第20話〜決意
────彼女は言った。
他人から必要とされなければ、それは死んでいるのと変わらない、と。
誰だって、生きるのに役割が必要だ。
それは、彼女だけじゃない。
生きていくには、誰かを欲し、求められなければならない。
お互いに役割を背負い、支え合いながら生きる。
儚く脆い魂が導き出した結論。
この世界が魂に与えた
なら、役割の放棄は、やはり死なのか。
中立性を失った僕の未来は、死なのか。
閻魔を辞めても良い……
今の役割を捨て、別の役割に従事しても良いと、彼女は言った。
どの選択が正しいのか、僕はまだ、決めかねている。
☆☆☆
目を開けると、見慣れた景色がそこにはあった。森之宮燐瞳の部屋の天井。ここ最近は、毎日のように目にしていた木目と目が合った。
思考が揺れている。
僕は、廃病院にいたはずだ。
そこで、刺されて……どうなった?
記憶が途切れている。その後、どうやって神社まで戻ってきたんだ?
右手を見ると、小指に絹糸が括り付けられている。廃校の、ハクの出来事が鮮明に甦ってくる。
彼女は、僕を理解してくれた。閻魔を辞める選択肢をくれた。
それでも、僕は閻魔を続ける選択をした。
またしても後悔が渦巻いている。この選択が正しかったのか。それが分からないからだ。
やはり僕には、”納得”が必要だった。
☆☆☆
重ね着させられた衣のまま、真っ暗な廊下を歩く。燐瞳がいない。彼女はどこにいるんだ。
おぼつかない足取りでたどり着いたのは、和睦の眠る神社の本殿。引き戸の隙間から、外の灯りが見えた。誰かが、外で火を焚いている。それに話し声も聞こえる。
静かに隙間から外を覗くと、境内に立てられた二本の松明と、その中心に立つ燐瞳の姿が見えた。松明の奥でパイプ椅子に腰掛けた周芳が燐瞳を見守っていた。
娘の仕事を見守っているんだと、理解できた。
燐瞳の前には、指や耳に派手なアクセサリーと高級時計を付けた白シャツの若い男がふらつきながら立っている。彼を支えているのはフォーマル姿で化粧をした暦だった。
憔悴した男性の声が聞こえた。
「高い金を払ったんだ……早くなんとかしてくれ」
「いいやなんともならないさ。お前は俺と共に死ぬんだ」
異なる二つの声が、重なって聞こえた。しかし声は、同じ男性から発せられている。一人の人間から、二つの声が聞こえる。奇妙な光景だった。
「ふざけるな……なんで俺が」
「自分の胸に聞いたらどうだ!?」
また、二つの声が響く。
男性を静かに見据えていた燐瞳は、口を開いた。
「
「あぁ、頼む……
日向と呼ばれた男がそう言った瞬間、彼の身体が激しく暴れ始める。暦が必死に抑えているが、一向に暴れるのを止めない。
「ふざけるなッ! ふざけるなッ! ふざけるなぁッ!!! なぜ
声が変わった。おそらく影山と呼ばれた人物の声なのだろう。必死に叫ぶその声は、尋常じゃないほどの覇気を纏っていた。
☆☆☆
背後から鈴の音が聞こえた。振り返ると、暗闇の中に、台座に鎮座する和睦が見える。ぼんやりと、白い光が和睦を包んでいる。
────僕に、「行け」と言っているのか。
和睦は、燐瞳と彼の間に、割って入れと言っているのか。
再び和睦から鈴の音がした。先ほどよりも強さを感じる音だった。不思議と意味が理解できた。十年前、鵺によって破壊され、持ち主を失い、目の前で眠り続けているはずの宝刀は僕に語りかけている。
「僕に、”裁判をしろ”と言っているのか?」
声に応えるように、またしても力強い鈴の音が本堂に響いた。その音は、「そうだ」と言っているように聞こえてならなかった。
燐瞳の叫び声が聞こえた。
隙間を覗くと、暦の静止を振り切り、日向の手が燐瞳に伸びている。周芳が椅子を倒しながら走っているが、間に合いそうにない。
