第三章〜災厄の降臨

第21話〜幻視

 高松屋敷で受話器を置いた桜は、廊下を歩き、突き当たりの部屋の襖を開けた。六畳ほどの和室の中心には、座布団の上で坐禅を組むアメリアの姿があった。


 時刻は夜の八時。桜はアメリアを待たせていた。


「……ん? 桜さんか」


「お待たせしてごめんなさい」


「いや、いいよ。泊めてもらう身だし。それより、神社で何があった?」


 アメリアは桜へ質問した。電話口で、「はぁ!? なんで!?」と騒いだ後に、「エイミーさん、財団の倉庫って知ってる?」と声だけが聞こえてきたのだから、アメリアが何事かと思うのも仕方がなかった。


 倉庫の話は、アメリアも話として聞いたことしかなかった。財団の長を務める”ジョーカー”と呼ばれた老人に選ばれた数名しか入室を許されない部屋。その倉庫には、世界各国から回収した”聖遺物”が保管されていると噂されていた。


「暦さんが、その倉庫に向かったらしくて」


「はぁ!? なんで!?」


 奇しくも、先ほどの電話口の桜と全く同じリアクションをアメリアは取った。


「閻魔薙の、”鈴”の力を取りに行ったらしいけど」


「鈴? あぁ……あれだけ思い詰めてればなぁ」


 アメリアの脳内に、床に金属を投げつける薙が想像された。


「早く落ち着いて欲しいんだろうな」


「それにしても、どこから情報を得たのかしら?」


「俺は話してないぞ?」


 箱からタバコを一本取り出し、口に加えながらアメリアは答えた。そのタバコをスッと桜が奪う。


「ここは禁煙……吸うなら外でお願いします」


「……はいよ」


 桜は、待たせた詫びに、特別に縁側での喫煙を許した。アメリアは一度退出し、縁側に座ると意気揚々とタバコに火をつけた。


 うねった煙が赤い月と被り、少しだけ月光の色が変わって見えた。


 ☆☆☆


「────で、俺に聞きたい事って何だ?」


 戻ってきたアメリアに、桜は霊視をさせて欲しいと単刀直入に伝えた。それは、アメリアの持つ、”天使の寵愛”について知見が欲しいという意味であった。


「連盟のために、寵愛を視せていただけないかしら?」


 その提案にアメリアは顔を歪ませた。


「少し、説明する……だから早まるな・・・・


 アメリアは、ゆっくりと寵愛について語り始める。


 寵愛は七曜の大天使の力。天使の守護する曜日は一切の呪いを受け付けない。そして、寵愛最大の特徴は、”復活”と、”承認”の力。


 一つの寵愛を得るだけでも相当な苦労を必要とするにも関わらず、アメリアは七つもの寵愛を所持していた。


 寵愛一つが、人間の人生一回分に相当する生命力を秘めている。故に、アメリアは自身の寿命を加えて、人生八周分の寿命を持っていたことになる。


 また、その影響か、財団の全ての聖遺物は、彼女を持ち主として認めたという。


 “英雄王の剣”も、”指導者の杖”も、”北欧神の槍”も、”救世主の盃”も、彼女なら全て扱えただろうと、ジョーカーは言っていたという。


 アメリアの持つ”案内人ベアトリーチェの燭台”。この燭台の本来の持ち主は、財団の長”ジョーカー”と呼ばれた老人だった。彼は、燭台の力を最大限引き出せるアメリアの力に気がつき、燭台を譲ったのだった。


「最も、持ち主と認めたってのは、ジョーカーが言っていたこと……俺自身、それを実感したことはない」


「燭台を使っているじゃない?」


「偶然、燭台が俺を選んだだけ……俺はそう思っている」


 ここまで聞いた桜は、ますます寵愛を視たくなったと言った。彼女の目は包帯で隠れているはずなのに、アメリアは彼女の憧れの眼差しを感じずにはいられなかった。


「寵愛は俺を守っている……近付くのは危険だ」


「こちらもプロよ……線引きくらい出来ているわ」


 返事を待たず、桜はアメリアの胸に修道服越しに触れた。心臓の鼓動を掌で感じる。


 意識が、桜の手からアメリアへと入っていく。ゆっくりと、彼女の魂へ視線を潜らせていく。


 ☆☆☆


 視えたのは、暗闇の空間に浮かぶ純白色の球体。周囲をルーン文字に似た複数の図形が周回している。アメリアの魂からは、穢れを一切感じない。これは”罪がない”と言い換えることも出来る。


