第18話〜大罪の名を持つ男

 視界が一変した。朽ちたフェンスと貯水タンクが見えて、ここが校舎の屋上だと理解した。横を見ると、同じく唖然としているハクと、神妙な顔つきのシヅキが映る。


 轟音と青白色の閃光が、体育館の方角から発せられた。同時に、この空間の空気が変わっていくのを肌で感じる。


 まるで、アメリアの燭台から放たれる”煉獄の炎”みたいだった。


「……間一髪だったわね」


 そうシヅキは言った。僕が、言葉の意味に気が付くよりも早く、ハクの息を呑む引き攣った声が聞こえた。


 彼女の小指から伸びる白い糸。僕と彼女を繋ぐ糸以外が、不自然に焼き切れていた。力なく垂れる糸がパラパラと床に落ちていく。


「……まさか!?」


 僕はフェンスに駆け寄った。


 予想は当たっていた。体育館を焼き尽くす煉獄の炎。その炎は、ここの住民を導火線として、この校舎まで伸びてきている。


 炎の中で、もがき苦しむ彼らが見え、視線を校庭側に移した。


 校庭の中心に誰かがいた。距離のある屋上から、それも暗闇の中でその存在に気が付いた理由は、単純なものだった。


 “長い髪が青白く燃えて輝いている”


「あれは……なんだ!?」


 シヅキに向き合い、肩を掴んだ。


「”案内人”……ハヤトが生み出した人工怪異よ」


 シヅキは、僕がこの廃校に跳んでから今まで、廃校近くで僕を監視していたと正直に話し始めた。


 僕に何かあった時に助け出せるように周芳が配置したのだという。


 暦を連れ帰るよりも僕を優先した事へ怒りを覚えるものの、彼女がいなければ僕は今頃、炎に焼却されていた。


「アイツは突然現れたわ……私が貴方を助けられたのは、結構ギリギリだった」


 チラリと、ハクを見たシヅキは、「おしら様も助けちゃったけど……」と漏らす。これを聞いて、シヅキも連盟側なのだと改めて実感した。


 僕が口を開こうとした時、頭上から男の声がした。


「こんばんは。そして初めまして……閻魔薙」


 その男は、シルバーの髪色に、右目に眼帯をしたフォーマル姿の外国人。印象的だったのは、右の背中からだけ生える黒い翼。男は、片翼だけで飛翔していた。


 男が僕たちの数メートル先に降り立つ。


「攻撃するつもりはなかったのですが、案内人は未だ本能のみで動いていますので、どうかお許しください」


 淡々と言葉を並べ、頭を下げる男に、シヅキは「ニコラス・クラウンね? 蓮華君から聞いているわよ」と強めの口調で牽制する。


 シヅキは続けた。


「目的は何!?」


「そんなに怒らないでください。用事があるのは、”おしら様”だけですよ」


 そう言って、ニコラスは呆然とするハクを指差した。僕は無意識に、ハクの前に立った。


「ハヤトが言っていたんですよ。“人間の集合意識”に介入できる力が欲しい、と」


 “人間の集合意識”……おしら様の伝承にある、生者と死者の魂を繋ぎ止める糸を利用して、意識の統合を図りたいとニコラスは答えた。


「十年前にも、おしら様で試そうとしたらしいんですが、邪魔されたようで……”新しいおしら様”が生まれていないかを、私の方で探していました」


「わ、私に、そんな力はないわ! それより、ここに住んでいた子達は!?」


 あれだけ冷静だったハクが取り乱している。足が震え、僕の肩を支えに掴んでいる。その腕が小刻みに震えている。


 糸が焼き切れた……つまり、糸の先にいた彼らは、もう……


「赤い月の力で目覚めますよ。貴女は”おしら様”として周囲から認識されているんですから」


「ここの子達は無事なの!? 答えなさいよッ!!!」


 ハクの声は震えていた。ニコラスは、表情を変えずに言い切った。


「煉獄の炎で焼却されましたよ。この校舎の全室が燃えているのが分かるでしょう? 焼却された魂は、天に昇ることなく”消滅”しましたよ?」


 ……と。


「……ッ!! ……グッ!!!」


 僕の肩を掴む力が強くなる。白の姿が、半妖へ変化する。白く変わる頭髪。額から生える二本の触覚。セーラー服が巫女服へ変わった。背中から生える白色の蚕の羽には、赤や黄の幾何学模様が描かれている。


