第10話 二日目のドタバタシフト

 家に帰宅して、夕食の準備や洗濯ものを畳んだり、家事を済ませてから、俺はいつものように家の向かい側にある銭湯へと出向いた。

 時刻は夜八時、番台にいるばあちゃんへ声を掛ける。


「ばあちゃんお待たせ」

「いつもすまないね恭吾。宿題はちゃんと終わったかい?」

「終わってないから持ってきた」

「全く、仕事中に勉強とは……」

「いいじゃん。どうせお客さん来ないんだし」

「別に構わないけど、恭吾がしっかりしてないと怒られるのは私なんだからね」

「分かってるよ」

「それじゃ、私は家に戻るよ」

「うん、気を付けてね」


 そんなやり取りを交わして、ばあちゃんは腰を丸めながら母屋へと戻っていく。

 早速、カウンターにノートを開き、宿題に取り組み始める。


「よしっ、こんなものかな」


 宿題を終えて、俺は大きく伸びをした。

 ふぅっと脱力したところで、ふとテレビから騒がしい声が聞こえてきていることに気づく。

 テレビでは、サッカーの代表戦が放映されていた。

 画面内で必死にプレーする選手たちは、観客の声援に後押しされて、リズミカルな攻撃を繰り広げている。


 俺がサッカー中継に気を取られていると、不意に入り口の扉がガラガラガラと開かれた。

 一旦視線をテレビから外して、俺は番台から下駄箱へ向かう。

 するとそこには案の定、スポーツウェアを土汚れまみれにした友香が立っていた。


「ぎょうご……だだいま」

「……こりゃまた随分と酷いありさまだな」

「だっで……ぎょうば鉄拳制裁じでだがら」

「あはは……それはご愁傷様」


 恐らく、部員たちの気が抜けていたのだろう。

 強豪校になりつつあるサッカー部において、一日一日の練習が大切になってくる今、監督である友香が喝を入れるのも無理はない。


「ほら、土埃払ってから入っておいで」

「面倒くさーい。よいしょっ――」

「だからナチュラルに入り口で脱ぎだすのやめて⁉」


 一応、年頃の男子高校生が目の前にいるんだからさ!


「あぁもう、土埃払いに行くのも面倒くさいの!」


 そう言って、友香はスポーツウェアの上下を脱ぎ捨て、パープル模様の下着が露わになる。

 友香のたわわに実った胸元は、いつ見ても男心をくすぶられてしまう。


「恭吾、バスタオル」

「へいへい……ったくお前は、もう少し恥じらいってのを持ってくれ」

「別に恭吾に下着みられるとか今さらじゃない? 小さい頃なんて、裸だって見せ合ってるんだから」

「いや、流石にこの年齢になったら恥じらえよ!」


 俺が突っ込むと、友香はニヤニヤとした視線を送ってくる。


「何々? もしかして恭吾、私の下着姿見て興奮してるの?」

「そういうことじゃなくてだな……」

「じゃあ別に平気だよね? お客さんだっていないんだし」

「……もういいよ」


 恐らく、これ以上友香に言っても意味がないと悟り、俺は大きくため息を吐いた。


「あれっ……今日って代表戦だったんだ」


 すると、待合室件休憩スペースにあるテレビを観て、友香が尋ねてくる。


「あぁ、W杯予選だってよ」

「ふぅーん。てか珍しいね、恭吾がサッカーの試合観てるなんて」

「まあな」


 確かに、こうしてサッカーの試合をテレビで見たのはいつぶりだろうか?


