通信士ノ記録

 ヘッドホンをかぶってスイッチを押すと、計測器けいそくきの針が動き、ノイズと共に画面がゆっくりとあかるくなる。

 並んだ真空管しんくうかんあわい光を放ち始めるのを確認して文字盤もじばんに手を伸ばした。


 ‐hello、hello


 青白あおじろい画面に文字が浮かびあがる。打ち込んだ文章は、内部で数種類の言語げんご自動翻訳じどうほんやくされたあと、信号化され、屋上に取り付けられた馬鹿みたいに巨大なび付いたアンテナから、ガラス天井の向こうに見えるやみの中へおくられていく。


 ‐此方こちら


 そこまで打ち込んで手を止めた。椅子を深く倒し、古代の石棺せきかんに彫られた王様みたいに空を見上げる。

 雲一つない空には満月まんげつ、目をらせば星も見える。世界には夜空を美しいと思う人と恐ろしいと思う人がいる。前者は暗闇くらやみの中にあっても確かにともるる星々の光をして希望をかたり、後者はきらめく星々を見つめながら、それすらも押し潰すようなやみを世界の真実だととらえる。ボクは後者だ。幼い頃は夜が怖くて仕方がなかった。果ての無い暗闇くらやみに飲み込まれるような気がした。


「馬鹿だろ、じいちゃん」


 届かないと知りながらつぶやく。ガラクタを集めて造られた無駄に巨大な通信機は、受信どころか送信できているのかすらあやしい。だが此処に座ってためしてしまった時点でボクも似たようなものかもしれない。

 じいちゃんが最後に通信していたのと同じ時期、同じ時間にためしてみたけれど特に変わった事は起こらなかった。あの日此処ここで倒れていたじいちゃんは「届いた」とつぶやいてかすかに笑ったけれど、画面には何も表示されていなかったから単なる勘違いか、死の間際に聞こえた幻聴げんちょうだったに違いない。

 けれど、そう思いながらも通信をこころみていた。何故だかは自分でもよく分からない。

 じいちゃんが最後にした交信こうしん記録きろくは結局何処どこにも見つけられなかったけれど、ばあちゃんが作ったらしい送信文は装置の中に保存されていた。それは四十年以上前、この通信機が完成して間もないころの物で、とても外宇宙がいうちゅう知的生命体ちてきせいめいたいに向けたメッセージとは思えないもの。端的たんてきに言えば日記だった。


 ‐いつか、これを読んでくれるかもしれない。はるか遠くの知的生命体ちてきせいめいたいさんへ。


 そう始められた文章の下には‐所々ところどころ間違っている。という注釈ちゅうしゃくが加えられている。きっと何度も手を加えられている間に打ち込まれたのだろう。


 ‐あの日の空気は冬の匂いがしていた。空には私の心とは裏腹うらはらに雲一つなくて、暗闇くらやみには満天まんてんの星がきらめき、それが私を嘲笑あざわらっているみたいな気がした。

 踏み出す一歩で世界が壊れてしまえばいいと強く踏みしめても、怒りは気を抜けば容易たやすく悲しみに変わってしまって、込み上げてくるそれを、くちびるを噛みしめる事でどうにかおさえ込んでいた。

 単純な裏切り。いや私が信じていただけで向こうにとってみれば初めから私との関係など存在しなかったのだろう。おさなかったと言えばそれまでで、それでも当時の私にとっては、それが世界の全てだった。

 さかのぼりきるとわずかな外灯がいとう校舎こうしゃを浮かび上がらせていて、普段なら気味が悪いと思っただろうけれど足を止めようとは思わなかった。

 学校を選んだのは、当て付けだった。それが私にできるささやかな復讐ふくしゅうで、私の死があの人の脳裏のうりに焼き付く事を願ったのだ。

 昼間に開けておいた窓から中に入った。かすかに差し込む光をたよりに薄暗うすぐらい階段をのぼり、屋上おくじょうの扉を開けるために内鍵うちかぎを回して、取っ手をひねりながら押した時。元々もともと鍵がかかっていなかった事に気付いた。

 鍵をもとに戻すと扉はきしみながら開き、夜の明かりと共に冷たい風が吹き付けて、それが収まった後で顔を上げると視線の先に人影があった。

 全てを壊しつくすはずだった怒りが、瞬間的に恐怖におおわれて、私は小さな悲鳴を上げた。

 それに反応した人影が顔を上げてこちらを見た。かすかな明かりに照らし出された顔は記憶には無かったけれど、この学校の制服を着ていた。彼が此方に視線を向けたのは一瞬で、すぐに興味を失ったようにとなりの望遠鏡をのぞき込んだ。恐らく私が悲鳴を上げるまでそうしていたのだろう。よく見れば、望遠鏡の横に何か良く分からない機材が置かれ、そこから伸びたケーブルがヘッドホンにつながっているのが分かった。

