第一章〜閻魔の欠片

第1話〜座礁

 僕の眼前に手が伸びる。その手は暦の手だ。歪んだ世界で必死に僕を掴もうと手を伸ばしている。


 彼女を掴もうと手を伸ばそうとした。でも動かない。僕の体は石にでもなってしまったのだろうか。


 こよみ……こよみ……こよみ……こよみ……


「……こよみ!!!」


 自分の大声で目が覚めた。視界にトラバーチン模様の天井が映った。


 身体の電流は消えていた。閻魔が死を意識するなんて馬鹿げていると、自身を鼻で笑った。


「目覚めたか。意外と元気そうだな?」


 白髪の男が近づいてくる。黒縁メガネに白い口髭を携え、ヨレヨレのワイシャツにスラックスをサスペンダーで止めている人間の男。


 年齢は……いくつだろう。五芒星の暗鬼に見た目が似ている。彼に近いなら千歳くらい? いやいや、人間がそんなに生きるわけない。とりあえず老紳士としておこうか。


「……何か言ったらどうだ? ここはどこだ! とか、アンタ誰だ! とか」


 老紳士は困惑しながら僕を見ている。


「あー……見た感じ、十五歳くらいか? こんな山の中で何をしていた?」


 痺れを切らし、老紳士側から質問してくる。


「正直……分かりません」


「名前は?」


「薙と言います」


 老紳士は、「珍しい名前だな」と一言述べると、「俺は風切かざきり……風切 宍道かざきり しんじだ」と、名を名乗った。


 この人もなかなか珍しい名前をしているのでは?


 ここは風切のキャンピングカーの中らしい。山を散策中に僕を発見し保護したとのこと。僕が現世へ座礁したのは間違いないらしい。壁掛けのカレンダーから今いる時代の西暦が分かった。


 僕の姿が現世の人間に近い格好になっているのは衣の影響だろうと推察。今のところ、痛みは感じない。


 それにしても歪んだ世界に取り残された暦が気になる。


「夜中に郊外の山中で子供が見つかったなんて、どう考えてもおかしいだろ?」


 老紳士は、「いじめられているのか?」とか、「ネグレクトってやつか?」とか色々言ってくる。おそらく心配してくれているのだろうが、僕は一刻も早く暦と合流したい気持ちがあり焦っていた。


 こうなったら虚空を使って移動しよう。うん、それしかない。


「まぁ、今日は遅い。飯でも食って寝ろ。明日の朝、街に送ってやるからよ」


 老紳士の言葉を遮るように、パンッ! と手を打ち鳴らす破裂音が響き渡った。あっけに取られる老紳士。「早くないか? まだ飯も出してないぞ?」と困惑していた。


 それもそのはず。薙の体は移動していない。虚空が発動しない。


「えっ……どうして?」


 顔から血の気が引くのを感じる。まさか、衣を着ている影響か? そんな僕の目の前にトレーに乗ったホットサンドとコーヒーが出てくる。


「こんなものしかないが、とりあえず食え」


「……ありがとうございます」


 正直、肉体を持っていない僕が、衣を着ただけで人間と同じ食事を取れるのか不明だが、ここまでしていただいて食べないのは失礼。というより、風切には僕は人間として映っているのか。


 ……というか、風切こそ山の中で何をしているんだ。


「あの……」


 薙はこの疑問を正直に聞いた。風切は溜息を吐くと話し始める。


 “山中の悪霊を退治しに来た”……と。


 人間の魂から聞いたことがある。現世で暴れる妖を退治する霊能者集団がいることを。ただ、今の時間軸から数百年は昔の話だったはずだ。


「貴方、霊媒師の方だったんですね」


「あぁ。と言ってもアマチュアみたいなもんだよ。それに……」


 風切は何かを言いかけたが、口をつぐんだ。彼の顔は窓の外に向く。


「どうしたんですか?」


「しっ! 何か聞こえないか?」


 風切はゆっくりと窓に近づく。薙が耳を澄ますと、何かの重い足音が聞こえた気がした。一歩進むごとにズシンと大地が揺れているようにも感じ取れる。


 ☆☆☆


「ここはもともと、キャンプ場だったんだが……」


 黒いリュックをガサガサ漁りながら風切は話し始める。かつて大勢のキャンパーが訪れる有名な山だったこの場所で、五年前から怪奇現象が起こり始めた。


 だが理由が分からない。このキャンプ場で大きな事故は起きたことがない。それに元々、墓場だったとか、廃病院だったとか曰く付きの土地でもない。


 一つ言えるのは、五年前から現れはじめた空を血色に染める赤い満月。決まって満月の日だけ、月が赤く変色する超自然現象が何か関わっているのではないかと結論付けた霊能者仲間が、この地を訪れ行方不明になった。


