終章~役割の本質

最終話~生命の選択

「────では聞こう……なぜ、奪衣担当の老婆へ近づいた?」


 倒壊を免れた閻魔暗鬼の裁判所で、椅子に座る暗鬼が暦へ尋問した。彼女の全身には水の糸が巻き付き、さらに天井から糸でつるされている。彼女にもう力は残されていない。それでも五芒星は彼女への警戒心を解かなかった。


「……私は地上へ降りる必要があった。時希が完全なる時間停止の世界を完成させられなかった時の保険のための……いくつかの代替案を作る必要があった」


 現世に長期間滞在するための衣を集める必要があったのだと、絞り出すような声でそう言った彼女に、暗鬼はまたしても尋問を続ける。


「その代替案とは何だ?」


「絶対零度による時間停止よ……これを、虚無空間の中で使用する事で疑似的な時間停止を試みようとした……でも私一人の熱力学じゃあ時空の両立は不可能だと気が付いた」


 ガチャリと扉が開いた。外から閻魔薙と霧華が入ってくる。二人を見た暗鬼は頷きながら、彼らに向かって傍聴席を指差した。


「……だから、閻魔薙を連れて地上に渡ったのか?」


「半分はそうね……でも、もう半分は……半分は────」


 そう言って彼女はチラリと傍聴席を見た。椅子に座り両手を膝の上に置いた閻魔薙は、ただ静かに暦を見つめている。フッと笑った彼女は続きを話し始めた。


「────彼が好きだったから」


 暦の発言に、暗鬼の眉間に皺が寄った。


「ワシを馬鹿にしているのか?」


「いいえ……空間の神は毎日のように彼の話ばかりしていた。彼女の語る彼は魅力的で、気が付いたら私も彼が気になっていた……疑うなら浄瑠璃鏡で見てもいいのよ?」


「お前が魂に保護をかけているのは知っている」


 暦は瞳を閉じる。暗闇に浮かぶのは、現世での薙との会話の数々。


「────でも、中立性を失った彼は……いいえ、やめましょう。さぁ、次は何を聞きたいの? それとも刑の執行かしら?」


 傍聴席で薙の手を握る霧華を見て言葉を詰まらせた暦は再び暗鬼に向き直った。


「いや、お前を消すのに反対した男がいる……物好きな奴だよホント」


 暗鬼の視線が傍聴席に移る。


「そう……感謝しなきゃね……その物好きな人に」

 

 彼女への尋問は続く。


 ────────────


 ────────


 ────


 ☆☆☆


 閻魔界の入口に集まる数人の影があった。そのうちの一人が口を開く。


「お前の刑が決まった、国外追放だそうだ。お前の代わりに薙さんが五芒星に復帰する」


 閻魔然樹は、無機質にそう告げた。目の前には、琰器と水月に両脇を抱えられた閻魔時希がいた。彼からは閻魔の道具一式が取り外されていた。然樹は同期として時希への通達の任務を負っていた。


「あぁ……そうか」


 力なく時希は答える。


「ふん! 我々を陥れておいて国外追放で済んでいる事に感謝したらどうだ!? 閻魔王の温情だぞ!!!」


「琰器やめてよもう……暑苦しいわよ」


 大声を出す琰器に対して水月は嫌そうに言った。然樹は表情を崩さずに時希に近づくと胸倉を掴んだ。


「俺はお前を許さない……出来る事なら、この手で地獄に叩き込みたかったよ」


 既に閻魔界の地獄は輪廻転生の破壊によって機能を停止している。そのため、時希は地獄ではなく閻魔界からの追放処分となった。無論、閻魔としてではない。彼の持つ力は和睦によって取り除かれ、人間と同様の状態で追放されるのだ。