「滅却は……二度目の死……なんて、なんてことを」


 彼女は、いつニコラスに襲いかかっても不思議ではないほど激昂していた。


「あの子達が、先に手を出したなら分かるわ……霊能者が私達を祓いに来るのも分かるわ……でも、今回は違うッ! 理由もなく、虐殺されるのは許せない!!!」


「バカッ!? 何やってんのよ!? 逃げるのよ!?」


 シヅキがハクに抱きつき止めようとする。その手をすり抜けて、彼女は飛翔した。


 鱗粉が月明かりを反射した。


 ☆☆☆


 ハクの手から放たれる糸は、何本も折り重なった”縄”となってニコラスの眼前へと伸びる。しなる縄は、ニコラスの立っていた床を木っ端微塵に破壊して見せた。破片が周囲に撒い、こちらにも降り注ぐ。


 煙幕の中で、ニコラスは口を抑えていた。縄を避けたのか、数歩後ろへ位置が移動していた。


 上空のハクを見上げたニコラスは、右手を挙げて指を鳴らした。


「……できれば、傷つけたくはないのですが、仕方がないですね」


 彼の足元に、三匹の黒犬が現れる。地獄の猟犬だと、瞬時に理解できた。


 一匹は上空のハクへ跳躍し、残り二匹は僕の方へ突進した。


「くッ……!?」


 両手を合わせるのが間に合わない。唾液を撒き散らした猟犬の口が、もうすぐそこまで来ている。


「ボサっとしないで!?」


 シヅキは、近くの貯水タンクへ繋がる梯子を掴んだ。梯子は固定具ごと空間移動し、猟犬の一匹の首の部分に現れた。猟犬は空中で止まり、そのまま床に倒れ込んだ。


 僕はこの隙に両手を合わせ、剣を展開すると、もう一匹の猟犬を剣の腹で受け止めて攻撃をかわした。


「なんで切らないのよ!?」


「この剣は命を奪えないんです!」


 僕の返答に、「あーもう!」とシヅキは苛立ちを含んだ声を出すと、朽ちたフェンスの柱を掴み、先ほどと同じ方法で猟犬の首を飛ばした。


 ☆☆☆


 空中のハクは、両手の十本の指から伸びる細い糸で網を作り、猟犬を受け止め、地面へ叩きつける。


 そのまま、右手をニコラスに伸ばすと、五本の糸が彼の四肢と首を締め上げた。ピアノ線よりも細く硬い糸は、ニコラスの皮膚へ食い込み、赤い線を浮かばせた。


「肉体を持っているのが災いしたわね。四肢をげば、何もできないでしょ!?」


「それは、どうでしょうね」


 ニコラスの背中から再び黒い片翼が展開され、首と右手と右足に巻き付いた糸を切断する。ニコラスはハクを目掛けて飛んだ。糸がたわんだことでニコラスの出血が止まった。


「……しぶといわねッ!!!」


「こちらのセリフですよ、おしら様?」


 何度も鞭のように振るわれる糸の束を空中でニコラスは避けながら近づいていく。彼女は、近づかれまいと鱗粉を羽から飛ばし目隠しのカーテンを作った。


「喰え、暴食ベルゼブブ


 ニコラスの眼帯の奥で右目が輝いた。空中に散布された鱗粉のカーテンが、ニコラスの翼から放たれる黒い粒子によって所々に穴が開く。


 カーテンに空いた穴に両手を入れ、引き裂くと、「掴め、強欲マモン」と巨大な腕の形をした影を右手から具現化し、ハクへ伸ばした。


 ☆☆☆


「これより、簡易裁判を始めるッ!」


 両手を打ち鳴らし、全ての道具を空中に浮かばせる。鬼籍が開かれ、ニコラスの罪を書記したところで、僕は息を呑んだ。


 ニコラス・クラウンの罪状は、”憤怒”、”嫉妬”、”怠惰”、”強欲”、”暴食”、”色欲”、そして、”傲慢”。


「……七つの大罪」


 人間が罪を犯すためのキッカケとなる感情が”七つの大罪”。この七つは、人間が元々持っているものとして、鬼籍に表示されない。


 それでも記載されたという事実が意味するのは、目の前のニコラスという男が、”大罪の名を持つ悪魔”だということ。


 地獄の猟犬を使役している事からも間違いないだろう。そして鬼籍は、新規の罪から表示される。


