第3話 銭湯へクラスメイトがやってきた

「……げっ」


 オレンジ色の髪色をした女の子は、俺の姿を見るなり、顔を引きつらせた。

 俺も彼女を視認して、思わず目をパチクリとさせてしまった。

 なぜなら、銭湯にやってきたのが、先ほど駅前でナンパから助けてあげた、上田さんだったのだから。


 番台兼共有スペースに、気まずい沈黙が流れる。


「なっ、なんでアンタがこんなところにいんのよ?」


 上田さんは腕を組みながら、腰辺りまで伸びるオレンジ色の髪を揺らして、眉根を顰め、高圧的な態度で尋ねてくる。


「なんでって、この銭湯、俺のばあちゃんが経営してるからだけど……」


 俺がそう答えると、上田さんは盛大にため息を吐いた。


「はぁ……折角楽しみにしてたのに、クラスメイトの男子がいるとか、マジ最悪なんですけど」


 上田さんはあからさまに不機嫌そうな表情を見せる。

 クラスメイトってだけで、そんなに面識がある訳ではないけれど、流石にその横暴な態度に、俺もイラっときてしまう。

 

 けれど、向こうは来店してくれたお客さん。

 店員側が癇癪を起こすなど言語道断。

 俺は平静を装って、上田さんの機嫌を直すことに努めた。


「上田さんの気分を害したなら悪かったよ。申し訳ない」

「別に、そこまでは言ってないわよ……」


 俺が謝罪の言葉を口にすると、上田さんは髪の毛を指でくるくると回しながら、ぶつぶつとつぶやいた。

 ひとまず、俺は笑顔を張り付け、接客を行うことにする。


「いらっしゃいませ。ようこそ、銭湯松乃湯へ。受け付けはこちらで行っておりますので、どうぞお越しください」


 俺が形式上の言葉をつらつらと述べると、上田さんは長い足を踏み込んで、番台の前までやって来た。

 上田さんは、先ほどの制服姿とは異なり、ボーダーのロング丈のカットソーに、デニムのショートパンツという格好をしていた。

 ショートパンツから伸びるしなやかな脚は、黒ストッキングで包まれていて、彼女のすらりとしたスタイルを、より強調している。


「ほら、さっさと手続して頂戴」

「かしこまりました。大人お一人様で、入湯料として490円いただきます」

「はっ、そんなに高いの? こんなにボロ臭い銭湯のくせして⁉ 学生料金とかないわけ?」

「子供料金はございますが、残念ながら小学生以下が対象でして……」

「ふぅーん。銭湯って、意外とぼったくりなのね」

「申し訳ありません。県ごとに一律で料金が決められてまして、ご了承ください」

「まっ、割引がないなら仕方ないわね。はい、500円」


 いちいち、銭湯に対しての愚痴を言ってくることに対して苛立ちを覚えるものの、俺は終始平常心を心がけて接客の応対をする。


「500円お預かりします……10円のお返しと、こちらがロッカーのカギになります。ごゆっくりお過ごしください」

「ふんっ……!」


 上田さんは鍵を受け取ると、ぷぃっと視線を俺から逸らして、女湯と書かれた暖簾をくぐり、脱衣所へと向かって行ってしまう。

 受付を終えて、俺はふぅっと無意識にため息が漏れ出てしまった。


「なんで上田さんが銭湯なんかに?」


 色々と疑問は湧くものの、今はあくまでお客さん。

 深掘った詮索はしない方がいいだろう。

 俺は、ざわついた心を落ち着かせるように、深呼吸を繰り返す。


 ドタドタドタッ。


 すると、女湯の脱衣所から足音が聞こえてきたかと思った途端、暖簾がぺろりと捲られ、黒の肩紐インナー姿で、顔を真っ赤にした上田さんが姿を現した。


「う、上田さん⁉」


 慌てる俺を気に留めることなく、上田さんはバンっと番台のカウンターを叩いて声を張り上げた。


「ちょっと! アメニティ用品が一切置かれてないんだけど、どういうこと⁉」


