第16話〜中立性

 僕は閻魔王の前に立っていた。


 これは記憶だ。鵺の過去を聞き、僕の記憶が呼び起こされたのだと悟った。


 閻魔王は厳しい目で僕を睨みつけている。和睦を盗んだ犯人が見つからず、神々と接触していた僕に疑いをかけている。そんな目だった。


「薙よ、今一度聞こう……和睦を盗んだのは其方か?」


「私ではございません」


 勝手に口が動いた。


 僕は、何とかして「和睦を盗んだのは災厄の神です」と伝えたかったのだが、これは僕の過去の記憶。記憶に介入することは出来ない。


「では、鵺か? 他の閻魔は鵺を疑っておる」


「いえ、彼女と僕は共に行動していました……その様な怪しい動きは見えません」


「其方も共犯であれば、可能だろう?」


「誓ってそれはあり得ません」


 閻魔王は、「そうか……」と静かに口にすると、


「ならば其方が裁判を担当せよ……もし、其方が罪人だった場合は、わしが直々に裁きを下す」


 僕が本件に関わっていないのであれば可能だろうと閻魔王は述べる。


「仰せのままに……私が罪人を裁きます」


「罪人が、同居人だったとしてもか?」


「……無論です」


「本当に、身内・・だったとしても執行するんだな?」


 閻魔王は執拗に確認を取る。


「はい、私は閻魔です……」


 自分の記憶ながら、嫌悪感を抱いた。


 なぜ僕は、鵺に対してこれほどに淡白な言葉を吐けるのだろうか。


 今の僕なら、こんな言葉は出てこない。


 ☆☆☆


 彼女の語る僕の過去は、裁判直前までのもの。それは、僕の薄れた記憶を蘇らせた。今の時間軸からは相当過去の出来事になるはずだ。それでも、彼女と会話を続けるうちに、記憶は鮮明に蘇ってくる。


 意外だったのは、時希と呼ばれる閻魔が、鵺を庇っていた事。彼が閻魔界を統治したのは、鵺のような犠牲者をこれ以上出さないようにするためだったのではないかと思えてくる。


 僕は、剣を手に持ったまま沈黙を貫き通していた。


 不動明王の剣は、相手の罪を洗い流す。これは、現世で悪霊と呼ばれる存在を元の霊体に戻す事も意味している。現世の理から逸脱した彼女を、元の霊体に戻したら、彼女には閻魔界に昇る選択肢しか存在しない。


 しかし、閻魔界へ行けば、彼女は地獄の最下層へ叩き落とされる。あそこは、消滅した方がマシと言わしめるほどの責め苦が魂を襲う。彼女にあの苦しみを味わせるわけにはいかない……


