第28話 幼馴染からの助言
「いいお湯でしたー」
俺が上の空で上田さんのことを考えているうちに、郁恵さんと恵兎ちゃんが脱衣所の暖簾をくぐって、番台へと戻ってくる。
「ご利用ありがとうございました。鍵をお預かりします」
「ありがとう。友香ちゃんと楽しい時間が過ごせたわ」
「それならよかったです。恵兎ちゃんも、身体は温まった?」
俺が恵兎ちゃんに尋ねるものの、どこか一点を見つめたまま、後輩からの返答はない。
「恵兎ちゃん、どうかしたの?」
「へっ? あっ、はい! いいお湯でした!」
もう一度問いかけると、はっと我に返った様子で、恵兎ちゃんがにこりと微笑みながら返事を返してくれた。「
「なんかボーっとしてたみたいだけど大丈夫?」
「大丈夫ですよ! ちょっとのぼせそうになって熱っぽいだけなので!」
「あんまり無理はしないでね? 湯船に浸かって汗かいてると思うから、ちゃんと水分補給するんだよ」
「ご心配ありがとうございます。家に帰ったら沢山飲むので安心してください!」
恵兎ちゃんは、ピシっと敬礼ポーズを取りながら笑顔を見せてくる。
まあ万が一何かあっても、郁恵さんが隣にいるから、大事に至ることはないか。
「それじゃあ、私たちはお先に失礼するわね」
「はい。夜道に気を付けてください」
「先輩、また学校で」
「うん、またね恵兎ちゃん」
手を振りながら、郁恵さんと恵兎ちゃんが暖簾をくぐって、下駄箱へと向かって行く。
「ご利用ありがとうございました」
俺が一応の接客対応の言葉を述べると、郁恵さんと恵兎ちゃんは、銭湯を後にしていった。
「あれっ、郁恵さんと恵兎ちゃんは?」
すると、バスタオルで髪の毛を拭きながら、脱衣所から友香が共有スペースに現れた。
今日は荷物を脱衣所に持っていったからか、ちゃんとシャツとズボンを履いている。
「今帰ったところ」
「そっかぁ……もう少し話したかったのになぁー」
そう言いながら、友香はスタスタと共有スペースのソファがある場所のさらに奥へと進んでいくと、冷蔵庫の中から当たり前のように瓶のコーヒー牛乳を取り出して、パカっと蓋を開けると、手を腰に当てながら、グビグビ飲み始めてしまう。
「後で160円払えよ」
「恭吾のバイト代につけといて」
「ざけんな。いきなり商品飲み始めるからびっくりしたわ」
「だって、喉乾いてたんだもん」
「ほんと、お前は自由な奴だなぁ……」
友香の自由奔放っぷりには慣れたつもりだったけど、ここまでくると呆れてきてしまう。
「ぷはぁっ……美味しかったぁー」
満足げな表情を浮かべつつ、空き瓶を回収ボックスに仕舞い込み、俺の元へとやってくる。
そして、カウンターに肘を突いて、こちらを見据えてきた。
丁度、番台のカウンターの位置が友香の胸元辺りの高さにあるため、カウンターの上に友香の胸が乗っかり、重力に従うように、ぐにゃりと変形する。
というか、あまりにも形変わりすぎじゃない?