 彼が何も言わず、私を無視したから、私は怒りを思い返し、決行するのだと近くの手すりへ向かった。

 触れた手すりは夜風よかぜやされた私の手よりもはるかにつめたく、痛みを感じるほどで、最後はきっともっと痛いのだろうなと思いながら、それでも乗り越えようとした。その時に初めて声をかけられた。「なぁ」とか「あぁ」とかそんなのだ。これと言って興味も無さそうなその声に振り返ると、彼がこっちを向いていた。


「もし飛び降りようとしてるなら、余所よそでやってくれないか、犯人か何かだとうたがわれてもこまる」


「……遺書を持ってる」


 私は驚いてしまった心をふるい立たせるようにそう返した。


「ああ、そうか。でもそれでどうなるっていうんだ。君が此処で飛び降りたなら、此処は事件現場になって、きっと僕は証言をしなくちゃいけなくなる」


「そんなの、此処に居た事を黙ってればいいでしょ」


「それで僕が此処にいた事が分かれば、こんな時間に此処にいたわけと、止めなかった理由を長々ながながと問われる事になるんだろうね。君は僕に一体どんな恨みがあるんだ」


 そんな事を言う彼に対して私は怒りを覚えて「自分の事しか考えてないんだね」とにらみ付けながら言ったけれど、彼はおくする様子も無かった。


「君だって今まさにそうだろ。他に何があるっていうんだ。誰だって自分の事以外どうでもいいんだよ。それともまさか止めるべきだとでも?見ず知らずの君を説得せっとくすべきと?仮にそうしたとして、そしたら君が抱えている何かは解決するのか?幸せがおとずれて楽しく暮らせるのか?有り得ないだろ」


 まったくその通りだと思いながら、それでも言い返した。


「じゃあ帰れば?その後で死んであげるから」


「嫌だ。先にいたのは僕で僕は前から此処を使ってる」


「此処はあなたの所有地じゃない」


「君のでもないだろ」


 そこまで言葉を投げ合って解ったのは、彼は退かないだろうという事だ。


「とにかく此処で死ぬのはあきらめて帰ってくれ、君の発するノイズがうるさすぎて何も聞こえない」


 強い口調でそう言われてついに私は言い返せなくなった。けれど今にして思えば、私が本気だったなら彼が止める間もなく目的を果たせていただろう。だからそうしなかったのは、きっと本当はそうしたくなかったからなのだ。

 ただその時はそんな事に思いいたったりはせず、そのままおめおめと帰るのもなんだかくやしかったから彼の言葉に反抗はんこうして私は扉の横に座り込んだ。

 死のうと思って出てきたから防寒具ぼうかんぐなんて持ってきてなくて、身体が急に寒さを感じ始めて、ついでに悲しみがあふれてきた。涙がこぼれ始め、嗚咽おえつれた。しまいには鼻水はなみずまでれてきて、その全部を、身体を強くいておさええ込もうとしていると望遠鏡を覗く事を再開していた彼が一瞬こっちを見た。

 うるさいんだろうなと言うのは分かっていた。でも止まらなくて、そうしたら望遠鏡から目を離し溜息ためいきいた彼が黙って近づいてきたから、まだ残っている事をめられるのだろうと思って身を硬くしたら、言葉じゃなくマフラーが飛んできた。


「巻いてろ、そのほうが少しだけ静かだ」


 上着もしてくれればいいのにと思いながらマフラーを巻くと少しだけ温かくなった。

 それから私は寒さにふるえながらずっと座っていた。初めはなくなったら死んでやるんだと思っていたのに、彼がいつまでたっても帰る気配が無かったから、だんだん決意もうすれてきて、今日はあきらめようと考えるまでになっていた。けれど、それでも帰ったら負けな気がして、意地になって耐え続けた。


「此処で何してるの?」


 随分ずいぶんったころ、寒さと退屈たいくつえられなくなって、なんとなく問いかけてみた。冷え切った空気の中にひびいた私の声、でも彼は顔を動かす事も無く望遠鏡をのぞき続けた。


