第38話~さよならは突然に

 ────右腕の再生が遅い……神器に斬られた副作用なのか?


 失われた右腕を見て、衣の再生が酷く遅い事に気が付いた。再生はしているものの、傷口付近で分解が起こり、再生を阻害しているのが見て取れる。


 ────僕は、片腕のみで勝てるだろうか。目の前の堕天使に。


 ニコラスは持てる悪魔の力を放出したのだろう。背中の翼は傲慢と憤怒、尾は嫉妬、両腕を覆うオーラは強欲、体表を渦巻く黒い渦は暴食だ。眼帯奥で輝く青色と桃色の発光は怠惰と色欲だろうか。どのみち充分な脅威に変わりはなかった。


怠惰ベルフェゴール色欲アスモデウス……憤怒サタンを制御してくださいよッ!!!」


 完全武装状態のニコラスがこちらに向けて踏み込んだ。衝撃で地面が抉れ、空気を裂く音と共に嫉妬の尾と強欲の拳が襲ってくる。


 迫りくる尾を和睦の峰で弾き、飛んでくる拳に向けて斬られた右手を突き出した。


十全たる原子空孔の法則パーフェクト・ホールッ!!!」


 出現した極小の虚無が強欲の拳を飲み込んだタイミングで入口を閉じる。


「強欲の拳が無くともッ!!!」


 ニコラスの拳が僕の鳩尾を捕らえ、背後のコンクリートに身体を叩きつける。


「────私自身の……傲慢ルシファーの拳が貴方を地獄へ招待致しますよ」


 地獄の王は、無慈悲な笑みを浮かべた。


 ☆☆☆


「手負いの閻魔さんじゃニコラス相手は厳しいか!?」


 ハヤトの太刀筋をさばきながら状況を整理する。間違いなくニコラスは本気だ。大罪の力を全て出し切っている。いくら和睦や倶利伽羅が弱点だからといっても当たらなければ意味がない。


「よそ見をしている余裕はないんじゃないか?」


 天叢雲剣の刃が眼前に迫る。受け止めたブレードから蒼炎が散っていく。アメリアは目を瞑った。呼吸を整え、目を見開くと刃を押し返した。その隙を突いて空中に飛び上がると、閻魔薙の前に飛来しニコラスの嫉妬の尾目掛けてブレードを振るった。


 嫉妬の尾の表面でブレードが弾かれた。尾には、びっしりと龍鱗が浮かび上がっていた。憤怒の鱗だ。煉獄の炎すら通さない地獄の王の鱗が対策として施されていた。


 鞭のようにしなる嫉妬の尾とブレードが何度も衝突し、蒼炎と龍麟が周囲に散った。


「────天秤量り!!!」


 薙の腰にぶら下がる天秤が傾いた。ニコラスに荷重がかかり、体制を崩す。その隙を逃さずアメリアが斬りかかるが、ブレードが当たった右肩にも龍麟が発生しブレードを弾き返す。


怠惰ベルフェゴール!!!」


 怠惰の力が天秤の罪を軽くしていく。重圧をもろともしないニコラスは一歩、また一歩とアメリアへ迫る。


「殴れ、強欲マモン!!!」


 巨大な強欲の腕が繰り出される。腕は、ニコラスの背後からも伸び、四方八方から拳が振り下ろされる。その拳にも龍麟が見えた。


 アメリアは炎の膜を張るものの、拳は炎を貫通しながらアメリアの全身を殴りつけ、薙のいる場所へ弾き飛ばす。飛んでくるアメリアを薙は受け止め、キッとニコラスを睨みつけた。


「寵愛も一つとなると、私の敵ではありませんね」


「なにが……あのサタンとかいう奴の力があるからじゃねぇか」


 先の戦いでアメリアが目撃した憤怒と傲慢の確執。忌み嫌う相手の力を自慢げに掲げる行為は滑稽だとアメリアはニコラスを皮肉った。


「閻魔さん……頼みがある」


 憤怒を分離する。そのために閻魔薙の力を再び借りる。


 勢いよくアメリアは飛び出した。その剣筋はあまりにも早く、油断していたニコラスは反応が遅れた。だが焦ってはいなかった。アメリアの攻撃が肌に触れると同時に反射で龍麟を出現させれば良いのだから。


