第29話〜聖読庸行

「────何をしているんだ、コイツは?」


 少年が見下ろしているのは、廃墟の中で、うつ伏せで気絶する閻魔聖だった。人間状態の彼は、屋上を目指して必死に身体を引きずったのだろう。階段の踊り場で力尽きていたのだから。


「死んだ……わけではないようだな?」


 少年の顔が後方のハヤトに向いた。ハヤトは静かにうなずいた。


「聖君は、致命傷を受けています。おそらくは、生命維持のために意識を失っているだけかと」


「それなら、仕方がないな」


 少年が手をかざすと、腕の表面から赤黒い液体が水滴となって聖に滴り落ちた。


「なるほどな……”衣”とは考えたものだ」


「衣をご存知で?」


「当たり前だ……と、言いたいが、俺も実物を見るのは初めてだ。衣は閻魔界に入国する前に剥ぎ取られるからな。────まぁいいさ。”衣”も”内燃機関”も、魂を修復させる原理は同じだ。外から治すか、内から治すかの違いでしかない」


 生命力を即座に修復するのは、生命力しかないのだ。バッテリーの充電に、他のバッテリーを使うようなものだ。人間から剥ぎ取った衣も、人間の魂を濃縮する内燃機関も、要は他者の生命力を自身に移しているに過ぎない。


 ☆☆☆


 液体を垂らす少年を背後から見ていたニコラスは、自然と自身の身体を見渡していた。彼は、つい先ほどまで満身創痍だった。右腕以外の四肢を切断され、神の一撃を受けて内臓は破裂し、骨は砕けていた。


 それが今はどうだ。ほとんど・・・・元通りだ。両足は生え揃い、身体の内側も元通り。痛みも何もない。ニコラスは、今もなお断面から少しずつ生えてくる左腕を眺めていた。


「驚いただろう、ルシファー」


 少年は、一仕事を終えたようで、気がつけばハヤトとニコラスに向き直っていた。


「霊体の修復なら、私は何度も見ています。それこそ、聖さんの衣が、まさに霊体の修復なのです。しかし、私は肉体を持っている。それを、こんな短時間で修復するなんて────」


「────ありえない、か?」


 ニコラスの言葉を、ニヤリと笑った少年が代わりに口にした。


「そう、ありえない事じゃない。お前の隣の男が、七百年以上生きているのを知っていれば、そう難しい話じゃないと思うがな」


 少年の発言に、ニコラスはハッとして隣のハヤトを見た。今のハヤトの肉体は、笛吹男アルベルトのもの。


「内燃機関────賢者の石・・・・ですか」


 その石は、生命力を凝縮した物質と言われている。数多くの魂の集合体。


「魂は、世界記憶の欠片だ。なら、石は擬似的な世界記憶と言い換えることもできる。世界記憶に刻まれた情報コードは────」


「────現実世界に影響を与える」


 今度は、少年の言葉をハヤトが代弁した。再び少年の口角が上がった。


 世界記憶────アカシックレコードとも称されるそれは、世界の基盤なのだ。現世の理や、閻魔界の規則も、それこそ物理法則すらも世界記憶に記された情報コードを元に働いている。


「俺には、取り込んだ魂を賢者の石に変換する機関が備わっている。────これがなければ、何百年も現世の理に抗えなかっただろう。全ては、世界記憶の改訂のためだ。コイツ・・・も本望だろうよ」


