた。

　通信に流れる変換された電子音声とは違う。少しざらついた低音。

「‐お前はいつもそうだ。俺がいなかったらとうに死んでるぜ。バァーカ‐」

　続く言葉と共に再び轟音（ごうおん）が響（ひび）き、別の土蜘蛛（つちぐも）が頭を撃ち抜かれる。

　閉鎖中（へいさちゅう）の個人回線（こじんかいせん）を開くのも、拘束（こうそく）されていない土蜘蛛（つちぐも）の頭部を此処（ここ）まで正確に狙撃できるのも、一人を除（のぞ）いては存在しない。

　最（もっと）も腕が立ち、そして無口な狙撃手達の中にあってお喋（しゃべ）りで口が悪い故（ゆえ）に鴟梟（しきょう）と呼ばれている男。

　〘‐身体能力制限（しんたいのうりょくせいげん）の解除（かいじょ）、及（および）び抜刀（ばっとう）を許可（きょか）‐〙

　鴟梟（しきょう）に言い返す前に個別通信（こべつつうしん）が割り込んだ。

　〘‐遅い‐〙

　発した不満に返答はなく、ただ左目の擬似網膜（ぎじもうまく）に文字が浮かぶ。

　‐身体能力制限限定解除（しんたいのうりょくせいげんげんていかいじょ）、十束剣（とつかのつるぎ）抜刀可能（ばっとうかのう）‐

　表示されていた身体能力指数（しんたいのうりょくしすう）が跳（は）ね上がる。身体が軽くなったような感覚と共に刀へ手を伸ばし鯉口（こいくち）をきった。

　一息（ひといき）に抜けば澄（す）んだ響（ひび）きを伴（ともな）って黒（くろ）く艶（つや）めく二尺五寸の刀身が現（あらわ）れる。その地鉄（じがね）には八雲肌（やくもはだ）の如（ごと）き模様（もよう）が浮かんでは消えていく。

　費用対効果（ひようたいこうか）が悪すぎて、ただの一振りだけを持って凍結（とうけつ）された人形技術兵装（にんぎょうぎじゅつへいそう）。

　その姿から鴉羽（からすば）の劔（つるぎ）とも呼ばれる刀が、これから啜（すす）る人形の循環液（じゅんかんえき）に喜びを示すように震（ふる）え、哭（な）いた。

「‐ここからは好きに暴れろ。カヴァーしてやる‐」

　過剰（かじょう）な程（ほど）の自信に満ちた声。だが、決して誇張（こちょう）ではないそれに自然と笑みが浮かぶ。無言（むごん）のまま僅（わず）かに重心を落とし柄（え）に左手を添（そ）える。急接近しながら跳躍した土蜘蛛（つちぐも）。俺を殴（なぐ）り殺す為に振り下ろされたそいつの腕に刀身を合わせる。

　人の尺骨（しゃっこつ）と橈骨（とうこつ）を模（も）したような腕の下を滑（すべ）らせて、最大まで伸ばされた付け根を斬り上げる。

　切断した腕が飛び、繋（つな）がっていた胴から青（あお）い循環液（じゅんかんえき）が噴（ふ）く。それでも土蜘蛛（つちぐも）が動きを止める事はない。

　思考回路（しこうかいろ）か動力源である核（かく）に致命的（ちめいてき）な損傷（そんしょう）を与えなければ人形は停止しない。

　攻撃を継続（けいぞく）しようとしていた土蜘蛛（つちぐも）の体勢（たいせい）を強化された蹴（け）りによって崩（くず）し、返した刀を振るう。

　刀身が思考回路（しこうかいろ）を装甲ごと裂（さ）いて抜け、循環液（じゅんかんえき）が噴出（ふんしゅつ）。頭部の半分を失った土蜘蛛（つちぐも）が断面を見せながら後方へと倒れていく。

　残った三体は、ほとんど同時に攻撃を仕掛けてきた。だが最早（もはや）脅威（きょうい）では無い。奔（はし）らせた黒（くろ）い斬光（ざんこう）が容易（たやす）くその装甲を断ち切り、青（あお）い雨が降る。

　首を刎（は）ねた土蜘蛛（つちぐも）と両足を斬り飛ばした土蜘蛛（つちぐも）が崩れ落ちるの見ながら、直前（ちょくぜん）に回避行動をとったおかげで切断を免（まぬが）れた残りの一体を斬り捨てようとして、銃声が響（ひび）いたからやめた。