「許さなくていい……でも一言だけ頼む」


「なんだ?」


 抑揚のない返事をする然樹と時希の目が合った。


 時希の目は、今までの威厳など微塵にも感じられないほど穏やかで澄んでいた。


「────────本当に……ごめん」


「!?」


 思わず然樹は時希の顔面を殴打した。衝撃で時希が吹き飛んだため、両脇の二人から罵声が飛ぶ。


「お前……謝って許されることじゃないんだぞッ!!!? 今更なにを……なにを……」


「然樹……お前には、お前だけには……直接言わないと駄目だって……そうしないと、絶対後悔する事になるって……そんな気がして────」


 仰向けのまま時希は言葉を漏らす。琰器と水月が再び彼を抱えて起こすと、彼の目に、涙を流す然樹が映った。


「もう……お前の顔なんか見たくない……見たくないんだッ!!! さっさと神の国でも、どこへでも行ってしまえッ!!!!!」


 然樹は振り払うように大きく手を振り動かした。


「神の国……? 一体なにを言っているんだ? 罪人が入れるわけ……」


 困惑する時希の後方から少女の声がした。


「行きましょう……時希」


 その声に時希はビクッと身体を震わせた。


「────ぬ、ぬえ?」


「私も貴方と一緒に行くわ……薙様には許可を取ってるの」


 優しく語りかける鵺に、時希は声を震わせた。


「どうして……君まで……」


 横からグイッと持ち上げられる。閻魔水月だ。


「あのねぇ……本件を神の国に伝えた馬鹿・・がいて……そしたらアンタと鵺を名指しで寄越せって言ってきた神がいるのよ……鵺は元々、神の補佐官になるから丁度良いって閻魔王が渡航を被せたのよ」


「まったく、罪人を欲しがるとは神の思考は読めんな!!!」


 時希の脳裏に、時間の神が浮かんだ。


「あぁ……あぁ……先生……」


「泣いていないでさっさと行けッ!」


 激昂する然樹に対し、水月は誰の耳にも届かない小声で呟いた。


「まったく……ほんと馬鹿・・なんだから」


 ────────────


 ────────


 ────


 ☆☆☆


「少しは頭が冷えたか、災厄の神よ」


 目の前の閻魔王が俺に問いかけた。ここは閻魔王の一角。旧地獄の最下層に位置する場所だ。そこで俺は、両手両足を植物の根によって固定され、周囲を漂う深淵の霞によって気力を削り取られ続けている。


 ここに叩き込まれたのはいつだったか。俺達はついに世界に認められ、人間の集合意識上の産物から完全に独立した生命体へと昇った。全ては俺の理解者、閻魔薙による世界記憶の改訂のお陰。その直後だったのだけは覚えている。


 俺は神の国へ赴き、自由思想派の神を招集し革命軍を結成した。当時は神の国も大混乱の最中。保守派の目を搔い潜り邪魔立てされる前に現世を目指し進軍を開始した。


 しかし、俺が通過した現世へ通じる大穴は忽然と姿を消しており、その隙を突かれて閻魔達に拘束されたのだ。その後、天帝率いる神々によって革命軍は解体され、首謀者の俺が旧地獄の最下層へと叩き込まれる事となった。


「お主の裁判の日程が決まったぞ、日時は────」


「閻魔王よ……閻魔という役割から解放されたお前達が、なぜ未だに法を守り続けるのか……俺は理解出来ないのだが」


 今回の騒動で多くの閻魔達が中立性を失い自我を獲得した。それでも縋るように中立性の維持に務める者がいる。本件もそうだ。人類の魂が直接世界記憶に還るため、既に裁判という機構はその必要性を失い彼らの自己満足の域まで落ちている。


「────誰だって簡単に自我を……目標を持つことは出来ない。あ奴らには自我に慣れる時間が必要なのだ。それまでの猶予と日常を維持するために、裁判という文化をしばらくの間は続ける事にした……幸いにも革命軍という裁判の対象があるお陰でな」


「せっかく役割から解放され自由になったというのに、か」


「薙は言っていた────自由とは行動に責任を負う事と引き換えに手に入れる代物だ、と……あ奴なりの現世での経験談だ」


 中立性と言えば聞こえは良いだろう。しかし規則に従うのは自我がないからだ。自分自身で何かを決める意思がないからだ。そんな判断能力の無い者達が自身の行動に責任を負う事など出来ようか。そう閻魔王は言いたいのだろう。


「時間が必要なのだ……順応する時間がな……それに、お主たち神々にも変化があったと聞く……災厄の神、お主も他人事ではないぞ?」


 神々は、常時聞こえ続ける人間達の願いの声が突然止まった事で、我々が独立した事実に気が付いたという。役割を失った彼らは大いに喜び、そして現在、疑念に悩まされているという。


「────役割を失い、目標も無く、一体我々は何の為に存在し何のために生きているのか、それが分からない……まるで人間の様な悩みだが、これが神々を苦しめておる」


 俺のように目標を持つ者にとって他者から与えられた役割は枷となるだろう。しかし、目標を持たない者にとって役割とは生きる理由、言い訳になるのだと閻魔王は語る。目標を持たない者が持つ者に憧れて自らの役割を捨てる行為は、それ自体が自身の存在意義を捨てる行為に他ならない……と。