 でも、彼女は僕に裁かれる未来を望んでいる。現世の理に消されるよりも、地獄を望んでいる。彼女にとってのケジメなんだと分かっている。


 分かってはいるけど……


「僕には……出来ない」


「薙様、お願いします……私は、連盟に殺されるよりも、貴方の手で終わらせてほしいのです」


 深く、頭を下げる鵺。


 僕の手から剣が滑り落ちた。僕には、選択できない。


 彼女は悪くない。


 でも、背負った罪は本物だ。


「なぜ、迷われるのですか……私は罪人なんですよ?」


 そう、罪人なんだ。目の前にいる彼女は……罪人なんだ。


 でも、それ以前に……


「君は……僕の友人なんだ」


 僕は閻魔失格だ。燐瞳に次いで、鵺に同情してしまった。


 もう、中立な立ち位置に戻ることは出来ない。


「許してくれ……頼む」


「薙様……一体、何があったんですか」


 困惑した鵺の言葉に答えるより前に、岩屋の入口付近から轟音が響いた。同時に、暦の叫び声も聞こえてくる。


「暦!?」


 僕は入口に向かって走り出した。それを鵺も追ってくる。


「先ほどの声は、お連れの方ですか!?」


「あぁ! 僕の仲間だ! おそらく、雪女と戦闘している」


「冬華ちゃんと!? 一体どなたですか? 然樹様?」


「死神見習いの暦だ!」


 僕は外へ飛び出そうとした。しかし、僕の身体に黒い縄が絡みつき、空中で姿勢が固定される。これは鵺の影から伸びていた。彼女の操る死者の魂が縄となって僕を留めていた。


 入口を見ると、分厚い氷塊が道を塞いでいた。鵺はこれに気が付いたのか。


「鵺! 虚空で外に出る! 僕の肩に掴まって!」


「その必要は……ありませんッ!!!」


 彼女の足元から、僕を縛る縄とは別の黒い塊が高速で伸び、氷塊に激突する。その衝撃で岩屋は揺れ、天井から砂埃が落ちた。氷塊に亀裂が入っていく。亀裂が氷塊全体まで広がったかと思うと、ガラスのように砕け散った。


 ☆☆☆


 外に出ると、吹雪が止んでいた。雪原の上には、肩で息をする暦とフユカの二人が見える。


「あれは……誰?」


 鵺は暦を見て困惑していた。


 鵺は暦を知らない……? 暦が部下になったのを鵺はなぜ知らないんだ?


 いや、待て……僕と鵺の記憶に、”暦はいなかった”。


 暦は鵺を知っていた。鵺の追放と、神の裁判はそこまで離れていない。


 じゃあ、どうして……?


「うぁあああああああああ!!!!!!」


 地面の雪を掴んだフユカは、雄叫びを上げて暦に向かって走り出す。その目は、今すぐ暦を消すと言わんばかりに血走り、また、恐怖の色を見せていた。


「くッ!? 仕方がない……!」


 僕は両手を合わせて天秤を取り出す。胸と同じ高さに出現した金色の天秤を、僕は伸ばした右手で強く握って目の前にかざした。


「雪女! お前の罪は何だ!?」


 僕の叫びに呼応し、天秤が一段階傾く。同時に、駆け出すフユカに重圧がのしかかり、雪原に頭から飛び込む形で転倒した。


「な……なによ……これ?」


「ぐッ……どれほどの罪を背負っているんだ……」


 カタカタと天秤が揺れる。僕はこれ以上、天秤が傾かないよう力を込める。天秤から伝わる彼女の罪は桁外れだ。天秤を抑える右手を左手で支えた。


「薙様ありがとうございます……」


 僕の姿を見て安心したのか、暦は体勢を崩し、水溜りに座り込んだ。彼女の姿がコート姿に戻る。


「冬華ちゃん! 彼らは敵じゃないわ!」


「こ、ころ……す! あんなの……反則……よ」


 雪の中から荒い息遣いが聞こえる。こちらに向けられた敵意は、鵺の言葉でも収まりはしない。


 僕は、天秤を解除すべきか悩んだ。解除すれば、間違いなくこちらに襲いかかってくる。先ほどから鵺が宥めているものの、聞く耳を持っていない雪女に恐怖を感じ始めていた。


 気象を操る怪異に、暦は何をした?


「薙様!? また日を改めて来ていただけますか!」


 このままでは埒が明かないと判断した鵺が出した結論は、まさかの日程変更。


 チラリと暦を見ると、項垂れたまま動こうとしない。限界まで力を出し切ったのだろう。


「そうさせていただきます」


 僕は暦の裾を掴む。


「その代わり、次会った時に……答えを聞かせてください」


 哀しそうな瞳の鵺が僕を見つめた。僕は、その言葉に返事をすることなく、虚空でこの場を去った。


 ☆☆☆


 その日の夕方。森之宮神社では、卓上電話で周芳が電話していた。その相手は、高松屋敷の桜だった。議題は、”鵺の討伐”について。


「……報告書は読んだが、結論を聞かせてくれ」


〈閻魔薙を介して鵺を見たわ……その上で判断するけど〉


 “鵺の討伐は、現在の連盟では不可能”


 これが桜の出した結論だった。桜が、薙と暦の外出に何も言わず、さらに鵺に会わせたのは、薙を経由して鵺を霊視するためだった。鵺も冬華も、桜の霊視を掻い潜っている。そんな彼女達を捕捉する手段として、薙達を利用したのだった。