もしかして……下に何も身につけていないのか⁉
「もう……どこガン見してるのエッチ」
「わ、悪い……」
友香に指摘され、俺は思わず視線を逸らしてしまった。
二人の間に、むず痒い沈黙が流れる。
辺りには、時計の秒針の進む音だけが鳴り響く。
「彩瀬、結局来なかったね」
沈黙を破るようにして、友香がため息交じりに言葉を漏らした。
「あぁ、そうだな……」
俺はそれに呼応するように、嘆息を吐く。
結局上田さんは、銭湯に現れなかった。
「友香は、何か聞いてないのか?」
俺が尋ねると、友香がふぅっと息を吐いて、肩を窄めた。
「一応連絡はしてみたんだけど、既読スルーされちゃった」
「そっか……」
「風邪で寝込んでるのかと思って、帰り際に彩瀬の家に押し掛けてみたんだけど、インターフォン押しても出なかったんだよね。家の明かりも点いてなかったし、もしかしたら家にも帰ってないのかもね」
「それは心配だな……」
そこで思い出されるのは、駅前でナンパから助けた際に見せた、上田さんの涙と、銭湯から家に送った際、母親と思われる人物と会話をしていた際に見せた、彼女の寂しそうな表情。
「その様子だと、何か引っかかってるみたいだね」
「あぁ……」
これ以上一人で考えていても埒が明かないので、俺は友香に相談してみることにした。
「実は、昨日練習からの帰り際に、制服姿の上田さんを駅前で見かけたんだ。ナンパに絡まれてたから助けたんだけど、『これ以上関わらないで』って言われちゃって……」
「あらら……そりゃまた随分と急だね」
「それから……この前家まで送ったとき、上田さんのご両親らしき人に会ったんだけど、上田さんの反応がどこか他人行儀じみてて、あんまり上手く行ってないのかなって」
「なるほどね……そういうことか」
俺がここ最近上田さんの身に起こった出来事を吐露すると、友香はどこか納得した様子で頷いていた。
「まっ、彩瀬が言ってこない限り、私たちに出来る事は何もないんじゃないかな」
「そうだよな……」
言ってしまえば、人の家の家庭の事情だ。
他人が首を突っ込んでいいところではない。
「心配?」
「まぁな」
「そか……ちょっと、こっち来て?」
すると、友香が番台から出てくるよう促してくる。
俺は、言われた通り、ぐるっとカウンターを回って、友香のいる方へと向かった。
刹那、友香が俺の方へ一気に距離を詰めてきたかと思うと、そのままの勢いでガバっと抱き着いてきた。
「ちょ、友香!?」
突然の出来事に動揺して、俺は固まってしまう。
「恭吾は偉いね。人のことをいい子に育った。よしよし」
まるで、我が子を愛でる母親のようなセリフを吐きながら、俺の頭を優しく撫でてくる友香。
「ちょ、やめろって、そんな母親みたいなことするの!」
「嫌なら逃げてもいいよ?」
「……」
口では嫌がっているものの、いざ友香にそう言われてしまうと、離れることは出来なかった。
こうやって、家族のように俺のことを、宥めたり褒めたりして優しくしてくれたのは、いつ以来だろうか?
友香に抱き留められ、心のどこかで安心感を覚えている自分がいるのだ。
「私はさ、お父さんもお母さんも一緒に暮らしてて、何も不自由なく生活してるから、きっと踏み入った相談をされたとしても、共感したり、同情してあげることも出来ないと思うんだ」
友香は、自分の想いを吐露するように、耳元でつぶやいてくる。
「だから……もし彩瀬が困ってたら、恭吾が助けてあげて。恭吾ならきっと、彩瀬が抱えてる悩みにも寄り添ってあげられるはずだから」
「友香……」
これが、幼馴染だからこそ出来る、最大限の助言なのだろう。
きっと、今のこの行動だって、俺の境遇を知っているからこそ、思う所があってのことに違いない。
「分かった。出来る限りのことは尽くすよ」
だから、俺に出来る事は、彼女の想いを叶えてあげることだけだ。
「約束だよ?」
「あぁ、任せとけ」
俺にもう迷いはなかった。
友香はパっと俺から離れると、ふっと柔らかく微笑みを浮かべる。
「うん……覚悟が決まった顔してる」
「そりゃ、幼馴染にここまでされたんだ。やらなきゃ男が廃るってもんよ」
「ふふっ……カッコつけちゃって。本当は私にくっついて、おっぱいの感触味わってただけなくせに」
「そ、そんなことねぇっての!」
「どーだか?」
こうして、バカ話で盛り上がれるのも、お互いのことを昔から知っているからこそ出来るわざなのだろう。
友香に頼まれてしまった以上、俺は上田さんの悩みを解決してあげなければならなくなった。
俺は上田さんと銭湯で交流を深めたとはいえ、まだまだ信頼を得られているわけではない。
嫌われている可能性だって十分考えられる。
それに、上田さん自身が助けを求めて来ない限り、こちらから動いても、ただ迷惑になってしまうだけ。
だからこそ、俺に出来ることは、上田さんに助けを求められたとき、いつでも対応できるよう、心の準備をしておくこと。
あとは、上田さんの悩みが、俺が想像しているよりも杞憂であってくれることを願うばかりである。
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