§2-12. 甘さ控えめな話と甘い珈琲
比較的空いていると思われる店内ではコーヒーを楽しんでいる姿がちらほら見える。とても良い香りが漂う店内は、会話のボリュームも控えめ。とても落ち着いた雰囲気が演出されている。
こういう喫茶店を同級生が知っているということに何となく凄みを感じてしまうのは、きっと気のせいではないはずだ。それが
恐らくは彼女がまとっているように思える、主にその容姿に由来する何となくオトナな雰囲気がそうさせるのだろう。
もちろん彼女の中身を知っていけば、それはそれでまた印象が違ってくるが。
とりあえずメニューを見てみることにする。――やたらと『ほれ、早く』と言わんばかりに見せつけてくる立待月を大人しくさせるためにも。
軽食ももちろん扱っているようだが、さすがに時間帯も時間帯。店内のお客さん達も飲み物だけをテーブルに並べている人が多い。
そして俺たちはまだ学校での活動中である。正直、このナポリタンあたりは良いなぁなんて思ったりするが、持ち合わせのこともあるし今は我慢だ。
ちなみに夜の営業はしていないらしい。最近だと夜にお酒を提供するようなカフェもあるらしいが、ここはそういうタイプではないようだ。
正真正銘の喫茶店、いわゆる純喫茶というヤツだ。なかなか硬派だと思う。――いや、よくわからないけど。ちょっと知ったかぶりをしてみただけだ。
「お待たせ」
穏やかな声が聞こえてきた。いろいろと眺めている間にマスターが戻ってきたらしい。
「ご注文は」
「私は
「(おい、ちょっと待てや)」
内心叫ぶ。
声として、音として、この口から出さなかったのを褒めてほしい。
マジで、ちょっと待って欲しい。
『いつもの』って具体的に何だよ。
何かしらの基準としてせめて立待月が何を頼むのかを知ってから俺も選びたかったのに、それをされたら本格的にオシマイだ。
何が『いつものメニュー』なんだ。
どれだ。
知るか。
知る由がない。
だったら正直に訊けとも言われそうだが、そういう問題じゃない。
「お連れの彼は?」
「あぇ。……えーっと」
ヤバイ、ヤバイ。選択を迫られた。
どうする。
脳内でルーレットでも回すか?
いや、もうそれしか策は無いような気もする。
せめてコーヒーのメニュー欄の中から、適当に――誰かさんの言うとおりに。
「……コレとか」
「コールドブリューですね。砂糖とミルクは」
「あ、大丈夫です」
「かしこまりました」
何となく選んだので具体的に何かは知らん。ただ『コールド』とあるので、夏の暑い時期にはイイかなと思っただけだ。
冷たいモノであれと祈る。あのマスターが恐ろしいまでの偏屈とか天邪鬼でないことをとにかく祈りまくるだけだ。
「へえ」
「……何だよ」
安心――はできないらしい。立待月が興味深げにこちらを見ている。
「ブラック派なのね」
「え、俺何か間違った?」
「いいえ、何も」
反射的に『俺もしかして何かやっちまいましたぁ?』的なことを訊いてしまったが、表面的にはお咎め無しらしい。どういうことかは解らないが、何とか山場は乗り切ったらしい。話を切り出されたので、せっかくだから繋げていくことにしてみる。
「っていうか、そこで『いつもの』は焦るって」
「どうしてよ」
やはり無自覚だったか。そりゃそうだろうけども。
ただ、経験点の積み方が俺とお前とは違うんだ、と。そういうことをちょっとだけ思う。
「何かアイディア的なモノが欲しいんだよ、こういうとこ入るの初めてなんだからさ」
「え、喫茶店くらい入るものでしょ?」
「入らない。俺はそんなに入らない」
やっぱり根本的なところで大きく違った。
コーヒーは飲むけれどそこまでこだわったこともない。こだわろうと思ったこともない。良いとこそこら辺で売ってる高くても200円未満のペットボトルのヤツだ。街中の方では話題になりがちな
「へえ……」
「男子なんてファストフード店のコーヒーが精一杯だ」
「じゃあ、今度からもう少し興味を持って」
「え、強制?」
「強制」
「何でだよ」
「悪いモノじゃ無いでしょ。コーヒーはお嫌い?」
「……嫌いではない」
「じゃあ文句言わない」
