第8話 咎人④

 立ち寄ったいつもの軽食店は時間が遅いからかいていて、注文した料理もすぐに並べられた。でも取ろうとしていた請求書は店員さんに笑顔でお礼を言った千歳ちとせがそのまま受け取ってしまった。


「ここは、僕が出すよ」


 手を差し出しながら言ってみたけれど、千歳ちとせは請求書を渡してくれなかった。


「いつも通り自分の分は自分で出すという事で、佳都けいとのは五百六十円ね」

 

 小銭こぜには持っていたけれど千円札を差し出す。千歳ちとせの手がそれをつかんでいく。


「お釣りは良いから」


 僕の言葉は無視され、千歳はきっちりお釣り分の硬貨を財布から取り出して机の上に置き、指で此方こちらに押し出した。

 目の前に置かれた硬貨を見ながら考える。今からチケット代を渡そうにも千歳は自分がさそった映画だからと受け取ってくれないはずだ。

 だから硬貨を財布にしまいながら中身を確認する。一万円札が一枚に千円札が七枚、それと硬貨が少し、悪くない。


「千歳はこのあと行きたいところとか、何か欲しいものがあったりする?」


「どうして?」


 淡々たんたんとした声と表情で聞かれて、再び生まれた緊張感から分泌ぶんぴつされた唾液だえきを飲み込む。


「良かったら、その、おごるから……」


 千歳は表情を変えないまま首をかしげた。


「いつもはそんな事言わないのに、今日はどうしたの?」


「ちょっと、今日は余裕があるんだ」


「わーい、嬉しい、それじゃあ……なんて言うと思ってる?」


 感情のこもっていない台詞セリフと真っすぐ此方を見つめるひとみ気圧けおされる。


「本当は?」


 これ以上嘘を重ねると、千歳ちとせ逆鱗げきりんに触れそうな気がした。


「……おびとして」


「何の?」


「その……昨日、の」


 思い出して消えてしまいたくなる。


「もしかして昨日の事で私が怒ってると思ってる?」


 うなづいて肯定こうていする。


「それなら間違ってる」


 そう断言されたけど、それ以外の理由が思いつかない。今までこれほど千歳ちとせが怒っていた事は無かったし、みさきさんや店員さんには笑顔を向けていたから明らかに僕に対してだけ怒っている。


「でも、……怒って、るよね?僕に……」


勿論もちろん


「……ごめん」


 千歳ちとせあきれたように溜息ためいきいて、そんな顔をさせてしまった自分を酷くなさけなく感じた。


佳都けいとは今、何についてあやまってるの?」


「それは、その……」


 聞かれて言葉にまった。昨日の事で怒っているのが間違いだと言われたら、もうなんなのか分からない。

 何か言わなければと思っている間に千歳ちとせの口が動いた。


「そうやってすぐに謝るのは佳都けいとの悪いくせだよ。昨日の事は確かにめられたものじゃなかったと思うよ。でも初めてだし、気にしないでって言った。なのに私が訪ねていったら、佳都けいとは出迎えてくれないどころか、やり過ごそうとしてた。気持ちはわかるよ。でもさ、今日は無理でも明日なら普通に会えた?明後日あさってになったらいつも通りに戻れた?」


「それは……」


 千歳ちとせの言葉に答えられなかった。それが出来たかといえば、絶対に出来なかっただろう。


「私はさ、向き合って欲しかったんだよ。そうでなきゃ、それは際限さいげんなく膨張ぼうちょうしちゃう。ただの理不尽であったなら逃げなくちゃならないけど、私ってそうじゃないよね?少なくともそう思われないぐらいの信頼関係はできてると思ってた。何よりもそれが悲しくて腹が立った」


「……ごめん」


 口にしてしまってからまた咄嗟とっさに謝ってしまった事に気付いたけど、千歳ちとせは仕方ないなぁというような顔をして笑ってくれた。


ちなみに佳都けいとがやろうとしてたおくものをする事で帳消ちょうけしにしようという考えは安易あんいで最悪だよ。佳都けいとはお金を払った事で罪をあがなった気持ちになり、私は買ってもらったものを見るたびに、きっとこの気持ちを思い出す。さて、この場合問題は解決したといえる?」


「……言えない」


「そう、何も解決してないの、謝罪を金銭に換算かんさん可能としてしまう事。そして、その記憶を保存するものを発生させてしまう事でむしろ問題を悪化させる可能性さえある。それが思い出になって笑い話になるのならそれでもいいけど。そのためにはどっちにしても根本的な問題を認識してそれを解決しなきゃいけない。それがわかったなら許してあげる」


「わかった。本当に、ごめん」


 今度こそ千歳ちとせの気持ちも自分が犯したつみもすべてを理解して頭を下げた。


「わかったなら、よろしい。頭を上げなさい」


 その冗談のような言葉を聞いて顔を上げると、千歳ちとせが満足げに微笑んでいた。


 けれど、許されたのだと言う安堵は次の瞬間に何かを考えるみたいに少しだけ動かされた千歳ちとせの視線で消えた。


「ああ、でも、このまま全てを流してしまうのも、佳都けいとの気持ちてきにきっと良くないよね。うん。そうだお金がかからない贖罪しょくざいの機会を与えよう。私は優しいからね」


 そう言った千歳ちとせは今までとは違う笑みを浮かべた。わずかに目を細め、薄く持ち上げられた口角が作り出した隙間から特徴的とくちょうてき犬歯けんしのぞく、それは千歳ちとせが何か面白い事を思いついた時にする顔で、大抵の場合、僕にとってありがたくない事が起きる。

 本人が自覚してるのかどうかはわからないけれど、捕まえた得物えものをもてあそぶ肉食獣の笑みだと僕は思っていた。


「それは、どんな……」


 不安をいだきながら、刑を告げられる被告人みたいな気持ちで聞く。


「冒険……いや、肝試きもだめし、かな」


 向けられている笑みと酷くたのしそうな声には嫌な予感しかなかった。

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