第22話〜金剛鈴

 夏も終わった。しかし残暑が厳しい。そんなある日の早朝、高松屋敷の電話が鳴った。電話に出た黒服が、俺を起こしに来た。俺は借りた浴衣がはだけて色々丸見えになっていたが、それを直さず電話のある廊下まで走った。


 “源 蓮華様よりアメリア様へお電話です”


 この一言だけで充分伝わった。


 俺は、この男からの連絡をずっと待っていた。


〈────おはよう、アメリア〉


「テメェ……待たせやがって」


〈的を絞るのに少し時間がかかった〉


 電話先の男は、あくまで淡々と会話を続ける。


〈ハヤトの居場所が特定できた。ニコラスもいるだろう。そこを一気に叩く〉


 蓮華は、〈君の燭台で全てを焼き払ってくれ〉と言った。


「……不意打ちってことか?」


〈そうだ。卑怯とは言うな。奴らはそのくらいしないと倒せない〉


 俺は、ニコラスの口を割らせたい。桜からも、ハヤトを生け捕りにしてくれと言われている。だが、蓮華の口ぶりから、そんな余裕はないと伝わってくる。


〈ハヤトのことだ……煉獄の炎を避けて飛び出すだろう。そこを、俺が叩く〉


「文字通り、”炙り出し”だな……」


〈今日の夜、高松屋敷に迎えに行く〉


 蓮華の提案に、俺は口を挟んだ。


「なら、森之宮神社のアイツらに挨拶しときたい……そっちに来てくれると助かる」


〈分かった。時刻は────〉


 必要な情報を得ると、静かに受話器を置いた。無意識に、左手を強く握りしめていた。

 

 ☆☆☆


 正午になる頃、俺は森之宮神社に行くために山を降り、近くのコンビニ前のバス停に立っていた。空を飛んでも良いのだが、昼間は目立って仕方がないので陸路で向かうことにした。


 それにしても、日中の修道服は目立つのか、道路を走る車内の目線が毎回こちらに向けられる。コンビニに停車したスポーツカーの男なんて、ナンパしに来たくらいだ。自分にとっては制服のようなものと認識していたが、周囲からしたらコスプレにでも見えるのだろうか。


「買った服……持ってくればよかった」


 燐瞳に選んでもらったシャツやスカートをリュックにでも入れればよかった。俺は正直、お洒落に疎い。女物の服となると殊更ことさらだ。私服はTシャツくらいしか持っていなかったから、彼女が選んでくれた洋服は嬉しかった。


 ────でも、汚したくないしなぁ。


 今夜は戦争だ。せっかく買った服が破れたりしたら、燐瞳も悲しむだろう。


 そう思っているとバスが目の前で停車した。乗車口が開く。中には全然人がいない。本数も数時間に一本だし、あまり使われていない路線なのだろう。


 微かに金木犀の香りを感じつつ、後ろの方の広い座席に座ると、俺の後から一人の女性が乗ってきた。黄緑の稲妻模様の入ったダボダボのパーカーと首から下げたヘッドホン。そして何より特徴的だったのが、目が痛くなるほどのピンクの髪の毛。化粧をしているが、おそらく十代後半から二十代前半の年齢だろう。


 彼女は俺の一つ前の席に座った。座る直前、俺と目が合った彼女は、軽く微笑んでいた。他にも空いている席は多数あるのに、なんでわざわざ目の前に座るのか。俺の視界には蛍光ピンクの髪が嫌というほど映る。


 首のヘッドホンから、かすかに音楽が漏れている。日本のヒップホップ系の楽曲だろうか。ボーカルの癖のあるラップがエンジン音の隙間を縫って耳に届いた。


 視線を窓に向ける。走り出したバスは、綺麗な新緑の山々が、ほんのり赤みがかる景色を淡々と流し続けた。


 ☆☆☆


「遠かった……」


 その後、バスで最寄駅まで出てから乗り換えすること数回。やっと森之宮神社のある地域まで来ることができた。駅中のお土産コーナーのご当地スナック菓子を興味本位で買ってから、タクシーのロータリーに出た俺の口から心の声が漏れた。


