§1-3. 最大の窮地: 屋上への呼び出し



「……ヒュッ」


 突然の暴風に吹かれると咄嗟に変な空気の吸い方をすることはないだろうか。今まさに俺はそんな呼吸法だったと思う。周りに誰も居なくて良かった。


 夏の初め、6月17日、月曜日の朝。のんべんだらりな雰囲気を携えながら、ホームルームの30分前に学校に着いた。あとは外靴と上靴を履き替えて教室に向かえば今日も登校完了というところだったのだが。


 俺の目の前に飛び込んできたのがで、ご丁寧な文字で記された名前を見れば『学園の天使』だったわけで、そりゃああんな呼吸法にもなるという話だ。


 遅刻という面に関して言えば、俺は優良な生徒で通っている。だいたいいつもはこのくらいの時間に学校に着いて、本来ならばあとは教室とかでグダグダするのが日頃のルーティンだ。まだ他の生徒も少ない教室で軽く寝ておくもよし、友人と会話を交わすもよし。一応鍵は開けられている図書室というのも候補のひとつだった。


 とはいえ、今日は眠い。何せいろいろと心労が祟っていたから、というしっかりとした理由がある。


 ――その原因こそ、だった。


 があった、その後の週末である。俺は部活で、あちらは恐らく生徒会と学校祭関連の活動で学校には出てきていた。しかも一応は学校祭実行委員なので屋外作業をしているクラスメイトの様子も見に行っていたため、どこかで鉢合わせになるんじゃないか、鉢合わせになったとしていったいどんなことになるのか――とヒヤヒヤしたままで土日の2日間を過ごししていたわけだ。


 結局のところ、幸いにして顔を合わせる機会はないままに終わったのだが。


 ところが、完全に油断していたタイミングでコレだ。まさに出会い頭の衝突といっても良い。


 俺は手紙を引っ掴んで、深呼吸の後一旦カバンに手紙を出来る限りやさしくそっと放り込んで、歩き方こそいつも通りを心がけつつも、心だけは一目散に図書室へと駆け込む。そして、周囲に誰も居ないことを確認してそっと封を開けて――。


 ――俺は、改めて肝を冷やすことになった。




     〇




 きょうの放課後、時間はとれますか。

 名前などは調べさせてもらいましたので

 最悪、逃げたとしても意味はありません。

 言いたいことはいくつかあるので、特別教室棟の屋上で待っています。


 ――立待月瑠璃花


 ※再掲




     〇



 夏の初め、放課後、月曜日。


 基本的には立ち入り禁止にされているはずである特別教室棟の屋上。階下からは吹奏楽部や合唱部の演奏が、開け放された窓からこれでもかとあふれ出てきている。グラウンドでは各運動部の元気な声が響き渡っている。そんな状況だった。


 まだまだ陽は高い。ギラギラと容赦ない陽射しが降りそそぐ屋上はたしかに暑いが、高所だからか風の通りは良く、思ったよりは清々しさがあった。


 とはいえ、今の俺にはそんなモノを堪能している余裕なんて無い。本来ならば今日は教室で行われている学校祭の準備に顔を出しつつその後は部活に出るという、そこそこに忙しい予定になっているはずだった。残念ながら今日はすべて『用事がある』の一点張りで欠席の連絡を出していた。


 なのに、俺は今、特別教室棟の屋上にいるわけだった。


 グッと握りこんだ指の先、爪がぐいぐいと手の平に食い込んできているようだ。俺の両の手の平にはほんのり痛みが奔る。ここでようやく、自分が妙に力んでいることに気が付いた。少し肩や首を回してストレッチなどをしてみる。


 しかし誰もいない。そして誰も来ない。さすがに不安感も出てくる。


 普段はきっちり施錠されているはずの屋上への扉の鍵なのだが、放課後すぐにここに来てドアノブを捻ってみたらしっかりと解錠されていた。だから、もう既にはここに来ているはずなのだが――。


「逃げずに来てくれて嬉しいわ、ありがとう」


 俺がストレッチを終えるタイミングを見計らったかのように、背後から聞こえたのは凜とした声。ともすれば高飛車にも聞こえそうな台詞に振り向けば、件の差出人――立待月瑠璃花がそこに居て、やたらとにこやかに俺を見つめていた。