 最後に表示されているのは”傲慢”。


「あの男が、傲慢ルシファーだっていうのか……」


 空中戦を繰り広げるハクとニコラスを見上げながら、震えた声を漏らした。


 七大天使の寵愛を持つアメリアが追っていた男が、堕天使長というのは運命なのか。


「閻魔薙! 逃げるわよ! おしら様は諦めて!」


「僕と彼女は”糸”で繋がっています……そして彼女とニコラスも繋がっています」


 僕の腕を掴もうと駆け寄ってきたシヅキは、伸ばした手を止めた。


 僕がシヅキと跳べば、同時に二人も移動する。


「なら糸を切って!」


「嫌ですッ!!!」


 僕は空中に浮かぶ天秤を掴むと、ニコラスに向けた。


憤怒ルシファー!!! お前の罪は、何だッ!!!」


 天秤が急激に傾く。目盛りは七段階目を超え、ついには振り切れた。


「がぁッ……!!!!!」


 空中から落下するニコラスは、校庭へと叩きつけられる。肉体を持っているなら、もはや立体を維持できないほどの重圧がニコラスを襲ったはずだ。


「はぁ……はぁ……」


 天秤を持っていられない……量りに乗った罪の重さが、天秤にも反映されている……


 腕が重さに耐えきれず、手から天秤が落ち、屋上の床で跳ねた。目盛りは元の位置に戻っていた。


 僕はその場に膝をつく。


 だが一手、遅かった。僕の背後に、羽の片方をもがれたハクが落ちてくる。激痛に顔を歪ませた表情の彼女を僕は支えた。


「助かったわ……薙君」


「ハクさん……」


 彼女の怪我は痛々しい。なんとか治療する方法はないか模索する。


「おしら様、ニコラスとの糸を切って」


 シヅキが苛立ちながら詰め寄ってくる。「連盟には私から説明するから、早くここから移動するわよ」と、ハクを連れていくことに渋々承諾したようだった。


「でも、ここの子達の仇を……」


 僕の道服を強く掴むハク。そんな彼女をシヅキは叱咤する。


「馬鹿言わないで!? あんな化け物に勝てるのなんて、蓮華君くらいよ!?」


 シヅキが僕から、ハクを引き剥がした瞬間、


「なら、源蓮華を呼んできたらどうです?」


 僕の背後からニコラスの声がした。


 振り返ると、案内人を両手で抱えたニコラスが、明けの明星を背に浮かんでいた。


 ☆☆☆


「どうやって、天秤から逃れたんだ……」


 ニコラスの身体は、天秤によって罪を背負ったはずなのに、何事もなかったと言わんばかりに形状を維持していた。今は天秤は解除されている。でも、さっきまで重圧が彼を襲っていたはず。


 床に落ちた天秤を急いで拾うと、再びニコラスへ向けた。


「ふふ……天秤は無事に貴方に渡ったのですね」


「答えろ、何をした!?」


 僕を見下したニコラスは、「もう一度使えばいいでしょう? そうすれば、自ずと分かるはずですよ?」と、余裕を見せる。


「言われなくてもッ!!!」


 僕は叫んだ。「お前の罪は何だ!」と。


「────堕とせ、怠惰ベルフェゴール


 肉体を押し潰す重圧と同時に、ニコラスの眼帯の奥が輝き、僕の天秤の目盛りが一段階戻った。


「なッ!?」


 目盛りがさらに一段階戻る。そのまま天秤は平行線へと戻った。


 これは、自らの罪を減らしているんだ。怠惰の力で、"罪の意識"すら考えるのを放棄しているんだ。罪で罪を減らすなんて、今まで見たことがない。


「……怠惰はあまり使いたくないのです。私の正気・・まで下げてしまうのですから」


 気だるげに、ニコラスが首を鳴らす。「正気が減ると、思考が短絡的になるんですよ」と、苛立ちを見せていた。


「魅せろ……色欲アスモデウス


 眼帯から放たれる光が案内人の目に映る。案内人は、未だ本能で動いているとニコラスは言っていた。それは、生命力を探知し、霊体なら焼き尽くすといった、”燭台”本来の動きを再現し続けている事を意味している。