 近くにあったシルバーの灰皿まで歩くと、スーツのおっさん達に混ざってタバコを吸い始めた。


 ポケットの中でスマートフォンが震える。


 画面には、”もうすぐ着く”と風切からのメッセージが表示されている。


「タバコ吸ってるから待って……と」


 風切とはタバコ仲間だ。こう言えば納得してくれるだろう。そう思っていたら、”ずるい!”と顔文字付きで返事が来た。おっさんのくせに顔文字使うのが可愛らしく見えて、軽く笑ってしまった。


 タバコを吸い終わる頃に、タクシーの列の先に見慣れたキャンピングカーが見えた。遠くからでも目立つ風切の車を目にすると、わざわざ降車して待っていた。


「車内でも吸えるってのに……」


「我慢できないの分かるだろ……」


 風切は、「それは分かるけども」と言いながら、腕を大きく振って乗れと言ってくる。助手席に乗り込むと、紙タバコの臭いが鼻をついた。


「……閻魔様が帰ってきたよ」


「あぁ、電話で聞いた。だから別れの挨拶に来た」


 俺の返答に、「別れ!?」と風切は運転中にも関わらず顔をこちらに向けて驚いていた。急ブレーキの衝撃で身体が大きく揺れた。


「あっぶねぇなぁ……」


 冷や汗をかいたのを車内のクーラーが強調させた。


「……俺は蓮華って奴と行動することになったんだよ」


「名残惜しい……せっかくのタバコ仲間なのに」


 風切の言葉に、「それ以外ないのかよ」と口にしてしまった。


「五十過ぎたおっさんが金髪ロリシスターと会話するなんて普通ないんだぞ?」


「その呼び方はやめろ! 気持ち悪い!」


 再び車は走り始める。


 ☆☆☆


 神社の駐車場に着いたのを確認すると、助手席からピョンと飛び降りる。風切がこちらに向けて手を振った。軽く手を挙げ、返事をすると、石段を駆け上がった。


 鳥居を抜けても誰もいない。奥に回り、森之宮家のインターホンを鳴らすと、燐瞳の母親が対応してくれた。


「ごめんなさいね。今、主人はシヅキちゃんと暦ちゃんの三人で会議してて……」


「燐瞳さんは?」


「あぁ……燐瞳なら部屋にいると思うけど」


 燐瞳の母親は何だか浮かない表情だった。俺に服を着せようとしてきたハイテンションな彼女と同一人物とは思えなかった。


 燐瞳の部屋へ向かい、扉を開けると、彼女のベットで薙が眠っていた。頭上を飾る人形が、まるで薙を心配そうにしているように見えた。燐瞳は、ベッドの前に立って同じように薙を見下ろしていた。


 そして、薙の顔の横に、取っ手の付いた金色の鐘が置かれている事に気が付いた。


「……よう」


 声をかけると燐瞳は驚いた様子でこちらを振り向く。扉が開いたことにすら気が付かない彼女に、またしても違和感を覚えた。


「あ、アメリアさん……」


 燐瞳は疲れ切った表情でこちらを見る。


「閻魔が帰ってきたって聞いてはいたが……」


 視線を薙に移す。少年姿の彼は寝息を立てている。起こそうと近づくと、燐瞳が俺の身体を抑えた。


「薙くん……戻って来てからも無理して……ほとんど寝ているんです」


「はぁ!?」


 右目に蒼炎を発生させ、薙を見た。そして確信した。


 ────生命力が低下している。


 薙はニコラスと一戦交えたと、電話口で蓮華が言っていた。その戦いの傷が癒えていないのか?


