第30話〜信仰と空孔

 太陽が昇った。


 その場にいた者は、口を揃えて言っただろう。


 頭上に出現した光球は、地上の闇を祓い退け、全てを曝け出したのだから。


 光球の表面で、紅炎プロミネンスがうねる度に、その影が地上をなめた。


「あれが、本来の全能術……斜陽も、光芒も、アレの一部でしかないのか……」


 聖の使う全能術が複数あるのは、彼本来の術である”十全たる太陽信仰の法則”の一部の力を使っているからだと閻魔薙は察した。


「そうじゃないと、説明が付かないんだ……全能術を複数習得するなんて……そんなことが滅多にあってなるものか」


「御託は言いわよッ!!! アンタは燐瞳達と逃げなさいッ!!!」


 シヅキは、険しい表情で薙と燐瞳を怒鳴りつけた。その声に、固まっていた燐瞳がビクンと身を震わせた。


「周芳と華苗と、それから宍道さんも連れて逃げてッ!!!」


 玄関から、いつでもかけ出せるようにスタンバイしていた周芳が顔を覗かせた。少し離れた所にある燐瞳の自宅の玄関前は、聖の出現させた鏡で封鎖されていたものの、今は動きを止めている。動くなら今しかないだろう。


「シヅキさんは、どうするんですか!?」


「私は……私が何とかしてみるわよ……教わった全能術でね」


 シヅキは首からかけていた鏡を薙に投げ返した。そして、上空で輝く偽りの太陽を茫然と眺めた。


「ずっと考えていた。十年前────ハヤトの洗脳下とはいえ、神の封印を解いたのは私……どこかで責任をとる必要があるって────それが、今だってだけ。それだけよ」


 薙と燐瞳に向けられたシヅキの瞳は、悲しみの色に染まっていた。本当は、燐瞳たちと一緒に居たいと、彼女の気持ちを理解するのに、鏡はいらなかった。


 シヅキの空間移動の力は、触れた相手に作用する。だから、光の柱に触れる必要が彼女にはある。しかし、聖の術のエネルギーは、触れれば蒸発してしまう程だ。これは、シヅキの死を意味していた。


 触れずして、現状を鎮める方法は、一つしかないのだ。


 偽りの太陽から地上に放たれた光の柱に、シヅキは両手を向けた。


「────十全たるパーフェクト……空孔の法則オブリヴィオンッ!!!」


 握り拳ほどの穴が、光の柱と衝突するように開いた。言うなれば、一次元の点として、虚無への入口が発生している。


 一次元の点として存在する虚無を二次元の面へ昇華させる。ゆっくりと広がる虚無への入口が、神社を覆い尽くすほどの巨大な光の柱を防御する。


 シヅキが開いた虚無への入口は、光の柱の直径に達した。


「全てを────飲み込んでッ!!!」


 シヅキの喉が震えた。二次元の面として存在する虚無を三次元の球へと昇華させる。そうすれば、光の柱ごと、閻魔聖を虚無へ閉じ込める事ができる。


 ☆☆☆


 一次元の虚無が光の柱に衝突した衝撃は、周囲に拡散し、余波が地上の薙、アメリア、燐瞳を鳥居の近くまで弾き飛ばした。シヅキが虚無を二次元に昇華させたことで、拡散は止まったものの、鳥居に頭を打ったアメリアは、燐瞳の肩を借りないと動けそうになかった。


 薙の目が、シヅキの変化を捉えた。虚無の次元を一段階上げるごとに、彼女の身体に電流が発生し、魂を分解し始めていた。


 全能術を発動するのに必要な熱力学エネルギーの足りない分を、彼女の魂が肩代わりさせられているのだと察するのに時間は掛からなかった。今頃、シヅキは激痛の中でさらに次元を上げようとしている。