「それでキャンプ場は廃業……俺たちの組織も人員を送るも結果は変わらずってわけだ」


「風切さんも、その組織とやらの指示で?」


「俺は違う! 俺は……!?」


 キャンピングカーが激しく揺れた。コーヒーカップが床に叩きつけられる。僕もベットから飛び出し身を構える。


「君はこれを持ってここにいろ」


 風切が御札の束を取り出すと僕に手渡した。「入口と壁一面に貼ってくれ!」そう言い残して懐中電灯とリュックを持った風切は外へ出ていった。


「外には何がいる? 風切さんは大丈夫か?」


 壁にペタペタと札を貼ると、風切さんが向かった方角の札に赤い幾何学模様が浮かんだ。何かに反応していると予想するまで時間は掛からなかった。


 あらかた貼り終えると、僕も外に出た。虫の鳴き声と熱気が鬱陶うっとうしい。


「風切さんはどこに行ったんだ……」


 嫌な予感がする。頭を上げると、先ほど話題に上がっていた赤い月が顔を覗かせている。赤い月の影響で周囲の木々が怪しく黒に染色されている。きっと普段は普通の山々の一部なのだろうが、今はあまりに異質な空間に変わってしまっている。


 月明かりしかない山中を進んでいく。手に持っている御札がレーダーの役割を果たし、方角だけを教えてくれる。


 数十分は歩いただろうか。次第にあの重低音が聞こえてくる。同時に風切の絶叫がこの場に響いた。


「風切さん!?」


 僕は声のする方角へ一直線に走り出した。音のする地点に到達した時、僕の目に映ったのは、黒い球体から無数の手が伸びた異形の存在だった。


 異形の手の一本は、風切を地面に押さえつけていた。力強さが風切の吐血から伝わってくる。内臓をやられているのだろう。


「なぜ、霊体が肉体に干渉を……?」


 魂だけの状態で物質に触れることは不可能と聞かされていた。あれは、嘘だったのか? そして目の前の異形は一体?


「……あぁ? また一人やってきたのか」


 腹まで響き渡る重低音の声。異形が薙を発見したのだ。風切が「待ってろって……言ったのに」と顔を歪ませながら薙を見た。異形の球体の中心に、人の顔と思われる部分があり、その顔がニタニタと笑っていた。