 少年が自身の腹部を撫でた。ハヤトの目は、少年を真っ直ぐ見つめていた。


 ☆☆☆


 数分後、聖が目を覚ました。周囲を見渡し、少年が視界に入った途端、聖は自然と頭を下げていた。


「申し訳ありません……マガツヒノカミ」


「構わない。お前は、俺の思想に共感し、ここ現世まで着いてきた。それだけで、俺はお前に敬意をもって接することができる」


 少年が聖の肩に手を置いた。そして、聖を立ち上がらせる。


「────そうか、閻魔薙も降りてきたか」


 少年は聖の情報を読み取った。神と異なる時間軸に座礁してから、今日までを全て理解したようだった。


 聖は衣を脱いだ。上半身と下半身は一つになっていた。衣の修復よりも圧倒的に早い再生だった。


 そして、思い出したようにニコラスを見た。


「あの女は!? お前の腕を切った修道女はどうした!?」


「アメリアは……逃げましたよ」


 ニコラスの歯切れの悪い解答に、聖は彼の両肩を掴んで揺すった。


「なんで逃がした!? あの女は、案内人を殺したんだぞ!?」


 聖の瞳の中には、怒りが燃え盛っていた。仲間を奪われた復讐心が、彼にそう発言させた。聖の言葉に、少年は小さく拍手を送った。


「閻魔が自我を持つとは、素晴らしい。────なら、お前の意志は汲み取らねばな」


 少年の周囲で赤黒い液体が渦巻き始める。


「確か、ルシファーが魂を貯蔵しているんだったか?」


「仰る通りです」


 ハヤトは少年の問いかけに答える。


「なら、今すぐ寄越せ」


 少年の指示を受けたハヤトは、ニコラスに目配せをする。ニコラスは、口にナイフを咥えると、右の手のひらを切って床に打ちつけた。


 浮かび上がった紋章から出現する純白の球体が、次々に少年の胸部に吸い込まれていく。少年と周囲の液体が、淡い光を発し始める。


「お前は、光だったな。少し波長は短いが、これをやろう」


 少年の左手の上で、液体が青白い光球に変化した。見惚れてしまうほど美しい輝きを発する球体は、聖の体内に勢いよく飛び込んだ。


 聖は、全身を包む活力に驚愕した。今の自分なら、なんでも出来るのではないか。そう思わずにはいられなかった。


「すごい……これなら、全能術を制限なく使える」


「余りある力だろう。好きに使え。さぁ、天使も、閻魔薙も、お前に抗う者を屈服させろ」


 少年の言葉に、聖は光となって飛び去った。彼の軌跡は、闇夜に一筋の線となって浮かび上がった。


「神、そろそろ依代を……」


「それは後でいい。俺たちも行こうじゃないか」


 少年の液体が、ハヤトとニコラスを包み込むと宙に浮かんでいく。三人は、飛び去った聖の後を追うように宙をかけた。


「今度は、どこに行くおつもりですか!?」


 ニコラスは新しい眼帯を付けながら叫んだ。


「決まっているだろう────返してもらうんだよ、和睦を」


 ☆☆☆


「うぉおおおお!!! なんて力だ!? 現世の理も、無視できそうだぜ!!!」


 空中を高速で飛翔する聖は、神から与えられた光球と共に、最後にアメリアのいた位置の情報も共有していた。


「金剛鈴! 探知範囲を広げろ!」


 もらった位置情報を金剛鈴に読み込ませる。ソナーのように、音波が周囲の空間に広がって反射して返ってくる。その結果から、アメリアが逃げた方角を割り出し、舵を修正する。


 そして、聖の金剛鈴が彼女を探知した。アメリアが向かっているのは、郊外の神社。しかし、なぜか神社内部の生物情報は金剛鈴では読み取れない。


 アメリアが境内に降りるのが遠くから見えた。


「着陸できると思うなよ」


 遠くから、左手をアメリアの方に向ける。射程は、神社全体が範囲に入る。


「染めろ、祭壇を照らす西の妖星────十全たる斜陽の法則ッパーフェクト・マダー!!!」


 背光が八つの円鏡に変化し、聖の周囲を旋回し始める。そして、円鏡一つ一つから、目標目掛けて斜めに光線が照射された。直進する光線は、他の鏡の反射も利用して、予測不可能な軌道でアメリアを襲うッ!


「光芒は防げても、斜陽は防げまいッ!!!」


 ☆☆☆


「あれって、流れ星?」


 燐瞳は空を眺めていた。月から噴出する液体は止まったが、また出てくるかもしれないため、監視の役割を与えられていた。


 そんな夜空から落ちてくる純白の翼の少女。翼が月明かりを反射し、流れ星にも見えなくはない。だが、あれはまさしく、見慣れた修道女の姿だった。


「アメリアさんッ!?」


「閻魔薙! 私に集中して!」


 シヅキの声が震えた。鏡を通してシヅキに流れ込む薙の記憶は、彼の意識に依存している。薙の意識が、別の何かへ向けられれば、全能術習得の追体験は中断される。


 しかし、アメリアに意識が向くのは仕方がない事だった。彼女の背後から、無数の光線が神社に向けて迫っているのだ。問題は、それが光線・・という事だ。薙やシヅキの空間移動で一点のみ移動させても、止まらないだろう。止めるには、発射地点から光線の先端までを別の場所に移動させるしかない。


 光線の一本が、アメリアの翼を撃ち抜いた。バランスを崩した彼女が、頭から薙達目掛けて落下してくる。


「シヅキさんッ!!! アメリアさんをお願いしますッ!!!」


 薙は、閻魔の姿になると、上空に空間移動した。迫り来る光線へ右手を突き出す。


十全たる空孔の法則ッパーフェクト・オブリヴィオン!!!」


 アメリアと光線の間に虚無への入口が開く。


「頼むッ! 面で良いから、広がってくれッ!!!」


 本来、三次元に展開されるはずの虚無の空間は、面という二次元で形成されている。Z軸に広がらないなら、X軸、Y軸方向に広がれと、薙は念じた。虚無への入口は、神社の上空を覆い尽くす面積まで拡大する。


