第6話〜天使

 薙と暦が合流し、高松屋敷に匿われて数日後、森之宮は一人、淡海邸を訪れていた。ここは、淡海神童連盟の本拠地。


 かつて私はここで修行を積んでいた。門をくぐると日本庭園を思わせる枯山水が見える。


「森之宮様……お待ちしておりました」


 眼鏡をかけた小太りのスーツ姿の男が森之宮に小走りで寄ってくる。この男は、”瀬田”という淡海琵琶先生の付き人。琵琶先生が消息を絶った現在でも、彼はこの屋敷を守り抜いている。


「瀬田さん、わざわざすみません」


「いえいえ、琵琶先生のお弟子様のお願いとあれば」


 そう言って瀬田は傍に抱えるノートパソコンを開いた。画面には、”青い光”に関する目撃情報と現場の地図が十箇所ほど表示されている。


「今の連盟ではこの程度ですが……」


「いや、このポイントは知っている……これだけあれば」


 数こそ多くはないものの、地図に刺されたピンの位置から、ある程度の推測が出来るものだ。長年の経験とは、馬鹿にできないものだ。


「……全てとはいかないが、半数以上が”心霊スポット”」


 ピンの位置は、我々の知る霊の多い土地を指している。有名な場所もあれば、地元の一部の人間しか知らないような場所さえもある。


「目撃情報の中で、一番古いのは……二ヶ月前」


 ”財団”の崩壊時期に近い時期から既に目撃されていたのか。


「それにこの地図は、範囲を広げているように見えますね」


 瀬田の言う通り、目撃情報が新しくなるにつれて、ピンの位置は遠くなっている。ある地点を中心に円状に心霊スポットを訪れているように見える。


「それと、つい昨日のことですが」


 瀬田は、ピンの刺さった箇所の心霊スポットで、”霊が目撃されなくなっている”と興味深い情報を出した。


「……祓いきったってことか?」


「それは分かりませんが……気配すらなかったと」


 土地もろとも浄化するというのは、月単位の時間がかかる所業。それを、たった数ヶ月でこの数は、少なくとも私には無理だ。


「……瀬田さん、この付近の地主さんと連絡は取れますか?」


「えぇ、可能ですが……」


 森之宮は、手付かずの心霊スポットにカメラの設置を行いたいと申し出た。瀬田は、その発言に驚きつつも、「結局はそれが一番かもしれませんね」と仲介役を買って出た。


 国や県の土地以外なら、連盟の名でなんとかなるだろうと、瀬田は早速作業に取り掛かった。森之宮は、シヅキに電話をかけ、目的の人物を発見次第、その場所へ森之宮を跳ばすよう指示を出した。


 シヅキからは、「危なそうだから私はパス」とまさかの返答である。空間移動出来るのはシヅキだけなんだぞ……と思いながらも、脳裏に薙が浮かぶ。


 果たして、彼にお願いしても良いのだろうか? 万が一、燐瞳に知られたら蓮華との約束もパーだし……


「……おそらく、地図の近辺全てだと一週間はかかりそうですけど、数箇所なら明日までに設置できるみたいですよ」


「仕方がない……」


 受話器を置いた瀬田に森之宮は即答した。森之宮の中で結論は出たようである。


 ☆☆☆


 数日後、深夜の高松屋敷の一角。薙と暦の宿泊する部屋に突如シヅキが現れた。眼前には、一つの布団の中で薙と暦の二人が絡み合っている。正確には、暦が勝手に抱きついているように見えた。


 なんで閻魔と死神がこんなことをしているのか、この現状にドン引きするシヅキだが、物音を立てずに薙に触れた。そのまま薙だけを森之宮神社へ移動させる。


 この状況に一番に反応したのは桜だが、”なぜか”今回は静観に徹していた。霊視でシヅキと薙を見送り、再び眠りについた彼女の真相とは……


 暦は静かに寝息を立てていたが、薙が消えた瞬間、カッと目を開けた。


 ☆☆☆


 薙は頭を叩かれ目を覚ました。視界には森之宮が映る。彼は頭にハテナを浮かべた。自分は高松の屋敷に居たはずだ。なぜ、森之宮神社の離れに……そしてなぜ森之宮が目の前に立っているのか。それが理解できないと言っているような表情。


