第44話~時間の記憶②
数年間の修行の後、私は
それは対象の時間座標を操作するものだった。時間軸上に存在する座標へ時を加算したり減算したりすることで過去、未来の二方向へ自在に移動する力。
だが理解しただけであり、実際に行使することは叶わなかった。それだけこの技術は複雑なのだ。唯一習得できたのは、意識の時間移動……それも過去方向だけだった。
「────意識の時間移動は、記憶を読み取るようなものだ。お前は、浄瑠璃鏡を持っているようだし、習得が早かったのも頷ける」
先生はそう言ってくれたものの、本来の技術が使えなければ意味がない。それに、意識の時間移動は完全に習得できれば未来予知すら可能な技術。目標の一部のさらに一部しか習得できない自分に嫌悪感を抱いてしまう。
────閻魔薙様は同じ期間で瞬間移動を習得したというのに。
「卑屈になるな、時希よ。お前の歩幅はお前だけのものだ。他者と比較するな、大事なのは続けることだ」
縁側で茶を飲みながら先生は私を励ました。そうして、「今日は空間の神を尋ねるぞ」と立ち上がった。
時間と空間には密接な関係がある。時間の神の理論を理解した事で、次の授業へ進んだようだった。空間の神の理論は、あの閻魔薙様が習得した知識。同じ知識を学べるというのは光栄なことだ。
「────変な試験を受けさせられたりしないですよね?」
「馬鹿野郎、アイツはそんな阿呆じゃない……誰が阿呆だ!?」
時間の神は時間差でツッコミを入れた。
☆☆☆
空間の神の屋敷のある場所まで徒歩で移動してきたのだが、そこはただの更地だった。建物らしき物は何一つ見えず、あるのは木の板が一枚地面に突き刺さっているだけ。
木の板には、”御用の方は叩きください”とだけ記載されている。先生の代わりにコンコンと板を叩いてみる。すると、目の前の空間に縦一文字の亀裂が入り、中から腰まで伸びる長髪の着物姿の女性が現れた。
「────あら、また閻魔さんね。貴方も留学生?」
優しい口調でこちらに話しかけてくる女性こそ空間を司る神。時間の神と対を成す存在。しかし目の前の彼女から与えられる印象は、おっとりした普通の女性だ。神の威厳を感じられない。
「ついに引きこもったのか」
「失礼ね、空間の調整をしているのよ」
そう言いながら、こちらに分かりやすくするためか工具を見せてくる。空間の調整に工具が必要なのかは置いておいて、彼女は我々を空間の隙間へ誘導した。
一応、客人をもてなしてくれているようだった。
☆☆☆
空間の隙間の中は時間の神と同じような屋敷の構造をしていた。いつでも好きにこの空間へ接続できるのだから、確かに外に居を構える必要はないだろうと納得した。
「────この二点の空間座標を重ねることで空間移動は可能になるのよ」
彼女の講義はこれといって普通で、むしろ先生の指導と比較すると教鞭は丁寧だった。きっと今まで何人も指導してきたのだろう。その割には閻魔界で話を聞かない。今までの受講者は閻魔以外なのだろう。
「質問なのですが、時間の流れが異なる空間を生み出す事は可能でしょうか」
「うーん、強いて言えば虚無の空間かなぁ……でも生み出すのは難しいんじゃないかしら。この世界には様々な空間が存在するのよ。私がしているのは各空間が相互干渉するのを微調整しているだけで、生み出しているわけじゃないのよねぇ」
私の質問に空間の神は困惑しているようだった。特に空間を生み出すという部分に関しては管轄外だと言っていた。正直、意外だった。空間の神なのだから。
「この間も……同じ事を聞かれたけど、貴方の望む空間を探して入口を開くことくらいしか出来ないかなぁ」
────閻魔薙様の事だ。
「だから時希君は、空間ごとの時間差を暗記して座標計算する技術を学んだ方が良いわ」
「コイツは
煙草をふかしながら退屈そうに先生は言った。
「ふふ、珍しいわね。ここまで気にかける弟子なんて今までいたかしら?」
「ふんっ、別にいいだろ……俺もそろそろ次を考えてるんだよ、お前と同じようにな」
二人は楽しそうだった。お互いに後継者を見つけたと言っているようなものだ。そして私も嬉しかった。自身を必要とする者がいる安心感に心が救われたのだ。
