閑話〜影の住人達⑦

 ────なぜ負けた? 俺は、神に選ばれたのにッ!!!!!


 漆黒の空間を揺蕩うのは、閻魔聖。虚無と呼ばれるのがふさわしい空間の中に、唯一存在しているのが彼だった。薙の術に飲まれ、現世とも閻魔界とも断絶されている空間に幽閉された彼は、納得がいかなかった。


 ────神の思想に共感した閻魔達は大勢いたはずだ。だが、神の後を追ったのは、俺だけだった。口では神を崇めても、行動に移せなかった奴らと俺は違うッ!!! 閻魔の中立性を、いち早く打ち破ったのは、俺なんだッ!!! 有象無象の奴らでも、閻魔薙でもないッ!!!


「俺がッ!!! 選ばれたんだッ!!!!!」


 聖の絶叫は、ただただ虚しく、何もない空間に拡散するはずだった。返事なんて、この空間で返ってくるはずがなかった。ここにいるのは、聖ただ一人だけなのだから。


「────貴方は神に選ばれていない。ただ、勝手に着いて来ただけ。それだけなら、有象無象の閻魔達と変わらない」


 聖の耳元で囁く声がした。その声は、聖にとって心地よく、現世に座礁してから味わうのは二度目の感覚だった。


「────カレン?」


 聖の表情が固くなる。声は、今度は遠くから聞こえた。


「もし、貴方が神の思想を理解し、共感したのなら、世界記憶を改変し自由になった暁に、何を望むの? 役割からの解放は、ただの手段でしかない。神には、その先に統治という目的がある。────それに比べて、貴方に目的なんてあるの?」


 黒のカーテンが剥がれるように、突如、空間に割って入ったのは、カレンだった。彼女は、虚無の空間を揺蕩う聖と異なり、まるで舗装されたアスファルト上を歩くように、優雅に彼の前まで移動してきた。


「貴方は何も考えず、ただ成り行きに任せて行動しているに過ぎない。そこには意志の支柱は存在しない。役割の解放は、意志の支柱を持つ者にのみ有益に働く。生きる目標も無しに、役割を捨てるのは、自己の存在価値を捨てているのと同じよ」


「お、俺は……神に仕えて、それで……」


 それで、何をするつもりだったんだ?


「災厄の神の悲願……世界記憶の改訂が行われれば、保守派と革新派の長きに渡る争いに終止符が打たれる。彼らの────神の国は、自由思想で統一される」


 カレンは、そこまで言い終えると、念を押すように、「それが貴方の目的?」と聖に聞き返した。


「俺は、神に仕えたかった」


「どうして?」


「マガツヒノカミは、俺と同じ疑問を持っていた。その疑問に、真正面からぶつかり、解決を図ろうとした……その姿勢に惹かれたんだッ!」


 神を横で支える。それこそが聖の目的だと語った。


「────他者依存から抜けられないのね。それは、閻魔の役割を捨てて、神の補佐官という新たな役割に鞍替えしているだけよ。役割からの解放にはならない」


 かつて、聖は言った。「他者からの承認が生きる指標になる」と。それを、カレンは真っ向から否定した。そんな考えは、意思の支柱のない者がするものだと言わんばかりに、はっきりと言葉にして聖を拒絶した。


「何をッ!!! 何が、意思の支柱だッ!!! 現状を捨てて、自由を求めるのがいけないと言いたいのかッ!!! 誰かから必要とされたいと思ってはいけないのかッ!!! 大半の者は、そんな崇高な目標を掲げはしないッ!!!」


「だから、貴方みたいな存在は、役割から逃れられないって言っているのよ。まぁ、自由になってみるといいわ。どうせ、役割なしに生きる意味を見出せないでしょうから」


 カレンの姿が少しずつ後退していく。聖の伸ばした手が、彼女の揺れる袖を掴むことはなかった。


「ここは、時間も空間も、現世や閻魔界と異なるわ。次に会えるのは、いつになるでしょうね。まぁでも、大丈夫よね? 貴方達は何百年も同じ役割を繰り返している存在ですもの」


「おい待てッ!? 虚無に干渉できるなら、俺を現世に戻せッ!!!」


「嫌よ。貴方と過ごして分かったもの。────貴方は、役に立たない」


 遠ざかるカレンの身体が、少しずつ闇に溶けていく。聖は必死に手を伸ばし、近づこうと必死だった。しかし、虚無の中では自由が効かない。ただ、その場でもがくだけである。


「ここにアクセス出来るのは、時間や空間の力……又は両方を持つ存在だけ。閻魔界から、閻魔時希が助けてくれるんじゃない? もちろん、見つけてくれたらだけども」


「行くなッ!!! 行くんじゃないッ!!! 俺をッ!!! 俺を一人にしないでくれッ!!!!!」


 悲痛な叫びに対し、カレンの姿は闇に消えた。再び、静寂が訪れる。しかし、それに聖が耐えられるはずがなかった。


 一体これから、どれだけの間、一人なのか。それを考えるだけで、聖には絶望が押し寄せる。


 ここには誰もいない。役割も存在しない。そんな世界で、聖はどう生きればいいのか。


 再び、虚無への入口が開くまで、答えを出せずに、彼は漂い続ける。

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