第31話 ばあちゃんの味


 上田さんの制服を乾燥に掛けてから、脱衣所を後にしてリビングへと戻ると、よしヱばあちゃんが台所で夕食の準備をしているところだった。


「手伝うよ」


 俺がそう言ってばあちゃんの元へ向かうと、ばあちゃんは俺の方を見てニヤニヤとした笑みを浮かべてくる。


「随分とべっぴんさんじゃないか。恭吾の彼女かい?」

「違うよ。ほら、この前クラスメイトがお風呂壊れちゃって定期的に銭湯に通いだしたって話しただろ。その子だよ」

「なんだい、女の子だったんか。私はてっきり男の子だとばかり思ってたよ。恭吾も隅に置けないやつだね」

「別にそういうんじゃないよ。ただ、困っている人を助けてあげるのは当然のことだろ?」

「うむ、それでこそ、私の自慢の孫だよ」


 そう言って、よしヱばあちゃんは、しわしわになった手で、俺の頭へ手を伸ばそうとする。


「やめろって恥ずかしい」

「撫でさせておくれ。いくつになっても、私にとって恭吾は可愛い孫なんだから」

「わ、分かったよ……」


 俺は折れて、身を屈めてあげる。

 そして、よしヱばあちゃんに、頭をガシガシと強めに撫でられた。


「なぁばあちゃん」

「ん、どうしたんだい?」

「こういうときって、俺の方から事情を聞いてあげた方がいいのかな?」


 上田さんは明らかに何か悩みがあるのだろう。

 だからしばらく学校を休んでいたし、銭湯の前で傘もささずにずぶ濡れの状態でいたということは、少なくとも何かしら話したい事があるのだと思う。

 俺の問いに対して、ばあちゃんは優しい瞳を向けながら答えてくれた。


「まっ、向こうから話してくれるのを待つしかないだろ。私らにできることは、最大限のおもてなしをすることだけさ。向こうが心を開いてくれれば、次期に話してくれるよ」

「そうだよね……」


 聞きたい気持ちは山々だけど、まだ上田さん自身で気持ちの整理がついていないかもしれない。

 だとすれば、ばあちゃんの言った通り、最大限のもてなしをしてあげて、少しでも元気を取り戻してあげることが、俺が出来る最善の策なのかもしれないと思えた。


「恭吾は優しくて立派だ子だよ。偉い、偉い」

「はいはい、ありがとうばあちゃん」


 そんなに偉いことをしているわけではない。

 当然のことをしているだけなのだから。

 それでも、ばあちゃんにとっては素晴らしい行いだったらしく、しばらく俺は、ばあちゃんに頭を撫でられ続けた。

 しばらくして、満足したのか、ばあちゃんが俺の頭から手を離すと、気合を入れるようにして服の袖を捲った。


「よしっ、あの子の分も、今日はよりをかけて作るってやる! 恭吾は待っておれ」

「いや、だから俺も手伝うってば!」

「そうかい? なら、そこにある野菜を細かく切って、水に浸しておいてくれるかい?」

「はいよー」


 ばあちゃんに言われた通り、俺は手際よく調理を進めていくのであった。

 しばらく調理を進めて、キッチンにはフライパンからジュワっと炒める音と、香ばしい香りが充満している。

 俺が机に三人分のお皿を並べていると、入り口に、上田さんがひょっこりと顔を表した。


「お風呂貸してくれてありがとう……あとこの服も」


 上田さんはバスタオルで髪を乾かしながら、所作無げに感謝の意を伝えてくる。


「いえいえ、どういたしまして。服大丈夫? 俺の奴だから、ちょっとブカブカだと思うんだけど」

「うん、平気……」


 そういう上田さんの頬は、お風呂上がりだからか赤く染まっており、血流が良くなっているように見える。


「ちょうどよかった。今夕食が出来たところなんだよ。上田さんも食べて行って」

「えっ……いやっ、流石にそこまでお世話になるわけには……」

「うちのばあちゃんが張り切っちゃって大量に作りすぎちゃったんだ。二人だけじゃ食べきれないから、食材を無駄にしないためにも食べてくれると嬉しいな」

「そ、そういうことなら……」


 そう言って、上田さんは恐る恐るといった様子で居間へと入ってくる。

 すると、上田さんの姿に気づいたよしヱばあちゃんが、目をキラキラとさせて上田さんを見据えた。


「いやぁー、改めて見ても、なんとまあ可愛らしい子だこと」

「ど、どうも初めまして。上田彩瀬と言います」