☆☆☆
ある日、いつもの様に神の邸宅にて座標計算の練習問題を解いていると、襖を勢いよく開けて先生が入ってきた。神は、「勉強ばかりではつまらんだろう」と、実生活で役立つ技術を教えると言い、私の袖を引いて庭先へと出た。
「先生……その技術とはなんですか?」
「うむ、そうだな……お前の身の安全を担保する術とでも言おうか」
先生は達筆で書かれた和紙をビシッと伸ばしてこちらに見せてきた。そこには、”術式遡行”と大きく書かれている。
「せっかくだからワシも名付けてみようと思ってな……端的に言えば、術を消す術だ」
「術を消す術?」
「そうだ、最大の防御とは、相手に攻撃手段を持たせないことだ」
私は脳裏で琰器の火炎放射や水月の水鉄砲を思い出す。それらの害をなす術を無効化……というより遡行する技術らしい。
「────ですが、今の私ではそのまでの時間遡行は無理です」
「いや、意識の時間遡行が出来れば何も問題ない」
時間の神は溜息を一つすると、説明を始めた。
「術の発動前まで意識を戻すだけで良いのだ」
術の発動行程は、魂が各法則に基づいて
「意識を発動前まで戻すとは、
「その隙に攻撃したり逃げたりすれば良いんですね!」
「うむ……まぁなんだ、裁判で罪人が暴れた時にでも使ってみろ」
罪人が暴れる事は多々あるのを先生も周知している様子だった。だが、私は生まれてから今まで裁判を担当した事がない。果たして、この技術が役に立つ日は来るのだろうか。
そんな私の疑問を他所に、先生は楽しそうに笑っていた。
☆☆☆
さらに数年後、意識の時間移動を習得していた私は、空間の神の技術を織り交ぜて、物質、精神問わずに時間遡行させる技術を習得した。対象の時間座標を亜空間に一度移動させ、任意の時間座標まで移動させてから実空間に戻すというものだった。
この術の完成をもって、今回の留学期間は一旦終了ということとなり、閻魔王へ報告するため閻魔界へ帰省する道中、神の国の国境で一人の女性とすれ違った。桃色の髪をした道服の少女。彼女は私に気が付くと軽く会釈した。
この女性を何度か見かけた事があった。時間の神の屋敷を訪れた時と空間の神を訪れた時だ。彼女はそれぞれの神と何かを話していた。しかし彼女に対して時間の神は良い印象を持ち合わせていなかったのを覚えている。実際、彼女は何度も時間の神から門前払いをくらっていた。
「時間の神の弟子になれたのね、閻魔時希」
すれ違いざまに話しかけられた。
「是非、時間の概念についてご教示願いたいわ」
「────失礼ですが、貴方は?」
桃色の髪の少女は口元を隠しながらもゆっくりと、それでいてはっきりとした声色で名乗りを上げた。
「閻魔王の!?」
閻魔王に娘────それが何を意味しているのか分からない。だがそんな話は聞いたことがなかった。閻魔界で噂すら聞いたことがない。
「そりゃあ、閻魔王の後継者が既に決まっていたら、皆さん嫌がるでしょう? 誰だって閻魔王になりたがっているのに、仕込みだなんて公平じゃないですもの」
だからこの情報は秘匿されていると暦は言った。じゃあなんで、私にその秘密を簡単に話したのか、聞かずにはいられなかった。
「貴方も、閻魔王の後継者候補だったと────今は時間の神の後継者とも伺っているわ、閻魔時希。だからこそ、私は貴方にこの秘密を話した」
暦は語る。時折、閻魔界に中立性を持たない閻魔が生まれると。それは、閻魔王の卵なのだ。他の閻魔と異なる、王になるための候補生。それが不完全な閻魔と呼ばれる者の正体。
だが時希の生まれた時期は悪かった。閻魔王は既に暦を次期閻魔王として決めてしまっていたのだから。
────”中立性のある閻魔では自分の答えを持つことはできない、だから無効としたまでだ! お前は閻魔としては不完全と自負したが、自我を持つ事が出来る証明でもある! それは閻魔王や神の後継者として資質があるということだ”
初めて時間の神に会った時、神はそう述べた。あれは、この事を言っていたのか。
「お互い後継者として仲良くしましょう……お互いの力を合わせなければ、”空の座礁”は防げない」
「空の……座礁? なんですかそれは?」