「もう我々に役割を与えてくれる存在はいない……これからは自分で決断し生きねばならぬ……たとえそれが自身の生きる理由だとしても」


 そう言って俺の前から出口へと向かっていく。これから閻魔王は同じく拘束されている聖、時希、そして暦を順に訪れるのだという。


「それが、お前の生きる理由か」


 俺の声は既に閻魔王に届いていなかった。


「何のために存在し生きるのか……」


 独立という目標を達成し、革命という目標を失った俺は、自分に言い聞かせるように何度も、何度もその言葉を呟いた。


────────────


────────


────


 ☆☆☆


 パチパチと焚火が音を立てていた。息を白くした私は急いで焚火に寄ると手袋を外して暖を取る。森之宮神社の境内の一角で古くなった御守りや御札をお焚き上げするお兄ちゃんを私は手伝っていた。


「燐瞳、次これね」


 箱に入った大量の御札をお兄ちゃんが運んでくる。私は急いで箱を受け取ると、せっせと所定の位置に運び、中身を少しずつ焚火にくべていく。


 いま、神社には私達家族しか居ない。


 アメリアさんは正式に連盟のメンバーとして組織に所属してくれる事になったけど、蓮華君とシヅキちゃんを連れて一時的にアメリカへ戻ってしまった。やり残したことがあるとの事で、それが終わるまでは帰れないそうだ。


 彼女が旅立ってから数ヶ月……早く会いたいな


 玄関の方から電話が鳴った。きっと桜ちゃんだ。桜ちゃんは相変わらず高松先生の屋敷にいるけど叔父の宍道さんとの関係を修復して今では一緒に仕事する仲なのだ。そして定期的に家に電話をくれる。まぁ……目的は……お兄ちゃんなんだけどね。


 また、回収した淡海琵琶先生の御遺体は瀬田さんが引き取っていった。瀬田さんの泣き顔が忘れられない。


「ん? どうした燐瞳? 手なんか見つめて」


「お父さん……ううん、ちょっと思い出してただけ」


 お父さんがお兄ちゃんと入れ替わるようにして玄関から出てきた。私は糸の巻かれていた小指を見た。既に糸は取り除かれ、そこには何もない。


 ────あの時、おしら様は集合意識を解除してくれた。といっても、元々繋がっていた村の人々はそのままだったので、お兄ちゃんと蓮華君は彼女を祓おうと必死だった。でも、彼女は姿を消した。あれが逃走だったのか、それとも本当に消滅したのか、それは分からない。でも、確かに目の前で彼女は霧散した。


「それよりお父さん、お仕事じゃないの?」


「あぁ、ここ数ヶ月の調査の件で報告があってね」


 お父さんは連盟員を利用して各地の心霊スポットの調査を行っていた。それは輪廻転生の機構の消滅と関係していた。


「残念な事に悪霊は減っていなかったよ……未練が消えた後、どこかに昇っていく現象も今までと同じ……我々側には何も変化がないようだ」


 正直、ホッとした。


「でもこの世界現世は、神も閻魔も手出しができない独立した世界になった……人類の神々への信仰こそ消えないが、彼らが我々を手助けすることはない……永遠に」


「うん……ねぇお父さん」


 ────なら私達は何のために生きているの?


 私の問いかけにお父さんは深呼吸して答えた。


「我々の役割は、ただ最後まで寿命を全うすること……長い人生の間に多くの経験を経て、身に着けた知識と技術を持って世界記憶へ還る事こそが、今の役割だ……だから今をめいいっぱい楽しむんだ……やりたいと思った事をやりなさい、燐瞳の経験は燐瞳だけのものなんだから」


 どんな経験も無駄じゃない。成功も失敗も関係ない。各々が何を見て、何を感じたか。何に挑戦し、何を得たか。人生という旅の終点に辿り着いた時、未練が残らないように、やりきったと胸を張れるように、今を生きねばならない。


 ────蓮華君も、「思い出はお前らで作れ」って言ってくれてたっけ。


 もう私達の魂が閻魔界を訪れる事は無い。


 それでも、過去に閻魔界を訪れていた先人達の意思が、記憶が、この世界の法則を形作っているのは事実だ。なら、私達も彼らに習い、多くを学び、多くを経験する必要があるだろう。そうやって培った私達の知識が後の世界を培う糧となるのだから。


 寒空の下で私はゆっくりと瞳を閉じる。そうすれば、また彼に会える気がした。


【和睦の使者~空の座礁編 完結】

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和睦の使者〜空の座礁編 RIDDLE @RIDDLE_san

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