「お前も霊能者かぁ? 逃げるなら今のうちだぞ」


 異形はそう言って、顔を背けた。球体から生える無数の手が掴んでいるモノの方が風切や薙より興味があるのだろう。別の手が握っていたのは人間の魂だと、一目で判断した。


 人間の魂は、かろうじて生前の姿を維持しているものの、衣が脱げかけていた。異形の別の手が脱げかけの衣に伸びる。


「や、やめてくれ! 助けてくれ!」


 生前の姿は四十代の男。魂といえど大の大人が恐怖で泣き叫んでいる。異形の手が、衣を掴み取った。


「さぁ、そろそろ結果を出せ」


 衣の引き剥がされる音が響く。ベリベリと不快な音だ。過去、閻魔界で幾度となく聞いた音ではあるが、心地の良いものではない。思わず目を背けてしまう。


 衣を剥奪された人間の魂は叫び続けている。異形はニタニタと見つめながら、他の手で浮遊霊を同じように捕獲する。


 衣を剥がされた彼の全身に青白い電流が発生し始める。それを待っていたかのように異形は高笑いした。


「恨め! 現世に留まる理由を! 執念を思い出せ!」


「ぎゃあああああああああ!!!!!」


 彼の叫びが周囲に木霊する。自分も味わった激痛を思い出し、僕は顔を歪ませた。


 電流が強くなる。時間にして三分程度だろうか。彼の叫びが、次第に小さくなり、やがて魂ごと粒子に分解されてしまった。


 肉体のない魂は、現世で数分と保たない事実に、自分の足から力が抜ける感覚を覚える。無慈悲な現象に怖気付いた。


 異形の手が、薙の足を掴んだ。


「は、離せ!?」


「なんで、同じにならない? なんで」


 異形の耳に薙の言葉は届いていない。まるで結果が出ず焦る研究者のように、ひたすら手順を呟いている。


「……ん? お前、本当に人間か?」


 異形が薙に手をかけた時、違和感を覚えたのだろう。肉体を掴む感触ではない。むしろ霊体を掴んでいるに等しい。


「お前、俺と同じ”悪霊”か?」


「何をワケの分からない事を!?」


 首を傾げる異形は薙を仲間と認識したのか、掴んだまま放置し、代わりに地面に抑えつける風切を潰しにかかった。風切の断末魔が響く。


 僕は「やめろ!」と叫んだ。その声はまたしても届かない。必死に両手を打ち鳴らし、虚空を発動させようとするもむなしく破裂音が鳴るだけである。


 もし、衣が身を守る代わりに閻魔の力を抑制しているのならば、僕は再び賭けをする必要がある。


 薙の目に吐血する風切が映った。もはや、迷っている時間は無いに等しいと悟った薙は、異形に掴まれた状態で衣を自ら脱いだ。


 ☆☆☆


「……!? 貴様、何をした!!」


 異形が先ほどまで掴んでいた少年は消えていた。ただ無を握りしめた手の上には、冠と道服を纏った少年の姿があった。風切も、薙の変化に驚き、目を丸くして釘付けになっている。


「その人を離してください」


「お前!? 何者だ!!!」


「……これより、簡易裁判を開始する」


 薙は風切の元へ跳んだ。空中の薙を無数の手が狙う。薙は器用に空中で身を捻り、攻撃を避けると風切を掴み、両手を合わせた。


 少し離れた地点に移動し、風切を地面に寝かせると再び異形の元へ虚空で移動する。異形は周囲を見回し薙を探している最中だった。

 

 袖から鬼籍を取り出し右手で開いた。真っ白な紙の上に、黒い墨が浮かび上がり文字を形成する。この文字は異形の者の名前。次ページに赤い墨が浮かび文字を記す。これは罪状だ。自動でページが捲れ、文字が浮かび続ける。


「……どれだけの罪を重ねたんだ」


 この異形の者は、何十人もの魂を消滅させている。自動書記が完了した時、最後に書かれていた罪状は、”自殺”だった。鬼籍には新しい罪から記載される。だからこれが彼の最初の罪。


「……元々、人間だったんだろう?」


 薙は鬼籍を閉じると、鏡を取り出し異形へ向けた。鏡に映ったのは、異形の者ではなく一人の人間。”魂の元ある姿”を映し出すのが浄瑠璃鏡の力。


「思い出してください!」


「うるッ……せぇんだよおおおおおおお!!!」


 異形の無数の手がこちらに向かってくる。駄目だ、聞く耳をもってくれない。


「俺が元々人間だからなんなんだ!? もう覚えちゃいねぇよ!」


 無数の手を避けると薙の後の木々が轟音と共に倒れた。当たったら人たまりもない攻撃が上下左右から襲ってくる。異形の手に対し、薙は再び両手を合わせた。


 虚空は、空間の二点を繋ぐ術。


 距離を取りつつ、攻撃が止むのを待つしかない。


「これ以上、罪を重ねるな!」


 浄瑠璃鏡を向けながら異形へと警告する。鏡の中の彼は、寂しそうに俯き続けている。これが彼の本心だ。本心を思い出せば、成仏してくれるのではないか。そんな淡い希望に賭けた。


 本来なら、”金剛鈴こんごうれい”で罪人を感知し、鬼籍と浄瑠璃鏡で罪を宣告した後に”天秤”で罪の重さを量り、”不動明王の剣”で罪を洗い流すのだが、あいにく持ち合わせがない。


「……あぁ、そうだったなぁ」


 異形は手を止めら鏡の中の自分を見て呟いた。


「いつも死にたいと思って生きてたのを思い出したよ」


 "誰にも必要とされず、誰にも相手にされず、どれだけ頑張っても手柄を認めてもらえない。俺は研究者だったんだ。技術の発展の一助となる発見をしたかった。それなのに、研究成果は奪われるわ、会社はクビになるわ、どうして……"


