第4話 浴槽内で出会ったクラスメイト達

「全く、お風呂が壊れたから、銭湯に行ってみようと思ったら、どうしてアイツがいるのよ!」


 私、上田彩瀬は、一人不満を爆発させながら、衣服を脱ぎ捨てていく。

 ロッカーの鍵を閉め、鍵を手首に巻いて、ハンドタオル片手に銭湯内へと続く扉を開けた。


 刹那、もわっとした湿り気のある熱気が突き刺さる。

 浴場内には、水の滴る音が聞こえてくるだけで、他のお客さんの姿は見受けられない。

 どこか、数十年前にタイムスリップしたような、レトロな空間が広がっていた。

 私は、ひとまず入り口に積まれていた桶を一つ手に取り、身体を洗うため洗い場へと向かう。


「はぁっ……」


 椅子に座った途端、無意識にため息が漏れてしまった。

 洗い場にある鏡を覗くと、心なしか、私の顔はげっそりとしているように見える。


「私、どうしてこんな粗相なことでイライラしてるんだろう」


 気持ちを洗い流すようにして、私はシャワーを出して、身体を温めていく。

 早速、髪を洗うため、購入した簡易的なシャンプーの封を開いた。


「うっわ、このシャンプー泡立ち悪っ!」


 恐る恐るシャンプー液の匂いを嗅いでみると、なんだか薬品みたいな刺激臭がして、思わずうっと顔をすぼめてしまう。

 町中の銭湯が、ここまで古臭くいものだとは思ってもいなかった。

 これなら、お金をかけてでもスパ施設へ足を運ぶべきだったと後悔する。


「ほんと信じらんない! もう、なんでこんなことになるのよぉ……!」


 誰もいないのを良い事に、私の心の声を感情のままに吐露する。


「お困りですかー?」

「うわぁっ⁉」


 とそこで、不意に隣から声を掛けられた。

 私以外にお客さんがいるとは思ってなかったので、驚きのあまり、木椅子から滑り落ちて尻餅をついてしまった。


「いたたたた……」

「だ、大丈夫ですか?」


 声を掛けてきたボブカットの女性が、ハンドタオルで前を隠しながら、心配そうに手を差し伸べてくれた。


「えぇ、問題ないわ。ごめんなさい」


 差し出してくれた手の先を見れば、そこにいたのは見知った顔だった。


「……って、鈴木さん⁉」

「あれ? もしかして上田さん?」


 まさかの知り合いとの遭遇。

 しかも、顔見知りというだけで、あまり話したことのないクラスメイトに、どう接すればいいか分からず、私はあたふたしてしまう。

 そんな私に、鈴木さんは優しい微笑みを浮かべてきてくれた。


「すごーい! こんなところでクラスメイトに会えると思ってなかったから、感動だよー!」


 私の動揺も知らずに、嬉しそうにはしゃぐ鈴木さん。

 すると、鈴木さんは私が使っていたアメニティに気づいたらしく、それを見て、何かを察したらしい。


「そのシャンプー泡立ち悪いよね。もしよかったら、私のシャンプーとコンディショナー使う?」

「えっ、いいの?」

「うん、いいよー! ここで会ったのも何かの縁だから!」


 そう言って、柔らかい笑みを浮かべる鈴木さんが眩しく見えた。


「あ、ありがとう。ならお言葉に甘えて使わせてもらうわ」


 鈴木さんからシャンプーとコンディショナーを受け取り、私は再び木椅子に座り直す。


「ふぅ……」


 息を吐きながら、鈴木さんもそのままあ私の隣の椅子に座り込み、シャワーで身体を洗い流し始めた。

 私は早速、シャンプーをワンプッシュして、液を出して泡立たせる。

 泡立たせた泡を髪の毛につけて、髪の毛を洗っていく。


 柑橘系の香りがする、滑らかで品質の良いシャンプーだ。


「上田さんも、もしかして銭湯通ってる感じなのー?」


 髪を洗っていると、鈴木さんが何の気なしに尋ねてくる。


「いえ、銭湯に来るのは、今日が初めてよ」

「あー……だったら戸惑ったでしょ? 普通のスパ施設と違って、用品揃ってないから」

「そうなのよ! 正直、ここまでだとは思ってなかった」

「まあ、仕方ないよね。私達の年齢だと、こういう所って中々来ないから」


 髪を洗いながら、手慣れた様子で髪を洗っていく鈴木さん。


「その口ぶりだと、鈴木さんは、良くここを利用しているの?」

「うん、ほぼ毎日利用させてもらってるよ」