「……そりゃ、まぁ」


 この青空とは裏腹、俺の言葉は濁っている。


 そりゃあ、来るだろう。あんな思わせぶりな手紙が下駄箱の中に入れられていたら、そりゃあ誰だってこんな呼び出しにも応じるだろう。


 小洒落た雑貨店か文房具店で売っていそうな便箋。そこに収められた1通の手紙はたしかにかわいらしいモノだったが、その中身――その文面には明らかにどす黒い何かが詰め込まれていることくらい、俺にだって解った。バランスの悪い文章構成だったから何かおかしいなと思ったのだが、その感覚は正しかった。


 ――だって、縦読みで『来なさい』だぞ。


 は無視しちゃいけねえシロモノだって、誰でも理解できてしまうだろう。


 ふつうに考えればイタズラとも思えそうな相手の名前が差出人として書かれていようとも、無視してはいけないことくらいは察することはできた。


 っていうか、『逃げずに』って何だよ。やっぱりそういう腹づもりだったんじゃないか。


「……な・に・か、言いました?」


「いいえ、何も」


 言ってない。口に出しては言っていない。恐ろしい。物腰穏やかそうな微笑みで隠そうとしていても、その高圧的な態度は隠しきれていない。蛇に睨まれた蛙の気持ちが、今よくわかった。


 ああ、なるほど――彼女が持たされている『学園の天使』なんていう二つ名は飽くまでも「彼女とタイマンで会話をしたことのない男子が言っているだけ」という説は、どうやら真実らしい。


 女子同士での会話風景は、隣のクラスのことなので俺が知る由もない――同じクラスだったとして、とくに自分で確認するようなことは無かったと思うが、少なくともクラスが同じだろうが違っていようが、ウワサ話のひとつとしては耳にしただろう。


 ただ何というか、包み隠さないままに話をするとこうなるんだな、という雰囲気は感じ取った。わりとサバサバしているというか、物言いがハッキリしているというか。良家のお嬢様然とするような静々とした雰囲気は全く感じなかった。


 そうなると昨日のあの青春男子野郎はどういう審判を下されたのかという下世話な興味は湧いてきたが、今はとりあえずどこかへ投げ捨てておこう。大方フラれただろうし。


 それにしても――と、極力失礼にならないようにこっそりと彼女の顔を見る。男子の視線なんて女子からは丸わかりだとは言われているが、それは百も承知で見てみる。


 整った顔立ちというのはこういう顔を言い表すためにあるのだろう、と思った。


 どこかの芸能事務所に所属していると言われれば軽く信じるだろうし、もしかしたら俺が知らないだけで本当に既に所属済みかもしれない。それくらいに完成度が高いし、さらにキレイになりそうな雰囲気もある。とんだ逸材だと思う。


 ただ、やはり勝ち気そうな雰囲気が、彼女の目に現れていた。


「それにしても……、かなり暑いわね、ここ」


 そういって彼女は空を見上げた。


 かなり明るい色味をした金髪にも近いようなブラウンのロングヘアー。もはやハッキリと金髪だと言い切ってもいいかもしれない。そんなぐしつややかに風と遊ばせる、隣のクラスに在籍する美少女。その類い稀なる容姿から『学園の天使』とかいう二つ名すらほしいままにする彼女と、平々凡々の権化のようなこの俺が、こんな風に相対する理由なんて普通に考えれば、皆無に等しかった。


 そんな男子学生をこんなところに呼び出した張本人が学園随一の美少女であるということを考えたら、それこそ一般男子からの逆恨みの10や20くらいは買ってしまいそうなモノかもしれない。だが俺には、それは君たちが世間を知らないからだと、そいつらを猛然と糾弾し返す準備くらいはできている。


「まぁ、いいわ。とりあえず率直に訊きたいんだけど」


 彼女は腕を組んだままこちらへ向き直った。


「貴方って、いわゆる迷惑防止条例とかで捕まえてもらえるような、『覗き』とか『ストーカー』の類いじゃないのよね?」


 ――そして、いきなり物騒な言葉をぶつけてきた。

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