「毛布をどかせ!」


 診察のために薙にかかる毛布を捲らせると、何重にも服を着ているのが見えた。シャツの上からパーカー、そしてガウンと残暑の今時にあり得ない服装。


 一番下に着ているシャツが薙に溶け込むようにして消えた。生命力がほんの少し回復したのが見えた。薙が着ているのは、衣なんだと理解した。


「こ、暦さんが持っている衣を何重にも着せたんです……」


 燐瞳の話では、薙は致命傷を受けたか現世の理の影響かで魂が弱っていたらしい。応急処置として、暦が衣を被せ、安静にしていると。


「確かに、ゆっくりと生命力は戻っている……暦はどこだ?」


「今、お父さんの部屋にいると思う」


「ちょっと行ってくる」


 踵を返した時、脳裏に蘇ったのは、彼の言葉だった。


 “あの閻魔様に金剛鈴を渡して欲しい”


 “閻魔様が君の魂に触れれば、僕の力霊感を鈴に変換できる!”


「……閻魔さんが起きたら俺を呼べ」


 そう言い残し、部屋を後にした。


 ☆☆☆


 周芳の部屋では、ガラステーブルを挟んで周芳と暦が対面に座っていた。シヅキは、腕を組んで周芳の隣に座っている。入口付近のサイドボードには、陶器の花瓶に金木犀が飾られていた。


「……シヅキさん、私はお願いしましたよね?」


 暦は怒りを抑えようと、絞り出すように言った。それに表情を強張らせるシヅキ。組んでいる両手が震えている。


「私が”金剛鈴”を持って戻った時、薙様は譫言うわごとのように、貴女シヅキは悪くないって言ってましたけど、私はそう思いません……」


「ごめんなさい……あの場所に退避したのは……私のミスよ」


 項垂れたシヅキは、か細い声で返事をした。


 その時、部屋の扉がノックされた。それに周芳が対応するよりも早く、勢いよく扉が開かれた。そこにはアメリアが立っていた。


 アメリアは暦の隣まで移動すると、「悪いが、話を聞かせてもらった」と言い、暦の肩を強く握った。


「お前……金剛鈴を取りに行くからって、シヅキ達に閻魔さんを任せたみたいだな?」


 アメリアと暦が睨み合う。我慢できずに暦が視線を逸らす。


「元はと言えば、お前が勝手なことしたのが原因じゃねーのかッ!?」


「わ、私は……早く薙様の力を戻そうと……」


「なら一緒に行けば良かっただろ!?」


「効率良く動こうとしたのよ!?」


 今度は暦がアメリアに掴みかかった。


「道具が戻っても、閻魔としての中立性がなかったら、薙様は閻魔界に戻れないのよ!? 閻魔としての役割を全う出来ないと、存在が消えちゃうのよ!?」


 暦は閻魔薙の目的達成のため必死だった。それが全員に伝わってくる。


「……暦さんの言う通り、連盟の目的と薙くんの目的は違う」


 静かに周芳が口を開いた。


「だから暦さんが身勝手な行動をした意味も分かる……」


「でも、コイツは、アンタら連盟を利用したんだぞ!?」


 弱気な周芳へアメリアは激を飛ばす。しかし暦が反論した。


「利用しているのはどっちよ!? 連盟の貴方達は、”和睦”を復活させたいだけでしょ!?」


 暦の言葉に、周芳は顔を背けた。それは、まさに真実だった。周芳が和睦の継承に拘るのは、刀の眠りを覚まし、再び連盟に継承権を移すためだった。


「私も和睦を薙様に継承させるのは賛成よ……でもそれは、薙様の元々の力を解放し、天帝様にお返しするため」


 アメリアから手を離した暦は、荒い呼吸を抑えつつそう言った。そして、「失礼するわ……少し、頭を冷やしてきます」と周芳の部屋を後にする。アメリアは暦を追いかけ、廊下で再び肩を掴んだ。