瞬間移動でもしなければ、間に合わない。
☆☆☆
「聞いてくれ!? 俺は悪くない!? 弁明させろ!!!」
日向の手が燐瞳の肩を掴む瞬間、その手を薙が掴んだ。道服姿になった薙は、全身に電流を発生させている。日向を掴む手も、痺れと痛みで痙攣していた。
「────な、薙……くん」
「薙様!? 閻魔になっちゃダメです!?」
燐瞳も暦も、薙の登場に驚いている。特に暦は必死だった。薙の表面を流れる電流と道服の胸に開いた傷が、彼の魂が回復していないことを、この場の全員に知らせていた。
突然現れた薙に、日向は唖然として暴れるのをやめた。
「薙様申し訳ありません! 私が周芳さんにお願いしていたんです! でも、薙様が瀕死で戻ってくるなんて……私……」
日向を抑えていた暦が着物姿に変化した。薙に無理をさせないため、死神の大鎌で影山という霊を切り裂くつもりなのだろう。
僕は、暦に手を向けた。彼女を静止させたのだ。「どうしてですか、薙様!?」と、彼女は、狼狽した様子で僕に投げかける。
「僕がやる……暦は何もするな」
震える両手が静かに合わさった。
☆☆☆
影山という男は、サラリーマンだった。彼は、新卒で入社した”
彼は真面目な男だった。中間管理職といえど、部下への指示出しと、その責任取りを行う姿勢は、理想の上司像として輝き、他の社員から一目置かれていた。
そんな彼に転機が訪れたのは、数ヶ月前のこと、日向という社員が総務部から異動してきたのだ。問題を起こすことで有名な社員だったが、社長の息子だった彼は、後に会社を牽引するため、多くの部署を経験させられている最中だった。
彼らは同輩だった。日向は、自身と同輩の男の下に就くことに抵抗があった。
何者でもない影山が、自身に指示を出すことが許せなかった。
だから特例として役職は影山と同じになっていた。
上司と部下の関係ではない。
キャリアの差が大きいにも関わらず対等な立ち位置。
それが影山は引っかかっていた。
問題が起きたのは、すぐだった。得意先との商談を日向が破綻させた。
相手に、「今までこんな会社と取引をしていたのが恥ずかしい」とまで言わせるほどの失態を犯したと連絡を受けた影山は言葉を失った。
彼によって破綻した取引は数十億が動いていたものだった。それが一夜にして消えたのだ。頭が真っ白になった。
二人は部長に呼び出され、ため息を吐かれた。青ざめる影山に対し、日向の顔は真っ赤だった。
呼び出しに納得がいかないと叫ぶ日向。それを落ち着かせる部長。
「あぁ、日向さん落ち着いてください……大丈夫です。貴方のことは社長から聞いておりますので」
部長は彼に気を遣っていた。社長の息子という存在を、これ以上刺激したくないという魂胆は丸見えだった。嫌な予感がした。
部長は静かに告げた。
「影山くん……非常に残念だ」
これ以降の発言は、一生かかっても消えないだろう。
彼の処遇が影山に追い討ちをかけた。数十億の損害を起こそうと
部長は言った。
「部下の尻拭いは上司として当たり前。お前が言ってたことだろう? 社長もそう言っていた。非常に残念だが、そういうことだ」
────と。
懲戒解雇なんて、フィクションの中の出来事だと思っていた。
納得できなかった。なぜ自分は懲戒解雇で、アイツはお咎めがないんだ。俺はスケープゴートか。アイツは、部下じゃないんだぞ。
それに、周りの人達は誰も助けてはくれない。当たり前だ。何か言って、火の粉が飛んできたら嫌だろう。
頭では分かっている。でも心が納得していない。
組織の中で絶対的な安全地帯。そこに立ち、自身に降りかかる災いを他人に被せて、それでいて自身は悪気も何も感じていない。
おかしいじゃないか。会社の信用を落とし、実害を与えているのに、アイツはどれだけ損失を出してもお咎めがないなんて、そんな事があっていいのか。
