第17話〜二つに一つ

「……話がしたい?」


 はくという少女は、眉間に皺を寄せて首を四十五度傾けた。


 “目の前の男の意図が見えない”


 そう言っているような目で僕を見ていた。


「君は他の霊達と違う……だから、裁判じゃなくて対話がしたい」


 半分は嘘だった。彼女の過去が鵺に似ていたからだ。彼女と話すことで、鵺の気持ちを擬似的に知りたかったのかもしれない。


 僕が剣や天秤だけじゃなく、鬼籍も鏡も仕舞ったのは、これ以上、彼女の過去を直接見たくなかったからだ。彼女の口から語られる言葉が真実かは分からない。それでも、たとえ脚色されていた過去でも、”情報”ではなく”言葉”として知りたかった。


 現実逃避と言われようと。


「あっそ……まぁ別に良いわよ」


 そう言って、彼女は割れた窓まで僕を連れて行った。中には教室が見える。木製のデスクが鉄パイプの足で支えられている。黒板は、英語の落書きで埋め尽くされていた。


「ここなら、机も椅子もあるし、話し合いには打ってつけじゃない?」


「……そうですね」


 僕と彼女は机を対面に並べて椅子に座った。


 チラリと、廊下の方を見ると、何十人もの人影がこちらを覗いていた。中には子供の姿もあった。身を震わせ、僕を恐怖の対象と捉えているのが見て取れた。


「……あれだけ入口で暴れりゃ怖がられるわね」


 彼女はそう言って、「私と話すだけだから、もう大丈夫よ」と廊下の人だかりに優しく声をかけた。


「……申し訳ありません」


 頭を下げた僕に対して、「別に気にすることはないわ。先走った彼女たちが悪いもの」と彼女は冷静に言った。


「じゃあ、まずは自己紹介でもしようかしら」


 かけていた眼鏡を指で持ち上げ、彼女は名を名乗った。


「改めまして、私はハク……貴方達からしたら、妖怪かしらね?」


 そう言って、彼女は右手を上げた。その腕の皮膚がみるみる白い糸に包まれていく。ハクは半身がかいこの妖怪だと補足した。


「完全に変化すると、背中に羽が生えてね、それをみんなが御白様おしらさまみたいって……だから私もハクと名乗っているの」


「……おしらさま」


 おしらさまとは、かつて近くに存在していた村に伝わる伝承。その村では、蚕を”おしらさま”と呼んだ。


 かつて養蚕業が活性化していた時代、蚕は神と同格に扱われていた。蚕の紡ぐ糸は、人々の生活を支えたことから、文字通り、村人の命綱だったのだ。


 おしらさまの紡ぐ糸は、人間を助ける糸。その純白色の糸は、生者と死者を繋ぐ運命の糸とされ、彼女に魅入られた村人は、寿命まで疫病にかからないとされた。


 そんな伝承にあやかり、名を授かったと彼女は謳う。


「今度は貴方よ?」


 彼女の腕が元に戻り僕を指差した。


「僕は薙、閻魔薙です。閻魔界に住む閻魔の一人です。」


「閻魔なんて初めて見たわ」


「訳あって現世へ降りました……」


 ハクは「ふーん」と僕の全身を舐め回すように見つめる。


「通りでねぇ……妖怪でもないのに変な力を感じる訳ね」


「驚かないんですか? 閻魔ですよ?」


「まぁ……私も人のこと言えないし……閻魔様も辛くてここに来たの?」


 “閻魔様もお辛いのですか?”


