§3-28. 待ち受ける者と防御術


 クラスごとの待機場所に着いて直ぐさま、俺はもう一度校舎に足を向けようとする。


「あれ? とう、お前どこ行くん?」


 当然のように反応するこう


 もちろんこれは想定の範囲内であって、そんなことを言われた時用の言い訳も用意している。事前の準備は周到にやっておくべきなのだ。


「ちょっと委員関連の作業があって」


「なーる」


 ウソは言っていない。本当のことでもないのだが、少なくともウソは言ってない。


「委員(を構成する生徒に)関連している」ということだが、コレに関する説明責任は無いと思っている。


 何はともあれ、これで無事にウチのクラスとの行動からは離れることに成功した。後は何事も無い風を装って校舎に戻るだけだが、これも無事に成功。ほとんどの生徒がグラウンドに降りてきている状態だったので、誰かの視線に収まることもなかったはずだ。


 少しだけ安心はする。が、本番はまだまだ先に控えている。生徒玄関まで急いで移動し、上靴に履き替える。


「さて、と」


 ここまでがぜんしょうせん。ここからが本番だ。心してかからないといけない。


 ――何せ、命すら狩られる可能性があるのだから。


「一応は、だな」


 まずは1階をさらっと洗ってみる。先ほどといっしょに回ったときよりも少しだけ念入りに。だけどあくまでも流し見する程度を心がける。今宵の本丸は恐らく屋上だと踏んでいた。それゆえ下層階にはとくに何も無いだろうという予想はあるが、それでも念のためだ。


 案の定、何事もない。不審な物も不審な者も無さそうだ。すっかり暗くなってきた学校の廊下に響いているのが俺の足音だけというのもなかなかに不気味さを煽ってくるが、その分ちょっとだけ楽しさはある。日常の皮を被った非日常ほどワクワクするモノは無い。――もちろん、安全であればこそだが。


 しかし、そんなことを夢想している場合では無い。


 2階へ上がり、今度はさらに少しだけ急ぎ足で、廊下を1往復。


 やはり何も無い。それでいい。有ってたまるか。


「……?」


 いや。


 何となく、そしてほんの少しだけ、違和感があったような気もする。


 具体的に何かと問われれば答えに窮してしまうが、本当に何となく変な感じというか。ただただ薄ぼんやりとした違和感が霧のように漂っている――そんな感じ。


 ただただ見て回っているだけで違和感を払拭できるとは思っていないが、それでも念のため、特殊教室棟の方をもう1往復してみてから、3階へと上がることにする。


 階段に、踊り場に、足音が響く、響く。


 妙に反響が耳に付く。


 3階のフロアが見えようかというまさにそのタイミング。


「やぁ」


「……!?」


 その3階から声をかけられた。


 喉からひゅぅっと音がする。空気が抜けていく。


 誰の声かは解っている。紛れもなく知っている人の声。


 だから、本当なら直ぐさまその声の主に返事をすることができるはずだ。


 そのはずなのだ。


 そのはずなのだが、それができない。


 むしろ、誰の声かを解っているからこそ、返事ができないのかもしれない。


 もはや呼吸すら出来ないような状態。肺に空気が留まってくれないみたいだ。酸素と二酸化炭素が交換されることもなく、ただただ空気がカラダを通り抜けていくだけのようだった。


「大丈夫だ。何も言わなくていいから」


 俺とは対照的に、その声は落ち着いている。


「ゆっくりでいいからここまで上がってきてごらん。ゆっくりだ。そう、1歩ずつでいい。1段ずつでいいんだ」


 視界が薄ぼんやりとしてきているような感じもしていたが、徐々にではあるがしっかりと見えてくる。夜の薄明かりに目を慣らすようなペースで、ゆっくりと歩を進める。それが正しい行動なのかもよくわからないままに、ひとつずつ階段を上がって行く。


「よくできました」


 満面の笑みで、あまれんは俺を迎えた。


「……か」


「言わなくていい」


 会長は『会長……!?』と言おうとする俺を制する。


 そういえば会長も俺の名前は呼んでいないということに気が付く。


 名前を公にしてはいけないとでも言っているような、そんな雰囲気すら覚えた。


 本当に、そういうことなのだろうか。


「ああ、大丈夫だ。そっちには何も無いから」


 ――もう?