「じゃあ、私は寝るから」


 シヅキはそう言い残して奥へ消えていった。僕は森之宮に連れられ、彼の自室に案内される。そこには、縦三枚、横三枚の合計九枚のモニターと、そこに映し出される廃墟の数々があった。モニターには、数字の書かれた付箋がそれぞれに貼り付けられている。


「急に呼び出してすまない」


「えっ、あ、はい……」


 状況が飲み込めない薙に森之宮が淡々と説明をする。なんでも、監視カメラの監視と現場への移動を手伝ってほしいとのこと。シヅキに頼んだら断られたと悲しそうに語る森之宮を見て、なんとも言えない気持ちになった。


「ちなみに、燐瞳には秘密で」


「えっ、なんで……」


 森之宮は、「それは言えない……」と後ろめたそうに言った。この数日、森之宮は怪光の事件を追っていたはずだ。それと何か関係があるのだろうか……


 ただ、この森之宮の目。「お願いだから何も聞かずに手伝ってください」という気持ちがヒシヒシと伝わってくる弱々しい目。そこまでシヅキに断られたのがキツイのか……


「頼む……この通りだ」


 森之宮は深々と頭を下げた。僕は、森之宮に命を救われた。その恩に報いるため力を貸すのは良いのだが、どうしても風切が脳裏に浮かぶ。森之宮も、彼と同じく僕を金儲けに利用するだけなんじゃないのかと思わずにはいられなかった。


 燐瞳に秘密というのも、私腹を肥やすのが目的?


「……分かった。薙くんには本当のことを話すよ」


 僕の納得のいかない顔を見て、森之宮は事の詳細を教えてくれた。”十年前の惨劇”が再び起きようとしている。”奴ら”に対抗するため、とあるエージェントと合流する必要がある……と。


 ただし、海外の組織の人間のため、あまり連盟と関われない。だから燐瞳には修道女の事は秘密なのだと森之宮は語る。


「修道女の姿をしたエージェントは、心霊スポットに出現しているらしい。だから監視し、発見次第、君の力で移動させてほしい」


「心霊スポット? 霊が安定して存在できる土地の事ですか?」


「簡単に言えばそうだが……”安定”には尺度がある。場所によっては、悪霊の比率も多い」


 悪霊化の条件の一つは”土地”。霊が完全に安定して存在できる場所ではなく、


 ”負荷はかかるが比較的安定している場所”


 それこそが、魂の性質変化には必要なのだと森之宮は語る。霊の居住区になる心霊スポットは、そのような場所が多いらしい。


 森之宮は、「そこなら薙くんも閻魔の姿で活動できるだろう」と追加した。理由を聞いた僕の頭には、燐瞳の顔が浮かんだ。十年前の惨劇で兄を失い、未だにそれを完全に受け入れられていない彼女が、この事情を知ったらショックを受けるに違いない。


「……分かりました。当面の間、燐瞳さんには秘密にします」


 僕の返答に「ありがとう」と森之宮は手を差し伸べた。


 固く交わした握手は、一種の契約だ。


 僕は、自分にそう言い聞かせ、森之宮と共にモニターを監視し始めた一時間後、九つあるモニターの右上の画面が激しく揺れ、映し出されている廃ビルの一室が青い炎に包まれた。


 森之宮は、手元の資料を僕の前に広げた。モニターに貼り付けられた番号が書かれた地図と住所が記載されている。森之宮が「このポイントだ!」と指差した座標へ、僕達は跳んだ。


 ☆☆☆


 薙と森之宮は、廃ビルの入口前に現れた。頭上から青い閃光がカメラのフラッシュのように間隔を空けて発せられている。視線を上げると、割れた窓から青い炎が噴き出すのが見えた。