〈可能性があるとしたら、閻魔薙かエイミーちゃんが力を貸してくれたらかしら〉


「蓮華じゃ、ダメなのか?」


〈蓮華君は、既に鵺への復讐心を失っているもの〉


 そうじゃなければ、真っ先に鵺の居場所を突き止め、トドメを刺していると桜は豪語する。


〈まぁ、今の・・蓮華君なら、討伐できるでしょうけど……私が見た限り、今の鵺達に害はないわ〉


 桜は、実の父を冬華に殺されている。それでも彼女は感情的にならず、淡々と現状を説明していた。周芳は、そんな桜に負荷をかけたくない思いから、ここで話を終わらせ電話を切った。


「……閻魔は鵺を祓えなかったみたいね」


 受話器を置いた周芳の後ろで空間が歪み、シヅキが現れた。その顔には落胆の文字が浮かんでいた。


「きっと、薙くんの知り合いで間違いなかったんだろう……」


「そのようね……もっと念を押しておくんだったわ」


「私も複雑な気分だ」


 鵺は連盟にとって脅威。周芳も源因幡という友を鵺に殺されている。しかし、閻魔薙にとって鵺は友人。


 果たして、自分が薙と同じ立場だったら、因幡を殺せるだろうか。


 そんな思考が周芳の頭でグルグルと回り続けていた。


 ☆☆☆


 その晩、森之宮神社へ帰ってきた薙は、燐瞳の愚痴を聞くため彼女の部屋にいた。薙は消耗した暦の体力が戻るまで、別の場所で休んでいたらしい。そして、体力の戻った暦は、周芳とシヅキに話があると伝え、三人だけ客間に集まっていた。


「……それで、話ってなんだい?」


 周芳は、扉を静かに閉め、鍵をかけてソファに座った。隣にはシヅキが神妙な顔つきで座っており、向かいの暦を見つめ続けていた。


「……単刀直入に言います」


 “霊体が安定して存在出来る土地を教えて欲しい”


 それが暦からのお願いだった。


「心霊スポットを? 一体、どうして?」


「薙様は衣の影響を受けすぎています……人間状態で過ごす程、心まで人間に近づいてしまっています」


 暦は帰りの道中で薙から過去の記憶について聞いていた。その上で、罪人となった鵺を裁けなかった薙の状態を重く見ていた。


「だから、しばらくの間だけ閻魔状態で過ごしてもらいたいんです」


「なるほど……」


 周芳は、作務衣のポケットからスマートフォンを取り出すと、連盟のリストを確認する。人が寄り付かず、土地の祓いが未完了の場所を抽出して画面に表示させる。しかし、リストのどこもかしこも厄介な地縛霊に支配された廃墟ばかり。いくら閻魔だとしても、これらの場所を勧めるのは躊躇ためらってしまう。


 画面を見た暦は、数箇所を指差した。このリストの中でも特に安定している土地だ。彼女の勘の鋭さに周芳は驚きつつも、「後で薙くんに伝えておくよ」と画面を閉じる。


「それともう一つ……薙様が安定したら、祓いの仕事を振って欲しいんです」


 これは、閻魔としての中立性を取り戻したら、擬似的に裁判を行わせ、閻魔としての立場を意識させたいという意図があった。


「うーむ、まぁそれなら燐瞳をサポートに付ければ何とかなるだろうが、薙くん自身はどう思っているんだ?」


「本人の意識は関係ありません……これは、薙様が閻魔である以上、やらなければいけない事なんです」


 閻魔としての役割を思い出さなければ、たとえ神を捕まえても意味がない。役割を失った閻魔は閻魔界で存在できず、挙げ句の果てには和睦・・すら抜けないのだから。薙のためにも、これは必要な事なのだと暦は言葉を強めた。


