§2-7. 『学園の天使』は空を飛ぶ


「『あるわよ』って、……どういうことだ?」


「それ、ヒトに訊いておいて言うこと?」


 俺の反応を見たは、当然のように呆れた。


 それもそうだ。有る無しの質問を飛ばして中途半端ではない回答をしてもらっておいて、どういうこともクソもない。

 でも、少しくらい理解してもらえたらなあと思わないでは無い。心情的にも感情的にも、そして一般的にも、すんなりと理解ができない状況というのは往々にしてあると思うのだ。


「いやいやいや。……うん、ちょっと待ってくれ、整理させてくれ」


「どーぞ」


 言質は取ったので少しの間だけ思考に沈むことにさせてもらう。こういうとき、立待月というヤツはわりとオトナな反応を見せる。


 ――さてさて、お立ち会い。


 今、俺は立待月に何と訊いたのか――「背中の翼に実用性はあるのか」だ。


 今、立待月は俺に何と答えたのか――「ある」だ。


 何のことは無い。状況は極めてシンプルだ。


 ――『立待月の背中に生えている翼は実用性がある』、ただそれだけのことだ。


 ――――――。


 ――――……。


 ――……?


 うーん、結局わからん。


 というか、俺の脳みそが最終的な部分で思い至った内容にゴーサインを出してくれない。


 恐らく、事実はそうなんだ。でもまだどこか冷静な部分がそれを否定してくる。


 ここは潔く確認を取って、俺の冷静な部分に鉄槌を下してもらうべきなんだ。


 ――たとえ、解ったらそれが最期だったとしても。


「つまり、だ」


「うん」


「立待月はその翼で空を飛べる……と?」


「そうよ」


 あっさり。最近この近所で話題になっている鶏だしの塩ラーメンくらいあっさりしている回答だった。


「……事も無げに言われたな」


「だって、……まぁ。ね」


 動揺を隠せない俺。それを見て少しだけ苦笑いを浮かべる立待月。仕方ない、これはきっと仕方ないと思う。


 しかし、実際にそうだったとしてもやっぱりなかなか信じ切ることは――。


「どうかしら。少し実演してみる?」


「……え?」


 往生際も甚だ悪く未だに信じようとしない俺の中の何かの存在を悟ったような立待月は、さらりとわらった。そして、その笑顔くらいにさらりと髪を夏の風に泳がせると、その背中にある翼を大きく広げた。


 あれ――?


 そう思う間もなく、屋上にあったはずの立待月の姿は消えた。


 少し遅れて風が渦巻く。


 思わず顔を背け、すぐさま上空を探す。


 ――居た。


 対象物が無いので具体的に何メートル飛び上がったのかハッキリとは言えない。だが、少なくとも10メートルは上に居る気がする。

 そして少なくとも人間が一瞬で飛び上がるには不可能と言える高さだった。


 背中の翼は、左右合わせれば3メートルはあろうかというほどの大きさ。

 両手を広げてそのさらに倍くらいのサイズはある。かなり大きい。

 それがよくあそこまで畳めるモノだ。


 日光と重なり、目が眩む。


 それと同時、しなやかに動く翼。


 さらに併せて、ひらりと翻るスカート。


 もちろん俺は、しっかりと目を背ける。


 間もなくして、立待月は再び静かに屋上に戻ってきた。


「……どう?」


「たしかに、……実用性のある翼なんだな」


 呆然としながら、どうにか答えられた。何それとまたしても笑われたが、気にしないことにする。そして不意に過った不安を逃さず捕まえて立待月に示しておくことにした。


「っつーか、今の大丈夫だったのか?」


「何がかしら?」


「いや……、その。今のはさすがにグラウンドから見えたんじゃないのかと思って」


 懸念材料ではある。俺は少なくともその翼が見えているからイイものの――いや、本当に『良いこと』なのかは知らんけど――、部活の生徒やその他活動中の生徒、あるいは近隣の住民に見られたりしたらマズいのではないか、という話だ。


