第36話 積極的になった女の子


「先輩」


 移動教室の途中で、俺は部活の後輩である恵兎ちゃんに声を掛けられた。


「おはよう恵兎ちゃん。ごめんね、今日放課後に活動できなくて」

「いえ、それはいいんですけど……」


 恵兎ちゃんは辺りに人がいないことを確認すると、小さく手招きしてくる。

 俺がゆっくり顔を近づけると、コショコショと耳元で話しかけてきた。


「今日の放課後、先輩と一緒に銭湯へ行ってもいいですか?」

「えっ……まあ構わないけど、郁恵さんはお休みだよ?」

「知ってますよ。だからお母さんがいない所で、ちょっとご相談がありまして」

「それは、恵兎ちゃんに関すること?」

「いえ、お母さんに関することです。どうしても気になることがありまして……」


 恵兎ちゃんの口調から、どこかただならぬ不穏な雰囲気を感じ取る。


「分かった。それじゃあ放課後、昇降口前集合で待ち合わせね」


 俺は、恵兎ちゃんを安心させるように、出来るだけ明るい調子で取り繕う。


「はい、ありがとうございます。ではまた放課後に」

「うん、またね」


 恵兎ちゃんと別れて、後姿を見送っていると――


「ふぅーん。常本って、ああいう女の子がタイプなわけ?」


 突如、後ろから意味ありげに声を掛けられる。

 振り返ると、そこにいたのは上田さんだった。


「びっくりした……誰かと思ったら」

「それで? 実際のところどうなのよ?」

「な、何が?」

「だから! アンタのタイプの話だってばっ! あぁいう子が好みなワケ?」


 楽しいものを見つけたという目で、にやりとした笑みで尋ねてくる上田さん。

 からかってくる上田さんに対して、俺はふるふると首を横に振った。


「いや、恵兎ちゃんは同好会の後輩ってだけで、そういう恋愛対象として見たことはないよ。俺はもっとこう、スタイルが良くて胸が大きい子の方が……って、何言わせてるの⁉」

「ふぅーん。常本って、案外ムッツリスケベ?」

「どうしてそう解釈するわけ⁉」

「まっ、いいや。常本が誰と付き合おうと関係ないし」

「じゃあなんでわざわざタイプなんて聞いてきたんだよ」

「暇つぶし?」

「酷い……」


 キーンコーンカーンコーン。


「うわっ、授業始まっちゃうよ。ほら、急いだ、急いだ」

「えっ、ちょっと⁉」


 上田さんに急かされて、俺は小走りに移動教室へと向かって行く。

 こんなにはしゃいでいる上田さん、始めてみた気がする。

 きっとこれも、打ち明けられた証なんだろう。

 けれど、いきなり友達みたいな感覚でスキンシップ取ってくるから、頭の理解が追い付かない。

 また上田さんの新たな一面を垣間見た気がした。



 ◇◇◇


「ねぇ……」


 昼休み、俺が席を立とうとしたところで、上田さんから声を掛けられる。


「ん? どうしたの上田さん?」

「常本、今からお昼食べに行くの?」

「そうだけど?」

「んじゃ、一緒に行こ?」

「えぇっ!?」


 上田さんは立ち上がったと思うと、俺の腕を掴み、そのまま教室の外へと歩いて行く。

 近くにいたクラスメイト達は、驚いたような目を向けてきていたものの、大半の連中は気づいていない。

 席が廊下側で助かった。

 俺はそのまま、上田さんに腕を引かれて昇降口へと向かって行く。


「ちょっと上田さん、どこに連れていくの⁉」

「どこってそりゃ、ボッチが好みそうなスペース?」

「そこは変わらないんだ」

「当たり前っしょ。だって常本と一緒に食べてるところなんて見られたら……」


 とそこで、言葉を区切り、上田さんは黙り込んでしまう。


「見られたら……?」

「う、うっさい! いいからついて来いっての!」


 上田さんは誤魔化すようにして、今度はネクタイを思い切り引っ張ってきた。


「ちょ、上田さん! 首、首締まっちゃうからネクタイだけは止めて⁉」


 そんなやり取りを交わしつつ、昇降口で外履きに履き替えて向かったのは、体育館裏にある非常階段。

 校舎の裏側にあり、生徒はほとんど用がない場所。

 確かにここなら、誰にもバレずにボッチ飯を楽しむことが出来る。


「上田さんって、いつもはここで一人ご飯食べてるの?」

「っそ。ここなら屋根があるから雨の日でも濡れずに気兼ねなく一人の時間を過ごせるってわけ」

「でも良かったの? 俺なんかに上田さんの隠れスポットを教えちゃって」

「何言ってんの? 今日からはアンタもここでご飯食べるの」

「えっ?」


 今、にわかに信じがたい言葉が上田さんの口から出たような気がするんだけど……。


「何、私とご飯食べるのが不服なわけ?」

「いや、そう言うわけじゃないよ」

「あっそ。なら適当にくつろいでいいよ。私も適当にくつろぐから」


 そう言って、上田さんは非常階段を数段登り、残渣を利用するようにして、踊り場に腰を下ろした。

 足を下ろしているため、下からだと、上田さんのスカートを覗き込む形になってしまう。

 上田さんは気にする素振りもなく、ビニール袋からプラスチックの容器に入ったお弁当を取り出している。

 俺は咄嗟に視線を外して、階段を登っていく。

 上田さんの一段下に腰を下ろして、背を向ける形で座り込む。


「上田さんはコンビニ弁当?」

「そう。常本はお弁当?」

「うん。ばあちゃんが毎朝作ってくれるんだ」

「そっか。優しいおばあちゃんだね」

「ほんと、頭が上がらないよ」


 そんな会話を交わしつつ、俺は膝元にお弁当を開いた。

 ハンバーグに大根の煮物にきんぴら、プチトマトというラインナップ。

 ご飯の中央には、自家製の梅干しが乗せられている。

 これこそまさに、おふくろの味ならぬ祖母の味。


 とそこで、不意に後ろから視線を感じた。

 ちらりと窺えば上田さんが羨ましそうな視線でお弁当を見つめてきている。


「……よかったら食べる?」

「えっ、いいの?」

「もちろんだよ。何が食べたい?」

「じゃ、じゃあ……きんぴらをちょっとだけ」

「ん、分かった」


 俺はお箸できんぴらを掬い上げ、上田さんのコンビニ弁当のプラスチックの蓋に置いてあげた。

 上田さんはそれを自身の割り箸で掬い上げて、口元へと運ぶ。

 口に入れた途端、上田さんの表情が和らいでいく。


「おいしい……やっぱ常本のおばあちゃんの味付け最高だわ」

「上田さん、感動で涙を流すぐらいだったもんね」

「あ、あれは……! 色々と状況が重なっただけで!」

「分かってるよ。ちょっとからかってみただけ」

「むぅ……常本の癖に生意気」


 上田さんはぷくーっと頬を膨らませて、不満げな様子。

 さっき好みの女の子を聞かれた仕返しだ。


「まあでも、ばあちゃんも上田さんの事気に入ったみたいだからさ、時間があったらいつでも夕食食べに来てよ。ばあちゃんも喜ぶから」

「うん、ありがとう」


 上田さんは頬を緩めて頷いた。

 きっと、上田さんの亡くなってしまったおばあちゃんと、投影してる部分があるんだろう。

 表情はどこか、遠い昔を思い出しているようだった。

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