 あの洞窟で出会った浮遊霊の男を思い出した。


「僕は……」


「嘘はなし、よ」


 彼女の鋭い視線に睨まれた僕は、冷静に現状を伝える。


「霊能者から依頼され、ここの霊達を祓うためにやってきました……でも」


「でも?」


 正直迷っている……


 簡易裁判を開き、悪霊を裁く行為が正しいのか。


 確かに、人に害のある悪霊もいるだろう。


 でも、彼らも、元々そうなりたかった訳じゃない。


 浄瑠璃鏡から伝わる“未練”に情状酌量の余地がある霊もいる。


 だから、自分の行為の正当性を失っている。


「……私たちの過去を見て、同情しているのね」


「正直に言えば、そうなります」


「勝手に覗いて、それで勝手に同情ね……」


 これが閻魔のやり方ねぇ……とハクはこちらを見た後、


 机の上で組んだ僕の手を彼女は強く握りしめた。それは、同情に対する感謝ではなく、むしろ逆の感情。同情されたことへの屈辱が握る手の強さから伝わってきた。


「この学校に住むほとんどの霊はそれで良いかもね……でも、私をあわれまないでもらえるかしら?」


 震える手で僕の手首を掴む彼女は、表情こそ変えないものの、内なる怒りは相当なものだったようで、口早に言葉を追加した。


「私は、住んでいた村で長い間、酷い迫害を受けたわ……村の外から来た流れ者だという、たったそれだけの理由で」


 僕は彼女の顔を見ることが出来ず、腕を掴む彼女の手を凝視しながら聴き続ける。


「その村の長は、そんな私を助けると言って屋敷に匿ったわ……でもそれは方便……私は彼に座敷牢に閉じ込められ、酷い事を何度もされたわ」


 過去を思い出しながら語る彼女は次第に息が荒くなっていく。


「甘い言葉に騙された私が馬鹿だったのよ……次第に村長だけじゃなく、その息子も、その兄弟も私を蹂躙じゅうりんした……ろくに食事も与えられなかったから、私の身体は数年と保たなかった」


 僕の手を彼女が離した。僕の腕に彼女の手形がクッキリと残っていた。


「だからアイツらの一族は呪い殺した……未来永劫、私と同じ被害者が生まれないように、徹底的に、血筋は残さず、女も子供も、この手で……」


 彼女は、「今でもその感触を覚えている」と、


 “怒りが全身を支配し、魂を変異させるのに時間は掛からなかった”


 ……とも言っていた。


「私が復讐を果たしたのは、私自身の意志……この行動に後悔はないし、同情される筋合いもないのよ……」


 彼女は、当時の記憶を保持したまま存在している。だからこそ、普通の悪霊のように自我を失って人を襲うこともせず、ここに居座っている。


「もう、復讐の相手を失って、今の貴女は何を思うんです?」


 僕は”答え”を知った上で質問した。


 彼女は復讐を果たしても、心が癒されることはなかった。未だに彼女の心は渇き飢えている。満たされることのない寂しさと苦痛を、他人に理解されない渇きに支配されているはずだ。


 しかし、彼女は、


「私と同じ境遇の人は減るべきだと思っている……だって、そうでしょ? 誰にも理解されず、優しくもされないなんて、可哀想じゃない」


 他人を思う心を見せた。


 彼女の本意が違うのを知っている。でも、彼女は本能を理性でコントロールしていた。


「前に、この廃校で女の子が酷い目に合わされたことがあってね、流石にその時は私が相手の男を瀕死にしちゃったわ……まぁ、一般人を襲ったのはそれきりよ」


 それが原因で連盟にマークされるようになったらしい。


 僕は、てっきり、”本当は苦しくて仕方がない……苦痛を理解されたい……救済が欲しい”と、消滅を望んでいると、そう言葉にすると思っていた。


 鵺がそうだったように、”裁き”による救済を求めていたなら、僕もそれに答えるのが道理と飲み込めたのだ。


 だが彼女は違う。本当に欲しいものを心の底に沈め続け、それでも意思の支柱を折る事なく存在している。


 シヅキもそうだ。彼女は空間の神から無理やり力を継承され、人の輪から外された。それでも、自分の意思は保ち続けている。


 悪霊を超えた妖怪という存在は、思考が数段階上の次元にあるとでも言われている気分だ。


 それはまるで、僕たち閻魔が下に見られているようなものだ。


「本当は寂しくないんですか? 誰かに自分を理解して欲しいとか思わないんですか? それこそ、たとえ向かう先が地獄だとしても、罪から救われたいとか?」


 望む答えが聞けず、子供のように熱く反論してしまう。


「何よ今更……そんなの人間だったら、生きてようが死んでようが常に思っているわよ」


 “他者に理解されなければ、死んでいるのと変わらないのだから”