「……で、その内容なら私はいらないんじゃないの?」


 シヅキが暦に嫌味を言う。暦は静かに頷きながら言葉を発した。


「シヅキさんには、薙様の救助をお願いしたいんです」


「救助? 閻魔様は私と同じく瞬間移動出来るでしょ?」


「例えば、聖様の襲撃があったら、おそらく今の薙様は逃げられない……」


 暦の予想では、人の感情を理解した今の薙は聖の思想に一定の理解を示してしまう。そうなれば、虚空を放つタイミングを見誤る可能性がある。


 薙が確実に逃げられる保険が必要だと暦は語る。


「……貴女が見張ればいいじゃない?」


「私は……薙様の金剛鈴を探します」


 少しでも早く、薙の力を元の状態に近づけ、閻魔としての中立性……役割を思い出させたいと暦は心の内を吐き出した。


「アテはあるのか? 薙くんに渡した霊具はどれも反応しなかったぞ?」


「金剛鈴は、霊を感知する道具です……倶利伽羅と違って、モデルとなる現世の道具は存在しないと思うんです」


「なら、どうするんだ?」


 周芳の問いかけに、シヅキが口を挟んだ。


「人間の第六感を利用するんでしょ?」


 人間の持つ霊を感知する能力……それを具現化させるのだろうとシヅキは予想していた。しかし、これは人間の魂を金剛鈴に変えるのと同義だった。暦は、首を横に振る。


「その方法は取りたくありません……なので、財団の倉庫へ向かいます」


 財団の倉庫とは、アメリアが所属していた財団カルテの倉庫を指していた。暦曰く、アメリアの話では、世界中の”聖遺物”が保管されていた場所らしい。現在は、崩落した本部の瓦礫の下……地下深くに埋もれてしまったという。


「聖遺物の中に、金剛鈴がある可能性に賭けます」


「ちょっと待て!? なんで君がそんな事を知っているんだ?」


 周芳は財団の話を知らなかった。周芳の記憶が間違いないのであれば、暦とアメリアの接点は、天秤を取りに行った時しかないはずだ。その間は、周芳と桜の二人で会話を傍聴していた。その中で財団の倉庫の話など出て来なかった。


「……何卒、薙様をお願いします」


 暦は一礼すると、着物姿へ変化する。周芳とシヅキの制止を振り切って、彼女は空間を跳んだ。この部屋から消えた彼女に伸ばした二人の手は、虚しく空を切った。


 ☆☆☆


 燐瞳の部屋で、僕は彼女の愚痴を聞いている。今回、彼女は連盟に来た除霊の依頼を遂行するため、他県まで遠征したらしい。その依頼主がいけすかない奴で、それまでは泣きながら助けを求めていたにも関わらず、いざ除霊が済んだらさっさと帰れと邪険に扱われたそうだ。


 依頼主はその土地の地主らしく、取り憑いていた霊は生前に嫌がらせを受けた土地の人間だったらしい。


 その話を聞いて、心にモヤモヤが溜まる。


 なんて自分勝手な人間だろうか。自分に原因がありながらも、それを認めようとしない醜さと愚かさに苛立ちを覚える。話を聞くだけで燐瞳が可哀想でならなかった。まだ十代の少女をそこまで雑に扱える人間がいる事が許せない。


 薙は、燐瞳と会話をすることで、鵺への悩みを無理やりかき消していた。鵺を裁くか否かを後回しにすることで、心の安定を図っていた。


「でね、私もイライラしちゃったから、帰りにカフェでケーキ食べまくっちゃったのよ」


 そう言って燐瞳は自身の胸をさすった。胸焼けするまで食べたようで、本日は夕飯も要らなさそうだった。そんな燐瞳を見て、今朝のシヅキの言葉が思い出された。


 “燐瞳の胸でも揉んだら、案外簡単に生成できるかもね”


