第26話 賑やかなところへ、現れない彼女

 翌日、俺が銭湯のシフトに入ると、珍しいお客さんが現れた。


「こんばんはー先輩!」

「あれっ、兎恵ちゃん? それに、郁恵さんまで」


 銭湯に現れたのは、後輩の兎恵ちゃんと、義母である郁恵さんの二人だった。


「こんばんは恭吾君。お邪魔するわね」


 郁恵さんは一言断りを入れつつ、番台へと向かってくる。


「どうしたんですか? こんな時間に珍しいですね」

「実は、家のお風呂が壊れちゃったのよ。だから急遽、松乃湯ここへ来ることになったってわけ」

「それは災難でしたね。修理にはどれぐらい時間がかかるんですか?」

「明日には業者が来て直してくれるそうよ」

「随分早いですね。家のお風呂の修理って、もっと時間かかるものなんじゃないんですか?」

「そんなことないわよ。水回りの故障は即時性が求められるから、遅くても三日あれば直してくれるはずよ?」

「そうですか……」


 そこで俺は、一つの疑問が浮かびあがってしまった。

 上田さんが初めて銭湯に来た日、彼女は訪れたと言っていた。

 そして、修理にはしばらく時間がかかるため、しばらく松乃湯ここを利用するとも聞いた。


 上田さんが初めて銭湯を訪れてから、既に二週間は経過している。

 それほどに、大規模な故障なのか、それとも……


「恭吾君、どうかしたの?」


 俺が黙り込んでしまったのを心配して、郁恵さんが声を掛けてきてくれたことで、はっと我に返る。


「いえ、何でもないです。アメニティなどの貸し出しは大丈夫ですか?」

「えぇ、持参してきたから問題ないわ。これ、二人分ね」

「お金はいいですよ。郁恵さんは従業員なんですから」

「ダメよ。いくらアルバイトとはいえ、今日はお客として来てるんだから」


 俺と郁恵さんが押し問答していると、恵兎ちゃんが番台の方へと向かってきて、郁恵さんの袖をクイクイッと引っ張った。


「お母さん、寒いから早く行こうよぉ……」

「あらごめんなさい」


 スポーツウェア姿に身を包んだ恵兎ちゃんは、自身の肩を抱くようにして、プルプルと小刻みに震えていた。


「恵兎ちゃん、大丈夫? 随分寒そうだけど……」


 俺が心配して声を掛けると、郁恵さんが手をかざして話しかけてくる。


「恵兎がお風呂に入ろうとしたところで壊れちゃったから、身体が冷え切っちゃってるのよ」

「あぁ、なるほど」


 確かに、一旦脱いでお風呂に入ってしまってお湯が出ないとなったら、身体が冷え切ってしまうのも仕方ないだろう。


「もう……だからもっと厚着しなさいって言ったじゃない」

「だって……面倒くさかったんだもん!」


 そう叫びつつ、身体を震わせている恵兎ちゃんを見ていると、今にも風邪を引いてしまわないかと不安になってきてしまう。


「ただいまー」


 とそこで、入り口の方から聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「恭吾―! づがれだよぉー!! って、あれ?」


 入り口の暖簾をくぐって現れたのは、幼馴染の友香。

 茶髪のボブカットの髪を揺らして、土まみれのジャージ姿のまま、フロアの中へと入ってきた。


「郁恵さんだぁー! お久しぶりです!」

「あら、友香ちゃん! 久しぶりね!」


 感動の再会を果たしたように、二人はガバっとハグをする。

 銭湯の常連である友香にとって、アルバイトの郁恵さんは第二のお母さんみたいな存在。

 最初、郁恵さんが入ったばかりの頃に、色々と仕事を教えてくれたのも友香だったりする。


「ったく、土埃払ってから入って来いっていつも言ってるだろ?」

「いいじゃん別に。私の身体が病原菌とでも言いたいわけ?」

「そこまでは言ってねぇだろ」


 床に落っこちた砂を掃除するのが面倒なんだよ。


「友香ちゃんを怒らないであげて。今日は、私がいるのが珍しくてはしゃいじゃったのよね?」

「はい!」

「部活お疲れ様」

「えへへっ……」


 郁恵さんが友香の頭を撫でると、友香はデレデレと郁恵さんに甘えるようにスリスリと身体を擦り付ける。


「郁恵さん、あまり友香を甘やかさない方がいいですよ。こいつ、すぐ調子乗りますから」

「まあまあ、恭吾君もそんなにピリピリしないの。砂埃は私が後で掃除しておくから気にしないで頂戴」

「いや、お客さんにそこまでしてもらうのは流石に……」

「あー! 恭吾がお客さんにパワハラしてるー!」

「調子に乗るなよ友香。お前の乳もぎ取ってやろうか?」

「お母さん! 早く!」


 とそこで、ついに寒さに耐えられなくなった恵兎ちゃんが悲痛な声を上げる。


「ごめん、ごめん! それじゃあ恭吾君。お風呂頂くわね」

「はい、ごゆっくり」

「ほら恵兎、行くわよ。友香ちゃんも、お先に失礼するわねー」


 郁恵さんに促されて、二人が一足先に女湯の暖簾をくぐって、脱衣所へと入っていく。


「恭吾―! バスタオルパス!」

「お前な……」


 俺は、はぁっと大きなため息を吐いてから、後ろの棚からハンドタオルとバスタオルを取り出して、友香に手渡してやる。


「それじゃ、郁恵さんとお風呂行ってきまーす!」

「おう……着替えちゃんと持っていけよ」

「分かってるー!」


 友香は、珍しくエナメルバッグを肩に掛けたまま、脱衣所へと続く暖簾をくぐって行った。

 郁恵さんと一緒にお風呂に入れるのが、よほど嬉しいらしい。


「ったくよ……」


 俺はぼやきつつも、こうしてお客さん同士が仲睦まじく交流を深めている、銭湯として本来あるべき姿を目の当たりにして、ほっこりとした気持ちにさせられていた。

 ワチャワチャと賑やかな声が、脱衣所の方から聞こえてくる。

 俺は頬杖をついて、入り口の方へと視線を向けてしまう。

 頭の中で思い浮かべてしまうのは、いつもならこの時間に現れるはずの、オレンジ色の髪をした女の子のこと。


「上田さん、今日は来てくれるかな?」


 つい、そんな独り言を零してしまう。

 この場に上田さんがいない事だけが、俺の中で心残りで寂しく感じてしまうのであった。

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