 怒りの声を上げる上田さんに対して、俺ははっとなり、恐る恐る尋ねた。


「もしかして上田さん、銭湯って生まれて初めて来る?」

「そうだけど? 何、文句あるわけ?」

「いや、そういうわけじゃなくて。銭湯って基本、タオルとか石鹸類って、各自持ち込み制なんだよ。だから、持ってない人は、別途料金で購入する形になるんだけど……」

「はぁ⁉ 入浴料だけで490円もするのに、さらにアメニティにまでお金取るわけ⁉ 信じらんない! とんだぼったくりね! ってか、先にそれを説明しなさいよ!」

「ごめんごめん。説明するの忘れてた」

「はぁ……全く、しっかりしなさいよね! ちょっと待ってなさい!」


 そう言って、上田さんは踵を返すと、一旦脱衣所へと戻っていってしまう。

 数十秒も待たぬうちに、財布を手に持った状態で上田さんが帰ってきた。


「それで、いくらかかるわけ?」

「えっと、入浴料とアメニティセットっていうのがあって、それが790円だから、あと300円払ってもらえればすべて揃えられるよ」

「なら、はい! これで早くタオルとか頂戴!」


 上田さんは番台のカウンターへバシンっと乱暴に1000円札を置いた。

 俺は番台のうしろにある棚から、ハンドタオルとバスタオル、石鹸とシャンプーのセットを取り出して、上田さんへ手渡してあげる。


「はい、まずアメニティと。それから、1000円お預かりします」


 レジを開き、700円のお釣りを渡そうとすると、上田さんはスタスタ女湯へと戻って行ってしまう。


「あっ、ちょっと上田さん。お釣りは⁉」

「付けといて! 結局明日以降も来なきゃいけないんだから!」


 そう言い残して、上田さんはお釣りを受け取ることなく、脱衣所へと戻って行ってしまった。 

 俺は、番台で呆然と立ち尽くすことしか出来ない。

 しばらくして、我に返った俺は、ひとまずお釣りをレジのキャッシャーへと戻して、ふぅっと息を吐いて脱力した。


「なんか、嵐のような時間だったな……」


 まさか、さっき駅でナンパから助けてあげたクラスメイトの女の子が、松乃湯うちの銭湯へやって来るとは、夢にも思っていなかった。

 加えて、上田さんとまともに話したのも初めてだったので、あんな高圧的な態度を取る人だったとは驚きである。


「というか、銭湯が初めてってことは、今頃上田さん、滅茶苦茶悪戦苦闘してるんじゃ……?」


 憤慨する上田さんの姿が目に浮かぶものの、浴場内には友香もいるので、困っている上田さんをうまくフォローしてくれるだろう。

 そんな心配をよそに、俺は脳内で、肩紐タイプのインナー姿で現れた上田さんの姿を思い出してしまっていた。


 微かに見えた、上田さんの膨らみ。

 強烈なインパクトがあったわけではないが、中々に形の良い胸元だった。


 顎に手を当てつつ、俺は無意識に、女湯の暖簾に視線を向けてしまう。

 この暖簾を挟んだ向こうでは今頃、クラスメイトの女子生徒がありのままの姿で風呂に入ってるんだよなぁ……。


 ふと上田さんの裸体姿を脳内で妄想してしまう。

 って、ダメだダメだ! 

 平常心を保て俺!


 俺は深く深呼吸を繰り返し、煩悩を振り払う。

 思春期の男子高校生ともなれば、これぐらい考えてしまうのは当然のことだが、後でバレたらひとたまりもない。

 

「ってか上田さん、明日も来るとか言ってなかったか?」


 去り際に上田さんが言い放った言葉を思い返し、明日以降もやって来るのかと思うと、ちょっと気が重くなってしまう。

 俺は少々憂鬱な気持ちになりながら、残りの仕事を片付けることにした。

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