　突き出された土蜘蛛（つちぐも）の手刀が俺に触れる寸前で停止。頭部を撃ち抜かれたそいつが倒れてくるのを避ける。

「‐相変わらず脇が甘い‐」

「‐お前の狙撃が遅れていたら斬っていたさ。見せ場をくれてやったんだよ‐」

　鴟梟（しきょう）が鼻（はな）で笑うのを聞きながら、両足を失ってなお攻撃を継続（けいぞく）しようとしていた土蜘蛛（つちぐも）の頭部を刺（さ）し貫（つらぬ）く。

　完全に停止した土蜘蛛（つちぐも）から刀身を引き抜いた時、ようやく此処まで降りてきた部隊が展開を始めた。楯（たて）が設置されていき、大弓（おおゆみ）を持った具足（ぐそく）が弓射形態（きゅうしゃけいたい）をとる。

『‐……終わった？‐』

『‐気を抜くな。まだ金糸雀（カナリア）は復旧していない‐』

　拍子抜（ひょうしぬ）けしたような声に別の声が返した。確かに金糸雀（カナリア）は未（いま）だ沈黙（ちんもく）している。

　何かを引き摺（ず）る音がして、暗がりから一体の土蜘蛛（つちぐも）が姿を見せた。引き摺（ず）られていたのは足。そもそも足を損傷（そんしょう）していて、それで出遅れたらしい。これで八体目。戦闘兵器である土蜘蛛（つちぐも）の基本運用単位（きほんうんようたんい）から考えれば最後の一体だろうそいつに切っ先を向ける。

「‐もう、その必要はないさ‐」

　鴟梟（しきょう）の声と同時に土蜘蛛（つちぐも）に何本もの矢が突き刺さった。突き立った矢の筈（はず）に赤（あか）い誘導灯（ゆうどうとう）が灯（とも）る。

　続く射出音。楯（たて）から撃ち出された拘束糸（こうそくし）が筈（はず）に絡（から）みつくと、土蜘蛛（つちぐも）は痙攣（けいれん）した。

　震（ふる）える土蜘蛛（つちぐも）の胸部装甲（きょうぶそうこう）がざわつき左右に裂ける。金切声（かなきりごえ）のような音と共にそこから蒸気（じょうき）が噴出（ふんしゅつ）し、青（あお）く輝（かがや）く核（かく）が露出（ろしゅつ）した。

　強制排熱（きょうせいはいねつ）。拘束糸（こうそくし）を通して送り込まれた情報が土蜘蛛（つちぐも）の冷却機能を阻害（そがい）した結果だ。

　土蜘蛛（つちぐも）が胸部装甲（きょうぶそうこう）を蠢（うごめ）かせ行う嗤（わら）うような動作も排熱の為のもので、それでも賄（まかな）いきれなくなった時、こうして行動不能に陥（おちい）る。

　鴟梟（しきょう）の時とは違う響（ひび）き方をした銃声と共に頭部を撃ち抜かれたその土蜘蛛（つちぐも）が崩れ落ちると、辺りは静かになった。

「‐悪くない‐」

　鴟梟（しきょう）の呟（つぶや）きを聞いて、それが彼とは違う狙撃手によるものだと知る。

　全ての土蜘蛛（つちぐも）が倒れ、静寂に包まれた空間。それでもまだ金糸雀（カナリア）は沈黙していた。

「‐これは……まだ、いるな‐」

「‐ああ‐」

　鴟梟（しきょう）の言葉に頷（うなず）く。追加で土蜘蛛（つちぐも）が八体現れるなら大した問題では無いが……。

　チチチチチチチチチッ……チチチチチチチチチッ……

　抗内（こうない）に響（ひび）いた微（かす）かな音。酷（ひど）く不気味（ぶきみ）な雑音（ノイズ）のような悲鳴（ひめい）じみた音

　耳の奥に突き刺さり、不安を煽（あお）るようなそれを聞き、最悪を引いた事を知る。倒れ伏（ふ）し、完全に停止していた土蜘蛛達（つちぐもたち）が再びゆっくりと動き出す。

　撃ち抜かれた頭部を垂（た）らしたもの。両足を失ったもの。首を刎（は）ねたものさえも、欠損（けっそん）した部位によってそれぞれ異（こと）なったぎこちなさで立ち上がる。

　核（かく）が残っている限り土蜘蛛（つちぐも）を傀儡（くぐつ）として操（あやつ）る事ができるものの仕業（しわざ）。

『‐絡新婦（じょろうぐも）だ！‐』

　通信に悲鳴のような声が響（ひび）いたのと同時、特有（とくゆう）の歩行音（ほこうおん）を伴（ともな）って、坑道（こうどう）の奥からそれが姿を現した。