§3-12. 謎の気配


 そういえば、と思い出す。


に最初に呼び出し喰らったときも、購買で飲み物買ってやったな」


 思い返せば、あれが転換点みたいな日だった。


 あの時は単純に暑さにやられかけてたのかと思って冷えた飲み物を渡してやったのだが、あれはも立待月で緊張していたのかもしれない。ああいう場面というのは妙な緊張感から呼吸が浅くなって速くなりがちだ。熱中症ももちろん危ないのだが、過呼吸も同じ様なものだ。


 今回については、単純に作業の疲れを少しでも軽くしてほしいという感じなので――。


「……アイツ、何飲むっけ?」


 よくわからん。前回は暑さ対策としてスポドリ一択だった。ふだんでも男子連中ならスポドリ一択というか、その辺に気を使うコトなんてほぼ必要ないから楽なのだが。


 思い出せ、あさくらとう。普段の昼休みとか、女子の机の上には何がある?


 答えはすぐに出てくる。


「わからん」


 わざわざ他人の飲み物なんて気にしたことがない。光景をいくら思い浮かべようとしたところで、見えてくるのは真っ白。何も無い。


 八方塞がりじゃねえか――と思ったところで、女子のグループが俺の目の前を通り過ぎていく。彼女たちはそのまま購買へと向かっていった。


 ――チャンス。


 ややストーカーめいていて我ながら良い気分はしないが、背に腹は代えられない。こっそりと後ろから何を買うか探らせてもらうと、彼女たちは全員紙パックの紅茶をチョイスしていった。


「なるほど」


 それならば話は早い。彼女らと立待月の好みが大幅にかけ離れている危険性もあるが、それはもうどうしようもない。意を決して俺は自分のスポーツドリンクと、アイツに渡す紅茶を買った。フレーバーの種類が多くて困惑したが、ストックがいちばん少ない、つまり現状ではいちばん人気がある(と思っておきたい)ピーチティーを選ぶことにした。同じくらい減っていたミルクティーというチョイスもあったが、もう少し爽やかな方を取った感じだ。


 紅茶を買ったくらいでは待ち時間はさほど減らないだろうと思っていたが、俺が悩んでいた時間は思ったより長かったらしく、俺が生徒玄関に戻ってくるのと立待月が階段を降りてくるのは同時だった。


「あら」


「おお、ナイスタイミング」


 軽快なリズムを少しだけ早めながら、立待月はこちらに近付いてくる。


「部活お疲れさま」


「そっちも、シゴトお疲れさま」


 言いながら今し方買ってきたばかりの紙パックとストローを手渡す。


「あら、良いの?」


「ああ。未開封だから安心してくれ」


「……誰もそんなこと心配してないわよ。見ればわかるし」


 呆れたため息を漏らしながらも、立待月は素直に受け取ってくれた。


「私は時々、貴方の脳内にいる私が理解できないよね」


「ん?」


「私ってどんなイメージ持たれてるのよ」


 以前も『私らしさって何?』と訊かれたが、あの時とは違って全く深刻さのない雰囲気。


「そりゃあまぁ……、高飛車で?」


「いきなり失礼すぎない?」


 なので初手から思いっきりぶっ込んでみる。当然ながら立待月はご立腹である。そのぷんすかしているときの顔、意外としっかり年相応なんだよな。


「っていうか私、貴方にそこまで高飛車なことなんてしたことない……こともないかもしれないけど」


「ああ、良かった。自覚は微妙にあるんだな」


「うるさいわね」


 身に覚えが無いとか言われたら確実に俺は呆気に取られるところだった。もっとも単純な話、本人に自覚があれば救いがあるのかと訊かれれば、それは決して『有る』とは言えないだろうけど。