 ……無意識に燐瞳の胸を見てしまう。


 金剛鈴……霊を感覚として知覚する閻魔の道具。人間の持つ第六感を具現化できれば、僕は完全に閻魔の道具を取り戻せる。


「あー薙くんに愚痴ったらスッキリした! そういえば、薙くんは今日どうだったの?」


 燐瞳は、「友達に会ってきたんでしょ?」と詳しく聞きたそうな声色で質問してくる。僕は言葉に詰まった。どう説明しようと、思わず視線が宙を泳ぐ。


「その、あの、元気そうでしたよ」


「え!? それだけ!?」


 燐瞳は、「何かやましい事でもしてきたんじゃ!?」と追求を重ねる。


 彼女は、鵺と連盟の関係を知っている。だから、僕は燐瞳に友人が鵺だとは言っていない。周芳と桜には伝えたが、この様子だと、二人から燐瞳には話していないのだろう。だからこそ、どう伝えるべきか悩んでいる。


「暦も一緒だったから……」


「暦さんがいなかったら、やましい事したの?」


 なんでそうなるんだよ!?


「僕は、友人に会えて良かったよ……閻魔界で別れたきりだったし……でも、」


 “次会った時に……答えを聞かせてください”


 鵺はそう言っていた。僕は、もう鵺に会えないかもしれない。


 会う勇気がない……


 そんな中、部屋の扉がノックされた。正体は周芳だった。恐る恐る部屋に入ってくる姿から、燐瞳の投擲を警戒しているのだと分かった。一言、「薙くんを借りたい」と言い、僕に向けて手招きをした。


 ☆☆☆


 廊下に出た僕に対して、「暦さんが金剛鈴を探しにアメリカに行った」と、周芳の口から衝撃的な言葉が飛び出した。


「アメリカ!? なんでそんなところまで!?」


「私だって分からん……財団の倉庫に行くって言ってたけど……なんでそんな事を彼女が知っているんだか」


 “財団の倉庫”という単語が何を指しているのか、僕は理解できなかった。財団とは、おそらくアメリアの所属していた組織なのだろうけど。


「高松屋敷に行きますか?」


「いや、さっき電話で確認したよ……ただ、アメリア君も暦さんに財団の話はしていないらしい」


 腑に落ちない僕と周芳は、互いに腕を組んで唸り声を上げた。


「彼女は、薙くんの部下なんだろ? 何か知らないか?」


「そう言われましても……」


 羅針盤を使っても”僕の金剛鈴”に反応しなかったのは僕も見ている。もしかしたら、天秤の時みたいに、”別の金剛鈴”は反応があったのだろうか。


 それとも、僕も知らない”死神の道具”があったのか。でもそれなら僕に隠す理由がない。


 一番気掛かりなのは、鵺も暦を知らなかったこと。そして、僕の記憶にも暦が一切出てきていないこと。まぁ、これはまだ失ったままなのかもしれないけれど。


「薙くんには悪いけど、暦さんは桜に見張ってもらう」


「僕が連れ戻しに行きますよ……」


「いや、それはシヅキに頼んだ。薙くんにはここに行ってもらいたい」


 周芳はスマートフォンの画面を見せた。森の中の廃れた学校の写真だった。廃校になってだいぶ経ちそうな建物だ。


「ここなら、閻魔の姿で無制限に動ける……廃校に巣食う悪霊を祓ってくれ」


 周芳の曇った表情を見て、目的が悪霊ではないことは明白だった。


「……本当の目的は何ですか? 僕は浄瑠璃鏡を持っているんですよ?」


 最も、少年状態では心は読めない。これはブラフだ。


「はぁ……君に閻魔薙を抜いてもらわないと困るんだ……継承は関係なく、な」


 閻魔薙……和睦のことだ。周芳は、「継承は保留でいいから、閻魔薙から君の記憶を引き出したい」と言った。そのために、閻魔としての”中立性”を取り戻してほしいと。


 僕が衣の影響で人の心を持ってしまった現状を、周芳は危惧しているということだろう。だが、僕も和睦から記憶を引き出せるならそうしたい。これが最も確実な方法なのだから。