「シヅキさんダメだーッ!!! 術を解いてくれッ!!!」


 鳥居から走りながら、薙は衣を脱いだ。同時に、袖から出現した鬼籍が、砂利の上に落ち、開いた頁に警告文を表示する。


 それは、薙の限界を表していた。


 シヅキに術を使わせるわけにはいかない。しかし、薙にも術を使わせるわけにはいかない。最悪の場合、この場で二つの魂が消滅してしまう。


 燐瞳が、薙の背後から必死に抱きつく。


 今にも消えてしまいそうな魂を、この世界に繋ぎ止めるように。


「ダメッ!? やめてッ!? もう誰も、いなくならないでッ!? ────助けて、お兄ちゃんッ!!!!!」


 燐瞳の叫びに、薙の金剛鈴が大きな音を鳴らした。薙の意思に関係なく、姿が人間状態に戻された。光の柱は、もう頭上に迫っていた。


 ☆☆☆


 光の柱は、虚無を押し除けた。波と粒子へと姿を変えた光は、閻魔聖の視界から神社を隠した。拡散する光の波と粒子に、彼は愉快な表情を浮かべた。


 ────手応えは、あったッ! 十全たる太陽信仰の法則パーフェクト・オルターを受けて、まともに形を残している者なんて、存在してはならない。


 ゆっくりと高度を落とし、光の中を通過する。地面の砂利を踏みしめた時、地形に変化がない事に違和感を覚えた。高密度の光の柱を受けたなら、周辺がクレーターになっていてもおかしくはない。


 上空を見上げると、未だ偽りの太陽が輝いている。まだ、あと一回は撃ち出せそうなエネルギーが内部で渦巻いている。


「────!?」


 前方で、砂利を踏みしめる音がした。光の粒子が晴れていく。現れたのは────人間状態の閻魔薙だった。


 薙の姿は、凛としていた。その目は、真っ直ぐと聖を見つめていた。


「な、なんで……」


 聖の疑問は最もなものだった。あれだけ高密度のエネルギーを受けた魂が、存在できるはずがないのだ。例えるなら、プレス機に巻き込まれた人間が、元の形を維持し生きているようなもの。


 あり得ない……あってはならない。


「それに────!?」


 光の粒子が晴れたことで神社全体を見渡すことが可能となった。鳥居も、社も、何もかもがそのまま。崩れてすらいない。


「絶対不可侵の力は……その名の通り、全てを拒絶する」


 薙の後ろには、横たわったアメリアの隣で、日本刀を抱えて震えている燐瞳の姿があった。


「わ、和睦……」


 一歩、聖の足が背後に下がった。


「聖……君を排除する……そのために、和睦を使うッ!!!」


 薙の発言に、燐瞳が力強く首を縦に振った。差し出された和睦の柄を、薙が握り締めると、鈴の音が響き渡った。


 躊躇いなく解き放たれた白銀の刃は、薙の姿を再び閻魔へと変化させた。


「お前に……もう、閻魔になれるだけの時間は……ないはずだッ!!!」


 焦る聖の上ずった声を否定するように、薙は道服姿に変化した。その変化は、衣の上から行われた。さらに、失っていた、鏡、秤、鈴、剣を身に纏った彼の横に、鬼籍が飛んでくる。


 五芒星の裁判官────閻魔薙の完全な姿が復活した瞬間だった。


「バカなッ!? 衣の上から変化しただとッ!?」


「今の僕は、制限時間現世の理に縛られないッ!!!」


 和睦の刃に、偽りの太陽光がキラリと反射した。


 ☆☆☆


 数分前、シヅキの虚無が解除された瞬間、燐瞳達の頭上に和睦は飛んできた。燐瞳の、薙への想いに応えるように、和睦は絶対不可侵の力で聖の術をかき消したのだった。


 和睦は、燐瞳の手に惹かれるように舞い降りた。鞘を握った燐瞳は、薙へ無意識に和睦の柄を差し出した。今の彼なら、閻魔薙なら和睦を抜ける。そう思えてならなかった。兄と重なって見えた薙に、燐瞳は全てを委ねたのだ。


 薙も、燐瞳の心情を察していた。現状を打破できる唯一無二の力。それが和睦だ。燐瞳を想い、継承を断った彼だったが、彼女のために、今だけその力に身を委ねようと覚悟した。