「一応言っておくけど冗談だからな、8割くらい」


「2割は事実なのね。……まぁ、良いわ。とりあえず帰りましょう。けっこう良い時間だし」


「そうだな」


 言いながらふたりで玄関を出る。駐輪場に置いてある自転車を取ってくるからと言ったが、立待月はそのまま着いていくというのでそのまま来てもらう。


「……裏門から出るかぁ」


「え、どうして?」


「そりゃあ、ほら」


 正門側を指差す。丁度悪いタイミングで、運動部の生徒――しかもちょっとチャラい感じの連中も混ざった集団が大挙して出ていくところだった。


「いい加減慣れればいいのに」


「変に絡まれるのも面倒だなってだけの話だ」


「……んー、まぁそれについては否定しないけれど」


 苦手なブラックコーヒーを間違えて口にしたような感じの顔をした。


「ってことはそういう経験あるのか」


「まぁ……」


 思い出したくもない、という雰囲気は察したのでこれ以上は掘り下げない方が良さそうだ。


「ってなわけで、裏門から出るのは決定ってことで…………ん?」


「うん? どうかした?」


「いや……んん?」


 気のせいかとも思ったが、何か違う。


 それはつい先日も触れたモノに近いな違和感で、少なくともあまり触れたくないし触れられたくない感じの嫌悪感にも近いモノ。


 気になる点で言えば、俺よりも数段その手のことには敏感なはずの立待月が気付いていないことだった。


「なぁ」


「うん」


「……何かヘンな感じしないか」


「え?」


「喩えるなら、この前と同じ」


「えぇ……?」


 ここまで言っても、立待月にはピンと来ないらしい。だったら俺の考えすぎとか、思い違いとか、そういうパターンでしか無いのだろうか。それならそれで一向に構わないのだが、もしも気のせいじゃ無かった場合はマズい。ただの『思い違いの思い違い』では済まされない。


 そりゃそうだ。命の危険があるんだから。


「念のための手段は講じておきたいんだよな……」


「でも、どうするの?」


 素知らぬ感じを装いながら、小声で作戦会議を開始。咄嗟に思い付いたのがひとつだけある。それを良しとするかは立待月次第ではあるし、ウマく行くのかは立待月に訊かなくては解らない。


 しかし、ここまで誰も駐輪場側に来ていないのがラッキーかもしれない。


 ――いや、それもまたある意味で奇妙なことだが。


「……立待月の羽根って、シールド的な効果はないのか」


「え? その、防具としての役割ってこと?」


 小さく頷く。


「無くも無い、とは思うけど……。今朝貴方が見たとおりよ。貴方以外からすれば、射している人が見えなくなるビニール傘みたいな感じ、かしら?」


 そういう感じか、なるほど。


 その喩え方をどこまで信頼していいのかは解らないが、少なくとも立待月が感じてはいないこの違和感から逃げるだけならばどうにかなるだろう。


「だったら、チャリの後ろに乗って、俺たちを覆い隠すみたいな感じで羽根を広げてくれ」


「なっ……」


 あまりにも陳腐で突飛な提案に大きな声を漏らしそうになる立待月。物理的に自分の手で口を押さえることでどうにか大きな被害は防いだ。


「……なるほどね。悪くはないと思う」


「だろ」


「生徒会役員に、学校から出て行くときにふたり乗りを強要する、っていうアグレッシブさに目を瞑れば……って話だけど」


「そんなこと言って、昨日とかちょっとやってみたい感出してただろ」


「ちょっ!? 何でわかったのよ!」


「あ、コラ!」


 とうとう我慢できずに大声を出してしまった。ふたりでマズいと思っても後の祭り。


 ――っていうか、まさかの図星かよ。適当に言っただけなのに。


「ああもう! 行くぞ!」


「あっ……!」


 立待月の手からカバンを引っ掴んで前カゴに収める。空いた手は強引に取って自転車の後ろへ促す。観念したらしい立待月はおとなしく俺の後ろに収まると、すぐさまご自慢の翼を大きく広げた。


 ――あ、何でそんなイイ香りがするの。


「いやいや!」


 そんなことを思っている余裕なんて、恐らく皆無。思ってしまったが、そんな邪念は一気に振り払うに限る。俺はペダルを蹴り込む足に力を込める。


 部活後ではあるがケアもしっかりしたつもり。予め動かしている分だけ、足の筋肉も元気だ。いつもよりちょっとだけ加速がイイ気がする。


「……ん?」


「朝倉くんは気にしないでそのまま漕いで、静かにね」


「お、おう?」


 この辺って舗装悪いんだけど。でも全然揺れないんだけど。


 もしかして、浮いてる?


「とりあえず隠密スタイルってことか?」


「ええ。この状態だもの。スピードよりは静粛性優先よ」


 だったら黙っていよう。この妙に軽やかなペダルについても質問は後にしておこう。





     〇




 結局そのまま俺の家の前まで、何事も無く到着した。


「俺の気のせいだったのかな、マジで」


 立待月には自転車から降りてもらうが、申し訳なくなる。勝手に慌てて、勝手にふたり乗りをさせた挙げ句羽根まで広げさせて、そのくせ何もないとは。


「いえ。自分の直感は大事にした方がいいわよ」


「……そうか?」


「そうよ。……貴方の場合はとくに、ね」


 何だか意味深な言い方をされた気がするが、慰めてくれているのだろう。高飛車なんて言って悪かったな。


「ところで、送らなくても大丈夫か? 自分の家に着くの優先してしまったが」


「大丈夫よ。それこそ、……しね」


「なるほど」


 納得して良いのかは解らないが、そこは信用だ。


「……今後、使えるかもね。この作戦」


「え?」


「じゃあね。また明日」


 俺からの返答を待たずに立待月は去って行った。先ほど感じた優しい香りを残して。


 そのせいかどうかはわからないが、結局俺は立待月に訊くべき事を訊くのを忘れていた。


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