「ねぇ恭吾……」

「ん、どうした?」

「……ううん、やっぱり何でもない」


 友香は何か言いたげにしていたものの、取り繕った笑みを浮かべて言葉を飲み込んだ。

 俺も、友香が言いたいことは何となく察したので、わざとらしく肩を竦めてみせる。


「それじゃ、お風呂入ってくるね」

「はいよ。行ってらっしゃい」


 そこで会話を打ち切り、友香は脱衣所へと入って行った。


『ゴール! 先制、日本!』


 刹那、テレビから実況の大きな歓声が響き渡る。

 どうやら、日本代表が先制したらしい。

 テレビ画面には、ゴールパフォーマンスをする代表の選手たちの様子が映し出されていた。


「代表か……」


 懐かしい響きを聞いて、自然と頭の中に過去の思い出がフラッシュバックしてきてしまう。


 ガラガラガラ。


 しかし、そんな時間も、来店のお客さんにより現実へと思考が引き戻される。

 入り口の暖簾をくぐって現れたのは、上田さんだった。


「いらっしゃい」

「んっ……」


 俺がフランクな口調で声を掛けると、上田さんは素っ気ないながらも返事を返してくれた。

 そして、ちらりと視線をテレビの方へと移す。


「サッカー観てたの?」

「あぁ、まあな」

「そっか」


 どこか納得したように返事をすると、上田さんはそこで話題を変えるようにして俺の方へ鋭い視線を向けてきた。


「バスタオル、洗濯してくれた?」

「もちろんだよ。はいこれ」


 俺は、事前に洗濯して乾かしておいた上田さんのバスタオルとハンドタオルを手渡してあげる。


「ありがと」


 ちょっぴり恥ずかしそうにお礼を言ってくる上田さん。

 今日は上下ベージュのスウェットというラフな格好での来店だ。

 俺はふと、今日の朝、階段で不慮の事故で見てしまった、黒のレースのことを思い出してしまう。

 視線は勝手に、上田さんの下半身へと向かっていく。

 わざわざ履き替えてから来ることは考えにくいし、こんなにラフな格好の内側に、あんな派手な下着を履いてるのかな……。

 ジィっと見つめていると、視線に気が付いた上田さんがパっと手で自身の下半身を隠して、引いたような目で見つめて来る。


「変態……」


 顔を真っ赤にしていることから、恐らく朝の出来事を思い出したのだろう。

 その反応から、黒のレースのパンツを履いているかどうか、大体察することが出来てしまった。

 俺はこほんと一つ咳払いをしてから、言い忘れていたことを思い出す。


「そう言えば、ばあちゃんに事情を説明したから、これからは友達価格でいいってさ。だから、入湯料は100円でいいよ」

「えっ……悪いわよ」

「でも、毎回大人料金の入湯料払ってもらうのも気が引けるし……ここはばあちゃんの顔を立てるってことで」

「分かったわよ。ならこれ、100円」

「いや、昨日の余剰分があるから、しばらくは支払わなくて平気だよ」

「そ、そう?」

「それじゃ、ごゆっくりー」

「え、えぇ……」


 上田さんは軽く頬を染めつつ、脱衣所へと向かって行った。

 よしっ、これでしばらくお客さんは来ないだろう。

 接客を終え、俺がほっと息を吐いた直後、バタバタと女湯の脱衣所の方から足音が聞こえてきたかと思うと、脱衣所から現れたのは、バスタオルを身体に巻いただけの上田さんだった。


「ちょっとアンタ!」

「なっ⁉ どうしたの上田さん⁉」


 その衝撃的な姿に、俺は思わず視線が釘付けになってしまう。

 バスタオル越しからでも分かるスレンダーな身体つき、体に巻き付けたバスタオルから伸びる、すらりとした健康的な長い足に、艶のある肌。

 すべてが思春期の男子高校生には刺激が強すぎて、そそられてしまうには十分なほどの破壊力を持っていた。

 

 対して上田さんは、自身のあられもない姿は全く気にした様子もなく、きぃっと鬼の形相でこちらを睨み付けている。


「いいからこっち来て!」

「あっ……えっ……ちょっと⁉」


 上田さんは俺の手をガシっと掴んで、番台から引っ張り出す。

 そのしっとりとした手の感触に思わずドキリとさせられてしまうものの、今はそれどころではない。

 

 上田さんに手を引かれて向かったのは、女子風呂の脱衣所。

 暖簾をくぐって脱衣所に入れさせられると、上田さんがもう片方の手でビシっと大きく前方を指差した。


「あれ、どういうことよ!」


 上田さんの視線の先には、パープル模様の下着が律儀に置かれていて――

 

【恭吾、洗濯しといて! 脱ぎたてだからって、顔を埋めたりしたらダメだぞ♡】

 

 とルーズリーフで書置きまで記されていた。


「あんた、幼馴染の下着洗ってるの?」

「いやっ……これはそのぉ……部活着を洗ってあげるついでにと言いますか……あはははは……」


 ドン引きした表情で見つめて来る上田さんに対して、苦笑を浮かべることしか出来ない。


「いいからさっさと取って出てけー!!!」

「は、はいぃぃぃー!!」


 上田さんに怒鳴られ、俺は急いで友香の下着を回収して、女湯の脱衣所を後にする。


 俺と上田さんの心の距離は、さらに遠くなってしまった。



 ◇◇◇



 友香の洗濯物を、隣に併設されたコインランドリーに突っ込んできたところで、俺はようやく一息つくことが出来た。


 友香の奴、わざとやりやがったな。

 後で覚えてろよ。

 そんな幼馴染の悪戯を恨みつつ、俺は再びテレビへ視線を向ける。

 代表戦は、後半へと突入していた。

 日本のホームで行われているため、大歓声の応援が選手たちを後押ししている。


「俺もいつか、こんなところでプレーする日は訪れるんだろうか」


 頬杖を突きつつ、そんな独り言を零していると、ポケットに入れていたスマートフォンのバイブレーショが鳴り響く。

 スマートフォンの画面を見れば、とある人からのメッセージが届いていて、文面には――


『今日この後、そっちに行ってもいいかしら?』


 と書かれていた。


『分かりました、準備して待ってます』

 とだけ返事を返して、俺はスマートフォンをポケットに仕舞い込んだ。


「久しぶりだな……」


 そうポソリと呟きつつ、俺はテレビの画面に視線を戻した。

 結局、友香たちが上がるまで、ぼけぇーっとしながら、サッカーを夢中になって観戦してしまうのであった。

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