「……宇宙からの信号を待ってる」


 何も返ってこないと思った沈黙の後で、そっけなく返事があった。だから、続けて聞いた。


「そんな小さな通信機で宇宙に向けて信号が送れるの?」


「送れない」


「じゃあ、受信だけ出来るんだ」


「できない」


 彼の言葉を何回か頭の中で復唱ふくしょうさせた。


「……何してるの?」


 まったく意味が分からなかった。つまり彼は、役に立たない通信機を持って望遠鏡をのぞいていたのだ。天体観測が趣味なのかもしれないと考えついた。彼がノイズと呼んだ私の言葉が、実際のところ何の邪魔にもなっていない事を知って、私は遠慮えんりょするのをやめた。


「あの星は?」


「知らない」


 私がゆびさした先は見られる事も無かった。


「ああ、そう、じゃあどれがオリオン座?北極星は?」


「教科書か何かで探してくれ」


「そんなの持ってない」


「じゃあ、見つけるのは不可能だ」


「……それで何見てるの?」


 まともな答えは返ってこないだろうと思いながら一応たずねた。


「地球外の知的生命体ちてきせいめいたいとの通信は禁止されているんだ。通信機だけ持ってたらあやしまれるだろ」


 そんな事も知らないのかというように言われたけれど、星の一つも知らないで望遠鏡を持っていても何の説得力も無い気がした。

 私が偶然ぐうぜん出会ってしまった人は、かなりやばい人なのかもしれないとその時に思った。使えない通信機を持って、星を一つも知らずに望遠鏡をのぞいている。つまり目の前の彼は、こんな寒い冬の夜、学校の屋上に何の意味も無く立っていたのだ。


「あ、えっと、結局此処で何してるの?」


 彼は望遠鏡から顔を離して空を見上げ、それから数秒沈黙した後でこっちを向いた。


「この通信機では基本的に宇宙からの信号を受信できない。現在考えられているようなそれらの信号を受信するにはもっと巨大な受信装置がいる。それは、宇宙からの信号が、人類が過去にそうしたように、おおよその見当で発信されたものか、別の目的で発進された信号が偶然ぐうぜん、この惑星まで届いたものだからだ。でも、もし向こう側が高い技術力を持っていてこの通信機で受信できるように信号を送信してきたなら受け取れるかもしれない」


「つまり、宇宙に住んでる知的生命体ちてきせいめいたいが、何故かこの星のあなたに向けて直接信号を送ってきたらってこと?知り合いでもないのに?」


 彼はうなずいた。そのことに少しだけホッとした。自分は宇宙人にさらわれたことがあって体のどこかに何かを埋め込まれているとか言い出したらどうしようかと思っていた。


「それに知的生命体ちてきせいめいたいの技術レベルによっては宇宙船でこの惑星の近くまで来ているかもしれない。それなら偶然ぐうぜん、僕を見つける可能性も無くは無い。そしたら僕はたぶんこの惑星で初めてのコンタクティーになるんだ。政府が地球外の知的生命体ちてきせいめいたいとの接触を隠蔽いんぺいしていなければね」


「もしそうなったら、どうするの?」


「……何処かへ連れて行ってもらう。ここじゃない何処かへ」


 わずかな間をおいて返ってきたそれは、ほとんど嘘をいているような彼の言葉の中で、数少ない本音のような気がした。

 結局彼は夜が明けるまで動かなかったから、その日、私はそこなった。まぁ、その後でも実行しようと思えば可能だったから、実際は死ねなかったんじゃなく彼に気を使って死なないで上げたのだ。そして私は風邪かぜをひいて数日寝込んだ。

 み上がりで登校した日。同学年か一つ上だと思っていた彼が自分よりも一つ年下だった事を知った。

 その日の夜も死のうと思って屋上おくじょうに行ったけど彼が居たから死なないであげた。次の日も、その次の日もそうだった。

 いつしかそれが習慣しゅうかんみたいになって、私は彼から三歩離れた位置に座るようになった。時々投げかけてみる言葉に、彼はめんどくさそうに返事をして、そしてそれはたまに彼にしては長い会話になって……。

 そんな日が何故だかずっと続くような気がしていた。けれどある日、空をあつ雨雲あまぐもおおった。星の見えない空をあおぎ、容赦ようしゃなくそそぐぐ雨をびながら、今日が最後の日になるのだと思った。