 ☆☆☆


 薙の足元から無数の手の束が突如、地面を割って飛び出し、鏡ごと薙を上空に弾き飛ばした。完全に虚を突かれた薙は、何が起きたか理解できていない。


「どうして? 俺が死ななきゃいけないなんておかしいよなぁ? 自殺する前に道連れにすればよかったよ!!!」


 異形の動きが再び活発になった。過去を思い出させた影響で負の感情が爆発的に増えたのか? これは誤算だ……


 空中で一回転した薙にまたしても手が迫る。鏡を見ると鏡内部が発光している。その光は次第に強くなっている。嫌な予感がし、咄嗟に異形の方へ鏡を向けた。


 掌におさまるほどの円鏡から、異形に向けて衝撃波が放たれた。威力は、先ほど鏡が受けた衝撃と同等だと、その反動から薙は察した。衝撃波が異形の頭部を貫くと、その巨体はバランスを崩し、地面に倒れ込んだ。


「……えっ? そんな馬鹿な……」


 僕は、ここまでするつもりはなかった。


 それに浄瑠璃鏡に、こんな攻撃を弾き返すような力は備わっていない! この借り物の鏡は一体……


 唖然とする僕の前で異形の体は粒子に変わっていく。閻魔界に昇天出来なかった魂は、分解され、現世の自然に取り込まれるとでもいうのか。


 そしてこの事象は、他人事では無い。


「……!?」


 薙の体を青白い電流が覆い始めた。痛みに耐えながら、衣を纏うと、少年の姿に変わり激痛から解放された。


「おい! 小僧! どうなってやがる! なんだこの状況!?」


 落ち着いた風切が足を引き摺りながら薙に近づいてくる。風切も重傷だ。早く彼を病院に連れて行かないと……


 ☆☆☆


 二週間後、僕は地方都市の繁華街にいた。金と橙の突飛な模様のクロスをかけたテーブルの上に鬼籍を置き、首には鏡を掛け、頭から紫のレースを垂らした僕に前には女子高生の列が展開されていた。


「貴方は、小学生の頃に、友達の鞄を盗んだ事を未だに悔やんでいますね?」


「えっ!? なんで分かるんですか!?」


 僕は、わざとらしく手を動かし、彼女から何かを読み取る素振りを見せる。実際は鏡に映る彼女の過去を見ているわけだが……


「お亡くなりになられたお婆さまは、全く気にしていませんよ?」


 次に鬼籍で彼女の祖母を検索し、彼女が原因で亡くなったわけではないことを証明する。


 そう、僕は占い師に化けている。


 いや、化けているというより、占い師として生計を立てている。理由はたった一つ。風切の入院費を稼ぐためだ。彼は独り身な上に、貯金もなく、唯一の肉親である兄を数年前に亡くしていた。


 あの異形の討伐は、彼が兄の所属していた連盟から報酬をもらうために受けた依頼だったことが、後に彼の口から語られたのである。自身は霊媒師でもなく、ただ霊が見えるだけの一般人だったというわけだ。


 彼の傷は全治一ヶ月。それまでの入院費をどうするか話し合った結果、彼のキャンピングカーに居候させてもらう事、そして彼が暦の捜索を手伝う事の二つを条件に、入院費を立て替えることになった。なんでも、人探しのプロを知っているとか。


 流石に僕が閻魔……あの世の裁判官だと分かった今なら、彼は嘘をつく事はないだろう。ただ、もし嘘だったら……


「裁くしかないですね……」


「さ、裁く!? 私を!?」


 思わず心の声が漏れてしまったようで、目の前の女子高生が慌てふためいている。僕はなんとか誤魔化し、そろそろ店じまいと商売道具を片付け裏路地に逃げ込んだ。


「そんなー!?」


「一時間も並んだのに!?」


「明日は何時からですか?」


 こんな声が後ろから聞こえてくる。そりゃ、鬼籍と浄瑠璃鏡があれば相手の心情を読み取る事は容易いので、自分で言うのは何だが、占い師として人気になるのは必然だと思う。実際、結構な額は稼いでいるわけだし。


 先に道具を出してから衣を纏えば、虚空は使えなくても道具は使えるというのも分かったので、完全な無駄足ではない。


 ただ、特に規定はなかったと思うが、閻魔の道具を使って商売をしていると閻魔王が知ったら、僕はどうなってしまうのだろうか。


 僕はレンタルルームで着替え、その足で病院へと向かった。風切の協力もあり、もう人間との生活にも慣れたものだ。色々とこちらの世界の事情を教えてくれた部分に関しては感謝する。