 しかし、そのわずかな2音の真意を訊ねる余裕を、会長は寄越さない。この場の空気を自分の物として絶対に手放さないのだという意志を感じる。


 何もできない俺に対して会長はそれでもなお柔らかい笑みを浮かべたまま、今度はスマホを取り出した。そして何やら入力し始める。


 こんなタイミングでメッセージの送信か――とも思ったが、それは違った。開いていたアプリはただのメモ帳であり、その目的は俺に対しての伝言だった。


『5分くらいそこにいて、仁王立ちしていてくれ』


『すぐ終わる』


 手早く打ち終わったメッセージ。あまり意味はわからなかったが、俺は黙って従う。


 反抗する気が全く無いことを察した会長はさらに笑みを深くして、特別教室棟の階段方面へと向かっていった。




     〇




 外からは歓声がちらほらと聞こえてくるようになってきた。結果発表が始まったらしい。


 ウチのクラスはどうなったろうか。立待月のクラスはきっと1年生の中では圧勝だったことだろう。そんな想像は働くが直ぐさま消えてを繰り返す。


「……ごめんね、


 いつの間にか5分程度が経っていたのだろう。会長が俺の名前を呼んだ。


「助かったよ。ありがとう」


「いえ、別に……」


 しっくり来ないことはある。というか、しっくりと来ないことしかない。


 仁王立ちしろという指令もそうだが、いきなりお礼を言われたこともそうだ。何が何だかわからないままに5分が経ったような、そんな感じだった。


「大丈夫、大丈夫。思ってることはだいたい解ってるつもりだから」


 相も変わらず会長は俺に話をさせない。


 何かを隠しているのは察した。が、それが全くわからない。


 おかしなところがあるのは何となくわかる。だが、それがどこかわからない。


 わからないことがあるのはわかる。だが、わからないものがわからない。


 あるのはやはり、ただぼんやりとした不信感と不安感だった。


「今日はもう大丈夫だ。何事も起こらない」


「……え?」


 ぞくり、とする。


「それはもちろんボクの方でも確認はしてきたし、も張っておいたから」


 そこまで言って、会長は天井へと視線を向けて――


「屋上も安心だ」


「……どういう、ことでしょう?」


「それは、どれに対しての質問かな?」


 会長は莞爾とした笑みを崩さない。


「屋上も安心って……、その、屋上にいる……」


「立待月さんも大丈夫だし、彼女たちが花火の準備を粛々と進めている。だから安全安心。崩れそうな神話なんかじゃない。絶対的な安全だ」


 そこまで言うなら――と素直に意見を引っ込める気にはならないが、そこまで言い切られてしまうとこちらから言い返せる言葉もない。


 困った。切り込めるモノを何か用意しておくべきだっただろうか。とはいえそんなことを直ぐさま思い付けるとも思わないわけで――。


「ふふっ……」


「何です?」


 控えめだけどいきなり声を出して笑うものだから思わず拍子抜けして、そのままの勢いで会長に訊いてしまった。そんなに面白いことを言ったつもりもないし、ふざけるつもりすらないのだが。


「いやいや。……朝倉くんがどこから訊くのかちょっと楽しみにしてたんだけどね。……なるほどなるほど。うんうん」


 勝手に納得しないでほしい。


 何なんだ本当に、このヒトは。


「そんなに怒らないでくれよ」


「怒りますって」


「いやいや、だってさ」


 大きく息を吐いて呼吸を整え直し、会長は続けた。


「まさか『防御術』なんて明白あからさまなセリフを放置してまで、カノジョの心配をするんだから。そりゃあ、ねえ」


「……あ!? あ、いや、別にそういうことでは……!」


 そういうことではない――わけでもないけれども。


 そりゃあ、心配もするけれど。


 ああいうタイプのヤツだし。勝手に背負い込んでしまって困ったことになってなければいいけれど、とか思うわけだけれど。


 別にそういうことでは、たぶんない。きっと。


 それに、そもそも俺は。


「その。……『防御術』的なモノは、何と言いますか、その~……」


「『既に似た様なモノを知っているから』っていう話だよね」


「えっ」


 先回りをされた。

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