第36話~神を騙せ
峠を走るキャンピングカーの車内で、アメリアからの伝言を鏡ごしに受け取った薙は、しばらく硬直してしまっていた。それは、あまりに無謀な提案だった。なぜ、アメリアはこんな事を自分に伝えたのか、その真意を知るのは数秒後のことである。
「シヅキ、俺の合図で空間移動しろ! 移動先は桜の所だ!」
アメリアが唐突に叫んだ。彼には、このキャンピングカーに近づいてくる謎の生命力が分かっていた。尋常ではない速度で近づくそれは、まぎれもなくあの神と同じ生気を纏っている何か。
だからこそ、閻魔薙へ覚悟を持って伝えたのだ。
────二人で迎撃する計画を
アメリアはカウントダウンを始める。車内に緊張が走る。運転手の風切も額に汗を浮かべながらブレーキのタイミングを図っている。
薙は走行中にエントランスを開けた。風切り音と暗闇だけがそこにはあった。アメリアの予測が間違っているのではないかと思ってしまうほど、そこには何もなかった。
「────今だッ!!!」
アメリアはエントランスに走る。待機していた薙と共に外へ飛び出す。全員が唖然とする中で、シヅキがキャンピングカーの床を思い切り叩き、その音に合わせて風切がブレーキを踏み込んだ。
車外に飛ばされた薙と燐瞳の間で目が合った。彼女の目は「行かないで」と言っているように薙は感じてしまった。別れを惜しむ子供の目だった。
キャンピングカーの姿が消えた。
「閻魔さんッ!!!」
アメリアの合図に、薙は和睦を解き放つと、両手を合わせて指定の座標に空間移動する。背後では翼を生やしたアメリアが薙を支えて空中に固定する。
「────
暗闇に虚無への入口が開くと同時に、赤黒い薙刀が出現し虚無へ突き刺さった。衝突の衝撃で周囲の木々がざわつき、峠を走行中の車両がふらつく。
不気味なほどゆっくりと薙刀が虚無に飲まれていくように二人には感じられた。
薙刀を防ぎ切り、虚無を解除した薙達の目の前にいたのは、赤黒い液体を周囲にまき散らしながら右手を伸ばす少年の姿だった。その目には見覚えがあった。現世と閻魔界の狭間で見た赤き瞳が目の前の少年に顕現している。
この薙刀は神の生命力で生み出された代物。だからこそアメリアは感知できた。だが、生命力が同じということは、その陰に隠れて近付いていたもう一つには気が付かないだろう。
薙刀はアメリアというレーダーを騙すための罠。マガツヒノカミは、その身を散らすほどの速度で移動し、和睦を盗りに来たのだ。
☆☆☆
「うわぁああああああ!!!!!」
突如目の前に現れた少年の目に気圧され絶叫を上げる閻魔薙。神の手は、もう和睦に届く距離まで近付いている。
動いたのはアメリアだった。重力に合わせるように地上めがけて垂直に加速する。神の手は空を掴んだ。地面すれすれで急旋回すると、二人は転がるように峠下の雑木林に着地した。
上空から、ゆっくりと神も降下してくる。うねる赤黒い液体が落下の衝撃を吸収した。
「────くっ……ふふ、まさか同志を振り落してしまうとは」
神は肩を振るわせて笑っている。同志とは、ハヤトとニコラスの事だろう。
「心が動かされた……この感情はいつぶりだろうか……これほどまでに、俺は欲していたのか……和睦を」
神の視線は、鞘に納まった和睦に向いていた。次の瞬間、神の身体から溢れる赤黒い液体が伸び、手の形になったかと思うと薙とアメリアを掴みにかかった。
手は二人の直前で何かに防がれる。それでも神は力を緩めない。どんどん圧力が高まっていく。
「絶対不可侵の力か……和睦よ、俺の元へ戻れ……天帝の屋敷からお前を解放したのは俺だ、所有権は俺にもあるはずだッ!」
「何が解放だッ! お前がしたのは窃盗だ!」
神の手が引いた。赤き目は今度は閻魔薙を捉えている。
「あぁ、そうだな……久しいな、閻魔薙……会えて嬉しいぞ」
「僕は……ちっとも嬉しくない」
