第49話 定休日の予定

 むしゃくしゃした気分で、俺はとある場所へと向かっていた。

 今日は銭湯の定休日。


 とある用事のため、俺は学校から家に戻ることなく、そのまま地元の駅から電車に乗り込み、隣町の駅へと向かう。

 隣町のターミナル駅で下車して、五分ほど歩き、目的地へと到着する。


「おはようございます」


 施設の入り口で挨拶を交わすと、中から高身長の男性が声を掛けてきた。


「おはよう常本君。今日もスクールのコーチ、よろしく頼むね」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 挨拶を交わしたのは、スクールコーチの総監督を務める内田うちださん。

 一応、日本代表経験もある元プロサッカー選手である。

 ここは、プロサッカーチームFC浜賀エフシーはまがのアカデミー練習場。

 俺はここで週一回、小学生低学年の部のコーチとして、練習を見ている。

 ロッカールームでチームから配布されているプロと同じ仕様の練習着に着替えて、俺はコーンやゴールなど、練習用の用具を準備していく。


「常本コーチ! おばようございます!」

「おはよう!」


 すると、ぞろぞろとアカデミーの小学生たちが、グラウンドへとやってくる。

 小学生たちは皆元気で、それぞれみんなMYサッカーボールを持参していた。

 悩みなど何もなさそうな小学生たちの姿を見ていると、気持ちが浄化されて行く。

 練習の準備を整い終えて、他のコーチ陣も集まってくる。

 すると、ピィーっと、総監督である内田さんが笛を鳴らした。


「集合!」


 内田さんの掛け声を合図に、コートに散らばっていた小学生たちが一斉にコーチの元へと集まってくる。

 そしてみんな、きちんと体育座りをしてコーチを見上げて静かになった。


「それじゃあ今日も練習を始めます。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします!」


 内田さんの挨拶に続いて、小学生たちの快活な声が聞こえてくる。


「それじゃあまず、ウォーミングアップから始めます! グラウンドを参集しますので、常本コーチについて行ってください」

「はーい、じゃあ今日はドリブルしながらグラウンドを三周します! 出来るだけボールを見ないようにドリブルしながら、付いてきてください」


 そう言って、俺は手を上げながら、ゆっくりと足元でボールをコントロールして、グラウンドの周りを軽いジョギング程度のスピードで走り出す。

 小学生たちもボールを蹴りだして、俺についてくる。

 後ろをちらちらと見ながら、ちゃんとボールを見ずにドリブルが出来ているか、確認していく。


「田中君。目線が下に行ってるよ。僕と顔が合うぐらい、視線を上げて見ようか」


 出来ていない子に的確にアドバイスを送りつつ、ドリブルのジョギングをしていく。

 こうして、十分ほどかけて、ドリブルしながらグラウンド三週を終える。


「はいお疲れ様。それじゃあ今日はまず、ボールを使った一対一の練習から始めます!」


 こうして始まったサッカースクール。

 とはいっても、小学生低学年の部は、純粋にサッカーを楽しんでもらうというのがコンセプトになっているので、戦術やサッカーの蘊蓄うんちくなどの話はほとんどしない。

 ボールを蹴る事の楽しさを覚えてもらい、自主的にサッカーをもっとうまくなりたいという向上心を育てるのがスクールでの目的となっている。

 なので、ミスをしたとしても、怒ることはない。


「おしい、おしい! もうちょっとでできるよ!」

「ナイスプレー! いいよ、もっと続けよう!」

「おー上手いねぇ! 次はもうちょっと難しいシュートしてみようか!」


 このように、子供たちを褒めてあげて、より楽しくプレーできるような環境を作ることが、コーチとしての役割である。

 声を上げ続けて教え続けることに時間。

 空も暗くなってきたところで、練習は終わりを告げる。


「それじゃあ、今日はこの辺りでおしまいにします。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

「ありがとうございました」


 スクール生達が感謝の言葉を述べながら、深々と頭を下げてきた。