「君に記憶が戻れば、暦さんの事も分かる……悪い話じゃないだろう」


「中立性……ですか」


「君は神を捕らえ、閻魔界に戻るんだろう? なら、中立性は必要なんじゃないか?」


 周芳の言う通りだ。僕が閻魔の役割を捨てれば、神を捕らえても、聖を捕らえても、閻魔界には帰れない。踏み込んだ瞬間に、間違いなく僕は消滅する。


「今なら、ハヤト達も目立った行動がない……仮に何かあってもアメリア君や蓮華で対処できる」


 そう言って、「頼む」と周芳は頭を下げた。


 ☆☆☆


 時刻は深夜零時。灯一つない山中の廃校の校門前に僕は立っていた。


 廃校の敷地内に、一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わるのを感じた。森之宮の言った通り、ここなら無制限に閻魔の姿でいられるだろう。


 僕は両手を打ち鳴らし、鬼籍を出すと手に取り開いた。鬼籍にメモした廃校の情報を改めて確認する。


 “校舎は、山中で亡くなった人々の魂の拠り所となっている”


 “その中でも危険とされるのは、セーラー服姿の少女”


 “少女は妖怪まで変化してしまっている”


 “彼女を含む全ての霊を祓いきったら、神社に連絡を入れる”


 以上が、森之宮から伝えられた事。僕が霊を祓い終えたら森之宮が地鎮祭を行うらしい。


 荒れた校庭を見渡した。錆びつき、蔦が絡まった遊具がかろうじて見える。校舎の入口は鎖で施錠されているが、窓ガラスが割れていたため侵入は容易そうだと思った。


「あら、新入りさん?」


 僕の左の耳元で誰かがそう言った。特徴のある高めの女性の声だった。まるで気配を感じなかった。声の主は、続けてこう言った。


「新人さんは、”御白おしら”様にご挨拶しなきゃ駄目よ」


 正面の校舎の窓という窓から、無数の手が伸びてくる。


 その全ての手に、鬼籍は反応し、罪状を示し続ける。


「……みんな、生きるのに疲れたんですね」


 僕は声の主を無視して鬼籍を凝視していた。視界に映る霊達の罪状は全て”自殺”。人間に与えられた役割の放棄。声の主は、執拗に「さぁ挨拶に行きましょう……お友達になりましょう」と耳元で囁き続けている。


「……ではなぜ、拒絶した世界に留まっているんですか」


 浄瑠璃鏡から僕に一斉になだれ込む彼らの過去。それぞれ、過程は違うものの、この世界に絶望し、諦めるように命を絶っていた。それなのに、一度嫌った世界に執着している。


 他者への恨み、嫉み、怒りが未練となって渦巻いている。


「……恨んだ相手すら忘れているのに」


 しかし彼らは、長い年月の末、未練の相手を忘れてしまっている。


 これは、海辺の洞窟で出会った浮遊霊達と同じ。だが、祓われて楽になりたかった浮遊霊達と違って、天に昇る気は一切感じられない。


 むしろ仲間を増やしたがっている。


「さぁ、手を伸ばして……貴方の未練を思い出して……」


 耳元の女性が囁いた。僕に伸びる手は、もうすぐそこまで来ていた。


 両手を強く打ち鳴らした。手を離した鬼籍は、僕の右肩付近に浮遊し、左肩付近には金剛杵、右腰付近には天秤が浮遊する。


「……これより、簡易裁判を始める」


 僕の言動と現象に、耳元から引きつった声が聞こえた。


 ☆☆☆


 僕は両手を合わせ、前方を見続けている。左肩付近で回転しながら浮遊する金剛杵が、ピタッと静止すると、声の主に対して剣の刃が放たれた。展開された不動明王の剣は、彼女を容易に貫いていた。


「……み、みれん、を……」


 彼女から分離した罪は、粒子となって天秤の片方の皿へ追加され、その重さから自然と天秤は傾いた。天秤の中央には目盛りが割り振られている。七つある目盛りが、これから罪人が向かうべき地獄の階層となっている。七つ目を越えれば、最下層行きだ。