 炎は次々と階層を上げていき、全ての窓から炎を見せている。そして、下の階から順番に炎が消えていっている。


「なんだ、あの炎!?」


 森之宮は眉をひそめるも、薙は違った。


「あれは煉獄の炎!? なんで現世で!?」


 閻魔界の裁判官だった薙は、”天国”と”地獄”の二つ以外に、”煉獄”が存在する事を知っている。地獄の最下層よりはるか下に存在する煉獄は、地の底から”生命力を糧に燃える青い炎”が噴き出しているのを何度も見ていた。


 生命力とは、魂の持つエネルギー。このエネルギーがゼロになれば、魂は完全に機能を失い、存在が消滅する。転生を許されない魂の存在を抹消するための場所こそが煉獄なのだ。青い炎は、その性質から、”一度でも引火すれば、魂が消滅するまで消えない”とされる。


 連盟の言葉を使うなら、”滅却”の最上級が煉獄の炎だ。


「上に行くのは危険です……僕らも消滅しかねない」


 現世で青い炎を発生させる方法なんてあるのかという疑問より、身の安全を薙の本能が優先した。森之宮は、「炎が消えたら突入しよう」と言って、部屋のある階層まで登ることを提案した。


 ビルのコンクリートが炎の影響を受けていないのを見るに、”無機物には反応しない”のだろう。薙は了承し、二人は階段を駆け上がった。


 部屋の階層に到達した時、廊下まで炎は達していなかった。しかし、明らかに空気が違う。


 薙は今、閻魔の姿になっている。廃ビルの入口は、彼にとって居心地の良い空間だった。海岸沿いの洞窟と同様、安定した場所だった。だが、この階は違うと彼の感覚が知らせている。


 ”環境が元に戻りつつある”


 煉獄の炎は、土地の安定性すら崩すのだと、薙は理解した。


 ☆☆☆


「霊がいない? いや……」


 森之宮がそう口にするのも無理はない。炎が発生している部屋の入口から逃れた霊が燃えながら消えていくのだから。消えゆく霊達の阿鼻叫喚の叫びを聞き、廃ビルにいる全ての地縛霊を焼き払っていると森之宮も察した。


 炎が切れる瞬間を見計らい、部屋を覗くと、中心に黒い修道服を纏った金髪の少女が立っていた。シスターは、手に持つ金色の燭台をふるって炎を操作している。


「煉獄にある七つの燭台の一本!? なんでそれが地上に!?」


 煉獄には女性の案内人が存在する。彼女に頼むことで青い炎を灯す七つの燭台を見ることが出来る。七本全ての燭台は、天使のレリーフが施され、蝋燭の刺さる針が花弁を模した金属に包まれている。


 燭台は、本体のスイッチを押すことで花弁が開き、針が展開し、燭台を持つ者の生命力が蝋燭として具現化する。煉獄では常に死者の生命力を糧に炎が燃えているため、常に燭台には蝋燭と炎が灯っていた。


「おい! 炎を止めてくれ!?」


 僕は叫んだ。本当に七つの燭台の一本なら、彼女は、煉獄の案内人なのではと思っての行動だ。ここから顔は見えないが、もし、”ベアトリーチェ”本人なら、面識がある。


 僕の声に反応し、火力を弱めたシスターが振り向いた。その顔はベアトリーチェではなかった。小柄な少女のシスターは僕を見て舌打ちした。


 ☆☆☆


 煉獄の燭台を持つ少女、”アメリア・シルフィウム”は、声の主の方向に顔を向けた。部屋の入口から冠を被った変人が覗き込んでいる。アメリアの右目に青い炎が現れ、その男の分析を始める。


 煉獄の炎は、”生命力”に反応する。人間は、肉体が魂を内包している構造上、生命力の探知が弱くなる。この”蒼炎のグラス”を通すことで霊体か肉体かを見分けることが出来る。