 彼がいたから死ねなかったのだから、彼がいないなら死ねるのだ。やっと目的が達成されるというのに何故だか足は重かった。

 辿たどりり着いた屋上の扉の前。いつものくせでそのまま取っ手をひねると鍵が閉まっているはずとびらかすかにきしみながら開いて、そしていつもの場所に彼がいた。

 望遠鏡と通信機は持たずにくろかさをさして、雲におおわれた空を見ていた。扉の開いた音に反応して彼がこっちを向き、私達は数秒すうびょう視線を合わせた。


「今日は星なんて見えないのに……」


 彼が何も言わなかったから、私が口を開いた。


「どうせ、通信なんて届きはしないんだ。……ただ、今日此処へ来なければ、君が……死んでしまうのではないかと思ったから」


 そんな事のために、彼が此処ここにいる事が信じられなかった。そんな人ではないと思っていた。


「私はあなたにとってノイズだったはずでしょ?ああ、私が死ねば此処が使えなくなるからか……」


 自分でそれに気付いて落胆らくたんした私を余所よそに、彼は何処どこ戸惑とまどっているみたいに視線を動かした。


「違う。確かに、君はノイズだった。けれどそれがない世界をもう想像できなくなってしまった。君を救う言葉もすべも、僕には思いつきやしない。けれど、それでもいつか通信が成功するその瞬間に立ち会ってくれないだろうか、……死ぬのは、その後でもいいんじゃないか?」


 そんな事を彼が言ったから、かわいた笑い声が自分の口かられて、いたら泣いていた。嗚咽混おえつまじりの声で返事をしたその時から、それが生きていく理由になった。

 彼がかさを一本しか持っていなかったのは彼も私が来ないかもしれないと思っていたからだろう。いや私達は、そうやっておたがいがおたがいの目的を果たす為にやってきた場所で偶然ぐうぜん出会ってしまったという、そういう体裁ていさいたもとうとしていたのかもしれない。彼が足を進め、そしてそそぐ雨をかささえぎった。


 記録にはそのの事も延々えんえんと書かれていた。二人だけで同好会を作って放課後から夜までじいちゃんはそこで眠っていた事。ばあちゃんは夕方に一度家に戻って、夜に抜け出した事、テストの前にじいちゃんに勉強を教えた事なんかが記録されていた。ほとんど惚気のろけだ。

 そして二人は山奥の廃屋はいおくを買って、天体観測所を増築ぞうちくし通信装置を作り始めた。幼い頃は両親に連れられて此処にきた。進学とともに移り住んだのは、辺鄙へんぴだが家賃を払わなくてもいいと言う理由もあったけれど、なによりもきっとこの奇妙きみょうな家が好きだったからだ。

 時が流れ、こころよく迎え入れてくれた二人が老いていくのも、その先でばあちゃんが壊れていくのも、その結末も見届けた。そしてボクだけが残った。

 まだ二人が生きていた頃、深夜にった電子音で目を覚ました事があった。端末たんまつを開くと別室の窓が開かれたという表示が浮かんでいて、部屋を出ると上の階からあかりが漏れていたから、じいちゃんがまだ通信機にかじりついているのがわかった。でも、開かれていたのは違う部屋の窓で、だからそれを確認に行くと、ベランダに出たばあちゃんが空をながめていて、呼びかけるとこっちを見て安心したように表情をゆるめた。


「……届いた?」


 ボクにそう聞いたあの時のばあちゃんは、きっと記録きろくに書いてあったいつかの屋上おくじょうにいたのだろう。


「戻ろう」と差し出した手に向けて伸ばされた指は枯れ枝のように細くおとろえていたけれど、しっかりとボクの手をにぎった。


「そう、じゃあ、また明日ね」


 そう言って、嬉しそうに微笑ほほえんだばあちゃんは、きっとボクの事をじいちゃんだと思っていた。何もかもゆっくりと失っていったばあちゃんが最後まで手放さなかったのはじいちゃんとの思い出だった。

 けれど、だからといってどうにもならなかった。くらな部屋の中で一人座っていたじいちゃんが「どうして……」とつぶやいていたのを覚えている。

 ばあちゃんの身体に、頻繁ひんぱんあざができて、それがじいちゃんの所為だと知っていても、ボクは何もできなかった。知っていたからこそ、何もできなかったのかもしれない。じいちゃんは怒りに任せて手を出してしまった後で、いつも涙を流しながら謝って、恐らく何も理解できていないだろうばあちゃんは、微笑ほほえみながらじいちゃんのほおに触れようとするのだ。

 それが繰り返される日々の中で、じいちゃんは信号を探し続けた。まるで返信さえあれば、それを聞かせられれば、ばあちゃんを元に戻せると信じているみたいに、ばあちゃんが死んでもじいちゃんは止めなかった。手段だったそれが、いつの間にか目的になっていたのかもしれない。それは狂気だったのだろうか、それとも正気だったのだろうか。それを聞く事はもうできない。