 ハクは、僕と同じ思想を持ち合わせていた。これは閻魔界に住む僕たち閻魔が持つ思想だと思っていた。


 でも、違った。人間も同じなんだ。それを彼女は、肉体を失っても”理屈”として理解しているんだ。


「死が救済なんかじゃないってことは、実際に死んで分かったわ……だから、貴方が閻魔様だったとしても、裁かれたいとは思わない……どうせ地獄行きでしょうし」


 僕は、地獄の最下層行きと伝えるのを躊躇した。


「じゃあ……仮に、地獄行きが分かっていながら、僕に裁かれたいと言う人がいたとしたら、貴女はなんて声をかけるんですか?」


「裁くのは閻魔の仕事でしょ? それなら閻魔に判断を任せるよう伝えるわね」


「僕には選べない……」


 無意識に返事をしてしまった。例え話として出したはずが、これが実際に起きている現状なのだと、彼女は僕の顔を見て察したのだろう。大きなため息が聞こえる。


「……馬鹿らしい」


「馬鹿らしいだって!? 僕はこんなにも悩んでいるっていうのに!?」


「悩むなんて当たり前でしょ? 生きているんだもの。私が馬鹿らしいって言ったのは、そんな自分を”異端視”している事よ」


 ハクは、悩む自分を受け入れろと、僕に言っているのか。


 今まで味わったことのない、頭の中を無理やりかき混ぜられるような苦痛を、受け入れろとでも言うのか。


 感情が人間に必要なものだと理解はしている。でも、


「僕は閻魔なんだぞ?」


「閻魔だったら悩んじゃ駄目なの? 迷っちゃ駄目なの? 貴方は生きている。だから悩みもする。それだけの事でしょ?」


「閻魔は……常に中立でなければならないんです……自分の意思を持たず、閻魔界の法に従わねばならないんです」


 意思を持てば、法に従えない時も出てしまう。人間の魂を裁く立場にある以上、僕は迷ってはいけないんだ。


「だったら、閻魔界の法? とやらに従って行動しなさいよ! 今の言い方は、人間を見下しているわよ」


「それが出来ないから悩んでいるんだッ!!!」


 僕は、ガタン! と椅子を倒しながら机に前のめりな姿勢で立ち上がった。


 僕よりも現世に適合している人間に、敬意を払いたいと思っている。でも、その思いさえ感情が邪魔をして維持できていない。


「せめて、納得が欲しい……」


「……まるで子供ね。良いこと? 閻魔としての責務と、個人の主張は別物よ? 貴方は公私混同しているだけ。」


 可哀想な人間は裁きたくない。


 でも閻魔の立場にいる以上、裁かなければならない。


 納得できないかもしれない。しかし閻魔を生業としているなら、避けては通れないことだと彼女は断言した。


「中立性がどうこう言ってたけど、貴方に必要なのは、中立性じゃなくて仕事とプライベートのバランスってところね」


 ハクは背伸びをする。彼女はまるで、子供を叱る母親のようだった。


「私も長いこと現世にいるから、最近の子が似たような事で悩んでいるのが分かる……閻魔様は結構、現代的な悩みを抱えているわね」


 彼女の言葉は、正直言って理解できるものだった。閻魔界に居た頃は、手につく全てが閻魔の業務だったからだ。仕事しかしていなかった僕が、現世で個人的な思想に囚われるのは必然なんだと、学ばされた気がした。