様々な言葉が薙の頭に浮かんだが、口から出たのは最も幼稚な言葉だった。
「ふっ、そう言うな……今のお前は、俺の同志だッ!!!」
神は指先から電撃を放つ。再び絶対不可侵の力が発動し薙達を守る。弾かれた電撃が周囲の木々を割いた。
「俺は閻魔聖を通して見ていた……お前、中立性を失っただろう?」
神は核心を突いてきた。実際、神の言っている事は正しかった。閻魔の中立性を失い、挙句の果てに閻魔界の規則を改定したいと願う閻魔薙は、神の独立を目指すマガツヒノカミと同じなのだ。
「閻魔が自我を持つ……それは素晴らしいことだ……お前も目標を持ったのだろう? なら、俺の思想に近づいたということだ! 俺を理解できるはずだ! 今のお前は、閻魔聖よりも俺に近い! それを同志と呼ばずして何と呼ぼうかッ!!!」
電撃の出力が上がった。薙とアメリアは防戦一方だ。このままでは、和睦を抜いて攻撃に転じることが出来ない。抜けば電撃を浴び、戦闘不能になることは明白。
神は薙へ問い続ける。同じ志を持つのに対立するのはなぜか。世界記憶の改定を支持すれば自身の願いも叶うのに抗うのはなぜか。自分の心に素直にならないのはなぜか。
「共通意識に支配されたままでは我々の願いは叶わないッ!!! お前も、俺も、役割から解放され、自由にならなければならないッ! それが分からないのかッ!?」
問いかけに薙は言葉を返す。
「なら……なぜ……人間を滅ぼそうとする!?」
「当たり前だッ! 共通意識から解放され独立した暁には、あの保守派の老人どもを納得させる必要がある! 歪な共生を断ち切り、共通意識を生み出す人間なしに我々が存在する事こそ、最も説得力のある証明方法だろう!?」
神には人間の願いの声が届き続けている。その声が途切れることで神々は人間の消滅と自身の独立を知るのだろう。
薙は反発した。
このままでは燐瞳やアメリアが消えてしまう。それだけは、何があっても回避したい。これ以上、大切な人を失いたくない。それが薙の意思。
「僕は、燐瞳さんやアメリアさんとの出会いに感謝している……だから彼女達を殺させはしない……貴方が人間を滅ぼす自由を掲げるなら、僕は彼女達を守る自由を掲げる!」
「なら、その二人だけは魂を残してやる……三人で閻魔界に家でも建てて暮らすがいいさ」
「彼女達の人生を考えないのか!? 自由だからって、他人の日常を……幸せを奪う権利なんてないんだぞッ!!!」
薙はアメリアの力で宙に舞い上がった。電撃から逃れたのと同時に和睦を解き放つ。少年の姿から閻魔に変わった薙は、アメリアの機動力を使い神の攻撃を避けるため縦横無尽に動き回る。
「
「そんな直線的な攻撃で俺を捕らえられると思うか? 実に浅はかだ」
神もまた宙に浮かび上がった。目の前に迫る虚無の入口に対し、斬撃が放たれた。虚無への入口が二つに割れる。
「来い、
空中で旋回する片刃の剣が神の手に収まった。それはハヤトが持っていた剣。
「神器とは、こう使うのだ……知識は正しく使うべきだと、そう思わないか?」
ハヤトの時とは違い、振り下ろされる斬撃は次元すらも両断する刃へと変貌している。神器とは、本来神が使う事を想定して作られていると目の前で言われているように二人は感じた。
全能術が斬られるというのは初めて観測された事象だった。薙は奥歯を強く嚙み締める。焦りが表情に出ていた。背後のアメリアも動揺していた。あの閻魔聖の全能術を受け止めた虚無が、完全な力を取り戻した薙の全能術が、こうもあっさりと破られた事実を受け入れられなかった。
「残念だったな、閻魔薙……さぁ、和睦を渡し、俺と来るんだ」
散っていく虚無への入口の間から、再び神の手が伸びる。紙一重で虚空を発動し距離を取る薙だったが、その行動に神は呆れて溜息を付いた。