 風切の入院する病棟までエレベータで移動し、引き戸をくぐると、風切は呑気にテレビを見ていた。


「……おっ! 今日はどうだった?」


 こちらを見る顔は守銭奴だ。初めて会った時に紳士に見えた自分が情けない。彼は僕の稼いだお金を見ると、「まぁ退院の日までは持ちそうだな」と言い、再びテレビに向き直った。


「あの、お金の心配がなくなったなら、人探しのプロを紹介していただけませんか?」


「ん? あぁ、その前に……」


 風切は長方形の装置を取り出した。確かスマートフォンと言った長方形は、人間同士が連絡を取り合うための物。画面に緑の吹き出しが表示されている。


 “大海原を航海する客船で行方不明者が発生。至急、現場を確認せよ”


「……なんですかコレ?」


「兄貴の所属してた連盟の掲示板」


「なぜそんなものを……」


 そう言う僕に対し、風切は、「兄貴の代わりになりたかった」と漏らした。


「兄貴は優秀な霊能者だった……連盟でも幹部の一人だったしな」


 それなのに、簡単に死んでしまった。風切は兄の死を受け入れられず、そのショックで霊が見えるようになった。なぜ優秀な兄が死に、凡人の俺が生きているのか。ずっと引っ掛かっていると彼は語る。


「だから……兄貴ほどの仕事は出来なくても、何か役に立ちたいんだ」


 うつむく風切を見て、なんと声をかけて良いか悩んだ。「身の程を知ったらどうです?」とか、「才能が無いことで頑張るより、得意分野で活躍した方が良いですよ」とか、妙に最近、棘のある思考が発生する。これも衣の影響なのか。


「なぁ、俺の代わりに調査してくれないか?」


「なんで僕が!? これ掲示板なんでしょ!? 他の人が行くんじゃないんですか?」


 風切はスマホの画面を無言でスクロールし、僕に見せる。


 “お経を読むのが忙しいので今回はごめんなさい”


 “祓い屋にでも頼め”


 “会長がいない連盟に従う義理はない”


「……なかなか、忘恩の徒・・・・な方々ばかりで」


 僕の言葉に、風切は「これが連盟の現状だ」と悲しそうに呟いた。兄が所属し、誇りを持って存続させ続けた組織の成れの果ては、あまりにも無慈悲なものに成り下がってしまったようである。


「会長に続き、三人の幹部のうち二人は死亡、残りの一人は弟子を殺されている」


 そんな状況では、誰も怖がって危険な橋を渡りたがらない。


「だから俺だけでも仕事しようとしたんだが、実力が伴ってなくてな」


 風切は一応自覚があるようだ。でも無所属じゃなかったっけ?


「頼むよ閻魔様! 腐った連盟の目を覚まさせてもらえないか?」


「いや、僕は地上で活動時間が限られているし、何より先に暦を!?」


 食ってかかる僕の肩を包帯で巻かれた風切の右手が掴む。


「お前、この広い世界でどうやって女の子を探すんだ?」


 この男……この後に及んで脅してきやがった……


「風切さん……それ以上言うなら僕も貴方を裁かざるを得ないよ」


「俺も一緒に行くからさ!」


「アンタは残り二週間動けないでしょうが!」


 僕と風切の言い合いが病院内に響き渡った。


 ☆☆☆


 夜の港。生ぬるい潮風が身体にまとわりつき、不快さを増していく。結局、僕は渋々ながら現場検証に来ていた。


 港から真っ暗な海原を借りた双眼鏡で覗いてみる。僕の目は、人間の言う”霊視”が常時発動しているようなものなので、幽霊や妖怪がいれば目視できるのだが、特にこれといって何かが動くのは確認出来ない。


「何をしているんですか?」


「うわっ!?」


 突如、隣から話しかけられた。双眼鏡を外すと、制服姿の少女が髪を靡かせて立っている。高校生というものだろう。それにしても……


「子供がこんな時間に外出してると危ないんじゃ?」


「それはこっちのセリフよ!? あなた中学生じゃないの!?」


 僕と少女はわちゃわちゃと騒ぎ立てた。彼女もまた、連盟の関係者らしい。


「私は、森之宮 燐瞳もりのみや りんどう森之宮 周芳もりのみや すわの娘よ? 貴方は?」


 森之宮ってどちら様状態なんですが……僕は一応、風切さんの名前を出してみる。


「風切!? 風切 洞爺かざきり とうやさんのお知り合い!?」


 違います。宍道しんじさんの方です。


宍道しんじって誰?」


 風切さん!? やっぱり未所属じゃないか! いや、洞爺さんってのがお兄さんなのかな……


「掲示板を見て来たんですけど……」


 弱気に言ってしまった。恥ずかしながら早くこの場を去りたい。


「そんなバイトの応募みたいに言わなくても……」


 分からない例えを出さないで!?


