第43話 人形

「クスィ!」


 暗闇くらやみの中で叫んだ瞬間に光が満ちた。酷くせまい空間。身体は何かやわらかなものに触れている。見覚えのある光景。此処は昇降機しょうこうきの……いや、それにしては天井が見えるほど深く傾斜けいしゃしている。

 前にあるふちつかんで身を起こすと、あのくろい椅子に座っているクスィが見えた。それは辺りが真っ暗になる前と同じで、何が起こったのかさっぱり分からない。でも僕を止めるためにクスィが何かをしたのだ。

 さっきまであった振動も音も、今は聞こえない。そして何よりクスィが目をつむっている。


「くそっ!」


 それが意味する事を想像し、焦燥しょうそうから身を乗り出す。床の上に飛び降りると、広大な空間の壁面に沿ってずらりとクスィが入っていたのと同じ六角柱が並んでいた。その中の一つに僕は入っていたのだ。目覚める前のクスィと同じように……それだけは分かった。けれど、こんなもの暗くなる前までは一つも無かった。だから消えた照明が点灯するまでの一瞬に現れて、そして僕もその中に……あり得ない。記憶が飛んでいるのか?あいつを殺した時の事を忘れていたみたいに……だとしたら何があった。僕は何を忘れた。必死に思い出そうとして、けれど何も浮かばない。

 とにかく今はクスィの所へ……。


「結局、これを選んじゃったか……」


 ななめめ後ろからひびいた馴染なじみのある声に思わず振り返った。僕が入っていたすぐ近くの六角柱。その閉じているふたの上に足を組んで座っている人影。しなやかさを感じさせる身体。短いその栗色くりいろの髪は少しだけねていて、視線が合ったアーモンドがたの目が細められた。


「……なんで?」


「来ちゃった」


 冗談じょうだんみたいな返事に思考が追いつかない。


「世界は把握はあくできる情報とその中で正しいと信じたものによって形成されている。だから偽りを真実として誤認ごにんさせる事は容易たやすい。佳都けいとは今まで夢を見ていたの」


 呆然ぼうぜんと見つめている僕を見て千歳ちとせは笑った。


「……夢?」


「そう、夢。これはね。昔使われていた装置。現実としか思えないほどの夢を見せるはこ。本来は望んだ夢を見せるためのものなんだけど、今回は佳都けいとの選択を確かめるために使ったんだ」


 理解できない。けれどさっきまでのが現実としか思えない夢であったなら、一瞬で状況が変わっていた辻褄つじつまが合う。けれどもしそうなら……。


「いつから?それに千歳ちとせは、まさかこれも夢?」


「ああ、ごめん。ごめん。当然そうなるよね。でもこれは夢じゃないよ。佳都けいとは今ちゃんと起きて、現実にいる。世俗的せぞくてきだけどほおをつねってみて」


 言われるがままに自分のほおをつねる。


「痛い?」


「痛い」


「じゃあ、それが証拠。この装置に痛みを感じさせる機能はないから」


 そう言われてみれば確か、最後に痛みを感じたのは駅で千歳ちとせに腕をつかまれた時だ。落ちてくるクスィを受け止めた時だって相当の衝撃があったはずなのに、感じたのは重みだけで痛みは無かった。思わずズボンのポケットに手を入れ、指先が触れたものを引っ張り出すと、そこには投げ捨てたはずの銃があった。昇降機しょうこうきを降りて、クチナワを辿たどり、とう内部に入る時に取り出した銃。

 そして僕が入っていたクスィと同じ六角柱、その最初に受けた印象。あれが正しかったのだとすれば、だとしたら僕が夢に落ちたのは……。


昇降機しょうこうきに乗った時からか……」


「そう。佳都けいとの現実が夢に変わったのはその時」 


 僕のつぶやきを千歳ちとせが肯定した。


「じゃあ、それはもう要らないね」


 そう言った千歳ちとせが指をらした途端とたんにぎっていた銃がバラバラになって床に落ちた。驚いて千歳ちとせを見ると、千歳ちとせはまるで手品でも披露ひろうしたかのように微笑ほほえんだ。