ふざけるな……ふざけるな……ふざけるな……
どうしてこうも違うんだ……
何を言っても上は聞いてはくれない。
俺は、なんのために働いていたんだ。
一体、なんのために……
せめて、アイツも同じく裁いてくれ……
同列に扱ってくれ……
平等であってくれ……
そうでなければ、納得できない。
死んでも、死にきれない。
誰もアイツを裁かないなら……俺が……この手で……
自宅の天井にネクタイを吊るした影山は、足元の椅子を蹴り倒した。
☆☆☆
「────酷い……」
そう口にしたのは燐瞳だった。薙の道服を掴んでいた彼女は、浄瑠璃鏡の見せる彼らの過去を薙と同じく追体験していた。
彼女は、映像として過去を見ただけではない。浄瑠璃鏡は、良くも悪くも全てを見せる。描かれない感情が無理やり脳内に叩き込まれ、目を覆っても、耳を塞いでもそれが止むことはない。
何より燐瞳を苦しめたのは、身代わりとして責任を負わされた男に対して、一切の罪悪感を抱いていない依頼人の心情。
自らが原因で命を絶った影山への配慮のなさは、神社に依頼してきた
金ならいくらでも払うから今すぐ何とかしてくれと泣きながら懇願していた姿に、燐瞳は哀れみを感じていた。だが今あるのは、憑依している霊に対する同情の念。
きっと、除霊が済めば、態度を変えるのだろう。
「お兄ちゃん……私、聞いてないよ」
“理由はどうあれ、どんな霊でも祓うのが役目”
これは、燐瞳の兄、春人の意向だった。祓い屋だった彼は、霊達の背景を知る必要はないと、常に燐瞳に言い聞かせていた。春人はその理由を語らなかったが、今の燐瞳なら分かる。
彼を祓うべきか、否か。彼の名誉のため、このまま復讐を遂げさせるべきなのではないか。
迷いは、仕事に支障をきたす。
☆☆☆
「また、最下層行き……」
青白い電流に包まれた薙は、ポツリとつぶやいた。鵺も、ハクも、目の前の彼も、罪に至る理由があった。その理由が、考慮されないなんて、やっぱり納得できない。
「情状酌量の余地はあるだろ……なんで、最下層なんだ……なんで、死後も苦しむ必要があるんだ……」
彼にかけた言葉は、自分の中の鵺に返ってくる。
同情した相手は、みんな、鵺と重なっている。
僕の本心は、
“私と同じ境遇の人は減るべきだと思っている”
────その通りだよ、ハク
────こんなの、間違っている
薙の剣技は素早かった。その場の誰も、薙の動きを捉えることは叶わなかった。倶利伽羅の刃は、二度振るわれた。一撃目は、憑依した影山に。二撃目は、宿主の日向に。
「両成敗……中立性を取り戻した……」
暦は歓喜していた。閻魔薙が人の心を捨て、裁判官の役割を取り戻したと、確信した。
それは違うのだ。薙の一連の行動は、中立なんてものじゃない。裁判官の役割とは程遠い思考。それこそ、彼の故郷の閻魔界に影響を及ぼしかねない思想。
「────どう考えても、これしか思いつかないよ……ハク」
閻魔を続ける以上、裁きからは逃れられない。
なら、裁く罪を減らすしかない。
ゆっくりと薙は振り返った。浄化され、脱力した日向と、彼から離れた影山が見える。影山は何か言いたげな悲しい目を薙に向けていた。その意思に薙は答える。
「最下層行きなんてさせない……僕が、閻魔界の規則を、変えるッ……」
減刑という制度を導入し、閻魔を続けつつ、鵺を救う。
────これが、僕の答えだ……
薄れ行く意識の中、遠くから、どこか称賛するような鈴の音が聞こえた気がした。
☆☆☆
────薙様と再会してから、何日経っただろう。
着物を脱ぎ、影の作り出す黒のワンピース姿になった鵺は、一人、思いを巡らせる。