 霊体の密集地を探し出し、土地ごと焼き払うことで”奴ら”を炙り出すのがアメリアの目的。それを邪魔する者は、誰であろうと排除する。


 炎の導き出した結果は霊体。この土地に縛られた霊にしては、いささか格好に違和感を感じつつ、アメリアは燭台の先端を薙に向けた。蝋燭の先端が一段と強く発火したと思うと、青い火球が薙に向かって放たれた。その勢いは、反動でアメリアの腕が真上に跳ね上がるほどである。


「!?」


 薙は咄嗟に両手を合わせた。火球は、薙の目の前で消滅し、一つ下の階層から轟音が発せられた。同時に廃ビルが大きく揺れる。


「……? 何をした?」


 不思議そうな表情のアメリアは、薙に問いかける。突然の出来事に焦り、過呼吸気味になった薙は、絞り出すように、「炎の座標をズラした」とだけ返した。


 座標を移したというのは本当だとアメリアは確信した。床や壁の一部が鋭利に切り取られている。この霊は、”炎の座標”と言ったが、正確には、彼の目の前の空間座標を下の階に移したのだろう。


 空間に干渉できる力。アメリアは薙を怪異と認定する。


「これほどの力を持つ怪異なら、ニコラスが狙ってもおかしくない」


 ニコラスは、日本で同族を集めようとしている。先手を打って土地を焼いていたが、やはり正解だったかもしれないと、アメリアは納得する。空間を操る能力は、あまりに危険だ。ニコラス達と組めば、奴らを追う手段がほぼ断たれる。


「そうなる前に、俺の手で消さなければならない」


 アメリアの燭台から炎のブレードが発生する。バーナーを彷彿とさせる美しい青の剣。人蹴りで薙の前まで跳躍したアメリアの剣は、青い光の軌跡を見せながら、薙の頭上へと振り下ろされる。


 ☆☆☆


 薙の金剛杵から剣が出現する。シスターのブレードを刃の腹で受け止め、周囲に火花が弾け飛んだ。ブレードと剣の衝突部は、バチバチと火花が散り続けている。


 薙は受け止めたことで、ブレードが元は炎だと思えないほどの質量を有していることを剣の感触で実感した。


「煉獄の炎をここまで操るなんて……」


 薙は受け止めることで精一杯だった。押し返すのが困難で、ジリジリと廊下側に押し出される。鍔迫り合いを解いたアメリアは、右に左に燭台を振るい、薙を両断しようと攻撃の手を緩めない。


 振るわれる燭台のブレードは、周囲のコンクリートに跡を残すほどの火力。噴き出る煉獄の炎が凝縮したブレードは、先ほどと違い、無機物すら焼き切る性能を有している。これを防げる代物は、現世にはほぼ存在しない。


「……なのに、お前は!?」


 炎のブレードを防ぐ剣にアメリアは困惑する。


 大振りの攻撃は受け止めるだけで薙を消耗させる。受け流すにも、建物の中は狭すぎて自由に動けないのが薙を苦しめる。不動明王の剣は燭台と違ってコンクリートを焼き切ったり出来ない。全力で振るうことを制限されている薙に対してアメリアは制限がないと言える。


 ならば、外に出るしかないと薙は思った。


 攻撃を後方に跳んで避けた薙は、廊下の窓から身を投げた。幸いにもアメリアは薙に集中していて隠れる森之宮に気がついていない。このまま一階まで引き寄せ、その隙に森之宮と逃げる算段だ。


 アメリアも薙を追って窓から跳んだ。しかし、彼女の背中には六枚の翼が現れ、薙に向かって高速で近づいていく。薙はそれに気がつき、虚空で自身を移動させるも、彼女の目の炎が薙を捉えて暗闇でも逃さない。