佳都けいと昇降機しょうこうきだと思ってたそのはこはね直通でここまで来られるんだ。元々はそういうふうに作られたものだから……」


 続けられた千歳ちとせの声に困惑こんわくしながらも思考が動き出す。昇降機しょうこうきだと思っていたものが、実際は現実と区別がつかない夢を見せる事のできる装置で、索墳さくふんから此処までつながっていたのだとすれば、受け入れ難いにしても全ての説明がつく気がする。でも一方で、それを受け入れるならそんな事を知っていて、銃さえも壊して見せた、目の前にいる千歳ちとせは……。


「もっとも今までしたどんな説明も私の言葉を信じられないと言われたら役に立たないんだけど……佳都けいとのその顔は信じかけてるって感じだね。そしてそれをそこまでさまたげてるのは私の存在、だよね?」


 千歳ちとせは僕の思考をわかっているというふうに軽くうなずいた。


「ああ、ちなみに私は偽物とかじゃないよ。正真正銘しょうしんしょうめい佳都けいとがこの街で出会ってから今まで一緒に過ごしてきた千歳ちとせ、少なくともそういう意味ではね」


 ふくみのある言葉と共に千歳ちとせはあの悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「どういう意味?」


「さて、どういう意味でしょう?」


 問いに問いで返される。まるで分からない。与えられた情報全てに合致がっちする答えが思い付かない。提示されたものが全て嘘で、今も夢を見ているという可能性以外に千歳ちとせという要素が組み込める気がしない。


「分からないようだから、ヒントを上げる。私は全てを知っている。でもそれは本当に不思議な事?思い出してみて、佳都けいとがここまで来られるように手引きしてあげたのは?そもそもクスィと出会ったのは誰の所為せいだった?」


 与えられた言葉を反芻はんすうする。


「それじゃあまるで全部千歳が……」


 口にしながらそんな事あるわけが無いと思った。千歳ちとせ一人で出来るはずが無い。千歳ちとせの両親が協力していたとしても不可能だ。けれど千歳ちとせは僕の言葉に満足したみたいに笑った。


「そうだよ。初めから全部私が仕組んだ事なんだ。実はね私も人形にんぎょうなの、人間と同じように成長し壊れる。バラバラにしたとしても人と区別がつかない人形。有機人形ゆうきにんぎょうっていうね」


「……嘘だ」


 咄嗟とっさに否定して、もう一度、さっきよりも強くほおをつねった。痛い。


「本当は明かすつもりはなかったんだ。佳都けいとにはクスィを助けたという事実と思い出を持って戻ってきてほしかった。でもそれは叶わなかった。私はね。傷ついたあなたを守り、経験を積ませ、いつか人間とむすための人形だった。一緒に見た映画の人工精霊じんこうせいれいみたいに」


 口にすべき言葉が思いつかずにただ千歳ちとせを見つめる。


「混乱しちゃった?まぁ、そうだよね。受け入れてもらうには時間が必要だね。それと、もっと情報も」


 そう言いながらはこから飛び降りた千歳ちとせは、クスィの方に向けて歩き出した。それを視線で追うと、同時に映写機えいしゃきまわるような音がして、クスィの奥にある壁面全体に映像が浮かんだ。


「今から流すのは、私達が消した人類の歴史の一部」


 注視した画面に映し出されたのは、病室のような場所にいる老いた異人いじんの姿。


「クスィ……」


 ひびいた老人の声に思わず視線をクスィに動かしたけれどクスィは何も反応しておらず。椅子に座って死んでしまったかのように目を閉じていた。


「クスィは説明しやすくするために眠っているだけ。壊れちゃったわけじゃないから安心して」


 僕とクスィのちょうど中間地点で足を止め、此方に向き直った千歳ちとせがそう言ったあとで、異国いこくの老人の言葉にこたえる声があって、それはクスィの声だったけれど、視線の先にあるクスィがはっしたものではなかった。


「彼の呼んでいるクスィは、そこにいるクスィの事じゃない。別の人形にんぎょう魔王まおうと呼ばれながら己の無力さになげき続けた彼が形を与え、愛称あいしょうを決めた世界で最初の機械人形きかいにんぎょう


 そう言われて、クスィという愛称あいしょう千歳ちとせが決めた事を思い出した。

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