§3-5. 襲来?


 自転車を押しながらといっしょに校門を出る。そこからしばらくして、歩いて行けば歩いて行くほどに、その不穏な感じは強まっていっているようだった。


 このざわざわとするような感覚は、いったい何なのか。得体の知れない不穏な感じ。喩えるべき対象がなかなか見つからない。


 拙い語彙力を駆使して見れば、これはある意味夏風邪をひいたときのような感覚かもしれない。ゾクゾクとした寒気のようなモノを感じつつも、身体のどこかはしっかりと熱を持っているような。ただし熱を出しているとき特有なダルさがないので風邪とは違う。


 ほら、喩え様が無い。


「ねえ」


 立待月が声をかけてきたのは、俺がそんなことを考えているときだった。


「どうした」


「ちょっとだけ重要なお願いがあるんだけど」


 立待月は目線を真正面にしっかりと向けたまま俺に話し続ける。まるで大向こうに強大な何かが控えていて、そこから目を離せないような感じで話している。


 不穏すぎる。怪しいとかいう次元じゃない。たとえ立待月に『名前を口に出してはいけない存在が今目の前に居る』などと言われたとしても、俺はそれを疑わない気がする。


「今から少しだけ、何も言わないで」


 いきなり言いつけを守らずに「え?」と返事をしようとした瞬間。


「(……ぉわぁっ!?)」


 突然。


 身体を、強烈に引っ張られる、感覚。


「(……っ!?)」


 ただ何となく首を少し左に向けた。


 それとほぼ同時。


 右頬に、鋭利な痛み。


 そして、さらに急加速。


 とりまく轟音。


 さながら、ジェットコースター。


 あの、スタートの合図とともに、一気にトンネルの中を疾走する、あの形式。


 周りなど見えない。


 光速を越えているような、感覚。


 まったく、何もわからない。




 考えが、まとま。




 ら、ない。





 嗚呼。






     〇





「…………ん?」


 いつの間にか、しっかりと目を閉じていたらしい。


 あれだけ鼓膜を突き破ってそのまま脳細胞にまで刺さってきそうだった轟音も、もう聞こえてこない。もしかすると単純に鼓膜をズタズタに突き破ってしまって何の音も聞こえないだけかもしれないが、一応は極々ふつうの風の音とか周囲を走っている車の音やらも聞こえてはいる。その辺りは大丈夫らしい。


 ゆっくりと、自分の神経をまぶしさに慣れさせていく。寝起きの状態よりはしっかりと身体は起きている感じはしている。朝からしっかりと活動できる人間が迎える目覚めとはこんなモノなのか――などと思ったりはしてみる。根拠は無い。


「あれ?」


 視神経が脳へとハッキリ周囲の物体の存在を伝達し始めて、ようやく気付く。


 自分はベンチに腰を下ろしていた。わりとしっかりとした作りのベンチだ。


 いったいここが何処なのかと言えば、本来の目的地であるホームセンターにほど近いところにある、かなり大きな駐車場を持つ珈琲店の入り口だった。調子に乗って注文するとその食べ物などのサイズに愕然とさせられることで有名なあの珈琲店である。


「とりあえず、休憩しましょうか」


「うぉあ!?」


「きゃあ!? ちょ、ちょっと! いきなり大声出さないでよ」


 そんなことを言われましても。ようやく真正面にあるモノとこの場所の認識を得たばかりの人間に突然声をかけることの重大さくらいには気付いて欲しかった。


 俺のすぐ左隣、身体同士がすぐ触れ合う程度の距離の所に、立待月瑠璃花はいた。呼吸は少し浅いようだが、それは今し方俺が不可抗力的に驚かしたことが原因なのだろうか。たぶん、そうではないと思うけれど。