真っ暗な洞窟の奥から外を眺める。外は猛吹雪だ。この山は、フユカちゃんの力で常に吹雪いている。何人たりとも寄せ付けないための、私たちの城なのだ。
吹雪が、止んだ。
少しずつ、夜空が見えてくる。入口から、こちらに歩いてくる影が二つ。一つはフユカちゃん。目の前の人物に片手を当てがっている。もう一つは、茶色のチェスターコートに身を包んで、両手を挙げた薙様だった。
ふいに、背伸びして二人の背後を確認する。そんな私に、「大丈夫、僕一人だ。
「────答えが決まったんですね」
「うん……」
薙様は、じっと私の目を見つめた。
私は、この目を知っている。私の知る、中立な立場の薙様は、もういない。今、目の前に立っているのは、時希と同じ、何かを決意した目の閻魔様。
「フユカちゃん。もういいわよ」
「でもツグミ……」
「いいの……私が望んだ事だから」
そう言うと、フユカちゃんは、絞り出すように「分かった」と答え、手を下ろすと後ろに数歩下がった。
そして、「貴女と一緒に過ごせて良かった」と、洞窟から出ていった。
この場は、二人きりの空間。先に口を開いたのは、薙様だった。
「鵺……君が────」
薙様の言葉を、私は遮った。彼に抱きついたのだ。これは理屈じゃない。今、しなければ後悔してしまうと、本能が身体を動かした。
優しく、彼が抱き返す。
「君が、僕を助けてくれたんだろう?」
私は、薙様の胸の中で小さくうなづいた。
十年前、連盟が持つ”閻魔薙”という刀を破壊したのは、刀の中に薙様が封じられているのを知ったからだ。その時、ハヤトの洗脳を一時的に解いたのは、刀に封じられた薙様の倶利伽羅だった。
「今の僕は、君が解放した閻魔の欠片なんだね?」
「……はい」
「ありがとう……鵺……本当に、ありがとう」
耳に届いたのは、震えた声だった。
私は、薙様が好きだった。いつも一緒で、私が困っていると助けてくれる。私の英雄。たとえそれが、閻魔の規則だとしても。中立性を保持するための詭弁だったとしても。それでも私の彼を想う気持ちは変わらなかった。
私は現世でも、彼を待っていたのかもしれない。
ハヤトの洗脳が解けた後、自分で決着を付けることもできた。私を恨む源蓮華に滅却してもらうこともできた。
それでも、こんな山奥に隠れていたのは、
その先に待っているのが、今以上の苦痛だとしても構わないと、
せめて、最後は、好きな人の手で終わらせて欲しいと、
叫ぶ本心に、私が気付いたからかもしれない。
「────お願いします……薙様」
私は彼から離れると、目を閉じて両手を広げた。薙様も閻魔の姿に変わった。
☆☆☆
パンッ! と両手を合わせ、金剛杵を空中に出現させる。落下する金剛杵を右手で掴むと、倶利伽羅の刃が出現する。
「君を、これ以上、苦しませはしない」
だから、待っていてくれ。神を捕らえたら、すぐ行くから。
僕が、閻魔界の規則を変えるから。それまで、待っていてくれ。
「ふふっ……待つのは慣れっこですよ、薙様?」
鵺は笑っていた。笑って、剣の刃を受け入れたのだ。
「清掃員をしていて良かった。今度は一人で目的地に行けそうです」
鵺の持つ変化の力が、罪と共に洗われ、周囲に霧散していく。彼女の姿は、神の胡服姿になっていた。神の補佐官として、天に昇っていく。
彼女が消えた。
まるで煙のように。
鵺のいた痕跡が跡形もなく消える。
────いや、彼女は確かに存在した。
「……鵺がいた証拠は、僕だ」
僕がここにいるのは、彼女に助けられたからだ。
救われたのは、僕の方だ。
僕は、僕は……僕は…………閻魔薙だ!
星の光も届かない洞窟の暗闇の中、覚悟を決めた閻魔が、彼女の全てを理解し、泣いた。
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