 粗暴な性格からは考えられないほどの清純さ。それがアメリア・シルフィウムの魂の持つ性質だった。まるで、別々の魂が一つになったとでも言わしめるほど、性格と性質が合っていない。


 魂の前には、同じく白色の人影が二人。背中に翼を生やした彼らは桜の意識を強制的に止めた。この二人が、アメリアに残る天使の寵愛なのだろう。


 彼らは桜に、これ以上進んではいけないと警告しているようだった。


「…………ッ!?」


 それでも先に進もうと、霊視を進めた瞬間、桜の両目に激痛が走った。


 目の奥を刃物で突き刺され掻き回されるような、鋭い痛みに思わず声が漏れた。


「もうよせッ!? 目が潰れるぞ!?」


「グッ……!?」


 触れていた手が離れた。両手で両目を抑える桜は、アメリアの魂のどこまで侵入したというのか。彼女の口から嗚咽が漏れた。


「……お水を取ってくるわ」


 立ち上がった桜は、壁に激突した。フラフラと、今度は襖にぶつかる。そして、取っ手の場所を手探りで探すものの、なかなか見つからない様子だった。


 不審に思ったアメリアが代わりに引き戸を開けると、桜が前方に綺麗に倒れ込んだ。


「……ちょっと、肩を貸していただけないかしら?」


「アンタ、まさか……」


 桜は、一時的に霊視が使えない状態になっていた。元々、両目に包帯を巻いている桜が霊視を使えないというのは、完全な盲目を意味する。侵入者を撃退するほどのプロテクトがかかっているアメリアの魂。これほどの防御力なら、アメリアは簡単には死なないだろうと、桜は確信した。


「興味本位で……見るものじゃないわね」


 “好奇心は猫をも殺す”とは良く言ったものである。


 寵愛の邪魔を受けながらも、彼女から読み取れた記憶があった。


 財団崩壊の記憶。


 友人と過ごした財団の日常。


 財団加入時の記憶。


 そして、農村で笑う彼女と父親らしき男性の姿があった。おそらくは財団加入前の記憶。


 アメリアに、これ以上の古い記憶は存在していなかった。


「大丈夫……ちょっと、見えにくくなってるだけだから」


 アメリアに支えられ、廊下を歩く桜を、黒服の男が呼びに来る。またしても神社から電話がかかってきた。その内容は、”暦を霊視で追ってくれ”というものだった。


 ☆☆☆


 ────俺は、とんでもないことをしたんじゃ……


 卓上電話の横に椅子を置いて、座りながら通話する桜を黒服の男に任せ、アメリアは部屋に戻って歩き出す。そんな中で、彼女の商売道具とも言える”霊視”を使用不可にしたことに罪悪感を抱いていた。


 部屋の前で再び縁側に出ると、心を落ち着かせるため、タバコに火をつける。


 空を見ると、月が雲で隠れていた。そのまま視界を屋敷の庭に戻すと、アメリアの視界の遠くに、映ってはいけない者が映った。


 そう彼女が理解したのは、”彼”の服装があまりにも季節に合っていなかったため。


 そこにいたのは、スマートマッシュウルフの髪型をした眼鏡の少年。身体は細く、一見ひ弱に見える。彼は夏だと言うのにワインレッドのロングコートを羽織っていた。フードのファーは、見るだけで汗が出るほど暑苦しい。


 彼は、一歩ずつアメリアに近づいてくる。タバコを吐き捨てると、腰の燭台に手を置き、いつでも展開できるよう体を構えた。


「────やっと会えたね、アメリア・シルフィウム」


 少年は、優しい声で語りかけた。アメリアは、身を震わせる。


「誰だ……」


 目の前の少年をアメリアは知らなかった。まだ未成年と思われた少年は、もう目の前まで迫っていた。


「僕は、春人はると……弓栄ゆみえ春人はると


 春人と名乗った少年は続けてこう言った。


 “僕は閻魔薙の継承者だ”……と。


 ☆☆☆


「閻魔薙の継承者? あの神社の刀のことか?」


 彼の言った”閻魔薙”が、少年閻魔の事ではないとアメリアは悟った。神社での会合で、森之宮周芳が発した刀の継承者の話を思い出したためだ。


「そうだ……ややこしいから”和睦”と言った方が良いかな?」


「継承者は死んだはずだ……」


 ベルトから燭台を外し、先端を春人に向ける。すぐに点火できるよう、アメリアはスイッチに指を乗せた。


「死んだ者が現世に留まるのを見てきただろ? アメリア?」


ここ高松屋敷は、浮遊霊が入れるような場所じゃねぇ!」


 アメリアは威嚇するように声を荒げた。春人という少年が、蒼炎のグラスで分析不可能なのが不気味でならなかった。人でも幽霊でも妖怪でもないと、蒼炎のグラスが弾き出すのは初めてだった。