「スマン」


 とりあえずは謝罪をする。それが筋だろう。


「……っんとに、もう」


 立待月、ご立腹。このままだと少し面倒な気はする。


「何か奢るから」


「良いわよ、別に。そういうのを求めてるわけじゃないし」


「そっか」


 それはそれでちょっとだけ俺が困るのだけど、財布が傷まないことを考えればプラスマイナスゼロといった具合だろうか。


「ほら、行くわよ」


「おう」


 そう言い捨てて立待月はさっさと店内へ歩を進めていく。俺も後を追う、が。


「……ん?」


 妙に右の頬がヒリヒリとするような、それでいて少しむず痒いような感じがする。


 何かあるのかと思って触るとピリッとした痛みが奔る。


 そして、触った指先には、赤黒いモノが付着した。




     〇




あさくらくんって甘いモノ平気?」


「嫌いではないけど」


「ふ~ん……」


 店内に通された俺たちだったが、席に着くなり立待月はメニューの吟味を始めた。テーブルにメニュー票はひとつだけ。期間限定メニューが書かれたモノは一応チェックできるが、どうみても今の主導権は向こう正面に座る彼女のモノ。俺が出来ることといえば、彼女が決めたメニューに最終決定を下す程度だろう。


「……じゃあ、まぁ、これはまた今度ってことにして」


 その瞬間にチラッと見えたのは、デニッシュパンの上にソフトクリームが鎮座するあの有名スイーツだった。マジか。それはそれで、食べても良かったんだが。


 だったら返し刀で何が飛んでくるのやら。


「ふつうのサンドイッチがいい? トーストがいい?」


「え、何。もしかしてけっこうがっつり食べる気?」


「ええ、まぁ」


 この前のディナー会のときも思ったけど、立待月はけっこうよく食べる。痩せの大食いということではないが、健康的な女子校生という感じでしっかりと食べている印象がある。


 だからこそ俺はとくに驚きはしなかったのだが、俺の反応に立待月は少し納得がいかないらしくくっきりと眉間に皺を寄せ始めていた。


「何よ」


「いや、全然構わないんだけどさ。何かその、俺も食う流れになってない?」


「え、食べないの?」


 そんな、さも当然のこと、みたいな反応されるのも困るんだけど。


 いや、食べるけど。


 サイズの問題もお金の問題も、折半になるならそこまで問題は無いし。


「食べるよ」


「じゃあ、選んで」


「は?」


「迷った」


 そして丸投げだった。


 何だこのワガママお嬢様は。


「……じゃあ、ハムトーストで」


 選ぶけどさ。


「ドリンクは?」


「……アイスオレ、かな」


「了解」


 即座に店員さんを呼んだ立待月はテキパキと注文を伝え終わる。


「ふう……」


「なぁ」


「何?」


 勝手に落ち着こうとしていた立待月に、とりあえず話をぶん投げておく。


 ただし、まだには入らないようにする。


 まだ慌てるような時間じゃない。


「ここのサンドとかのサイズ感知ってて頼んでるよな?」


「ウワサには聞いているけど」


「……あ、未体験っすか」


 聞いたことがあるだけマシとも言えるけど。


「そういう朝倉くんは?」


「俺もだが?」


「何よそれ。てっきり知ってるから訊いてきたものだと」


 そう思うわな、ふつうは。諸々有名ではあるけど、なかなか来る機会も無いというのが俺の実情だが、立待月にも当てはまっていたとは。


「スマン。まぁでも、ふたり居りゃ大丈夫だろ」


「そのつもりだったけどね。私は、最初から」


「そうですか」


 なるほど。


 立待月もだいたいいつも通りにはなっているようだ。


 ならば、少しだけ確認しておかなければいけない。


「……ところで、なんだが」


 立待月が俺に話したいことと俺が立待月に訊きたいことは、恐らく共通している。


 だからこそわざわざこの店に俺を連れ込み、あまつさえしっかりと軽食まで注文したのだろう。


「本題は、頼んだヤツが来てからにするか? それとも、もうイケるか?」


「……そうね」


 立待月も解っているらしく、動揺するような素振りは見せない。


「頼んだモノが来てからにしましょう」


「そうだな。俺もその方が良いと思ってた」


 万が一持ってきた店員に聞かれてもイヤだし、栄養補給をしてからの方が話しやすいだろう。さすがに眠気で話せなくなるような事態にはならないはずだ。


 間もなくして注文したハムサンドとドリンクが届く。立待月はドリンクのタイミングを食後ではなく同時にするよう頼んでいたが、もしかすると彼女もこの状況を見越していたのかもしれない。


「……ホントに大きいわね」


「マジで、デカいな」


 しかし、コレばかりは想定しきれなかった。



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