第5話 クラスメイトとの心の距離
時刻を確認すると、夜の九時四十五分を回っていた。
俺は入り口の営業中の札を裏替えして、『本日の営業は終了しました』の表札に変える。
待合室のテレビを消して、番台へと戻り、レジ締めをしていると、女湯の暖簾が捲られて、上田さんが番台へとやってきた。
俺は律儀にぺこりと頭を下げて挨拶をする。
「ご利用ありがとうございました。鍵をお預かりします」
「んっ……」
上田さんは、素直にロッカーのカギを手渡してくれた。
俺がカギを受け取り、使用済みの箱へと移す。
「ねぇ……」
すると、上田さんが俺に声を掛けてきた。
「ん、どうかした上田さん?」
俺が尋ねると、上田さんはばつが悪そうに視線を逸らしつつ、おもむろに口を開いた。
「さっきはごめん。あんたがここで働いている理由も知らずに、酷い事ばっかり言っちゃって……」
しゅんと項垂れている様子を察するに、風呂の中で友香から俺がここで働いている理由を聞いたのだろう。
「別に平気だよ。むしろ俺の方こそ気が回せなくてごめん。初めて銭湯訪れる人に対する配慮が足りなかったよ」
「ううん。アンタはしっかり接客できてるから問題ないわよ。もっと自信持っていいと思う」
「なら光栄だよ。お褒めの言葉ありがとう」
俺がお礼を言うと、上田さんは少し恥ずかしそうに身をよじった。
「それから……さっきはありがとう。駅で変な男たちから助けてくれて」
ボソっと感謝の言葉を口にした上田さんに対して、俺はふっと破願した。
「いいえ、どういたしまして。上田さんに何事もなくて良かったよ」
上田さんはさらに顔を真っ赤に染めて、右往左往とせわしなく視線を動かしている。
「あっ、そうだ……これ、返す場所なかったんだけど」
上田さんがはっと思い出したように、バスタオルとハンドタオルを掲げてくる。
「破棄しちゃっていいの? 明日以降も来るなら、家で洗濯して持ってきても良いよ? いちいちお金払うの勿体ないでしょ」
「えっ……こういうのって、業者とかに出して洗濯してもらうものなんじゃないの?」
「それは大きなスパ施設とか温泉宿だけだよ。うちはコインランドリーが併設されてるから、使われたバスタオルはそこで洗って雑巾とかにしちゃうことが多いかな。銭湯は基本自分でアニメティを持ってくるからさ」
「それ、衛生面的に問題あるんじゃない?」
「まあ節約の一環だよ。掃除は毎日しなきゃいけないし、人のバスタオルを他の人に使わせるわけにもいかないからね。一応ちゃんと洗濯はしてるから」
「言い方悪いの承知で言うけど、銭湯って色々面倒なのね」
「まあ、昔からの風習が残ってるからね。上田さんも何か困ったことがあったら、出来る限りのことはこっちで協力するよ」
俺がそう言うと、上田さんは少々悩んでから、バスタオルとハンドタオルをこちらへ手渡してきた。
「それじゃあ、明日も来るから、このバスタオルとハンドタオル洗濯しておいて」
「えっ……? 自分の家から持ってくればいいのに」
「何よ? 出来るだけ配慮するって言ったのはそっちでしょ? 家から持ってくるのが面倒なの! もう購入もしちゃったんだから、同じものを使い回した方がお得じゃない」
「それはそうだけど……」
「何、それとも協力してくれるってのは嘘だったわけ?」
「わっ……分かったよ」
俺は渋々了承して、上田さんからバスタオルとハンドタオルを受け取った。
タオルはまだ湿り気を帯びており、心なしかいい匂りが香ってきているような気がする。
これ、上田さんの地肌に直接触れたタオルなんだよな……。
顔埋めたら、いい匂いがするんだろうなとか、邪な気持ちが湧いてきてしまうのを必死に抑える。
「言っとくけど、タオルに顔埋めたりとかしたら警察呼ぶから」
「そ、そんなことしねぇよ!」
図星をつかれ、俺が慌てて取り繕うと、上田さんは軽く手を上げて颯爽と出口へと向かって行く。
「それじゃ、また明日学校で」
「お、おう……」
上田さんは後ろ手を振りながら、暖簾をくぐって下駄箱へと向かって行った。
「また明日学校で……か」
彼女が放った言葉を小さな声で繰り返す。
少しは上田さんと、距離を縮めることが出来たのだろうか?
明日教室に行ったら、思い切って声を掛けてみようかな。
「仕方ない、後で洗濯してあげるとしよう……」
乗り気ではなかった洗濯物も、洗濯してあげることにした。
ひとまず、閉店作業を進めるため、番台のカウンターにタオル類を置くと、ポトっと何かが地面に落っこちる。
「ん、なんだこれ?」
俺が拾い上げて掲げてみると、それはピンク色のショーツだった。
「なっ……⁉」
どういうことだ⁉
これも洗えってことなのか⁉
俺がパンツを手に持ちながら唖然としていると、ドスドスと足音が聞こえてきて、下駄箱の方から上田さんが慌てた様子で戻って来る。
そして運悪く、俺がパンツを掲げている姿とご対面。
上田さんは顔を真っ赤に染め上げていく。
「かっ……返せぇぇぇぇ!!」
堪えきれないといった様子で、上田さんは俺の手からパンツをすぐさま奪い取り、自身の胸元に隠して、ぎぃぃぃっと俺を睨みつけてくる。
「変態! 死ねぇ!」
上田さんは罵声を言い放ち、逃げるようにして下駄箱の方へと逃げて行ってしまう。
一連の出来事に愕然としていると、脱衣所から友香が現れる。
「なんだか物凄い怒号が聞こえたんだけど、何しやらかしたの恭吾?」
「いや、なんで俺が何かやらかした前提なんだ……って、どうして服着てないんだよぉぉぉぉ!!!」
そこには、バスタオルだけを巻いた状態の友香が立っていた。
きめ細やかな肌、バスタオル越しでも分かる身体のライン、そしてくっきりと分かる胸も谷間に、視線が釘付けになってしまう。
「だって、私の着替え、そのバッグの中に入ってるんだもん」
「それなら、脱衣所に行く時に一緒に持っていけよ!」
俺は慌ててバッグを手に持ち、友香に向かって放り投げる。
「ありがと―。あっ、あと、女湯私だけしかいないよー!」
「了解……」
「脱衣所のゴミとかの片づけておくね」
「悪いな。俺は男湯の確認してくるから」
「了解! あっ、彩瀬待って! 家まで送っていくから」
友香が下駄箱の方へ声を掛けると、上田さんが「えぇ⁉ 申し訳ないよ」と声を上げた。
「いいから、いいから! 夜道は危ないから一緒に帰ろ! すぐ着替え来るから、そこで待ってて!」
友香はそう言い残して、脱衣所へと戻っていく。
お互い名前で呼び合うようになっていることから、浴槽内で意気投合したのだろう。
裸体姿の友香が脱衣所へと戻っていき、俺はふぅっとため息を吐いた。
「さてと……店閉め作業を進めちゃいますかね……」
友香の無防備な姿にたじたじになり、上田さんのパンツに赤面したりと、いつも以上に気疲れした気がする。
明日上田さんと、合わせる顔がない。
どうしたらいいんだ……。
学校サボれないかな?
無理か。
せっかく縮まったと思った上田さんとの心の距離が。一気に遠ざかってしまい、俺は仲良くなるチャンスを逃してしまったのであった。
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