 穴が拡大するにつれて、薙の全身に激痛が走る。意識を保つのがやっとというほどの消耗が彼を襲った。それでも、術を解除するわけにはいかなかった。解除すれば、地面の燐瞳たちに被害が及ぶ。


 彼女達を守るという意思だけが、薙を支えていた。


 ☆☆☆


 無数の光線は、虚無への入口に飲み込まれ消えた。神社の上空を覆う穴を、燐瞳、シヅキ、アメリアが見上げていた。


 そして、穴が消えた時、二つの影が、神社の敷地内に降り立った。


 一つは、衣を纏い、人間状態になった閻魔薙。もう一つは、閻魔の道服に身を包んだ閻魔聖だった。


「────俺が手を下すまでもないな。なぁ、薙?」


 夜だというのに、聖の背後には光輪が輝いていた。何より、金色に混ざって青白い光を纏う光輪が不気味でならなかった。薙は、聖を知っている。彼の光輪から感じる違和感が薙を惑わせる。


「閻魔には、瞬間的にしかなれないようだな。当たり前か、全能術を撃ったんだからな」


 余裕を見せる聖に、薙は何も言い返せない。聖が左手を薙に向けた。


十全たる斜陽の法則パーフェクト・マダー


 人の背丈ほどの無数の鏡が上空に出現した。鏡は、ゆらゆらと個々に動きまわり、薙達の周囲を包囲する。


 いつでも撃ち抜けると、言われているようなものだった。


「マガツヒノカミが降り立った。俺は、神の理想を叶える。その為に、邪魔なお前を消す」


 聖の言葉に、薙は拳を強く握りしめた。


「やはり、あれは、災厄の神……」


「俺は神から力を与えられた。当分は、現世の理に縛られない。この間とは違う……何もかもがなッ!!!」


 聖の光輪の輝きが増した。同時に、聖は右手を突き出す。


十全たる光芒の法則ッパーフェクト・ラダー!!!」


 光輪が円鏡に変化して聖の頭上で光を発した。それを見たアメリアは、無数の光弾が予測不能な軌道で飛んでくるのを理解した。


 斜陽の鏡を使い、光芒の弾丸を反射する。そうなれば、燭台でも防げない。彼女はそれを瞬時に予測し理解した。


 偶然にも、アメリアの思考は、シヅキに鏡を通して伝わった。


「全能術が……二つ!? そんな馬鹿なッ!?」


「この土地ごと消え去れッ!!! 閻魔薙────!?」


 円鏡から発射された光弾は、上空に連射された。空を向いていたのは円鏡だけではなかった。聖の身体自体が、上空に投げ出されていた。機銃の発砲音に似た音が、轟いていた。


 聖を移動させたのは、シヅキの空間移動だった。咄嗟の出来事だったため、上空に移動させざるを得なかった。もっと遠くへ飛ばそうと、シヅキは、座標計算をもう一度始める。


 ☆☆☆


 狙いが外れた。そう聖が理解した時、彼の怒りは頂点に達した。


「────十全たる太陽信仰の法則ッパーフェクト・オルター!!!!!」


 聖の逆鱗に、シヅキは触れたのだ。彼は、顔に泥を塗った彼女を許さない。そう表現するかのように、斜陽でも、光芒でもなく、彼の本来の全能術を唱えた。


 神に仕え、神の理想を達成すると語った彼の行動は、皮肉にも神の嫌う人間と変わらない凡庸なものだった。


 十全たる太陽信仰の法則は、閻魔達の沈まぬ太陽への信仰心を術化した代物。神々すら到達出来ない絶対不可侵領域として存在する沈まぬ太陽を模した巨大な光球が出現した。そこから、地面へと光の柱が発射される。


 光の柱は、周囲の全てを無に帰すだろう。


 絶対不可侵の力に対抗する手段はあるのだろうか。


 あるとすれば、同じく、絶対不可侵の力しかないだろう。


 神の規則に、”敵意のない相手を攻撃してはならない”と記された一文がある。


 それは、名を呼ばれるのを待っている。


 鍵となる継承者の因子を持つ者に、必要とされるのを待っている。


 ────警鐘と言わんばかりに、本殿から、鈴の音が鳴り響いていた。

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