その話の流れには文句を言いたいんだけど。それすら許してもらえない俺は、下僕未満の下等生物ってことですかね。
そんなこんなで軽く打ちひしがれること数分。ひっそりと続いていた沈黙を破ってくれたのはコーヒーの香りだった。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」「ありがとうございまーす」
声をシンクロさせながら受け取る。
俺はさっき必死にひねり出したコールドブリュー。良い香り。浮かんでいる氷もコーヒーで作っているようだ。溶けて薄まることがない。これは嬉しいヤツ。
ちなみに。後から調べてみたところ、水出しのコーヒーのことをこういうらしい。
ふつうのアイスコーヒーはお湯を使って抽出したコーヒーを氷などで一気に冷やして作るのだが、こちらは水でゆっくりと抽出するものだとか。
ゆっくりと抽出するとカフェインとかタンニンとか苦味の成分が出づらくなり、クリアな味わいになる――らしい。詳しいことは知らん。どこぞの請け売りに過ぎないので、各自調べておくように。
さて、俺を完全に見捨てて『いつもの』という玄人ムーブを盛大に見せつけてくれた立待月は何を頼んだのやら。
そう思いながら覗き見れば、カップの中身は実にクリーミィな色合いをしていた。
「へえ、そんな感じなんだ」
立待月も俺と同じようにこちらを見ていた。
「頼んだこと無いのか」
「私はいつもコレだもの」
まぁ、『いつもの』で通るくらいだしな。
「ちなみにそれは?」
「アイスカフェモカ」
「なるほど」
よくわからん。
「絶対解ってないでしょ」
「良くお解りで」
「だろうと思った」
「入ったこと無いって言ってんだからそりゃそうだろ」
わざとか。そんなに俺を貶めたいのか。
「カフェモカは、エスプレッソにチョコシロップとミルクを合わせたモノだよ」
そんな俺の味方をしてくれるマスター。優しい笑み。まるでコーヒーとチョコレートを包み上げるミルクのような優しさ。
これがオトナだ。これこそがオトナの包容力だ。行きつけの喫茶店があっていつものメニューがあるだけの小悪魔女子校生なんかとは格が違う。当たり前だけど。
「なるほどー」
とりあえず、勉強にはなった。何というか、甘さと苦さが同居する感じ――なのだろうか。エスプレッソって、たしか、要するにあれだろ。
「でもね、彼女のはちょっとアレンジが入ってて」
「あ、ちょっ……!」
マスターがにこやかに話を続けようとしたところで、何故か急に立待月が慌てだした。
「それには練乳が入ってるんだ」
「……練乳」
「…………もうっ」
不満気に顔を逸らす立待月。ほんのりと耳が赤い。
コーヒーに、チョコレートとミルク、さらには練乳。
――ん? そのパターンというか売り文句はどこかで見たような。
「あれ。それっていわゆる『マックス』……」
「あー、おいしー」
無視すんなや。
「もしかして、立待月ってブラック飲めな」
「黙って」
「ハイ」
従順すぎるだろ、俺。
飼い慣らされすぎだろ、俺。
「甘党なんだな」
「そうだけど?」
素直でよろしい。
「ブラックは飲めない、と」
「……別にイイでしょ?」
「ああ。別にイイだろ」
「え」
「そこで意外な顔をされるのがむしろ意外なんだが」
ブラックが飲めないのは別に笑いどころでも何でもないと思う。そんなの個人の好みの問題だ。俺だって今日はブラックにしたが、たまにはどちゃくそに甘いミルクテイストなペットボトルのコーヒーを選ぶことだって有るし、そもそもコーヒーじゃなくて甘ったるい炭酸飲料を飲みたくなるときだってある。
「甘党だろうと何だろうと、そんなの自由だろ。恥ずかしがる必要もないし、そもそも否定する謂れが無い」
「……そ」
今度は素直じゃなかった。
が、今はどうでもいい。
汗をかいてきたグラスのコーヒーはとても爽やかさがあって、俺のアタマも同時にスッキリしてきた。ここに連れてきた立待月には――まぁ、ちょっとくらいは感謝してもいいだろう。
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