「……まだ聞きたいことがある。お前はどこで”財団の倉庫”の情報を知ったんだ?」


「……天使ちゃんに話す義理はないわよ」


「そんな言い方はないだろ!? お前は”俺”から聞いたって二人に言ったんだろ!? でも俺は倉庫の情報なんて断片的にしか知らないし、お前に言った覚えもないんだよ!」


 こちらを一切振り返らないまま、「……貴女が覚えていないだけよ」と言い残し、強くアメリアを引き剥がすと外へ出ていった。


 ☆☆☆


 燐瞳の部屋に戻ったアメリアは、薙が目を覚ましているのに気が付いた。起きあがろうとする薙の隣で燐瞳が焦ってわちゃわちゃ手を動かしている。


「ご、ごめんなさい! い、いま! いま言おうとしたの!!」


「あー……分かったから落ち着け」


 燐瞳に礼を言うと薙に向き直った。


「アメリア……さん?」


「大丈夫か?」


 起き上がった薙は、暗い表情を浮かべている。


「とりあえず話せてよかった」


「えぇ、僕もです……」


「元気そう……ではないな」


「はは……これでも、頭が回るようになったんですよ」


 表情を崩さずに答える薙は、まるで死人のようだった。いや、元から肉体はないのだが、まるで目標を失ったような喪失感を抱いているように見えた。


 少し、無言の間があった後に、


「……暦が持ってきてくれたんですよ」


 そう言って、薙は枕元に置いてあった金色の鐘を手に取った。取っ手の部分や鐘の胴の部分には天使のレリーフが施されている。


 何重にも着せられた衣を脱ぎ、閻魔の姿になった薙は、その鐘を振るった。


 しかし、音が鳴らない。


「でも、僕には使えない……」


 うつむく薙の肩が震えている。


「聖遺物……」


 ポツリと、自然に声が出ていた。暦が財団の倉庫から拝借した目の前の鐘は、聖遺物なのだと、本能で理解した。聖遺物は、持ち主と認められなければ力を発揮しない。


「閻魔の姿でも駄目……せっかく暦が見つけてきてくれたのに、合わせる顔がないよ」


 薙は自分の不甲斐なさに打ちひしがられているのだと、鐘を強く握る彼を見て察した。自分のために暦が必死で取ってきた鐘を金剛鈴に変化させられない事がそんなにショックなのか。


 あるいは、廃校の彼らを救えなかった自分の力の無さを恨んでいるのだろうか。もし、そうなら、俺も同じこと。目の前の彼の辛さが、痛いほど分かってしまう。


「聞いたよ……ニコラスを撃退したって」


 震える薙の手を握った。少しずつ震えがおさまっていくのを肌で感じる。


「俺だって全てを救えるわけじゃない……俺だって……」


 薙を励まそうとしたのだが、脳裏に浮かんだ財団崩壊の映像と、親友の死が、俺の言葉を喉に支えさせた。


 ────俺だって、救えるなら救いたかったよ


「ありがとう……アメリアさん」


 顔を上げた薙は軽く微笑んで見せた。隣で見ていた燐瞳からも息が漏れる。


 “あの閻魔様に金剛鈴を渡して欲しい”


 “閻魔様が君の魂に触れれば、僕の力霊感を鈴に変換できる!”


 ────あぁ、分かったよ。お前の言う通りにするよ。


 握っている薙の手を、自身の胸に押し当てた。薙の手は、微かな胸の膨らみに手を埋めた。燐瞳は、それを見て唖然としていた。


 薙の手は、さらに深く胸の中へ沈んでいく。胸の中で何かが光った。その光は、突き刺さる薙の手を通って、彼の道服の中へと入っていく。手を引き抜いた彼は、何が起きたか分からない様子だったが、即座に袖に手を入れた。


「あ、アメリアさん……い、いま、何して……」


 燐瞳も驚いて口が回っていない。上着をたくし上げて下着を露出させながら、「わ、私も……やった方がいい?」と涙目で言ってるあたり、相当混乱しているようだ。


「うわぁッ!!?」


 突如、薙が大声を出した。彼の手には、前から持っている金剛杵が握られている。剣が出現する不思議なアイテムだった金剛杵から、金色の鐘が生えていた。


 その鐘は、胴が長く、表面に菩薩のレリーフが施されているのが特徴的だった。


「金剛……鈴!?」


「ぐッ……」


 驚く薙の横で、胸を押さえてうずくまった。視界がグラリと揺れる。


 ────こんなに痛いなんて、聞いてないぞ……


 まるで、身体の一部を引きちぎられたような感覚に襲われた。さっきまで余裕そうに燐瞳の動揺具合を観察していた自分が憎い。初めから知っていたら、もう少し覚悟してやったのに。


