第27話〜集合意識

「────お嬢ちゃん……あそこは廃村だぞ?」


 鬱蒼と茂る森林の中。目を凝らさないと砂利道と分からない道路を白い軽トラックは走っていた。道の先は、かつて”絹峰村”と呼ばれ、十年前に廃村になった場所へと繋がっている。


 木々の間を抜けると森の中に開けた空間があった。そこに停車した軽トラックの運転席側の窓が開き、頭にタオルを巻いた老人が荷台に声を掛けたのだ。


 軽トラックの荷台には、桐で出来た箱と、箱に繋がる縄を持った少女がいた。その箱は、まるで棺のようだった。彼女の名はカレン。首からかけたヘッドホンからはヒップホップが流れ、森の中には似つかわしくない、ピンクの髪色をした派手な少女だった。


「ここまで乗せといてアレだが、ホントにここで合っているのか?」


 老人は、頭をかきながら奇妙なものでも見るように、サイドミラー越しにカレンを見ていた。


「えぇ、合っていますよ!」


「いや、しかし────」


「理由は聞かない約束でしょ? おじいさん?」


 老人は、困惑した表情を浮かべ、今度は道の先を凝視する。彼がカレンを乗せたのは、彼の畑付近で箱を引きずる彼女への親切心から来るものだった。


 歯を食いしばり、汗を流しながら重そうに箱をどこかへ運んでいるカレンを見て、老人は居た堪れなくなったのだ。しかし、彼女の言う通りに進めば進むほど、人気のない山奥へと向かっていく。


 最初は怖かった。幽霊なんじゃないかとも思った。似たような怪談を、聞いたことがあった気がしたからかもしれない。それでも、オーバーサイズのパーカーの袖を振って道案内する彼女を見ていると、疑っていたのが申し訳なくなった。


 だが、いざ目的地に着いてみれば、そこは廃村。


 もう誰も住んではおらず、人の手もほとんど入っていない場所。


 既に時刻は夕方に差し掛かっている。これから一体、彼女はここで何をするつもりなのか。そんな疑問を抱くのは、至極当然のことだった。


「何かの手違いじゃないのか? お嬢ちゃ────」


 声が止まった。頭には言葉が浮かんでいる。それが、喉につっかえて出てこない。老人の視線がサイドミラーに再び戻った時、彼女の姿は消えていた。


 あの、桐の箱も無くなっている。アレだけ重そうに運んでいたのに、今の一瞬で、どこに消えたと言うんだ。


 腰の辺りがヒヤリとした。悪寒が、腰から全身に駆け抜け、一斉に鳥肌が立つ。


 早く、ここから帰らなければと、ギアをいじり、老人は来た道を出せる限りの速度で帰っていった。


 ☆☆☆


 廃村へ続く道を、箱を引きずり歩くカレン。後方から聞こえるエンジン音から、老人が去ったのを察知する。


「────もう出てきて大丈夫よ? おしら様!」


 パーカーの中から、一匹の蚕蛾が飛び出した。パタパタと必死に羽を羽ばたかせ、カレンの頭部付近でクルクルと旋回している。雪のように白く、柔らかそうな体毛が、ポフッとカレンの頬に触れた。


「懐いてくれてありがと! もうすぐ貴女の故郷よ」


 一人と一匹は、道を進み続ける。朽ちたバス停が見えた。かつては、この道はバスが通れるほど舗装されていたということだろうか。足の感覚からコンクリートだと分かるものの、表面を覆う雑草の数々が道を隠していた。


 バスが廃線になったのはだいぶ前だ。それこそ数十年は経っているだろう。


 朽ちたバス停を一撫ですると、老朽化していたためか、根本から折れてしまった。おしら様が驚いたようにカレンの肩に止まる。


 折れたバス停を置き去りに、村へと侵入する。流れる小川はそのままだが、かつて栄えた旅館は全体に蔦が絡まっていた。村の役場も入り口に蔓が巻き付いている。


「かつては移住者を募ってたくらいなのに、こうなると悲しいわね」


 足元に倒れた看板に目をやると、「養蚕の村」と掠れた文字が読み取れた。


「養蚕ねぇ……村民が養蚕を捨てたから、おしら様は余計に繋がりに固執するようになったってのに……勝手なものよね」


 肩に止まったおしら様を指先で撫でると、役場の奥を目指して歩き続ける。


 そこには、村の集会所があったはずだった。しかし、あるのは、崩れた瓦礫の山々。集会所の一部は現存しているものの、半壊状態だ。


 ここは、十年前にハヤトと村長の交渉が決裂した跡地。


 カレンの目は憂いていた。ハヤトの実験に対し異議を唱えた村長を、村の有権者達の前で無惨にも惨殺したのが、この場所なのだ。倒壊した瓦礫の山は、ハヤトの指示で暴れた鵺によるもの。