 思い出にひたり終えて、ヘッドホンをはずそうとしたとき、急に強いノイズが聞こえた。一度では無く二度。慌てて画面に目を向けると画面に文字が表示されていた。

 ‐Aello、Aellow

 計器類が信号の受信を示し、ボクは息をするのも忘れ、あわてて文字盤もじばんに指を乗せた。


◆◆◆


「それで、どうなったのです?」


 久しぶりに電源を入れた通信機の椅子に座り、昔話をしていたボクへ向かってクスィが聞く。


「残念ながら、彼は外宇宙の知的生命体ちてきせいめいたいなどでは無かった。彼によると、この通信機からの信号は月に反射して彼の通信機と偶然つながったらしい」


「それは……」


「そうだ、ボクも最初はありえないと思った。この惑星の最も近くにあって、いまだ手の届かない天体が月だ。解明されていない事象がその道を閉ざしている。送り出された無人探査機は全て消息しょうそくち、通信は反射されるどころか表面に到達すらしないはずだ。でも、彼にはそれができた。月の障壁しょうへきほころび。大戦たいせんの混乱で人が忘れてしまったそれを彼は探し当て、利用しているらしかった。

 じいちゃんが最後にとどいたと言っていた通信も存外ぞんがいそんなものだったのかもしれない。名前やプライベートを語る事を嫌がった彼はオクルスと名乗り、ボクの事を通信士テレグラファーと呼んだ。「お互いを知らないという事が、君と僕を対等たいとうな存在とさしめる」それが彼の信念のようなもので、だからこそ、彼は文字だけの限定された通信で遊んでいるらしかった。彼の教えてくれる周期に合わせ何度もやり取りをした後で、彼は唐突とうとつにいなくなった」


 此処ができた時に持ち込んだ通信機に繋がるアンテナは、あの時と同じになるよう調整してある。だが、結局、何度ためしてもつながる事は無かった。通信記録を開けば、オクルスと名乗った彼との最後の通信が画面上に緑色みどりいろの文字で浮かび上がる。ボクはそれがクスィにも見えるように画面を動かした。


 ‐残念だけれど僕にはもう時間が無い。これが最後の通信になるだろう。君に僕の全てを、けれど、それをどう使うかは君にまかせるよ。通信士テレグラファー


「それから彼が何をどうやったのかは分からないが、ボクのところにソムニウム・ドライブを初めとするあらゆる構想と設計図、それを実行するために必要な巨額の資金が送られてきた。そこから辿たどろうとしたけれど全て途中で追跡不能になって、結局彼が何者だったのかはついわからなかった。全てを持っていた彼には時間だけが無くて、何も持っていなかったボクにはただ時間だけがあって彼と友人になれた。そんな偶然ぐうぜんがボクを此処まで連れてきたんだ」


 全て話し終えてボクは通信機の電源を落とした。暗くなっていく画面にさみしさを覚える。


「いつだって人は唐突とうとつにいなくなって、残された者は置き去りにされる……」


 確かに言葉をわした人達はもう記憶きおくの中にしか存在しない。あの家もすでに無く、机上きじょうの小さな額縁がくぶち、ボクが撮った写真の中で微笑ほほえむ二人にも、もう会う事は出来ない。

 残ったのはわずかな記録きろくと、がらくたみたいな通信機だけ、二人の人生とはなんだったのだろう。そしてボクの、いや、そもそもの人の一生とは……。今まで何度も考えてきた事に、また身震みぶるいをおぼえた。

 誰もが一世紀もすれば消えてしまう。そんな人の作り出す喧騒けんそうは全て幻のようなもので、その中にいる人々は誰もが、いまだ果てていないだけの生き残りで、そして自分が何処に行くのかと、いなくなってしまった人達が何処にいってしまったのかを誰も知らない。

 いつか再会できるかもしれないなんていうのは望み以上の何かではないと誰もが解っているはずなのに、人がいまだに繁栄はんえいを続けている理由がかつてはわからなかった。


「幼いころに思いえがいていた未来は、こんなんじゃなかった。ずっとそのままでいられるような気さえしていたんだ。そんなはずないのに、いつの間にかずいぶん遠くまで来て、皆どこかにいってしまった……ボクを置いてどこかに……」


 つぶやいたボクの手をクスィがそっとにぎった。


「私はあなたを置いて居なくなったりはしませんよ」


 そう言ったクスィの手はひんやりと柔らかい、いつもと同じ感触がした。

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