「相手に同情し、辛いと思うのは普通のこと……裁きたくないと思う事も……」


「そう、それが普通なのよ。私も、閻魔様も、”同じ魂”なんだから」


 僕はそう言われて、ハクを見た。彼女は妖怪に成り果てたが、元々は人間の魂。僕も霊体……言ってしまえば魂なんだ。


 神も、閻魔も、人間も、元々は同じ魂……


「でも、そんなに嫌なら、閻魔を辞めたらいいわ」


「……閻魔を、辞める?」


 思いもしなかった事を提案され、僕は唖然とした表情を浮かべる。


「私と来ない? 貴方みたいに話の出来る人がいると、私も退屈しないわ」


 そう言ってハクという少女は手を差し伸べた。


「二つに一つよ……閻魔を辞めて私と来るか、閻魔として私を裁くか……」


 彼女の目は鋭く、この言葉が本気だと言っていた。


 ☆☆☆


「……ハクさんを見逃すという選択肢は?」


「それは勝手だけど、閻魔様に依頼した霊能者はどう思うかしら?」


 僕はこの選択肢から逃れられないと悟った。


 ハクに共感し、彼女に着いていけば、それは周芳や燐瞳を裏切ったことになる。


 同じく、ハクを見逃しても周芳は納得しないだろう。もしかしたら、話せば理解してくれるかもしれないと、淡い期待が脳裏をよぎるものの、それならこの土地は除霊の対象になっていない。


 かつて燐瞳は言っていた。


 “理由はどうあれ、どんな霊でも祓うのが私達の役目”


 連盟の人たちからすれば、人に危害を加えているハクは、祓わなければならない相手。


「少し歩きましょう? ずっと座ってたら良い返事は聞けそうにないし」


 ハクは立ち上がると僕の真横に立ち、今度は優しく僕の手を握った。同じ霊体なのに、彼女の暖かさが伝わってくる。手を引かれ、教室を出ると、「校舎を案内するわね」と言って歩き出した。


 廊下を歩く僕たちを遠巻きに見つめるここの住人達。全員が、僕に敵意を向けており、同時にハクを心配していた。


 ヒソヒソと、「御白様がいなくなったらどうしよう……」と聞こえてくる。ここの住人にとって、伝承を背景に持つ彼女は支えなのだろう。


「大丈夫、みんな良い子ばかりよ」


 教室から頭だけを出す一人の男の子の霊にハクは手を伸ばす。そのままその子の頭を撫でると、怯えた子供の表情がほぐれる。


「御白様! 僕に糸を繋いで!」


「いいわよ」


 ハクの右手の小指から、男の子の小指へ白い糸が伸びて絡ませる。


「これ好き」


 男の子は嬉しそうに教室の奥へ駆けて行った。


「……今のは?」


 僕は、今の行動が分からなかった。


「……ごっこ遊びよ。伝承の御白様は、常に死者と糸で繋がっていた。だから、魂だけになっても不安にならないって言われててね」


 ハクは、たまにこうして糸を繋ぐらしい。死者と繋がる御白様は、魂の情報を共有していたと言う。しかし、伝承のような力は彼女にないものの、それだけでみんなが満足すると教えてくれた。