「ああ、そういうこと」


 しかし、当の本人はやはりあっさりしている。


「それくらいは気を付けているわよ。一応死角になるところは熟知しているつもりよ」


「……ということは、今立待月が飛んだ辺りは、周りから見えることはそうそう無いと」


「その通りよ」


「なるほどねえ……」


 さすがは立待月瑠璃花。抜け目ないというか、抜かりないというか。こういうところの用意周到さは素直にスゴイと思う。見習うかどうかはまた別問題として。


「それで……、話の続きなんだけど。イイかしら?」


「どうぞ」


「今度はさっきの、事故の時の話ね」


 本日のメインディッシュ、ふたつ目。ひとつ目の段階で既にだいぶヘビーなメニュー構成だったが、しっかりとおなかに収めておきたいところだ。胸焼けがしてきそうな気がするが、それもまた一興だと思うことにしよう。


「貴方は、何となくさっきの状況に違和感を覚えなかったかしら?」


「それはまぁ、もちろん」


 俺の立っていた場所がタイヤが来る前と来た後で何となく違っていたような気がしていたこともあるが、何より立待月本人が全く違うところに移動していたように思えていた。あの事後処理に立待月が一切加担しようとしなかったという部分も気にはなっているが、いちばんはその辺りだろう。


たとえれば『ザ・ワールド』的な力でも発動した感じと言うか」


「……?」


「ああ、いや。何でもない」


 喩え方が良くなかったらしい。


「まるで時間を止めている間に事を成したか、あるいは瞬間移動か何かをしたような感じに思ったかな」


「うん、なるほどね。当たらずとも遠からずってところかしら」


「む」


 ちょっと悔しい。負けた感がすごい。


「そんなに怒らないでよ。むしろそれに気付いていることに私は驚いてるくらいよ」


「そうなのか」


 わりと光栄なことだったらしい。少しだけ俺のゴキゲンは良くなる。


「瞬間移動とはちょっと違うんだけど、……まぁ、少しばかりの高速移動をした感じよ」


「それでも結局事も無げに言うのな」


 もはやさっきの再放送だ。


「簡単と言い切れるようなことではないんだけど、難しくはないわ。瞬時に移動して、貴方へと一直線だったタイヤの進行方向を少しだけ変えたの。……本当ならもう少し巧くやれて然るべきだったのだけど、反応と判断に遅れてしまった結果ああいう感じになったというワケよ」


 やはり命の恩人であった。


「ちなみに、何をどうやって?」


「あの周辺ってこの前まで工事中だったでしょ。だから……」


「ああ。もしかしてその辺の大きな瓦礫か何かを拾ってきて、それをタイヤに当てて跳ねさせたってことか?」


「そうよ。そういうこと」


 たしかに、それくらいしかやりようが無いよなぁ。


「……それ、当てた後で元の場所に戻してたりするのか?」


「タイヤ痕が残っているから、だいぶ遠くの方に投げたわ。あとで完全に証拠隠滅しなくちゃいけないけど……とはいえ、少し欠けが出来ていたから必要ないかもね」


「……ははは」


 乾いた笑いが情けなく出ていった。


 しかしとにかく、いろいろなところに合点は行った。


 そして同時に、いろいろなところに転がっていた点と点があらゆる線で繋がっていく。


 繋がっていった線はやがてラインアートを形成していく。


 そうして出来上がってきたは、やはり少しだけ信じられない色と構造になっていた。


「……」


「……ふぅ」


 俺が静かに見つめていることに気付いた立待月は、小さくため息を吐いた。風で少し絡んでいた髪を優雅になびかせながら――。


「そうよ。今、あさくらくんが思っているとおり」


「……本当なのか。そういう理解をして良いのか」


 わざと焦点をぼかして訊いてみるが、もはや観念したような立待月はそのまま続けた。


「ええ。……私は、『ふつうのニンゲン』ではない、ってことよ」


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