「今の彼女に見せたら、どんな顔をするのかしら」


 そう言って、カレンはおしら様を放った。


 この場所には、先代おしら様が残した村民との糸がある。糸が見えるのは、おしら様と繋がった人間か、おしら様自身のみ。


「ハヤトが残した集合意識への入口……それがこの村の糸……つまり」


 この村でおしら様と繋がった魂達は、今も村のどこかに幽閉され続けていることになる。


「探し当ててね、おしら様?」


 ☆☆☆


 カレンは廃村の散策を続けた。箱を引きずる音だけが周囲に響いていた。おしら様が糸を探し当てるのには時間がかかるだろう。そう思った彼女は、もう一つの用事を済ませることにしたのだ。


 それは、彼女が引きずる桐の箱に関係があった。直方体の箱は棺だ。神の器に選ばれた人間の遺体が入っている。


 一軒の民家の前で足を止めた。木造の平屋。六十坪ほどの広い一軒家。表札の文字は、表面に生えた苔のせいで見ることができない。


「ここが良さそうね」


 カレンが玄関に手をかけた時、「すみません」と、背後から声をかけられた。若い男性の声だった。振り返ると、作業着姿のメガネの青年が怯えながらも声をかけてきていた。


「ここの土地は、市の管轄になっています。申し訳ありませんが、ご退去願います」


 近隣の市の役人だろうと推測した。誰かがカレンの事を通報でもしたのだろうか。そうなると、軽トラの老人くらいしか思いつかないけど。


「あら、それはごめんなさい……すぐ出ていくわ」


 扉にかけた手を引っ込めて、役人に分かるよう手を振って見せる。


「身分証とかは大丈夫?」


「えぇ、警察じゃないですからね。ここの村は倒壊の危険もあるので、よくパトロールしているんです」


 青年の発言で、軽トラの老人の疑いが晴れた。


「パトロールって、貴方お一人で?」


「えぇ……」


「徒歩で来られたんですか?」


「いえ、車でですが?」


 青年の言葉が頭に引っかかった。おかしい。これだけ静かな山中で、エンジン音が聞こえないなんてありえない。


 一歩、青年から下がった。青年は、「村の出口までご案内しますよ」と、手を伸ばしている。その目は、虚を捉えていた。少なくとも、カレンを見ていない。


「本当に、役所の方なの?」


 カレンに向けられた青年の手が、ピクッと動いた。


 五本の糸が、それぞれの指からカレンに伸び、彼女を拘束した。


「ここは神聖な土地なんです。貴女・・が居ていい場所じゃないんです」


 紛れもなく、おしら様の糸の力だった。両手、両足、そして首に巻きついた糸の食い込む力は、まるで金属のようだった。


 青年の姿は、作業着からはかま姿に変化していた。彼の背後に何十人もの人間が姿を現す。脱力した群れの人々は、無表情で空中に浮いている。意識をおしら様と共有した影響で、個人の感情が消滅しているのだと、ハヤトが言っていたのを思い出した。


「────おしら様の力!?」


「僕は、彼女の帰りを待っているだけです。この力も、彼女から与えられた欠片に過ぎません。あんなもの・・・・・を村に連れ込んで……」


 糸の締め上げる力が増した。「この村から出ていけ」と、彼はしきりに繰り返す。


「さぁ、今なら、間に合いますよ。早く、蚕蛾を連れて村から出ると言いなさい」


 青年がこちらを睨みつける。


 それでも帰るつもりはなかった。まさか、集合意識の入口の方から出向いてくれるとは思っていなかったのだから。カレンは、身体の痛みに反比例するように笑い声を上げた。


「おしら様に貴方の欠片を与えたら完璧じゃない」


「貴女が連れてきた蚕蛾は、彼女じゃない! 偽物だッ!!! これは僕たちに対しての冒涜行為だッ!!!」


 激昂する青年から伸びる、カレンを拘束する糸が切れた。パラパラと地面へ垂れる糸を見て、青年は呆気にとられた。


 カレンはパーカーのポケットに手を入れて、弄ったかと思うと、重厚な黒に塗られた拳銃が手に握られていた。ピースメーカーと呼ばれるウエスタン御用達の拳銃。指先で回転する拳銃から伸びるマズルが糸を切ったのだ。