 まるで天使の翼。それが六枚。


「彼女は人間なのか? というか……空を飛ぶシスターってなんなんだよ!?」


 幾度となく虚空のジャンプで空中を移動しても、高速旋回して襲い掛かるアメリアの方が有利なのは変わらない。


 薙は廃ビルの屋上へ再度ジャンプした。地面を滑りながら姿勢を正すと、滑空して対面に着地したアメリアと相対した。着地時に周囲に炎が舞った。


「相当な怪異だな」


 シスターは僕の方へブレードの鋒を向けた。


 そして、「俺はアメリア……アメリア・シルフィウムだ」と名乗った。


 シスターアメリアは僕を怪異と誤解している。正直、これ以上戦うのは無意味だ。僕の身分を明かして誤解を解かなければならない。


「僕は閻魔だ! 名前は薙だ! 怪異じゃない!」


「閻魔? 似たようなモンだろ」


 流暢な日本語かつ男勝りな口調のアメリアは燭台を回しながら近づいてくる。ブレードが揺れるたびに低い重低音が聞こえる。


「君こそ、背中の翼にその燭台……人間じゃないのか?」


 率直な疑問だった。彼女は、”肉体”を持っている。ただの人間のはずだ。それなのに、”鬼籍”も”浄瑠璃鏡”も一切反応しない。自動書記も始まらない。鏡越しに映る彼女の過去は、白いかすみと三人の人影に阻まれて何も見えない。


 人は、罪の重さに関係なく、何かしらの罪を背負っているはずだ。本人が少しでも罪を犯していれば、たとえ無意識だったとしても鬼籍に表示される。


 彼女の年齢は、十代後半から二十代前半くらいだろうか。これくらい人生を歩んでいれば、ある程度は魂に穢れを蓄積させているはず。穢れはやがて罪として魂に刻まれる。しかし、アメリアには穢れと罪が存在しない。僕はそれが信じられずにいた。


「俺は人間だ……燭台は財団の長から預かった」


 アメリアのブレードが振り下ろされる。薙は剣で受け止める。


「生まれつき俺には”天使の寵愛ちょうあい”が備わっていた! それだけだ」


 アメリアは攻撃の手を緩めない。だが、これだけ広ければ僕にも分がある。ブレードを剣で受け流し、アメリアの頭上へ跳躍し、一回転して背後を取る。死角となる背後への一撃。しかしアメリアは振り返ることなく不動明王の剣を燭台で防ぎきった。


 天使の寵愛とは、信心深い者に天使が与える加護。特に、七曜の大天使が与える加護を持つ者は、天使が担当する曜日であれば、事故にあおうが九死に一生を得る奇跡を体験する。


 僕は過去に、ごく少数ではあるが、寵愛を持つ人間を見たことがある。皆、心の底から神を信じ、身を捧げる者たちばかりだった。その魂の穢れは少なく、罪も軽いものばかりだった。


 ……ましてや、こんなに言葉が荒れてなどいなかった。


 姿こそシスターではあるが、彼女が彼らと同一なのも信じられない。それに、寵愛は一つのはずだ。浄瑠璃鏡に映る人影は三つ。つまり彼女は、寵愛を複数持っていることになる。


 僕は虚空による移動を駆使して彼女の撹乱を狙った。様々な角度から不動明王の剣が現れては消え、彼女の目を欺こうとする。しかし、それら全ての剣戟に、彼女は順応してみせたのだ。


「悪いな……昔から直感が鋭くてな!」


 そう言って薙の攻撃は全て防がれた。お返しとばかりに猛攻が迫る。一々受け止めていてはこちらが保たないと判断した薙は、何度も地面を蹴って避ける。アメリアの燭台は屋上への入口を縛る鎖すら簡単に切断した。


 ……”金剛鈴”があれば僕も対応できるのに!?


 金剛鈴は、霊を感知する道具だが、その感知方法は”持ち主の感覚”なのだ。燭台のような煉獄の物質の動きも感じられるなら、薙もアメリアと同様、直感で動くことが出来るだろう。


「頼む……信じてくれッ……!?」


 薙の体に電流が生じ始める。今までに比べれば大したことはない。痛みはあるが、まだ動ける。おそらく土地を未だ完全に浄化しきれていないのだろう。ただ、リミットに到達したことに変わりはない。もうこれ以上時間はかけられない。


 薙の身体の異常はアメリアの目にも映っていた。彼女は財団に属してから今年までの五年間、米国の怪異……悪霊や悪魔、人狼、吸血鬼と死闘を繰り広げてきた。しかし、怪異の全てに”この現象”は確認されなかった。