「アンタ……本当は何者なんだ? 返答次第ではこの場で燃やす」


「僕は燐瞳の兄で、和睦の継承者だ……信じてくれ……敵じゃない」


「……ここに来た目的は? なぜ俺を知っている?」


 春人は、少し悲しげな表情を見せたが、すぐに表情を戻すと話の続きを語り出した。


「……君に頼みがあって来た。あまり時間がないんだ。聞いてくれ」


 風が近くの木々を揺らした。アメリアは異様な空気に耐える。


「頼みは二つある。一つ目は、あの閻魔様に金剛鈴を渡して欲しい。二つ目は────」


 そう言いかけた春人の身体が薄くなる。唖然とするアメリアの胸に、顔をしかめた春人は右手で触れた。


「おいッ!? どこ触ってんだ!?」


「思ったより時間がない! 僕の”魂の一部”を君に渡す! 閻魔様が君の魂に触れれば、僕の力霊感を鈴に変換できる!」


 春人の手がアメリアの身体に入っていった。アメリアは、常軌を逸した彼の行動に燭台を点火させるのを忘れていた。春人の手がアメリアの魂に近付くのを感覚で察した。


 アメリアの脳裏に、先ほどの桜が思い浮かぶ。寵愛に守られた魂に、不用意に触れようとするこの男が、本当に燐瞳の兄なら、この奇行を止めさせなければならない。


 しかし、アメリアの心配を他所に、春人の手は寵愛の二人をすり抜けて彼女の魂まで到達していた。


「一体、どうなって……」


 手が引き抜かれた。アメリアには痛みも傷もなかった。もちろん目の前の春人にも。ただ、春人の姿はさらに透明度を増していく。


 蒼炎のグラスでも分析不可能。さらに寵愛をすり抜ける存在は、アメリアにとって天敵。恐怖の感情が心の奥底から出てくるのを感じる。


「時間だ……君にまた会えるのを願うよ」


「……できれば会いたくない。二つ目を言ってから消えろ」


 春人は、「こうするしかないんだ」と申し訳なさそうに謝罪した。


「あの閻魔様は、僕の相棒だ! 金剛鈴を鍵として彼に和睦を継承させたい」


 春人の透けた手がアメリアの手を握った。


「だが最悪の場合、和睦は君が抜け! そして、燐瞳を守ってくれ……」


 そう言い残した春人は、闇夜の中へと溶けるように消えていった。

 

 “和睦は君が抜け……そして燐瞳を守ってくれ”


