§2-5. 空飛ぶタイヤ


「おい! 運転手大丈夫か!」


「タイヤ外れてるぞ!」


 すぐそこの交差点で繰り広げられている光景が、もはや現実には感じられなかった。自動車事故くらいは数回見たことはあるが、こういうタイプの事故に遭遇するのは初めてだったことも影響していそうだった。


 重さなんて考えたくもない、それくらいの大きさのタイヤが転がっている。そしてそのタイヤの直撃を受けたと思われる乗用車のへこみのひどさ。少々叩いたくらいではびくともしない車のボディが、あんなにぐちゃっとなるとは。


 だがそのタイヤがボンネット部分に当たり、そこでタイヤの転がりが止まったことは不幸中の幸いと言っても良いのだろうか。あれがさらにどこかに跳ねていったら。もしくは、あれがフロントドア部分に当たっていたら。また違った未来になっていたのだろう。


 そして、ふと気付いて、同時に寒気がしてきた。


 すぐ横にある街路樹。俺の腰くらいの高さにある、樹皮が抉り取られたような痕跡。


 ――まさか、一度ココに当たったのか?


 今まさに俺が立っているところから数十センチのところに植えられている、この木に。


 あのタイヤ、直撃受けてたらただじゃ済まないよな。


 っていうか、命獲られていた可能性すらあるよな。余裕で。


「……っ」


 心臓がうるさい。


 痛いほどだ。


 でも、この音が聞こえることに感謝をしなくてはいけない。


「……あ」


 そうだ。


 は大丈夫だろうか。


 おぞましい光景に怖がったりはしていないだろうか。


 そう思いながら彼女の方を見れば――――。


「あれ?」


「こっちよ」


 さっきまで居たはずの場所に居なくて一瞬焦ったが、慌てたように辺りを見回し始めた俺の動きが不穏に見えたのかすぐに声をかけてくれた。


 立待月は俺のやや後ろに立っていた。少しぼんやりとした顔のようにも見えたが、一歩近付いてその額には汗が浮かんでいることに気付く。やっぱり、か。


「とりあえず、警察とか救急車とかは呼ばれたっぽいな……」


 交差点辺りには野次馬も少しだけいるようだが、スマホを耳に当てている人の姿もあった。恐らくは大丈夫だとは思うが、念のため――。


「……あさくらくん」


 現場の方へ向かおうとした俺に、立待月が声をかけてきた。


「ん? どうした?」


「はやく、行きましょう」


「おう、そうだな」


「違う。そっちじゃなくて」


 腕を軽く引っ張られる。意外にもその力は強かった。


 行きましょうと言われたが、立待月が思っていたのとは違っていたらしい。


 でも一応タイヤがすぐ脇を通った可能性もあるのだから、もしかしたら警察の調査などに協力をした方がいいかもしれない。その場合下校時間には間に合わないだろうけど、話を通しておけば職員室あたりでこの荷物を一旦預かってもらえる気もした。


「え。どこに」


「学校によ」


「え?」


「いいから。気にしないで」


「そう言われてもさ……」


 何だろう。絶対にそちらには行きたくないという強い意志を感じてしまったのだが、どこか釈然としない。もちろんこれは俺の勝手なイメージに過ぎないし単なる押しつけなのだが、責任感が強そうな立待月がああいう現場を無視して行くというのが少し引っかかった。


のよ、これは。時間に遅れちゃうわよ」


「……それは、たしかにそうなんだよな」


 俺も今し方懸念はした。立待月が持つ責任感はそちらへの責務を果たすことを優先したようだ。当然納得出来る。実際俺や立待月には幸いにして被害めいたモノは無かったのだから、事故の当事者ではないわけで。


「うん、わかった。学校に帰ろう」


「……ええ」


 安堵感。立待月はそんな1単語で表せるような顔をしてみせた。





     〇





 しかしながら、という話だった。


 道すがらの会話は一切無い。


 隣を歩く立待月は無表情――を装っていると言った方が正しい気がする。どこか表情は硬く、その結果無表情に見えているとも言えそうだ。


 じりじりと暑い陽射しが照りつけているはずなのに何となく寒気がしているのは、やはりさっきの光景が俺の脳裏にしっかりと焼き付いてしまったからなのか。きっと俺の表情もしっかりと硬くなっているのだろう。立待月に確認して欲しい気もしたが、そんな軽口を本当に叩く余裕はない。