「お疲れ様! また来週も元気に来るんだよ!」


 生徒達が、それぞれ迎えに来たご両親の元へと向かって行く。

 そんな姿を眺めていると、後ろからトントンと肩を叩かれた。


「常本、今日も練習してくのか?」

「はい。コートを使えるの、今日しかないので」

「んじゃ、久々に鳥かごから3対3のゲーム形式でやるか」


 コーチ陣の皆さんは、全員が元プロサッカー選手。

 体力面では衰えているものの、技術等のサッカーIQや元から備わっている実力は申し分ない。

 俺は、スクールが終わった後の一時間、元プロの選手たちと一緒に自身の自主トレに付き合ってもらっていた。

 この時間こそが、俺にとって最もレベルの高い練習であり、実践に近い形で出来る場である。

 プロ顔負けの強度の高いワンタッチパスやフィジカルは、ここでしか味わうことの出来ない経験だ。

 トレーニングを終える頃には、すっかり空は暗闇に包まれており、コートは照明の明かりで照らされている。


「おーい! そろそろ明け渡しの時間だー!」


 事務所から、内田さんが出てきて、練習の終わりを告げる。


「うーっす」


 アカデミー以外では、一般の人にもコートを貸し出しているので、使える時間が限られているのだ。

 ひと汗かいたコーチたちと一緒にシャワーを浴びて、俺はロッカールームでスポーツウェア姿に身を包んで、事務所へと戻る。


「お疲れ様です」


 デスクに座っている内田さんに声を掛けると、にこやかな笑みを浮かべてくれた。


「お疲れさん常本君。コンディションはどうだね?」

「まずまずって感じですかね。実践からは大分離れちゃってるので、どうなるか分かりませんけど」

「また代表合宿に呼ばれてるんだって? 監督さんから話は聞いてるよ」

「みたいですね」

「戻る気はないのかい? 代表に」

「……」


 内田さんに問われて、俺は黙り込んでしまう。

 今日の出来事もあり、色々と思う所があるのだ。


「まっ、君がこのサッカークラブを好きなのはわかるけどね。君はもっと、高みを目指すべき選手だ。世界と渡り歩いていける実力を兼ね備えているんだから、もう少しよく考えた方がいいと思うよ」

「……はい、分かりました」


 俺は、そう返事を返すことしか出来なかった。


「お疲れ様です。失礼します」

「うん、お疲れ様」


 内田さんに挨拶を交わして、俺はその足でアカデミー施設を後にして、駅へと向かって行く。


 帰り際、頭の中では、代表のユニフォームに身を包んだ、当時の俺が脳内再生されていた。

 中央でボールを受けて、相手が寄せてくる前に身体の振りで相手を交わして前を向く。

 そのままサイドの選手へボールを預けて、一気にゴール前へと上がり込む。

 再度の選手からの絶妙なスルーパスを受け取り、俺は柔らかいボールタッチでシュートフェイントを入れて、ペナルティエリア手前で二人の選手をスライディングさせた。

 その間を割っていくようにして、俺はゴール右隅へとシュートを放つ。

 見事にゴールネットに突き刺さり、得点が決まった。

 ガッツポーズをする俺の元へ、チームメイトたちが集まってきて、祝福の言葉を掛けてきてくれる。


「……懐かしいな」


 そんな独り言が、つい零れてしまう。

 すると、ピコンと、俺のスマホに通知が届く。

 スマホをポケットから取り出して見ると、見覚えのある女性からのメッセージが届いていた。


『今仕事終わったんだけど、今日って銭湯休みだけど、イける?』


 宛先は小海先輩から。

 どうやら、サウナのご所望のようだ。

 ったくこの人は、休み度外視で自分勝手だなぁ……。


『分かりました、用意しておきますよ』

『やったぁ! ありがとう恭吾!』


 俺が返事を返すと、小海先輩が嬉しそうな犬のスタンプを連打してきた。


『スタ連やめい!』

『ごめんなさい』

「ったくもう……」


 小海先輩とのやり取りを終えて、俺はふぅっと一つ息を吐く。

 丁度いいタイミングだ。

 辛い時に支えてくれた恩人だからこそ、再び彼女の知恵を借りることにしよう。

 そう思いながら、俺は岐路へと着くのであった。

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