「薙君とも繋いであげる」


 そう言って、同じように小指を差し出した。僕は、同じように右手の小指を立てて、彼女の手に近づける。


 スルスルと、糸が指同士を繋ぐ。よく見ると、さっきの男の子以外にも繋いでいるのか、複数の糸が小指からどこかへ伸びているのが見えた。


 彼女の思考が共有されることはない。


 それでも、彼女の温もりを感じた気がした。


 ☆☆☆


 屋上へ通じる階段を上った。ハクが最上階のドアを開け放つと、外の空気が僕の頬をかすめた。


「今日は雲が少なくて良かったわ」


 そう言って上空を指差す彼女。僕もゆっくりと上を向く。


 星空だ。


 ここは山の奥。光が月明かりしかない分、星がよく見える。


「……綺麗よね。長い間、こうして夜空を眺めているの。春も、夏も、秋も、冬も、そしてまた、春が来る。」


 季節ごとに顔を変える星空。無限に続くそのループは、まるで輪廻転生のようだと彼女は語った。


「僕も好きです……昔はよく、沈まぬ太陽を眺めていました」


 僕はハクに、沈まぬ太陽を説明した。彼女も「見てみたいものね」と興味を持ってくれた。


「あれ、でも今日って……」


 視線を動かすと、空の端で薄い雲に隠れた満月の淡い光が見えた。雲から微かに溢れ出る赤い光が見えた。


「やっぱり、赤い月……」


「厄介よね」


 ハクは、眉間に皺を寄せた。彼女は、「赤い月の光は、私たちに力をくれるの……でも、厄介な奴が出たりするから嫌い」と吐き捨てた。


「力をくれるって?」


「あの光を浴びていると、魂の奥底から、何かが湧き出てくる……私の場合は、新しい蚕の力がいくつか発現したわ」


 ただ、この光に魅了され、狂気に囚われる者も現れる。「行き過ぎた力は、振るってしまうものよ」と、彼女は言った。


 月が雲から顔を出した。赤い光が校舎を照らす。


「薙君は特に変化がないわね」


 そう言った彼女の額には、可愛らしい二本の触覚がピョコンと生えた。髪も白く変色し始めている。どうも、制御が効いていないらしく、人間の姿に必死に戻ろうと躍起になっていた。


「……中に入りましょう。そうすれば、治まるはずです」


「……そうね。せっかくだから、体育館でも行きましょ」


 僕たちは、赤い月に別れを告げるように屋上の扉を閉めた。


 ☆☆☆


 体育館は、ガラスの破片が床の至る所に撒かれていた。裂かれたカーテンがステージ上からだらしなく垂れていた。壁の一部は倒壊しており、そこから月明かりが降り注いでいた。体育館を棲家にしている霊達は、この光を浴びにそこへ群がっていた。


 それを見てハクがため息を吐いた。


「幕を降ろしましょう」


 そう言ってステージの裏側へと進んでいく。僕もその後を追う。


 ワイヤーが巻かれたハンドルをハクは指差した。


「回してもらえる?」


「えっ!? あ、はい……」


 言われた通り、ぐるぐるとハンドルを回すと、天井から幕が降りる。完全に降ろし切ると、暗闇が僕らを包み込んだ。少し漏れた月明かりが、僕とハクを繋ぐ糸に反射して淡く輝いた。


