第四章〜世界の真実

第31話~怪力乱神

「────聖の力が消えた」


 宙に浮いた少年は、ポツリと呟いた。両脇で赤黒い液体に抱えられたハヤトとニコラスは、驚いたように、同時に少年の方を向いた。


「滅却されたのですか!? 彼は、貴方様のお力で────」


「滅却なら、消えるまでに時間がかかる……彼奴には、光を超える放射線の力を与えた。それを上回る力は感じられない」


 ニコラスの言葉を少年は遮った。


 我々の目に映る光は可視光と呼ばれる。その光は波長の長さで色が変わり、波長は、短いほどエネルギーは大きくなる。波長が長ければ赤く、短ければ紫に近づく。そして、紫よりも短い波長を紫外線と呼び、紫外線よりも短いものは放射線となる。


 聖の光輪が青白く光っていたのは、チェレンコフ光を模したものだったのだ。


「俺の理解者が、消えた……」


 少年は、空中で静止する。彼を中心に、再び雨雲が天を覆いつくし始めた。まるで、少年の心が空に反映されているようだった。


「ハヤト……和睦は目覚めているのか?」


「いえ、継承者を失い、眠ったままのはずです」


「ならば、なぜ聖は負けた? 彼奴は一瞬・・で消えた。考えられるのは、一つしかない────空間の神の力だ」


 少年は、空中のハヤトに向き直った。ハヤトは言葉に詰まった。神から力を分け与えられた閻魔聖を止められる者がいるとすれば、空間移動しかないと少年が語るのは、その力を和睦が握っているからだ。


「和睦には、閻魔薙の力が封じられているはずだ。俺は、現世に座礁する中で、和睦が変化するのをこの目で見た。閻魔薙は、空間の神から知識を学んでいる。彼奴の全能術なら、もしかしたら……」


 少年は、移動速度を上げた。彼の感知力は、閻魔聖が消えた爆心地を捉えている。


「閻魔薙の全能術の詳細を、ご存知で?」


 ハヤトは、風圧から右手で目を守りつつ、少年へ質問する。


「いいや、知らんよ。発動前に斬り殺したからな。」


「空間の神の力なら、シヅキの可能性は?」


 今度はニコラスが口を開いた。


「空間の神の遺児か? アイツにそれだけの力があれば、廃校でお前は消えていただろうよ」


 嫌味のある返事にニコラスは口を噤んだ。


 ☆☆☆


 森之宮神社の駐車場を、旋回する赤いランプが照らしていた。閻魔聖の全能術を目撃した一般人が、通報を入れた結果、警察が出動したようだった。通報者らしい青年達が警察官と話をしていた。


 その様子を、上空から眺める三人は、視界を水平に戻した。


「派手に暴れたな、聖くん」


 口元を抑えながら、ハヤトは移動する人影を目で追った。


「────ここにはいない。和睦もないようだ」


 少年は、瞳を閉じると、感覚を研ぎ澄ませる。神の耳には、常に人間の祈りの声が聞こえている。これは切ることが出来ない。しかし視界は、神の意思で切り替える事が出来る。見たいものが見られるわけではないが、それでも大雑把な情報は得られる。


 静かに少年の右手が地上に停まるパトカーを指差した。


「絶対不可侵の力を逆手に取る。あの車という箱が人間の移動手段なら、その中に生命力が見えるはずだ。俺の目には、生命力が形として映るからな。────だが、あれだけ狭い空間に和睦があれば、生命力は隠される」


 動いているのに人が乗っていないなんて、あり得ない。神はそう言って空中から周囲を見渡した。


 少年の瞼の裏で、近隣の主要道路を赤い光が動いている映像が流れた。光は全て車のテールランプ。光は、軌跡となって線を描く。


 車体が透けていく。大半の車には三人から四人の生命力が人の形を成していた。視界は、どんどん現在地から遠くなる。探索範囲を広げていくと、峠を下る数台のスポーツカーが見えた。


 その峠に差し掛かった一台のキャンピングカー。大きな車体に関わらず、生命力が一切確認されない。少年の口元が緩んだ。


「絶対不可侵の力を、この目で確かめるとしようか」


「見つけたのですね!? 急ぎましょう!」


 片翼を展開したニコラスの肩を少年は強く掴んだ。少年の目が、待てと言っている。


「ここから放つ……座標計算は済んでいる」


 振りかざした右手の先に、赤黒い液体が集まり、一本の薙刀を作り出した。脈動する薙刀が、光の線を描きながら目標へと稲妻のような速度で一直線に突き進んでいった。


 ☆☆☆


 森之宮神社を出発して数十分は経っただろうか。薙は、揺れるキャンピングカーのリビングスペースでソファーに座りながらそう思った。


 右隣では、アメリアが燭台を修道服の裾で磨いていた。よく見ると、形状が今までと異なっていた。何かあったのかを聞こうとした時、逆方向から燐瞳の声がした。


 燐瞳は、乗車してからずっと僕の腕にしがみついている。平静を保とうとしている彼女だが、呼吸が浅く、微かに震えている。テーブルを挟んだ先で、腕を組んだシヅキと周芳、華苗が、そんな燐瞳を心配そうに見つめていた。


「なぁ、閻魔さん……聞きたいことがある」


 アメリアは、燭台から視線を移さず薙に話しかけた。その手は忙しなく燭台を磨き続けている。


「俺は、災厄の神について、ニコラスから聞かされたことがある。月に封じられた神は、願いを叶える存在だって。だからニコラスと神を接触させたくなかった。でも、実際にこの目で見て分かった。アイツ災厄の神は願いを叶えるなんて単純な存在じゃない。アイツは何なんだ? あれは、神というよりも怪物だ」