縦横無尽に動き回る二人に対し、機動力を奪うため神は暴風を仕掛けた。狙い通り、アメリアの移動速度が落ちる。
「落ちろ」
無数の落石が突如現れ、放射状に拡散しながら薙達に襲い掛かる。
「
無数の虚無への入口が落石からアメリアを救う。しかし静止した瞬間を神は見逃さない。
「────俺は譲歩しているつもりなんだがな」
神が指を鳴らした。薙の頭上が光り輝く。
放たれた雷の閃光が二人を貫いた。
「和睦を戻せッ! 閻魔薙!」
アメリアは煉獄の炎を膜状に張りながら叫んだ。頭上から降り注ぐ閃光は、瞬きにも満たない速度で襲ってくるというのに、和睦を鞘に戻すなんて時間のかかる指示を出した事に自身が一番疑問に思っていた。
雷が炎の膜に衝突した衝撃で、煉獄の炎が周囲に飛散した。茂る雑草の生命力に引火し、地面を薄く炎が覆う。
「────そう来るか、天使……」
周囲の炎がせり上がった。炎の壁が至る所に出現し、まるで迷路のように神を閉じ込める。
「俺の攻撃を誘ったのはこのためか……いや、土壇場での足掻きか?」
神は周囲の壁を見渡す。生命力を探知する両目の機能は炎によって失われ、薙達の場所を完全に見失っていた。
天叢雲剣を握る手を横一文字に振り切った。斬撃が炎の壁の上半分を消し飛ばす。その先に何も無いことを確認し終えると、次の壁へと斬撃を放つ。
☆☆☆
────決行するなら今しかない!!!
薙は伏せの姿勢から立ち上がり、神の背後へ跳び出すと、両手を打ち鳴らし倶利伽羅を出現させた。全能術を突破された以上、この場で裁きを完了させるしかないと考えての行動だった。
焦りはミスを誘発させる。
ぐるりと振り返った神は、身体から赤黒い液体を噴出させ、濁流として薙を拘束したのだ。押し流された薙はコンクリートで舗装された山の壁面へ叩きつけられる。
「ふふ……捕縛は無理だと悟ったか、だが詰めが甘いッ!!!」
ついに神は薙を捕らえた。愉悦の表情を浮かべる神だったが、目の前の閻魔に覚える違和感。
「────和睦が無い?」
薙の手にあるのは金剛杵から伸びる倶利伽羅。これは彼が地上で手に入れた閻魔の道具。先ほどまで手にしていた和睦が消えている。
それだけではなかった。閻魔薙の身体には、神と同じく電流が走っている。現世の理……和睦による閻魔への変化は、衣の上から行われるため、現世の理の影響を受けないはずだった。
つまり、目の前の閻魔は、衣を脱いでいる状態。
背後で何かが動いた。目の端で捉えたのは、炎の壁を飛び越える、和睦を構えたアメリアだった。
「そんな馬鹿な!? まさか貴様も継承者か!?」
神は和睦は継承者以外使用できないと理解しつつも咄嗟に身体を捻り、和睦の斬撃を避ける。しかし刃は、ほんのわずかに神の表面を削り取った。
「────その少年から出ていけ、マガツヒノカミッ!!!!!」
詰めが甘かったのは自分だったと、神は生まれて初めて後悔という感情を知る。
☆☆☆
和睦の分離の力は、持ち主の望む形で顕現する。たとえかすり傷でも、その力は例外なく発動する。今まさに、神は依り代の少年から強制的に剝がされる感触を味わった。
轟音と共に少年の穴という穴から吹き出す赤黒い液体が、上空で渦を巻く。液体を吐き切った少年の身体は、支えを失いぐらりとその場に倒れ込み、押さえつけられていた薙も解放される。
キャンピングカーから飛び出す際、アメリアはとある作戦を提案していた。これは、弓栄春人に対する反発心も含まれていた。
寵愛を失ったら存在することすらできない。その発言を取り払うようにアメリアは無茶をしたのだ。彼女の頭は考えを排除するために危険な賭けを選択した。
作戦とは、神を依り代から分離し、現世の理に直に晒すこと。
神を捕らえるために、無関係な一般人を解放しなければならないとアメリアは考えていた。本来なら、隙を突いて薙が和睦を振るう予定だった。しかし神を目の前にして一筋縄ではいかないと悟った彼女は、和睦へ執着する神の意識を薙に集中させ、自分が分離の役目を負う覚悟を決めた。