 薙の名前が与えられた和睦を、彼自身が抜いた時、起こる事象は想像を絶するものだった。その場の誰も、予想を当てることは叶わなかった。衣を着た状態で、閻魔に変化するというのは、悪霊化や妖怪化とは異なる魂の変化だった。


 ☆☆☆


「聖、君を閻魔界に連行する」


「ふざけるなッ!!!!!」


 聖の背後に光輪が発生し、彼の突き出された右手から光線が放たれた。神の理想を理解した自分を、否定された気分になった聖は、怒りのままに攻撃を仕掛けたのだ。


 薙は、和睦を左手に持ち替え、同様に右手を突き出した。


十全たる原子空孔の法則パーフェクト・ホールッ!!!」


 前方に、人間一人分の大きさの虚無が展開される。聖の光線は、虚無へと吸い込まれる。


 光の軌跡を残しながら、聖は薙へ近づくと、倶利伽羅を振るった。その刃は、見た事のない青白い光を纏っていた。薙は和睦の刃で倶利伽羅を受け止めた。


「全能術の複数持ちかッ!? ふざけるなッ! 俺より上だと言いたいのかッ!?」


「君から学んだ事だッ!!! 全能術の一部を使ったに過ぎないッ!!!」


 光芒ラダー斜陽マダー太陽信仰オルターの一部なのと同じ理屈。薙は学習し、成長を続けている。


 境内で二人の間に火花が散る。今の聖の倶利伽羅は、明らかに閻魔の持つ”生命を奪わない剣”ではなかった。高密度の生命力が刃をコーティングしたそれは、間違いなく薙の命を奪う刃だった。


「金剛鈴!!!」


「金剛鈴!!!」


 二人が同時に叫んだ。異なる鈴の音が重複して鳴り響く。お互いの動きを、お互いが鈴を通して察知する。光の速度と空間移動による空中戦が巻き起こった。


十全たる斜陽の法則パーフェクト・マダーッ!!!!!」


 複数の鏡が空中に発生し、聖の放った光線が蛇のようにくねり、縦横無尽に薙を狙い撃つ。光の檻とでも言うべき聖の攻撃は、空中で身動きの取れない薙の逃げ場を奪い去った。


 和睦の絶対不可侵の力は、”納刀状態”のみ発動する。抜刀した今の薙に、その力はないのだ。


 薙は右手を腰の金剛鈴にかざした。鈴の振動が、空中を動く複数の光線の座標を、感覚として薙に知らせる。


十全たる空孔拡散の法則パーフェクト・ディフュージョンッ!!!!!」


 薙に向かう複数の光線の先端だけに、ピンポイントで虚無が発生する。それは、金剛鈴の感知能力と、緻密な座標計算、術のコントロールが為せる技。


 薙は左手を腰の天秤にかざす。天秤が、カタンと一段階傾いた。同時に聖に荷重がかかり、空中で姿勢を崩した。


「神の力を、分離するッ!!!」


 その隙に、聖の背後に空間移動した薙は、あの時と同じように、聖の背中の光輪を切り裂いた。


 縦一文字の斬撃が、聖の光輪を両断した。聖の身体から、青白い光球が吐き出され、偽りの太陽へ上昇し一つになった。空に浮かぶ巨大な球体は、橙色から青色に変化していく。


 残された聖の全身を電流が覆い尽くした。神から与えられた膨大なエネルギーを失った反動。彼の制限時間は、とうに超えていた。激痛に顔を歪ませながら、薙の方へ向き直った聖の口が、わずかに動いたかと思うと、青白色の球体から、再び光の柱が地上へ放たれた。


 光の柱は、聖すら飲み込んだ。薙は両手を合わせ、地上の燐瞳達の前に移動する。術者を失ってもなお、進行を止めない光の柱へ、和睦を持つ右手を振り上げる。和睦の頭から垂れる紐の先で、鈴が鳴った。