 ニコラスの目論見通り、首筋に龍麟が出現した。しかし、龍麟を切り裂き始める感触に遅れて状況を理解した。


 自身を攻撃している武器は燭台じゃない……と。


「倶利伽羅だと!?」


 金剛杵から伸びる両刃の剣────閻魔薙の倶利伽羅がアメリアの手に握られていた。


 ☆☆☆


「さて、面白くなってきた……こちらはこちらで楽しもうか、閻魔薙?」


 和睦を杖代わりに立ち上がった薙の前に立ちはだかるハヤトは、天叢雲剣を肩で担ぎ不敵な笑みを浮かべた。


「和睦ではなく倶利伽羅を貸し出したのは賢い。お前は神じゃない……内燃機関の無いお前が今、閻魔状態を維持出来るのは、和睦の力なんだからな」


「なんで焦らない? マガツヒノカミは依り代を失った……ここは隔離された世界じゃない! 現世の理で分解されるのも時間の問題だぞ!」


 神の遣いとしてマガツヒノカミに付き添わないハヤトの行動が不思議でならなかった。薙自身もマガツヒノカミを捕縛しなければ自身の無実を証明できないのだから。


「それに、僕達がミスをしたって発言の意味はなんだ?」


「まだ気が付いていないのか?」


 ハヤトは天叢雲剣を振るう。和睦で受け止めた薙だったが、ジリジリと押され始める。薙の腕に圧し掛かる重みは、一本の剣とは思えないほどだった。左手だけで支える事が出来ず、右の前腕を和睦の腹に押し付ける。


「ミスは、お前が和睦を継承しなかった事だ!!!」


 押し切られ、体制を崩した薙へ紫電を纏った拳が叩き込まれた。空間を引き裂く音が周囲に響いた。


「お前は、和睦の継承の意味を完全に理解していない!」


 和睦の継承権────それは、ただ和睦を引き抜く権利だけではなかった。


兄弟・・の力を継承する事が、貴様の役割だった!!!」


 歴代の継承者にのみ伝えられてきた真実────和睦は、前継承者の最も秀でた才覚をも継承する事が出来る。これは、和睦の持つ役割を奪う力が現世で変化した物。和睦の継承者は戦国時代の剣術をも継承してきたのだ。


 しかし、先代継承者の弓栄春人は別だ。彼の最も秀でた才覚は言霊の力。和睦の継承権を利用すれば失われた言霊の力を呼び戻せるとハヤトは語った。


「今のお前は、兄弟の権能を利用しているに過ぎない────継承しろ、そうしなければお前は神に手が届かない」


「どうして……そこまで……言霊なんて力は聞いたこともない」


「無理もない。言霊は因縁果に干渉する力……そうそう簡単に顕現するものじゃないッ!!!」


 金属音と共に左手の和睦が弾き飛ばされた。その衝撃は凄まじく、ハヤトもまた天叢雲剣が弾き飛ばされていた。


「役割を果たさないなら、死ねッ! 閻魔薙ッ!!!」


 無防備な薙の身体へ、再び紫電の拳が振るわれた。


 だが薙はハヤトの拳を受け止めにかかる。左手で拳を受け止めたことで紫電が周囲に拡散した。不思議なのは、紫電が薙へ貫通しない事。ハヤトがその事実に気が付いた時、薙の手の中でキラリと何かが輝いた。