「流石は、人工聖遺物・・・・・


 財団が生み出した人為的な聖遺物が、カレンの握っている銃なのだ。


 英雄王の剣、指導者の杖、北欧神の槍、救世主の盃に続く五つめの聖遺物。


「財団長の銃……フレームには三種の神器の一部が、銃弾には三大妖怪の一部が使われているわ」


 カレンは撃鉄を起こすと、「もう残り四発しかないけど」と言いつつ、躊躇いなく彼を撃ち抜いた。乾いた音と共に、空中に鱗粉が舞った。


 ☆☆☆


 薄暗い民家の中で、カレンは桐の箱を開けた。中には、緩衝材と共に、男性の遺体が納められていた。遺体は、酷く乾いており、ミイラのようになっている。緩衝材は、遺体が壊れないように敷き詰められたのだろう。


 次に、白い印刷用紙を取り出し、そこに記号を描き始めた。それは、ニコラスが魂を取り出す時に出現する記号と同じものだった。ポケットから、小さなプラスチック容器を取り出す。中には赤い液体。容器の表面には、”ニコラス”とペンで記載されていた。


 容器を指で潰すと、先端が割れて、中の液体が用紙に数滴垂らされた。


 用紙と記号が淡く輝き始め、室内を明るく照らした。そこから純白の球体が出現する。情報量がゼロの魂。完全な器の状態の魂は、遺体の”頭部”、”胸部”、”腹部”、”左腕”、”右腕”、”左足”、”右足”の七箇所へそれぞれ導かれるように入っていく。


 最後の七つ目が入ったのを確認したカレンは、用紙を破り捨てた。記号が破壊されたことで、発光が止み、室内は再び薄暗くなった。


「────さて、とッ!」


 両手をパンッと鳴らしたカレンは、箱に蓋を戻すと、奥で横たわる袴姿の青年へ視線を移した。青年は顔を恐怖の色に染めながら、全身に流れる電流に苦しめられている。


「な、なぜだ!? 消すなら、一思いに────」


「殺すわけないでしょ? 集合意識の入口なのよ? 糸を紡ぐ情報コードと共に、繋がった住人達はいただくわよ」


 再び躊躇なく発砲するカレン。青年の絶叫が家中に響く。


「ただの空砲なのに、痛いでしょ? この銃専用の弾は、残り四発しかないの。貴方なんかに使うなんて、勿体無いじゃない」


 銃弾は放たれていない。それでも、ただの浮遊霊相手なら充分な威力なのだ。本来、青年の魂は、一発の空砲で消滅する。カレンは、あえて四肢を狙うことで、彼を現世へ留めているに過ぎない。


「この銃はね、元々、不死の怪異を消し去る目的で開発されたのよ」


 銃口から立ち上がる煙をフッと吹き飛ばすと、返事も出来なくなった青年へ蚕蛾を飛ばす。


「────ッ!!! ────ッ!!!!!」


「おしら様、彼から情報コードを紡いで」


 蚕蛾が青年の顔に糸を垂らすと、糸は額に突き刺さった。今度は、青年の額から蚕蛾に向けて糸が巻き取られていく。スルスルと、巻き取るようにして、純白の絹の糸が抜けていくと、青年の容姿が崩れていく。


 逆に、蚕蛾の姿が全裸の少女の姿へと変化していく。


 かつて、この村に住み着いていたとされる養蚕の神……”おしら様”本来の姿へと変わっていく。


 青年の記憶がそうさせるのか、皮肉にも、彼が最も愛した少女の姿をした別物に、彼の全てが奪われていく。


 糸がプツンと切れると、音もなく青年だった魂は霧散した。代わりに、幾何学模様の羽を広げた白髪に赤い瞳の少女が立っていた。


「────おかえり、おしら様」


「ただいま」


 中学生くらいの少女は、全身に糸を巻きつけ着物を作り上げると、右手の人差し指を軽く振った。指先から伸びる糸が、村人の魂を村の空中に浮かばせていく。


「本日をもって、絹峰村は、我々の占領地とします」


 カレンは、おしら様の頭を撫でた。その時、首からかけたヘッドホンの音楽が止まった。ハヤトからの連絡だった。


 ハヤトは大声でカレンの名を呼んでいた。


「はいはい、行きますよ……」


 気だるげにするカレンを、おしら様は純粋無垢な瞳で見つめていた。


「また戻ってくるから、待っててね」


 そう言って、カレンは両手をパンッと合わせて絹峰村から姿を消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る