 少年から溢れる、蠢く赤黒い液体は、救済者たる神とは思えない。アメリアは、そう言いたげな表情を浮かべた。


「災厄の神は、その名の通り、災厄を意のままに操れる神です。地震でも、雷でも、彼が望めば、休眠状態の火山すら噴火するでしょう……神もかつては人型でしたよ。アメリアさんが見た姿は、現世の理に抗い続けた結果なんだと思います」


 災厄の神が内包する情報量は、人をはるかに凌駕する。その情報が逃げないように、何とか繋ぎ止めている状態が、液状の姿なんだろうと薙は予想した。


「アイツは、指を鳴らすだけで雷を落としてみせた。軽く手を振っただけで突風を起こした。それに、アイツの一部を得た閻魔聖は現世の理から一時的に解放されていた……力の差が大きすぎる」


ファイルに刻まれた情報コード……災厄の神には、地球上のあらゆる災害の情報が記録されているんでしょうね」


 シヅキが口を挟んだ。魂の情報が異能の正体だとするなら、神も妖怪と変わらないと彼女は語った。


「私の魂には、空間の神の情報コードが無理やり刻まれている。空間移動も、十全たる空孔の法則パーフェクト・オブリヴィオンを形だけでも模倣出来たのも、そのお陰なの。でも、私の情報量は神よりも少ない。必要最低限の空間の情報だけがココにある」


 そう言って、シヅキは自身の胸を撫でた。魂に書き込める情報量には限界がある。人間の魂由来の妖怪と、神では内包できる情報量に大きな差がある。情報量の差が力の差となっているのだとシヅキは続けた。


「……どうやって守れってんだよ」


 アメリアは、手を止めた。腰の金剛鈴が風もないのに揺れた。まるでアメリアは、目に見えない誰かに返事をしているように薙とシヅキの目に映った。


「倒す必要は、ないのよね?」


 シヅキと薙の目が合う。答えるように薙は頷いた。


「はい……虚無に拘束すれば大丈夫です。災厄の神と言えど、次元を超える術はないはずです。もし可能なら、いまの今まで封じられてはいなかった」


「あ、あの……薙くん? 災厄の神は、世界の王にでもなるつもりなの?」


 燐瞳は怯えた表情を浮かべていた。彼女は、朧げな記憶の中で自身の兄がハヤトに向けて発した言葉を思い出していた。それは、言霊で多くの怪異を従えたハヤトの言葉でもあった。


「世界の王……あのハヤトが崇拝する神だ。確かに簡単になれるだろうな」


 周芳も燐瞳の発言に同意していた。しかし、薙は二人の発言を否定する。


「いいえ、僕の記憶では、災厄の神が目指しているのは今も昔も、人に与えられた役割からの解放のみです」


 薙の発言に、燭台を磨きながら隣で聞いていたアメリアの手が止まった。


 ☆☆☆


 ────アイツは、自身の思想に固執しているようだった。まるで俺なんか眼中になかった。ただただ、目的に真っ直ぐ進んでいるような、ある意味では純粋な存在に見えた。


 ハヤトは、そんな災厄の神を崇拝している。なら、ハヤトもまた、役割からの解放を望んでいるのか?


「いいや、違う……ハヤトが求めたのは、”孤独”からの解放。災厄の神とは異なる思想だ。ハヤトが神に従っていたのは、僕の肉体を奪うための知識と技術を学ぶためだ」


 突如、アメリアの目の前にワインレッドのコートが映った。狭い車内だ。ここに現れたとなれば、他の人間に見つかることを気にしなくなったのだろう。


 しかし、アメリアの思惑とは裏腹に、周囲の誰も、彼に目を向けない。閻魔薙すら、彼に気がついていない様子だった。


 静かに閻魔薙の手を握った。こちらを見た彼の目の前で、金剛鈴を出すよう目配せした。


「無駄だ。君の目に映る僕と、閻魔薙の目に映る僕は、別なんだ」


 春人の落ち着いた声がアメリアの脳内に響く。


「正直、僕は表に出たくない……だから今は戦いから意識を逸らしてくれ」


「うるさいッ!」


 アメリアは思わず言葉にしてしまった。周囲の全員がアメリアに視線を向けた。視線なんてお構いなしと言わんばかりに春人は言葉を続ける。


「……時間が経つにつれて僕の意識は強く表面に押し出されている。アメリア、だからこれ以上君は────」


「俺は戦う……ニコラスを殺していないんだ」


「アメリア、君には燐瞳を守る義務があるって何度も言っているだろ。さっき逃げたのが正解なんだ。当時の僕ですら、災厄の神とは戦いたくなかった。もう、これ以上の犠牲者を出したくない」


 犠牲者……これは、十年前に守れなかった仲間や燐瞳のことを言っているのか。


「馬鹿、君も含まれている……断言しようか────寵愛を使い切ったら、君は消える。アメリア・シルフィウムなんて存在は、現世に留まれない。君が向かうのは天国でも地獄でもないんだから」


 春人の言葉に、全身が氷に包まれたのかと思えるほどの悪寒が走った。


 ☆☆☆


「なぁ、閻魔さん……鏡は持っているか?」


 視線を燭台から移さず、アメリアは薙に話しかけた。その手は未だ忙しなく動いている。


「え、えぇ……ありますよ?」


 ポケットから鏡を取り出し、首からかけてみせる。車内の蛍光灯を反射した浄瑠璃鏡がキラリと輝いた。


 そして、鏡を通してアメリアの思考が流れてきた。アメリアが意図的に伝えたかった情報が、薙の頭へと伝わってくる。薙の表情が固まった。


「シヅキ、俺の合図で空間移動しろ! 移動先は桜の所だ!」


 アメリアは顔を上げ、次にシヅキへ言葉を投げた。彼の視線の先……窓の外で、空の一部が赤く輝いていた。

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