「すごいわね……よくこんな古臭い施設、毎日通えるわね」

「恭吾にね、『何かあった時のためにいてくれー』って頼まれるの。あっ、恭吾ってのは、受付のところにいた常本恭吾の事ね。一応クラスメイトだから知ってるとは思うけど」


 そこでふと、私の中に浮かんだ疑問を鈴木さんへ投げかける。


「鈴木さんは、常本とクラスでも時々話してるけど、どういう関係なわけ?」


 もしかして、付き合っていたりするのだろうか?


「まあ、昔からの幼馴染って感じかなー」

「ふぅーん。そうなんだ」


 幼馴染かぁ……。

 通りで、クラスでボッチのアイツに声を掛けるわけだ。

 クラスメイトとの関係が上手く行っていない幼馴染の様子を見たら、気に掛けたくなるのもなおさらね。

 そんな鈴木さんの優しい気遣いを無駄にするように、クラスで素っ気ない態度を取っているアイツの姿を思い出して、私は再び苛立ちを覚えてきてしまう。

 

「私ね、小さい頃からよくこの銭湯にお世話になってたの。恭吾が銭湯の手伝いすることになってから、こうして女湯の見回りをする代わりに、お風呂を頂戴してるってわけ!」

「なるほどね」


 鈴木さんが嬉しそうに話す様子を聞いていると、イライラが収まって、なんだか穏やかな気持ちにさせられるから不思議だ。

 もしかしたら、彼女と話したら、リラクリゼーション効果があるのかもしれない。


 それに……。


 私は視線を、鈴木さんの肢体へと向ける。


 健康的な肌艶の若々しさ。

 色白の私から見ても、きめ細やかな滑らかさ。

 多少日に焼けていて色黒ではあるものの、彼女の方が断然美しくて綺麗だ。

 何か特別なケアをしているのだろうか?


 さらにもう一つ、横からでも分かる、豊満な胸元。

 小柄にも関わらず、出ているところは出ており、腰回りはキュイっとくびれている。

 私は思わず、自身の胸元へと視線を向けて、鈴木さんのと見比べてしまう。

 両手で自身のを持ち上げてみるものの、やっと谷間が出来る程度の大きさ。

 比べていて、悲しい気持ちになってきてしまう。


「上田さんは、どうして今日は銭湯に来たの?」


 私が自己嫌悪に陥っていると、鈴木さんが再び尋ねてくる。


「家のお風呂が壊れちゃったのよ。それで、仕方がなくって感じ」

「ありゃ、それは大変だったね」

「シャンプーありがとう。おかげで助かったわ」


 そう言って、私は木椅子から立ち上がって湯船へと向かって行く。

 モワっと湿気漂う浴場は、モダンなタイルに覆われていて、富士山と思しき壁画が、浴槽の後ろに描かれている。

 ガラス張りになっている天井は高く、見上げれば満天の星空が――



 瞬いていることなどあるはずもなく、天井の外側には、枯れ葉がへばりついていて、あまり清潔感が溢れているとは言えない。


 辺りを見渡すと、ゴォォォーっと大きな音を立てる換気扇が、黒々とした羽を回転させて稼働している。

 その様子は、どこか不気味な雰囲気すら纏っているように思えてしまう。


 果たして、こんなところで身体を洗って清潔になるのだろうかという疑問さえ感じるほどに、寂れているという表現が正しいだろう。


「はぁー……染みるぅー」


 逡巡する私をよそに、鈴木さんは特に気にする様子もなく、湯船へ浸かって至福の息を吐いていた。

 浴槽は比較的綺麗に保たれているが、周りの年季が入った様々な機材を見てしまった後だと、どうしても躊躇ってしまう。


「上田さんもそんなところで突っ立ってないで入りなよ。温まるよー!」

「う、うん……」


 だが、私の身体が浴槽へ足を踏み入れることを拒絶していた。

 足を踏み出せずにいると、鈴木さんがキョトンとした様子で首を傾げて見つめてくる。


「どうしたの? もしかして、私に裸見られるの恥ずかしいとか?」

「そうじゃない。ただ……」

「ただ……?」

「ごめん。失礼にことを聞くんだけど、この浴槽は毎日清掃しているの?」

「あぁー」


 鈴木さんは察したように、納得した声を上げた。


「分かる。ボロくてサビついてるから、掃除してないんじゃないかって思うよね。でも大丈夫。床も壁も毎日磨いてるし、浴槽だって、毎日お湯を抜いてブラシで清掃してるんだから!」