「ちょっと!? アメリアさん!?」


 燐瞳が身体を支えた。彼女の勉強机に寄りかかると、椅子に座った。呼吸を整え、二人を見ると、こちらを好奇の目で見ていた。


「どうしたんですか!?」


「大丈夫だ、燐瞳……」


 少しずつ痛みが引いてくる。心を落ち着かせ、身体を見る。どこも傷ついていない。目を閉じて魂を見ても寵愛に変化はない。


「理解が追いつかない……一体、どうやって!?」


「俺が知りてぇよ」


 未だ、金剛鈴と俺を交互に見続ける薙を他所に、視界の端にあの男・・・が映った気がした。しかしそこには誰もいない。


 薙が金剛鈴を鳴らした。高い音が空気を震わせる。不思議と心地が良かった。何度でも聞いていられそうな、そんな音がした。


「分かる……霊だけじゃない……この一帯の全ての存在の位置が、手に取るように」


 全身で生命力を感じているのか、目を閉じた薙は静かに首を前後左右に動かしていた。


「ありがとう、アメリアさん。何かお礼をしないといけないですね」


「…………なら、それを」


 俺は薙の横に倒れている鐘を指差し、受け取った。暦が取ってきたという、元々は財団の倉庫にあったもの。ならば俺が持って行っても何も言わないだろう。


「これは俺が預かる。いいな?」


「……一言、暦に伝えてきます」


 そう言って薙は両手を合わせた。消える瞬間、俺と燐瞳は薙の道服を思わず掴んでいた。


 ☆☆☆


 風船が弾けるような音と共に、神社の石段に飛ばされ、燐瞳と共に空中に投げ出された。咄嗟に翼を出して燐瞳を抱えると空中で静止する。眼前には、石段に座る暦と、背後に立つ薙が見えた。