 しかし、色欲の力で一時的だがニコラスの支配下に置かれたのを理解した。


「私の合図で撃ちなさい」


 案内人が頷くと同時に、彼女の身体は宙に投げ出された。こちらに手を向けながら、ゆっくりと地上に落下していく。


 まるで、時の流れが遅くなったと思えるほど、その動きがゆっくりに見えた。


 それだけ、案内人を放したニコラスの動きが素早かったのだ。


「奪え、嫉妬レヴィアタン


 彼の翼が、ひれの生えた青黒い鱗状の尾へと変化し、僕達の間を縫ってハクの腹部を貫いた。


 尾が引き抜かれ、砕けたハクの魂の欠片が、倒れゆく彼女の鱗粉と共に周囲へ散っていく……


 ☆☆☆


 “お願い……魂が消える前に……私を祓って”


 僕の耳に、ハクの言葉が、嫌というほど鮮明に聞こえた。これは、浄瑠璃鏡が僕に伝えた彼女の本心。


 せめて、僕の気持ちを汲もうと……僕の覚悟を踏みにじらせないようにと……彼女が見せた、最後の恩情。


 本当は、こんなはずじゃなかった。お互いの思想を、感情をぶつけ合い、僕と彼女は決着をつけるはずだったんだ。


 こんな形で、終わりたくなかった。


 別れを悲しむ時間すら、僕たちに与えられないというのか。


「……清め、祓う」


 不動明王の剣は、僕と彼女を繋ぐ糸を断ち切った。剣の力で糸の先にいた彼女の魂は、ただの霊体へと戻ると、魂の崩壊が起こる前に天に昇った。


 消えた彼女の場所に浮かぶ嫉妬の尾へと、怒りのままに剣を突き刺した時、ニコラスの表情が変わった。


 彼は絶叫し、尾を消した。


 ニコラスは”大罪の名を持つ悪魔”。大罪を洗い流せば活動を止める。不動明王の剣が、彼にとっての弱点だった。


 ……そんな事など、もう、どうでも良かった。


 僕にとっては、もう、意味のないことだった。


 ☆☆☆


「撃て! 案内人!」


 地上へと落下していくニコラスが、上空の案内人へ叫んだ。案内人は、下半身が屋上の縁に隠れてしまうほど落下しているものの、それでも微動だにせずこちらへ手を突き出し、狙いを定めていた。


 彼女の髪はさらに燃え上がり、その手に蒼炎が集まる。


十全たる閃光の法則パーフェクト・ノヴァ


 小柄な彼女から放たれた巨大な火球の勢いは、彼女の身体をはるか後方へ弾くほどだった。ほぼ、ゼロ距離で放たれる煉獄の炎の塊。


 僕とシヅキの視界は、蒼炎のカーテンに塞がれた。


 逃げるのが最善だろう。だけど逃げたくない。ニコラスに一矢報いたい。


 だから虚空は使わない。


 いや、使う必要はない。


 彼女のために、閻魔を続けるために、僕は過ちを犯そう。


十全たる空孔の法則パーフェクト・オブリヴィオン


 迫る火球と同等の、白色の新円が現れ、円の内側が”から”になった。


 円の中には、何も存在しない空間が広がっている。光すら存在しない。ただ黒い穴がそこに空いているだけである。たとえ煉獄の炎だろうと、燃料がない空間を通過する以上、鎮火せざるを得ない。


 蒼炎と虚無が弾ける衝撃と破裂音が廃校に響き渡る。


 しかし、そこには誰もいない。


 まるで最初から誰も踏み込んでいなかったように、朽ちた校舎だけが、朝日に照らされていた。

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