「そ、そう。なら安心ね」


 鈴木さんの言葉で、心配していた事が解消されて、私は湯船へゆっくりと足を踏み入れた。


「熱っ!?」


 刹那、予想以上の熱湯が襲い掛かってきて、私は無意識に足を引いて飛び跳ねてしまう。

 その様子を見ていた鈴木さんが、あはっと笑みをこぼした。


「こっちの湯船は四十三度ぐらいあるからねぇー。ちょっと熱いかも」

「よ、よくそんな熱いお風呂に入れるわね⁉」

「そうかな? 私はもう慣れちゃった。隣の浴槽は少しぬるめだから、そっち入りなよ」

「さ、最初から言ってよ! 全くもう……」


 難癖付けながら、私は隣の浴槽へ足を踏み入れる。

 こちらの浴槽は、先ほどのような飛び上がってしまうほどの熱さではなく、程よい設定温度だった。

 私たちはお互い浴槽で並び合うようにして、湯船に浸かって一息吐く。


「いやぁー、まさかクラスメイトの子と一緒に入ることになるとは思ってなかったなぁー」

「ほんとにね。アイツが店の受付やってなかったら、最高の気分だったのに」

「あははっ……上田さん、恭吾の事、随分毛嫌いしてるんだね」

「べっ、別に毛嫌いしてるとかそういうわけじゃなくて……向こうが嫌そうな態度を取ってきたから」

「それは恭吾が悪い。上田さんは怒って当然だよ! あとで懲らしめておくね!」

「いや、そこまでしてもらわなくても……」


 アイツを咎める気満々の鈴木さんを宥めていると、ふと鈴木さんが柔らかい表情で語り始めた。


「この銭湯ね、普段は恭吾のおばあちゃんが経営してるんだけど、おばあちゃんが腰を痛めちゃって働けなくなっちゃったの。でその時、恭吾が手を上げて言ったんだって。『俺がこの安らぎの場所を守る』って。それから恭吾、学校ではあんなだけど、銭湯で働いてるときだけは生き生きしてるんだ」

「へぇーっ、そうなんだ……」


 私は何の気なしに相槌を打つものの、先ほど言ってしまった失言を猛反した。

 まさか、そんな理由があるなど知りもしないままに、私はこの銭湯の事を馬鹿にしてしまったのだから……。

 加えて、駅前でナンパから助けてもらったお礼を言うどころか、私は横暴な態度を取ってしまった。

 そりゃアイツも、ムッとするに決まってる。


「だからさ……もし上田さんがよければなんだけど」


 そう前置きをして、鈴木さんは慈愛の目で私を見つめつつ言い放った。


「これからも恭吾と仲良くしてくれると嬉しいな」


 ぺこりと頭を下げて、お願いしてくる鈴木さん。

 私は顔を水面に移しつつ、ポソッとした声で答える。


「いや、それをお願いされても、私、別にアイツと学校で関わりないし……」

「あははっ、それもそっか」


 何が可笑しいのか、げらげらと笑い声を上げる鈴木さん。

 私もつられて、ふっと破願してしまう。

 鈴木さんと、こうしてまともに会話したのは初めてだったけど、なんだかドンドンと引き込まれて行くような、不思議なパワーを持っているような感じがした。


 私の心の中にあったイライラもいつの間にか消え去っているし、やはりカウンセラー的な効果があるのだろうか?


「ねぇ、ここで会ったのも何かの縁だからさ、これからは上田さんの事、彩瀬って呼んでもいい?」

「えぇ、なら私も、友香って呼んでもいいかしら?」

「もちろんだよー! これからもよろしくね、彩瀬!」

「こちらこそよろしく、友香」


 こうして私は、銭湯で偶然出会ったクラスメイトの友香と、少し打ち解けることが出来て、温かい気持ちに満たされた。


 お風呂から上がったら、アイツにちゃんと謝ろう。

 そんな気持ちが、自然と沸き上がっていた。

 これも、友香の癒し効果なのか、それとも熱い湯船に浸かって身体が温まり、思考がクリアになったからなのか? 

 真相は分からなかったけど、少し前向きな気持ちになれたのは確かであった。

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