「恭吾の祖母の松乃よしヱです。恭吾から話は聞いているよ。なんでも、お風呂が壊れちゃってるんだって?」

「はい……」

「あんなボロっちい銭湯で良ければ、贔屓してやってください」

「いえっ……いつもいい湯をありがとうございます。お世話になりっぱなしです」

「そう言ってくれてありがとう。ささっ、座って、座って」


 よしヱばあちゃんに促され、上田さんは恐る恐る向かい側の席へと座る。

 とそこへ、よしヱばあちゃん特製の生姜焼きが運ばれてきた。


「ご飯はどれぐらい食べる?」

「あっ……えっと普通盛りで」

「了解」


 俺が炊飯器からお茶碗へご飯をよそって、上田さんの元へ置いてあげる。

 ばあちゃんと自分の分もよそってそれぞれの席の前に置き終えると、ばあちゃんが味噌汁を運んで来てくれて、本日の夕食の準備が整った。

 上田さんとは向かい側に、俺とばあちゃんは隣り合わせで座って向かい合う。

 いつもはばあちゃんの二人だけの食卓だけど、一人増えるだけで、賑やかな雰囲気に包まれて、俺は嬉しかった。

 ばあちゃんがバシっと音を立てながら、胸の前で両手を合わせる。

 それに倣って、上田さんもあわてて手を合わせた。


「それじゃあ今日も、食材に感謝を込めて、いただきます」

「いただきます」

「い、いただきます……」


 お互いに手を合わせて、いただきますの挨拶をしてから、上田さんは恐る恐る箸を手に持ち、ばあちゃんが丹精込めて作った生姜焼きを掬い上げる。

 そして、そのまま口へと持っていき、パクリと頬張った。

 俺とばあちゃんが、固唾を飲んで見守る中、上田さんは無言でモグモグと生姜焼きを咀嚼する。


 すると、上田さんの目元に、一筋の涙が伝った。

 そして声を詰まらせるようにして、唇を引き結んでしまう。


「上田さんどうしたの⁉ もしかして、お口に合わなかった?」


 突然涙を流し始めた上田さんに驚いてしまい、俺が慌てて尋ねると、上田さんは首をふるふると横に振った。


「違う……違うの……」


 そして、目元を真っ赤にしながら、上田さんはお皿に盛られた生姜焼きを眺めながら、懸命に口を開いた。


「こんな温かみのある食卓……久しぶりだったから……ごめんなさい」


 そう言って、俯きながら肩を震わせてしまう上田さん。

 俺とばあちゃんは思わず顔を見合わせてから、ふっと柔らかい微笑みを浮かべた。


「おいしい? ばあちゃんの生姜焼きは?」

「うんっ……! とても美味しいです……」


 鼻を啜りながら、首を上下に振る上田さん。

 銭湯から上田さんを家まで送ったとき、彼女の家は夜遅くにも関わらず、部屋の明かりが付いていなくて、どこか物寂しさを感じた。

 恐らく、上田さんはあまりご両親とこうして食卓を囲んで食事をすることがないのだろう。

 だから、ばあちゃんの手料理を食べた途端、色々とこみ上げてくるものがあったのだ。


「よかったらまた食べにおいで。銭湯の営業日は各自で食べてるけど、定休日の日はこうして夕食一緒に食べてるから」

「いえっ……流石にそこまでしてもらうわけには……」


 申し訳なさそうにする上田さんに、俺は柔らかい口調で語り掛ける。


「ばあちゃんも、人数が多い方が喜んでくれるしさ、俺からもお願いできるかな? もし俺が嫌だっていうなら、友香も一緒に招いてもいいし」

「別に……アンタのこと、嫌いじゃないわよ」


 そうボソっと口にして、上田さんは目尻に溜まった涙を手で拭きとってから顔を上げた。


「ありがとう、ございます……こんな私で良ければ、これからもお願いできますか?」

「もちろんだよ。いつでもおいで」

「はい……」

「ささっ、冷めないうちに食べちゃいな」


 ばあちゃんに促されて、上田さんは頷くと、鼻を啜りながら、先ほどよりも倍ほどの生姜焼きを掬い上げて、勢いよく頬張った。

 そして、一口、一口噛み締めるように咀嚼してから……。


「優しくて、真心のこもった、懐かしいおばあちゃんの味です」


 と、少し嬉しさと寂しさの混ざり合ったような声で、ばあちゃんの作った生姜焼きを噛み締めるようにして味わうのであった。

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