 ――それにしても。


 気になる。気にならないわけがない。


 は、何かを隠しているんじゃないだろうか。


 明らかに怪しい。


 そもそも先日の屋上で話した『紅い翼』の件も有耶無耶にされたままな気がする。


 やはり怪しい。


 しかし、それを指摘する勇気は、残念ながら持ち合わせていない。


 どうしたものかと思っている間に、いつしか赤向坂高校の敷地内にやってきていた。


「立待月」


「……え? あぁ、何かしら」


 微笑む立待月を少しの間見つめてから、俺は答える。


「チャリを置いてくるけど、荷物はどうする?」


「…………ええっと、そうね。ウチのクラスのだけ分けてもらえる?」


「了解」


 いつものような会話のリズムはどこにも無い。簡単な質問のはずだったがその反応はすこぶる悪かった。彼女は彼女で、何かに思考回路を占拠されているようだ。


 領収書の都合もありあらかじめ会計は分けていたので、袋詰めも別々にしていた。間違いが無いかだけを確認して、立待月に袋を渡す。これで大丈夫のはずだ。俺はそのまま駐輪場の方へと――。


「……朝倉くん」


「どうした?」


 向かおうとしたところで呼び止められる。


 何となくだが、声をかけられるような予感はしていた。


「荷物届け終わったら、すぐに生徒会室に来てほしい」


「……自分のカバンとか置きっぱなしだし、そりゃあ行くけど」


 ただ、そんなにも思い詰めたような顔をされるとは、思っていなかった。





     〇





「トーヤーイーツですー」「食べ物は入ってねえだろ」などというこうとのくだらない応酬がありつつも、自分のクラスに荷物を届けるという任務は完了した。領収書はどうせ最終的に実行委員経由で生徒会に渡されるので、そのまま俺が預かることにする。


「……さて」


 適当に挨拶めいたモノを交わして廊下に出れば、その片隅に立待月はいた。日陰になっているはずなのに、どこか輝いて見えた――なんていう在り来たりなことを言うつもりはないのだが、何となくそんな気持ちになったのは何が原因なのだろうか。


 深く考えない方が身のためだろうか。


「よす」


「……ん」


「待たせた?」


「多少は」


 ――「そこは『今来たところだから』だろー」とかいう冗談は封印。


「生徒会室な」


「……ええ」


 完全に何かある。何も無いわけがない。


 そんな雰囲気を立待月は一切隠さない。


 もはやと言った方が正しいか。


 ふたり連れ立って生徒会室に向かえば、中では生徒会長のあまれんと生徒会顧問の教師であるよいさやが何やら話をしていた。


「あら? 見慣れない顔が」


「どもです。1年の学祭実行委員の朝倉です」


「なるほどね。それは見慣れないわけだワ」


 3年生クラスの副担任で教科担当も2年生と3年生なので、俺もあまり見慣れない顔ではあった。学祭の実行委員であることを一応添えながら自己紹介はしておく。


「お取込み中でした?」


「いえいえ、ただの雑談。ね?」


「ええ、まぁ」


 ホントか?


 まぁ、こちらとしてもそこまで気にしている余裕は無いけれども。


「書類整理をしながら口を動かしていたって感じだから、お構いなく」


 会長もそういうのならば、気にしないでおこう。


「これ、朝倉くんので良いのよね?」


「え? ……ああ、うん。サンキュー」


 立待月がいつの間にか俺の荷物を持ってきてくれていた。ありがたく頂戴する。


 ――が。


「……どうするんだ?」


「別のところにしましょう」


 小声でのやりとり。ふたりの会話が意外にも大音量なので恐らく気付かれてはいないはずだ。


「では、お先に失礼いたします」


「はい、お疲れさま~」


 雨夜会長と宵野間先生にふわふわと手を振られながら、俺たちは生徒会室を後にする。



 ――向かった先はいつぞやと同じ。屋上だった。


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