 ここの彼らは、みんな最下層行きだ。


 天秤で量る前から決まっている。


 鬼籍に”自殺”と表示されている以上、例外はない。


 閻魔界の法は、自殺を”人間の役割の放棄”と定義している。


「役割の放棄は、重罪……」


 脳裏に鵺がよぎった。


 鵺も、地獄の最下層行きが確定している。


 ならば、なぜ彼らは裁けて、鵺は裁けないのか。


 ……彼女が、ハヤトに操られていたから。


 これが僕の答えだ。


 空中に浮かぶ剣を掴むと、迫り来る手に向けて横薙ぎの一閃を放つ。


 しかし自問自答は続く。


 鵺は、ハヤトと会う前から人を殺し、物の怪の鵺として恐怖の対象となっていた。対して目の前の霊達は誰も殺していない。妖怪へ変化し人に仇なす鵺と、仲間を求める彼ら。


 罪の重さは同じでも、なぜ鵺は裁けないのか。


「……彼女が、友だからッ!!!」


 なぜ友人は裁けず、赤の他人は裁けるのか。


 それは自分自身が不快だからではないか。


 友だとか何だとか言い訳をして、自分が傷つく事から逃げているだけではないのか。


「……うるさい」


 何が人の心だ。


 結局のところ、自分本位で我儘なだけじゃないのか。


 今まで散々裁いてきた罪人と変わらない。


 自分が罪人の立場だったらどうだ。


 これは”公平”と言えるのか。


「うるさいッ!!!」


 ……気がつけば僕に迫る手は消えていた。代わりに、未練を失い、人間の魂に戻った十数人の彼らがこちらを見つめていた。


 口々に「ありがとう」と言いながら天に消えていく。


 彼らに待っているのは地獄の最下層。


 消滅した方がマシと言われるほどの責苦。


 彼らはそれを知らない。


「感謝しないでくれ。僕は死刑宣告よりも非道な事をしているんだぞ。」


 なら、なぜ僕は剣を振るった?


 思考と行動が一致していないのは、なぜだ。


「……お仲間かと思ったけど、違うようね」


 校舎側からセーラー服姿の少女が歩いてくる。三つ編みの髪と縁の丸い眼鏡が特徴的だった。


 少女は、”はく”と名乗った。


 鬼籍に記される彼女の名前と一致していない。それが偽名なのは明らかだった。それに、耳元の声は”おしらさま”と言っていた。


「はく? “おしらさま”じゃなくて?」


「……ここのみんながね、御白様おしらさまって呼ぶのよ。この近くの村の伝承にあやかってね」


 こちらに向きながら、手だけで校舎を指差す。それに応えるように、複数の手が窓からこちらに手を振り返した。


「貴方、人間じゃないわね? かといって妖怪でもない……名前は?」


「僕は……薙といいます」


「そう、ありがとう。で、目的は? 私を祓うってんなら抵抗させてもらうわよ、それも激しく」


「……怒らないんですか? 貴女のお仲間を祓ったんですよ?」


「……先に手を出した彼女たちが悪いわ。それに、滅却されたわけじゃないもの。あの子達だって好きでここにいるわけじゃなかった……未練を忘れ、ただただ寂しいと、ここに集まっていただけ」


 彼女は、他の霊と違った。それは、浮遊霊とか、悪霊とかの分類の話ではなく、彼女の死因と罪状にあった。


 浄瑠璃鏡が見せる彼女の過去は、”鵺”と同じく”迫害”の対象だった。相手はその土地の権力者。逆らった彼女は無惨にも殺され、その恨みから現世に留まった。彼女の魂は変異し、悪霊を超えて妖怪へと到達。恨んだ相手の一族を根絶やしにした。それでも心が満たされていなかった。


 彼女は渇き飢えている。だが、仲間を求めたのは彼女ではない。仲間を集めても渇きが癒せない事を知っている。彼女はただ、分け隔てなく彼らを受け入れていただけ。


 僕は首から下がる浄瑠璃鏡を外し、袖に仕舞った。空中で自動書記を続ける鬼籍も無理やり閉じて同じく袖へ入れる。天秤も、剣も、全て袖の中へ戻す。


 この行動に彼女は訝しげな表情を浮かべた。


「……それが仕事道具じゃないの? 私を祓うんでしょ?」


 僕は一呼吸おいて、彼女に返答する。


「その前に、話がしたい」


 ……と。

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