暦と名乗る少女の口からは聞き馴染みのない単語ばかり出てくる。空の座礁なんて知らない。神すらその様な単語を口にしていた事はなかった。
困惑する私を他所に、ゆっくりと暦は語り始めた。
☆☆☆
空の座礁────それは暦が生み出した造語である。
空は
沈まぬ太陽────我ら閻魔にとって絶対不可侵の領域。それこそが全ての魂の還るべき故郷────世界記憶なのだと暦は述べた。
世界記憶の情報は、魂へと形を変えて現世へ流れ続けている。いずれは世界記憶を維持する情報すらも魂へと変換され、この世界の規範たる世界記憶は消滅する。
本来、世界記憶は現世の情報を収集する目的で、自身の情報を魂へと変換していた。しかし、現世の魂が自我を持ったことで状況は一変した。魂達は世界記憶への帰還を拒否した。その意思は現世で共通思念となり、世界記憶へと情報を追加してしまう。
魂の情報のみを世界記憶に譲渡し、魂自体は現世へ戻す組織が追加された。それこそが輪廻転生の機構であり、情報を分離する存在────即ち閻魔や神が誕生することになったという。
問題は、現世で生命が誕生する度に世界記憶の情報が流出する事。魂自体が世界記憶に還らないせいで情報は目減りする一方。いずれは世界記憶の情報全てが現世へ流出し、世界を維持することすら不可能になってしまう。
「────この世界から規範が失われれば、世界は自壊する……私はそれを阻止しなければならない」
「どうやって?」
「私は今、解決方法を模索し、そして見定めている……貴方にもそれを手伝ってほしい」
暦の言葉に、私の胸の奥で何かが熱く鼓動するのを感じた。
「私にも……ですか? そんなに大事なら、閻魔王や神々に────」
「この事実を知れば、誰だって混乱するわ……現に貴方、手が震えているわよ?」
暦に指摘され、自分の手を見ると、確かに小刻みに震えているのが見て取れた。
「た、確かに、そんな事は、起こるはずがない……そう思っています」
「もし疑うなら、魂の記憶を初期値まで遡ることね……今の貴方なら出来るわ」
暦はそう言って歩き出した。別れ際に、「答えは次に会った時にでも」とだけ言い残し、神の国へ続く道を歩いて行った。
☆☆☆
「素晴らしい! 時希、此度の留学でよくぞ時間の法則を身に着けた!」
閻魔界の宮殿にて、閻魔王は嬉しそうに私の報告書を読み、そして感嘆の表情を浮かべた。
「はぁ……正直言うとな、些か不安だったのだ。お主が……その……神の国でうまくやっていけるのか」
安心したのか、閻魔王の口から本音が漏れる。実力不足の者────それも一度も裁判を担当した事のない者を留学させるのは、異例中の異例だったのだと安堵の表情で閻魔王は語る。
「────じゃが、これで証明された! 時希、もうお主を悪く言う者はいないだろう! それだけの功績なのだ! これからも精進し、時間の法則から全能術を開花させるのを期待しておるぞ!」
閻魔王は小さな木箱を取り出すと、こちらに差し出した。
「ワシからの祝いだ、と言ってもワシが昔使っていたものだが」
木箱を開けると小さな鏡が入っていた。裏地が漆黒で四神が彫られた浄瑠璃協は閻魔王が現在の地位に着く前まで使用していた物らしい。
「この鏡は、八咫鏡という神器の一部で作られた特注品だ。今後、お前に降りかかる苦難を振り払う力となるだろう」
「感謝します……閻魔王」
深々と頭を下げ、宮殿を後にした。
閻魔王からの賛辞……当然嬉しいものだ。だが、私の心にはまるで靄がかかったように、その幸せを減少させていく声が広がっていた。
「魂の時間遡行……」
誰もいない廊下で思わず口にした言葉。閻魔王の娘を名乗る女性からの助言。
「そんな事をして……本当に良いのか?」
閻魔界の法に、魂の時間遡行へ規制をかける文言は存在しない。それを知りつつ、一度でも実行してしまえば取り返しのつかない事態に発展しそうな、何とも言えない嫌な予感がまとわりついていた。
それと同じくらいに、事象の先に何があるのかを知りたいという探求心があるのもまた事実だった。
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