 春人の言葉が脳内で何度もリピートされる。


 聖遺物に、持ち主として認めさせる力が本当なら、俺にも和睦を継承できると春人は言っているのか。


 ☆☆☆


「おやおや、お客さんを外で放置なんて、ごめんなさいねぇ」


 高松先生という老婆がぴょこぴょこと歩いてアメリに近づいてくる。部屋に入ることを推奨しているようだったので、逆らわず従うことにした。


「それにしても、誰と喋ってたんだい? 声しか聞こえなかったけど、怖かったよぉ」


 高松に自室まで案内されながら、今の話をするか悩んだ。


「なぁ、確認なんですけど、この屋敷に浮遊霊は入れないんですよね?」


「えぇ、そうですよ。生身の魂が存在できる空間じゃないものねぇ」


「なら、悪霊や妖怪は!?」


「……彼らは制限がないから、大丈夫だろうねぇ。でも、もし誰か侵入したら、私と桜ちゃんの眼が見逃すとは思えないけどねぇ」


 間髪入れずにアメリアは続けた。


「じゃあ、さっきの少年は……なんなんだ?」


「少年? はて? 私の目には、”何も”映ってなかったけどねぇ」


 何も見ていないという高松の発言に嘘はなさそうだ。でも、どうにも納得できない。


 目の前に現れた春人という少年は、紛れもなく現実。俺の幻覚ではないと、俺の魂に顕現した”弓栄春人の霊感”が物語っている。


 凄い霊感だ……全身で霊の居場所を感知しているようだ。脳内に地図を思い浮かべれば、この山中の霊の位置がマッピングできるほどの感知能力。


 どうやってここまでの能力を身につけたんだ……


「寵愛の直感に引けを取らない力だぞ……」


「寵愛? 直感? もうすぐお風呂だから、それまで待っててねぇ」


 高松に部屋まで送り届けられたアメリアは、手に持ったままの燭台をベルトに引っ掛けると、敷布団を引っ張り出して横になった。


 ☆☆☆


「エイミーさん! お風呂どうぞ!」


 遠くから桜の大声が聞こえた。廊下に出ると、桜はまだ黒服に支えられて立っていた。霊視が戻っていないのは明らかだった。黒服の手に風呂桶とタオルが二つずつ抱えられている。


「……アメリア様、お客様と承知の上でお願いしたいことが」


 俺が風呂桶を受け取ろうと近づいたタイミングで黒服が申し訳なさそうな声を出した。


「桜様のお力が戻らず、このままでは入浴が困難なのです」


「情けない話よね……」


 不服そうな桜だが、何も見えない状況にまだ慣れていないのか、ずっと黒服の身体にしがみ付いている。


「……高松先生から、アメリア様とご一緒に入浴されては、と」


 黒服は絞り出すように、とんでもないことを言った。


「付き人の我々ではどうしようもありませんので……」


「あの、俺……男なんだけど」


 呆れた俺の言葉に、黒服は「何をご冗談を」と言いつつ、表情が固まっていく。何かを察したのだろう。高松へ再度交渉しに行こうと踵を返した時、桜が俺の修道服へ移った。


「構わないわ。エイミーさん、行きましょう」


「えッ!? おいッ!?」


 グイッと俺の修道服を引っ張る桜だが、その先は通路ではなく壁。俺たちは二人して激突し、俺の上に桜が覆い被さった。


「……共有しておきたいことがあるの」


 耳元で、囁くように小さな声が桜から発せられた。


「……貴女は多分、近いうちに蓮華君と合流して、ハヤト達の拠点を攻めることになる……でも、ハヤトだけは生け捕りにしてほしい」


「……なぜだ?」


「……聞き出したいことがあるの」


 桜は、「続きは湯に浸かりながら、ね」と、俺の身体を支えに起き上がる。


 そのまま俺の背中に乗った彼女は、浴場までの道を案内し始めた。


 ☆☆☆


 目の前に広がるのは、文字通りの大浴場だった。ここの屋敷で働く黒服達を入れてもお釣りが来るぐらいの洗い場。複数の湯船。「旅館じゃないんだから」と思わず声に出してしまう。


「高松先生は、結構、こだわりがあってね」


 全裸の俺の隣に、同じく全裸の桜が俺の肩に掴まって立っている。目の包帯は外れているが、瞼は閉じたままだった。幸い、湯気が立ち込めているお陰で顔以外はあまり見えない。


「軽く流すぞ……ここに座れ」


「強引ね」


「アンタがなッ!」


 せっせと後ろから身体を洗い、髪を流し、手を引いて一番深そうな湯船に浸かる。長方形に畳んだハンドタオルを桜の頭の上に置いた。


「エイミーさん、手慣れてるわね?」


「……確かに」


 財団時代、湯船に浸かるという習慣はなかった。ただ機械的にシャワーを浴びていただけだった。こういうのは、日本に来てから、というよりも森之宮神社に宿泊してからが初めてのはずだ。


「今更なんだけど、カトリックなのに神社に宿泊してて良かったの?」


「俺は無宗教だよ」


 財団に所属する際、教会の運営・維持に割り振られただけだと桜に説明する。桜は、「だったらなんで寵愛が?」と、至極当然な疑問を抱くものの、そんなこと俺が知るわけがなかった。


「まぁいいわ。話の続きと行きましょうか」


「別に部屋でも良かっただろ……」


 わざわざ風呂に一緒に入る理由があるのかと言おうとした時、桜が俺に抱きついた。手探りで耳元を探しだすと、「部屋では高松先生に聞かれる」と小声で言った。


「どのタイミングで霊視されるか分からないからこそよ……」


「……ハヤトから聞き出したいことって何だよ?」


 桜を引き剥がして質問する。


「……貴女と同じよ」


 含みのある言い方だった。


 俺は、財団を崩壊させ、俺の親友のメイスを殺したニコラスに、その理由を追求したかった。彼は財団の中で最も優秀な男だった。組織への貢献度は、他の団員と比較してもトップクラスだろう。そして何より、当時のニコラスに野心はなかった。奴には、説明責任がある。だからこそ、殺す前に口を割らせたいと思っている。