「じゃあ掲示板を見たってことは、海原の怪異を確認しに来たのよね?」


 彼女が僕の肩を掴んだ。仮で信用するとも言った。そんな食い気味にならなくても。


「えぇ、でも海面には何もいません……もっと沖の方なのかも」


「私は船の関係会社に連絡したけど、遊覧ルートは変わってないし、最近はその海域で事故も自殺もないし、今までこんな事はなかったって言ってたわよ」


 意外と若い娘も仕事熱心なんだなぁと感心する。風切さん、連盟にも熱意のある人材が残っているみたいです。


「じゃあ原因は、当時の乗務員か客人ですか?」


「どうだろ、でも内部からって考えも必要かもね」


 燐瞳は、明日、別の会社の船が現場近郊を巡回すると教えてくれた。よくこのタイミングで出港停止にならないな。


「そりゃウチにくる依頼なんて、警察だって手こずる案件ですもの。救助用に小型船を二艘ほどつけるらしいわ」


 あぁ、そうですか。


「にしても、若者二人しかやる気が無いってのはどうなのかしらね」


「その、お父様は?」


「お父さんは御札作りで祈祷が終わらないのよ」


 だから偵察は娘にやらせているのか。


「そっちこそ、洞爺さんの弟さんは?」


「全治一ヶ月の怪我で入院中です……」


 全てを説明する。もうこれを説明するのが恥ずかしい。


「あぁ〜やる気はあるけど実力が伴ってない感じね」


 なんとストレートな表現。僕は苦笑いしか出来なかった。


 とりあえず、明日の巡回船が出る時間を教えてもらい、今日は解散となった。帰りの道中、危ないからと僕を送る燐瞳は、色々と教えてくれた。


「洞爺さんはね、幽霊どころか自分が視たいものは何でも視る目を持ってたのよ」


 風切 宍道の兄は、相当優秀だったようだ。でもなんでそんな人が……


「でも、私が小学生の頃かな……」


 そう言って頭上で怪しく輝く赤い月を指差した。


「月に封じられた神の復活を企んだ集団がいてね……その一人”雪女”に殺されてしまったの……」


 月に封じられた神!?


 まさかと僕は月を眺める。もし、赤い月の現象が災厄の神の影響だとしたら、まだ奴は月にいるとでも言うのか。


「その、封じられていた神様ってのは……」


「私も小さかったからあまり覚えてないし、それに……お兄ちゃんもやられちゃったから」


 燐瞳の兄、森之宮 周芳の一番弟子は件の集団の代表と一騎討ちにて相討ちとなったらしい。血の繋がった兄妹では無いようだが、燐瞳は兄と呼んで慕っていたようだった。


「だから私が! 連盟の活気を取り戻すの! それがお兄ちゃんへの手向たむけ


 奇しくも、風切と燐瞳は同じ志を持っているようだ。


「じゃあ朝の八時にさっきの港で!」


 僕は近くの道の駅に停車中のキャンピングカーに乗り込んだ。後ろから、「そういえば名前!!!」と大声が聞こえてくる。


「ナギです、草薙の薙って書きます!」


「え、薙!?」


 明らかに彼女の表情が変わった。


「おやすみなさい!」


 無理やり会話を終了させた。彼女を見送るため、一時的に閻魔の姿になる。虚空を利用して彼女を偵察。途中で父親と思われる男性の車で神社に帰っていったのでもう良いだろう。キャンピングカーに戻り人間の姿に戻る。


「さて、もしさっきの話の神が災厄の神ならば……」


 僕は一応、神と同じ時間軸に存在していることになる。一つの手がかりだ。調査を進めていかなければならない。


 後は暦。君と早く合流したい。


 キャンピングカーの窓から夜空を見上げた。怪しく輝く赤い月と、僕は目が合った気がした。

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