「────八咫鏡!?」


「反射しろ、浄瑠璃鏡ッ!!!」


 薙が地上へ降りる際に暦から受け取った鏡。それが彼の手の中で輝いていた。反射した紫電が逆にハヤトの肉体を貫き、ハヤトの苦痛に耐える絶叫が木霊した。


 薙は肩で息をしながら和睦を拾い直すと、地面に仰向けになったハヤトへ歩みを進める。


 ────ハヤトの意思を分離し、彼を浄化してくれ


 神社で交わした弓栄春人との会話が脳裏をよぎった。


「約束は、果たしますよ」


 そっと腰の金剛鈴を撫でると、和睦の刃が白銀の輝きに包まれる。


「清め、祓う────!!!!!」


 和睦の刃が、影の住人へ振り下ろされた。全ての因縁を断つために。


 ☆☆☆


 和睦の刃が、ハヤトを切り裂き、腰の魔笛を完膚なきまでに粉砕してみせた。それと同時に彼の首が飛んだ。だがそれは、薙の攻撃によるものではなかった。


「────貴方の悪行は、浄化では済まない」


 身の丈ほどの大鎌がハヤトの首を搔っ切ったのだ。薙は、右を向く。そこには、大鎌を携えた桃色の髪の少女が神妙な面持ちで立っていた。その身は傷だらけで、着物も破れ、右の乳房が露わになっていた。


「────暦!?」


「地獄へ落ちなさいッ!!!」


 大鎌が輝くと、ハヤトの肉体は煙のように消え去った。大鎌の力────首を斬った相手を地獄へ強制送還する力が働いたのだ。


 ぐらりと倒れこむ暦を薙は支えた。息も絶え絶えの彼女は、薙の頬を撫でた。


「暦、しっかりしろ! 何があった!?」


「ちょっと、交渉に失敗しただけです……薙様、神はここにいます」


 そう言って羅針盤を手渡した暦は、激しく咳き込みながら続けた。


「私は……空の座礁・・・・を食い止めたかった……そのために、世界記憶に介入したかった……でも、神は聞く耳を持たなかった」


 からの座礁とは、世界記憶の情報が全て魂に変換されてしまう現象を指す言葉らしい。情報を格納する魂を形成するのもまた情報。魂が世界記憶に還らない選択をしたせいで情報が現世へ一方通行に流れ続けているのが現状らしい。


「マガツヒノカミはこの星の生命を全て滅ぼし、神の土台を破壊することで解放を証明しようとしています……でも、例え生命が消えようと情報の漏洩は止まらない……輪廻転生の機構がある限り必ず再発する……なら、せめて絶滅だけでも防がないと……」


 暦の手から渡された羅針盤から座標が浮かび上がった。その座標は、現世ではありえない数値を示している。


「神が話を聞いてくれると、そう考えていた私が愚かでした……いま、神のいる空間は隔離しています……虚空でしか介入できないよう細工しました……お願いです、神を……神を……和睦で────」


「わかった、もう喋るな……」


「いえ……最後にこれだけは、伝えないと……」


 暦が最後に語ったのは、神の内燃機関についてだった。


「神は、人間の魂を取り込む事で延命しています……内燃機関を取り除かない限り、マガツヒノカミを捕らえる隙は生まれない……」


 震える手が和睦を指差した。


「和睦なら、内燃機関を分離できますよ、きっと────」


 暦の身体が粒子状に分解していく。閻魔薙の腕の中で、死神見習いの暦は消えた。


 薙は、しばらくその場を動けなかった。


 ☆☆☆


「うおぉおおおおおおおおお!!!」


 俱利伽羅と燭台の二刀流となったアメリアの猛攻がニコラスを襲った。忙しなく動く嫉妬の尾を二本の剣でいなすアメリアは、ニコラスの正面に立った。


「喰え、暴食ベルゼブブ!!!」


「焼き尽くせ!!!」


 黒い靄と煉獄の炎が衝突し、双方の視界を遮った。アメリアは炎の中へ突進する。自身の周囲を炎の膜で守り、ここでニコラスにとどめを刺す算段の様だった。


 これは一歩間違えれば自身が煉獄の炎で滅却しかねない作戦。それでも、いまを逃せば攻撃を当てられるチャンスがいつ訪れるか分からない。視界を遮ったいまがそのチャンスなのだ。