 ハクを見ると、姿は人間に戻っている。


「壇上で男女が二人……ふふっ」


 ハクが何か言っている。顔を背けて身を震わせている姿から、自分で言った洒落が自分でツボに入ったのだろう。


「……ここ、幕を降ろすと私だけの個室みたいで、つい、ね?」


 何が”つい”だ。


「ほら、あるじゃない? 自分の部屋で独り言出ちゃったりとか?」


「う、うーん……分からなくはないですけど」


 風切さんのキャンピングカーに住まわせてもらってた頃は、何か呟いたりしてた気もするけど、少なくとも”変な事”は言った覚えがない。


「ごめんなさい。人間の生理現象みたいなものよ」


 ハクは捨てられたマットをこちらに持ってくる。


「少し、横にならない?」


 仮にも、祓いにきた僕に対して、なんと無防備なのだろう。


「大丈夫……寝込みを襲われても反撃できるから」


 ニカっと笑った彼女はそのままマットの上に横になった。


 僕は、彼女の近くに座った。彼女は目を瞑っている。


 寝顔を見て、燐瞳を思い出した。最近は、燐瞳が寝付くまでこうして近くで座っていることが多い。それは、燐瞳にとって僕が支えになっている証。


 生きていくには、誰かの支えとなり、また誰かに支えてもらわなければらなないのだと実感した気がした。


 ☆☆☆


 あれから三日ほど、僕はハクと過ごした。


 彼女は、校舎の至る所を案内しては、そこの住人達に僕を紹介していった。


 流石に住人達からは不信がられているが、おしら様であるハクが常に僕といることで、ほんの少しだけ警戒は解けつつあった。


 時には校庭を駆け回り、時には視聴覚室で会話に耽り、時には音楽室で彼女の歌を聴き、一日の終わりは必ず体育館の壇上で眠るのだった。


 ハクは、「こんな生活も悪くないでしょ?」と執拗に言っていた。正直、僕も居心地は悪くなかった。


 第二の人生を謳歌するハクが輝いて見えていた。人間だった頃よりも、今の方が自身を必要とする住人達に愛され、幸せだと言う彼女に、気がつけば僕も心を許していた。


 その晩、マットの上で眠るハクは、「今日から一緒に寝ない?」と提案した。


「薙君は襲ってこないからさ」


「……襲ったら反撃するんでしょ?」


「そっちの意味じゃなくて……」


 僕は、横になる彼女を横目に、いつも通り座って眠る。


 もう三日も滞在している。そろそろ、神社へ戻らなければならない。朝までに、僕は答えを出さなければならない。


 周芳から渡された古い腕時計を袖から取り出す。朝まで数時間しかない。僕は、目を閉じて物思いに耽る。


 自らの心に、決着をつけるために。


 ☆☆☆


 ………………今、何時だ?


 いつの間にか寝ていたようだ。ハクも寝息を立てている。僕はもう一度時計を見る。夜明けまで、一時間しかない。


 焦る僕に、「おはよう」とハクが目を開けた。上半身をゆっくり起こし、髪を手櫛でほぐすと、ハンドルを回して幕を上げた。


 体育館にいた霊達がいなくなっている。


 赤い月の光は既に届かなくなっていた。僕たちは、壇上から降りて歩き出す。しかし体育館の中央あたりまで来たところで、数歩先でハクが立ち止まり、こちらを振り向いた。


「……答えは決まったかしら?」


 この言葉に、僕は心臓を鷲掴みにされるような苦しさを覚えた。


「私の答えは変わっていないわ。この数日間、寝込みを襲わない紳士さも含めて、ますます一緒にいたいと、友達になりたいと思えたわ……」


 まるで、告白でもされているようだ。


「僕も、ハクさんといて居心地が良かった……話がしたいって我儘も聞いてもらえたし、何より、”同じ魂”として対等に扱ってもらえた気がした」


「なら、閻魔を辞めて一緒にいてくれる?」

 

 差し出されるハクの手。その小指から僕の手に伸びる糸。


 この糸を紡ぎ、彼女と手を交わらせることが出来たら良かった。


 でも、出来ない。


「僕は、自分を受け入れる……だから閻魔を続ける」


 廃校の住人にとってハクは支えだ。しかし僕もまた、森之宮燐瞳にとっての支えだ。


 そして僕自身も、燐瞳や暦、鵺を支えにしている。


 同じなんだ。みんな、誰かを支えにしなければ生きていけない。


 閻魔も妖怪も人間も関係ない。全ては同じ魂なんだ。


「僕もハクさんと一緒にいたい……でも、お互いに支え合っている友人達を裏切れない……これが、僕の答えです」


 深く、頭を下げた。彼女の気持ちに答えられない罪悪感を抱く。


「私も、薙君と支え合いたかったわ」


 ハクは、「なんか、失恋したみたいな気持ち……」と悲しそうな表情を一瞬だが見せた。その顔はすぐに元に戻る。


「自分の心に正直になったじゃない……薙君」


「ハクさん……」


 彼女は涙を流していた。ここでの出来事は四日程度。これを長いと取るか短いと取るかは人の勝手だ。でも、少なくとも、僕とハクにとっては濃密な時間だった。


 出来る事なら、今後も彼女と友人でいたい。


「聞いてもいい? 裁かれたら、もうここの子達とは会えない?」


「いえ、閻魔界に入国するまでは一緒になれますよ……」


 ハクは、「それを聞いて安心したわ」と言って涙を拭った。


 ハクは腹を括っている。僕の裁判に抗う現実を。


 僕もまた、彼女を裁かなければならない。


 彼女は僕にとって特別だ。でも、閻魔として、彼女を裁く。


「ねぇ、薙君?」


 彼女の顔が僕の耳元に近づいた。そして、「私が生まれ変わったら……そうしたら……」と言いかけたその時、


 僕たちの隣に、”シヅキ”が現れたのだ。


 僕とハクがシヅキを認知するよりも早く、彼女は僕たちを掴んで跳んだ。

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