「空間の神……貴方から学んだ術が、皆を救います」


 景色が歪んだ。直線のはずの光の柱すら曲がって見える。まるで巨大なレンズが頭上に現れたように、上空の全てが屈折した。


十全たる空孔の法則パーフェクト・オブリヴィオンッ!!!!!」


 歪みは漆黒の穴へ変化した。この穴は、今までの”面”ではなかった。どの角度から観測したとしても、新円に見えるそれは、完全な”球体”として存在していた。三次元へ昇華された虚無への入口は、光の柱どころか、偽りの太陽すらも飲み込み、薙の振り上げた右手を下げるまで空中に存在し続けた。


 ☆☆☆


 ────静寂が訪れた。


 その場にいた全員の頭上に広がる闇夜には、ただただ星々が輝いていた。


 何も起きていなかったと思えるほど、静かな夜空だった。


 薙は、静かに燐瞳を見つめた。彼女は、無言で鞘を薙に手渡した。和睦を鞘に納めると、薙の姿は閻魔から人間へと変わった。薙は和睦を燐瞳へ手渡す。


「閻魔聖は……死んだの?」


 和睦を受け取る燐瞳の横で、シヅキは神妙な顔つきでそう言った。薙は、首を横に振った。


「いいえ。聖は、虚無の中で生きています。あの空間は、僕が作り出した別次元です。現世でも、閻魔界でもない。だから、現世の理の範囲外です。────僕が再び入口を開くまで、出る手段はない」


 十全たる空孔の法則────それは、薙の望む大きさの虚無を生み出し、その中に相手を閉じ込めるもの。全能術とは、神を捕縛する術。命を奪うための術ではないのだ。


 遠くから、周芳と華苗が走ってくる。燐瞳の肩を抱いた周芳と、シヅキの肩を抱く華苗。鳥居にもたれ掛かっていたアメリアも、石段を駆け上がってきた宍道の背中におぶされて合流する。


「薙くん……やはり和睦閻魔薙は君を選んだ。君が持っていなさい。これも、春人の意思だ」


 周芳は燐瞳の持つ和睦を見つめた後、視線を薙に向けた。


「いえ、周芳さん……僕は────」


「持っていって……」


 燐瞳は、和睦を薙に押し付けた。小さく鈴の音が鳴った。


「でもッ! 壊さないでッ!!! あと、お兄ちゃんに会ったら、必ず私の前に連れてきてッ! それだけは、それだけは約束してッ!?」


 燐瞳も分かっていた。彼女の心境を察するのに、薙に鏡はいらなかった。先ほどの聖と薙の激闘を見て、和睦がなければ全滅していたと、理解してしまった。これから薙は、解き放たれた神を捕らえなければならない。それは、彼が地上に降り立ってから決まっていたこと。その大仕事を成し遂げるのに、和睦はなくてはならない。


「────分かった。ありがとう。約束する」


 和睦の鞘を強く握ると、薙は強くうなづいた。


「燐瞳……春人を連れてくるって、どういう────」


「話は、後だ……閻魔さん以外は、早く逃げろ……奴らは直に来る……きっと、ニコラスも」


 周芳の言葉を遮るように、宍道の背中からアメリアの弱々しい声がした。


「逃げるなら、全員よ。閻魔薙も、あなたも、誰も戦わせないわよ」


 シヅキの鋭い視線がアメリアに向けられた。この高ストレス状態から早く離れるべきだと目が言っていた。それはシヅキ自身より、燐瞳を心配しての発言だった。「少しは周囲を考えろ」というシヅキなりの優しさだった。


「と、とりあえず俺のキャンピングカーに全員乗ってくれッ! 詰めれば七、八人くらい乗れるだろ!」


「八人? そういえば、暦ちゃんは?」


 宍道の発言に、華苗が口を割った。その瞬間、薙の表情が強張った。この場にいるのは、薙、燐瞳、周芳、華苗、宍道、シヅキ、そしてアメリアの七人。暦は、いないのだ。


 和睦を抜いた薙は理解した。いや、理解してしまった。全てを思い出したのだ。


 “暦”という知り合いは、薙の記憶の中に、一切登場しなかった。彼女は、薙の部下を名乗った。そんな部下はいない。


「暦……君は、誰なんだ」


 燐瞳に手を引かれながら、遠くを見つめた薙の口から、自然と言葉が溢れていた。

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