 このことから、アメリアを含む財団員は、”怪異は現世で無制限に活動可能”と判断していたのである。


 唯一、現象が確認できたのは、彼女の友人の魂が目の前で同じ現象を起こし、消えた時だけだった。ニコラスに殺されてもなお、彼女を想い、死してなお現世に残り彼女のため奮闘した彼の最期……メイスと同じ現象。


 アメリアの目の炎が薙を分析し、この電流は現世の理だという結果を弾き出す。彼女は困惑した。目の前の薙……閻魔は怪異ではなかった。目の前の閻魔は、ただの魂のまま、現世に存在し続けている。


 友人のメイスは、身を裂かれる激痛を伴いながらも、俺の為に現世へ残る選択をした。財団員として、怪異に変化するのに抗い、魂のままでいた彼は、目の前にいる閻魔と全く同じなのだ。


 あぁ、やめてくれ。青白い電流に包まれながら、苦痛の表現を浮かべないでくれ。俺に”後悔”させないでくれ。


 頼むから、俺の目の前から消えないでくれ……俺のせいで、アイツは泣き叫びながら二度目の死を体験してしまったんだ……頼む、これ以上、俺に思い出させないでくれ。


「メイス……」


 薙の姿が友人と重なったのだろう。アメリアの燭台から炎が消え、彼女の手から滑り落ちる。


 薙は、浄瑠璃鏡の霧が少し晴れていることに気がついた。彼女の記憶の中に、スーツ姿にボーラーハットを被った青年が見えた。二十代後半の青年と彼女は、仲良さそうに話している。


 しかし、次の記憶は、瓦礫の中で横たわる青年を抱き抱えるアメリアの姿だった。泣きながら彼の名を呼び続けるアメリア。メイスと呼ばれた青年は、口から血を吐き、血に濡れた右手でアメリアの肩を掴んでいる。


 その手が、スルリと落ち、メイスの肉体は死を迎えた……


 場面が変わった。アメリアが朽ちた教会で銀髪隻眼の男が向き合っている。その間には、メイスの魂。霊体となった彼が、全身に電流を発生させながら、銀髪隻眼の男を糾弾し、なすすべなく消滅した……


 “友人を救えなかった”という感情が鏡を通して僕に痛いほど伝わってくる。悲壮の後に残ったのは激しい後悔と憤怒だった。”自分のせいで友人は死んだ”。その原因を作り出した銀髪隻眼の男に対する激しい怒り。彼女を突き動かしているのはこの感情なんだと察した。


 アメリアは近づいた僕の頭を撫でた。寵愛の力を使って身分調査をしているのだろう。彼女の背中に翼が発生している。


 手を離した彼女の顔からは怒りが消えていた。


「俺は……ニコラスを止めたかったんだ……災厄の神を地上に降ろすなんて馬鹿な提案に乗ったアイツに……責任を取らせたかった」


 奴を止めることで、全てを清算したかったとアメリアは語った。


「アメリアさん……」


「俺は……復讐に取り憑かれた馬鹿だ」


 一言、「許せ」と言って動かなくなったアメリアに森之宮の声が届く。先ほど屋上の入口をブレードで破壊したことで森之宮が階段で登ってきたようだった。


「蓮華の言っていた財団の生き残りが君だね?」


 これ以降、自身の勘違いを認め、行動を恥じたアメリアは森之宮の問いかけに正直に返答していた。彼女は、根が真面目なのだろう。


 ……というか、蓮華って誰だ? 初めて聞いた名前だ。


 森之宮は、涙を流すアメリアの肩を優しく叩くと、僕に「シルフィウムさんは森之宮神社に来てもらう」と移動を催促した。アメリアは、ここ数ヶ月間我慢していた感情が爆発したのか、同じ目的を持つ我々に安心したのか、声を殺して泣いていた。


 その姿は、先ほどまで殺意に塗れていたとは思えないほど清純さに包まれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る