 ハヤトという男は、十年前に連盟に多大なる被害を与えた悪霊と聞いている。そのうちの一つが、桜の父親の殺害。彼女の父、風切洞爺は、ハヤトの率いる雪女に殺されたと言っていた。彼女もまた、その理由を知りたがっているということなのか。


「お互い、近しい人を亡くしている……知りたいと思うのは、俺は普通のことだと思う」


「私はね、支え・・を失った喪失感と、アイツハヤトへの復讐心から、呪いを発現して視力を失ったの……エイミーさんも気をつけて」


 桜は両目を手で覆った。彼女は俺が同じ過ちを犯すことを恐れている。


 確かに俺は、ニコラスの情報を欲している。しかしニコラスと渡り歩くのに寵愛は必須。閻魔薙のお陰で多少冷静になって、無鉄砲に燭台を振るうよりも、連盟で情報を待った方が良いと考えて居座っているわけだが、いざ、情報が入ったら……俺は自分を抑えられる自信がない。


「……それより呪いって?」


 呪いを受けたのではなく、彼女から生まれた呪いが、彼女の視力を奪ったということなのか。


「霊視は、”視る”だけで全てが完結する力……行き着くのは、視るだけで人を殺す”邪視”という呪い」


 今まで閉じていた瞼が開く。開いた桜の瞳は、燃え盛る炎のように赤く輝いていた。桜は、「目を合わせない方がいいわ」と再び瞼を閉じる。


「……邪視が消えたわけじゃないの」


 俺は、その言葉に、「邪視を使わないために、包帯を巻いているのか?」と質問した。桜は首を横に振った。


「邪視は、目が合った相手の生命力をゼロにする呪い……人間だろうと妖怪だろうと、視るだけで殺せる……代わりに使えば、視力を失う諸刃の剣」


「死神の目だな、そりゃ……」


 ということは、桜は一度、邪視を使用していることになる。


「……私はこの力で────」


 ────アルベルト・ハンターを一度殺している。


 彼女はそう言った。アルベルト・ハンターは、笛吹男と呼ばれ、現在はハヤトに乗っ取られている肉体の持ち主。彼は不老の怪異で、原動力として心臓に”賢者の石”が埋め込まれているらしい。


「賢者の石……財団でも話題に上がったな……生命力を凝縮した物質だったはず」


「えぇ……そして、賢者の石を生み出す技術を持った怪異が……”サンジェルマン”」


 アルベルトを作ったのは、”サンジェルマン”という男。十年前、アルベルトが、ハヤトの仲間になっていた理由は、封じられたサンジェルマンを解放するのが目的だったと。


「サンジェルマン? 封印されているのは災厄の神だろ?」


「そう、アルベルトは騙されていた。彼はその事実を知って、ハヤトの元を去ったのよ」


 十年前、神の封印が解かれる最中、真実を知ったアルベルトは逃げるようにハヤトの元を去った。


「その時に、邪視を?」


「いいえ、むしろその直前の出来事……既にシヅキを手に入れ、封印を解く算段が着いた時期よ」


 桜は湯船をバシャンと叩く。


「アルベルトの死は、ハヤトの計画に一切の影響を与えないタイミングだった。それなのに、奴は、自身の魂の一部を使ってアルベルトを蘇らせた……」


 “魂の一部”を賢者の石に与えて、アルベルトを再起動させたと桜は語る。


「……ハヤトは保険をかけたのか」


「えぇ、まさか今のタイミングで知るなんてね……腹立たしいわよ」


 苛立ちを見せる桜を見て、俺は引っかかることが合った。


「どうして邪視でハヤトを狙わなかった? 邪視なら、ハヤトを止められただろ?」


「それは……」


 桜はそれ以上話すことはなかった。うつむく彼女の顔からは、相当嫌な出来事だったということが伝わってくる。


 ────というよりも、顔色が赤くないか?


 そう思った矢先、桜の姿勢が崩れた。脱力して呼吸が荒い。


「……のぼせたのか?」


「……ごめんなさい」


 俺は桜を担ぐと、脱衣所のラタンベンチに寝かせると近くの団扇で仰ぎながら黒服を大声で呼んだ。

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