「終わりだ、ニコラス!!!」


 煉獄の炎を抜け、黒い靄を抜け、ニコラスの左胸へ倶利伽羅が突き刺さった。


「分離しろ、大罪の悪魔ども!!!」


 倶利伽羅が光り輝くと、ニコラスは絶叫を上げた。その口から黒煙が吐き出され、周囲へ散っていく。


 一つ、二つ、三つと黒煙が抜けていくと共に、ニコラスの姿が人間へ戻っていく。嫉妬も暴食も強欲も無くなっていく。


 そう、抑えつけていた枷が外れていく。


「────殲滅せよ、憤怒サタン


 しゃがれた声と共にニコラスの口から卵が吐き出された。卵は羽化し、瞬く間に巨大な黒龍の姿へと変化を遂げる。


「よくやった、天使────ワシを解放するとは……褒美をやらねばな」


 憤怒サタンは、歪な三本指の前足でぐったりしたニコラスをつまむと巨大な顎を開き、丸飲みした。その異様な光景にアメリアも動けないでいると、


「苦しまずに逝かせてやる……我が宿主もろともなぁ!!!」


 巨大な顎がアメリアの頭上から振り下ろされ、地面もろとも彼女を飲み込んだ。


 ☆☆☆


 ハヤトは死んだ。暦も消えた。そして、ニコラスとアメリアさんも────


 遠くでアメリアさんが黒龍に飲まれた。えぐれた大地が視界に入り、続いて黒龍の咆哮が耳をつんざいた。


 和睦を握る左手に力が入る。足に力を入れて、立ち上がると、黒龍を睨みつけた。何が何でもアメリアさんを吐き出させる。


「────ん? もう一人いたか……お前も、苦しまず逝かせてやろうか」


 黒龍は、身を捻るとこちらに向けて蒼炎を吐き出した。暗闇を照らす煉獄の青い炎は不謹慎ながらも美しいと思ってしまった。視界が青に染まっていく。


「和睦よ……僕を守ってくれ」


 鞘に納めた和睦へ語りかけると、どこからか鈴の音が聞こえた。


 蒼炎が木々の生命力へ引火し周囲を焼き尽くす。それでも、僕は絶対不可侵の力によって無傷でいた。未だ炎を吐き続ける黒龍を睨みつけていると、黒龍が声にならない声をあげている事に気が付いた。


 そして、身をよがらせ暴れながら炎を周囲にまき散らし始めた段階になって理解した。


 この炎は、攻撃のためでも、ましてや黒龍の意思によるものでもないのだ。


 内側からアメリアさんが煉獄の炎で黒龍を────憤怒サタンを滅ぼそうとしているんだ。


「そうか、龍麟は内側に存在しないんだ……でも、これじゃ────」


 ────アメリアさんも燃え尽きてしまう。


 逃げ場のない黒龍の体内でこれほどの炎を召喚するということは、自分も焼かれるのを覚悟の上での行動としか思えない。


「ダメだ、アメリアさん!!! もうやめてくれッ!!! これ以上、いなくならないでくれッ!!!」


 もう十分だ。目の前で暦が消えたのを見て僕は限界を悟った。彼女は僕を利用していただけの存在かもしれない。でも、今まで過ごしてきた記憶が、彼女を失う事に痛みを生み出した。


 ハクも、鵺も、暦も、もう近くにはいない。そう考えるだけで胸が張り裂けそうだ。


「ぐぁあああああああ!!!!! 天使め、最後の抵抗かぁああああああああああ!!!!!」


 ぐるぐるとうねりながら天へ昇っていく黒龍。


「せっかくの……地獄の王に返り咲く機会が……!!!!!」


 天高く昇った黒龍が、蒼炎と共に大爆発を起こした。数秒間、周囲が昼間の様に明るく照らされ、続いて蒼炎に焼かれた破片が流星群と化して地上に降り注いだ。


 落ちてきた金剛杵が地面で跳ね、僕の目の前に転がった。金剛杵には、彼女の修道服の一部が引っかかっていた。震えながらそれを拾い上げると、抑えていた魂の叫びが静かに夜の静寂を切り裂いた。

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