「薙様……安静にしていないと駄目ですよ」


 風でなびく髪を手で抑え、振り向きながら暦は立ち上がる。


「暦……これを見てくれ」


 取り出した金剛鈴が太陽光を反射した。それを見た暦の表情は固まっている。


「どうやって金剛鈴を……?」


「それが────」


 薙の口から、先ほどの出来事が語られた。空中の俺に視線を移した暦は、再び薙に向き直った。


「────だから、暦が取って来た鐘は、アメリアさんに返そうと思う」


「……わかりました。薙様がそう言うのであれば、異論はありません」


 こちらを見上げた彼は、金色の鐘を投げ渡した。両手で抱いている燐瞳が優しくキャッチする。高度を下げて彼らの前に降り立った。


「天使ちゃん……その……ごめんなさい」


「謝るなら、この鐘を知った経緯を話せ」


 抱き抱えていた燐瞳を薙に手渡し、受け取ったばかりの鐘を暦の眼前に晒す。


 暦は、チラリと薙を見た。彼の前では話し辛そうに視線を交互に向ける彼女に対して、「暦……僕にも教えてくれ……頼む」と、薙は頭を下げた。


 グッと地面を見て拳を握った暦は、覚悟を決めたのか衣を脱いで着物姿になると両手を合わせた。


 俺たちの前に、小さな円鏡が出現する。数珠に繋がったそれは、薙の持っている”浄瑠璃鏡”に瓜二つな代物だった。


 いや、それはまさしく、浄瑠璃鏡だった。


「浄瑠璃鏡? これは、一体誰の……」


「……時希様の浄瑠璃鏡です」


 重い口を開いた彼女は、薙に謝罪した。この鏡は、時希・・という閻魔から盗んだ物だと、震える声で答えた。


 全ては閻魔薙の力を取り戻すため。道具を探す羅針盤とは別に、情報収集用の道具を持っていたかったと吐き出した暦の顔は恐怖の色に染まっていた。


 閻魔の前で自分の罪を吐き出す覚悟は相当なものだと思う。だが、それでも、暦が俺の心の内を勝手に見ていた事実には嫌悪感を抱かずにはいられない。


「つまり、お前は俺の内面を勝手に盗み見て、財団の倉庫を知ったと?」


「……えぇ。羅針盤の方角と鏡の情報から、私は金剛鈴の場所を割り出したの」


 罪悪感からか、顔が下を向き続けている。


「────悪いが、俺は許せない。正直に言ってくれた方が良かったよ」


 罵詈雑言が飛び出るのを必死に抑える。共に薙の天秤を取りに行った仲だ。俺は、暦と仲良くなれたと思っていた。だから、隠し事をされていたのがどうしても許せなかった。


 確かに違和感はあった。俺に罪がないと見抜いた彼女をもっと問い詰めれば良かったと後悔している。


 勝手に期待していた俺が馬鹿なのかもしれない。 


「閻魔さん……暦の処遇は、上司のアンタに任せる」


 言いたいことが脳を埋め尽くす前に、選択を投げ捨てた。暦の行動は薙を想っての事。だったら仕方がないと、割り切れるほど俺は大人じゃない。


「少し、散歩をしてくる……一時間くらいしたら戻る」


「ま、待って!? 私も一緒に行くから! 靴取ってくるから!!」


 俺を心配しているのか、燐瞳が薙の手の中から飛び降りると、玄関に向かって走り出した。


 ────燐瞳なら、いいか。また、彼女のお気に入りの小川でも見に行こう。


 二人で石段を降りる間、閻魔と死神が言葉を発することはなかった。


 ☆☆☆


 小川に小石を投げ込んだ。音を立てて波紋を広げる川辺を二人で眺めた。


 自分に言い聞かせる。


 あれは閻魔達のやり方。俺達とは文化が違うようなもの。


 判断を任せた薙も、暦を批判する立場にはいない。彼もまた、同じ事をしているのだから。


 暦に、相手の心を盗み見た事に罪の意識はないのだろう。彼女にあるのは、閻魔時希の浄瑠璃鏡を盗んだ罪悪感だけか。


「人の尺度で考えるのが間違ってんのかな」


「アメリアさん……」


「悪気はないんだろう……閻魔さんも、暦も」


 それでも、納得できないのは、俺の問題なのか。


「……私だって、自分の部屋に勝手に入られたら嫌ですよ。だから、アメリアさんの感覚は間違っていないと思います」


 燐瞳も同じように小石を投げた後、言葉を続けた。


「……ちゃんと、嫌だって伝えたら、分かってもらえますよ」


「そう……簡単なものだと良いけどな」


 燐瞳は俺を励ましている。なのに意地悪な言い方になってしまった。


 それだけ相手の文化を変えるのは難しいことだ。


 薙が、簡易裁判と事前に告知するのも、何か閻魔の文化が関係しているのだろう。


「……暦さんは、私も苦手ですけど、絶対分かってくれますってッ!」


 強く腕を握られた。その感覚から、俺は理解した。


 ────燐瞳は、すれ違いや衝突で、この関係が壊れるのが嫌なんだ。


 亡き兄への執着で薙にべったりだった燐瞳の心の変化。彼女の大切なものが、俺達に変わりつつある。だから、これらが壊れてなくなってしまうのが怖いんだ。


 "燐瞳を守ってくれ"


 あの男の言葉がまたしても脳裏をよぎる。


 俺は彼女の頭を優しく撫でると、金色の鐘を取り出して振ってみた。小川に心地の良い金属音が響く。


 感覚として、燐瞳の位置や小川に住む生物の位置が伝わってくる。この天使の鐘も、暦の言う通り金剛鈴の類で間違いないのだと悟った。


「それ、使えるの?」


「天使の寵愛の力だ。俺は聖遺物を全て使える……らしい」


 ジョーカーの発言は正しかったのを、いまの事象が証明している。


「ねぇ、アメリアさん」


 ギュッと身を寄せた燐瞳は、「どうか嫌いにならないで」と小さく言った。


 そんな彼女の頭を、無言で撫で続けた。

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