これは二人にとって賭けだった。アメリアが和睦を扱えるというのは、弓栄春人の発言しか根拠がない。全ての聖遺物を扱える特異体質である事を考慮しても、本番で試すのはあまりにハイリスクだった。
神は全能術すら無効とするのだ。無防備な状態を作り出すには、和睦を手にする瞬間の油断しかない。だからこそ閻魔薙は了承した。囮の役目を自ら買って出たのだ。
落雷を和睦で防いだあの瞬間、二人の意思は一致したのだ。
「作戦成功だ! 閻魔さん、全能術を放て!!!!!」
和睦を薙へ投げ渡すと、彼の現世の理は消えた。薙は上空を睨み付ける。
周囲にハヤトもニコラスもいない。上空で渦巻く神を守る者は、誰一人存在しない。
薙は右手を上空に掲げた。狙いを神へと定め、全能術を詠唱した────はずだった。
☆☆☆
「────!? 避けろッ!!!」
アメリアの怒号が響いた。その声に身を振るわせる薙だったが、彼女の意図を身をもって知ることとなる。
突如、右腕に訪れる違和感────次に感じたのは激痛だった。薙の目に映ったのは、切断された自身の右腕。和睦と共に、手首から先が宙を舞う。
切断したのは、投げ込まれた天叢雲剣────見上げると、怒りの表情を浮かべたハヤトがニコラスに抱えられて浮いていた。
ニコラスの手が輝いている。その光の中から数多の純白の球体が浮かんでは電流を纏い続ける神に取り込まれていく。それが人間の魂だと薙とアメリアは察すると同時に背筋が凍る感覚に襲われた。
神は、人間の魂を喰らって生き永らえていた。その事実を理解したせいで、今までどれだけの人間が犠牲になっていたのかを想像するだけで、吐き気が襲ってくる。
「神よ……内燃機関を作動させ、今は回復にのみ尽力してください」
ニコラスの口が、そう動いたように二人には見えた。内燃機関────それが神の動力源なのか。それを取り除けば勝機はあるのか。薙とアメリアは顔を見合わせる。
「カレ────ンッ!!!!!」
叫ぶハヤトに呼応するように空間が歪み、ショッキングピンクの髪の少女が現れる。ハヤトはカレンに指示を出すと、宙に浮かぶ赤黒い液体に触れ、再び姿を消した。
彼女は神を回収しにきたのだとその場の全員が理解すると共に、アメリアの脳裏に鮮明に蘇る記憶があった。森の中、倒れる自分を見下ろすカレン。そして彼女の口から放たれる選択の余地のない提案。
アメリアは、過去にカレンに会っている。それも、五年以上前に。
「────神は回収させてもらう……お前達はミスをした……だからこその罰だ」
ゆっくりと降下してくるハヤトとニコラス。薙は残った左腕で和睦を拾い直すと少年を抱えてアメリアと合流する。
「大丈夫か、閻魔さん?」
「この程度なら、衣の修復で何とかなります……でも────」
ハヤトとニコラスの二人を目の前にどう立ち回るべきか。右腕が再生するまで、虚空が使えない以上、跳んで逃げることも出来ないのだから。
先に動いたのはハヤトだった。天叢雲剣の大振りが薙目掛けて振り下ろされる。その斬撃を展開した燭台で防ぐアメリア。
「少年を安全なところへ!!!」
素早い身のこなしでハヤトとニコラスの頭上を跳び、空中で斬撃を複数いなしながら着地する。その隙に薙は距離を取り、抱えた少年を木陰に寝かせた。
薙の背後を突き刺しにかかる嫉妬の尾。木を利用し尾を避ける薙が見たのは、片翼を展開し眼帯の周囲に龍鱗を出現させたニコラスだった。
「いつぞやの廃校の続きと行きましょうか、閻魔薙?」
歪な破れた翼が展開され、アシンメトリーな両翼となったニコラスを目の前に、手負いの薙は和睦を構えた。
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