第40話~歪な共生からの解放②
「閻魔薙!?」
閻魔薙が蓮華の目の前から忽然と消えた。蓮華は倒れ込み人間状態に戻る。もう鬼の姿を維持できる余裕は残されていない。先の戦いでほとんどの力を使い果たし、今は生命維持がやっとの状態なのだ。
ふと、ゆっくりと手を叩く音が聞こえた。まるでこちらを称える拍手のようなそれは、霧の中から近付いてくる。
拍手が止んだ。
「見事、内燃機関を取り除き、神を封印した……おめでとう……本当におめでとう……」
それはカレンという女だった。彼女はアルビノの少女を自身に引き寄せると、うつ伏せの蓮華へ再び称賛の声を浴びせた。
「カレン……お前、今までどこに……」
「それは知らなくて良いことよ、源蓮華」
カレンは地面に横たわる神の依り代────淡海琵琶の遺体に触れる。
「おいッ!?」
「これは神の依り代……でも本当の目的は、神の情報収集」
依り代に埋め込まれた無垢なる魂達に神の情報を
「魂は回収させてもらうけど、御遺体はお返しするわ……さぁ、仲間の元へ名誉の凱旋するがいいわ」
カレンが両手をパンと合わせると、蓮華の姿もまたどこかへと消えた。
「────約束は果たしたわよ……貴方も役割を果たしてよね」
後ろを振り返ったカレンは、視線の先にいる人物へと語りかけた。
☆☆☆
────視界が青い。まるで青のカーテンに囲まれているようだ。
自分自身を包み込むうねった青のカーテン。それが煉獄の炎なのだと直感で理解している。炎は自身に触れている。しかし引火することもなければ熱も感じなかった。
炎が急速に減少していく。次第に視界を覆う色は黒に変わっていき、全てが黒に変わった所で目が覚めた。
最初に見た景色は、霧に包まれた瓦礫達。どこかの集落なのだろう。
「────やっと目覚めたか? アメリア・シルフィウム」
その声に聞き覚えがあった。神の理解者であり、影の住人達のリーダーを務めた男────ハヤト。
「なぜ生きている……俺も……お前も────」
俺は困惑した。俺は
「ふっ……肉体ごと地獄に落ちるわけがないだろう」
ハヤトは語る。全ては偽装工作なのだと。
「俺は首を斬られたふりをしてこの村へ移動した、同時にお前もな……そして全てが終わるのを待っていた」
「全てが終わるって……神はどうなった!?」
俺の質問にハヤトは、「もういない。神は虚無へと消えた」と淡白な返事をした。
「なぜだ……なぜ、お前は何もしなかった!?」
ハヤトは閻魔薙を、止めようと思えば止められたはずなのだ。自らの死を偽装して、隠れていたなら、奇襲を仕掛けて殺すことなんて容易だっただろう。
「なぜ? それはこっちのセリフだ……なぜ、止める必要がある?」
両手を大きく広げ、わざとらしく首を傾げたハヤトは言葉を続けた。
「十年前、俺は春人の肉体を奪い、長きに渡る孤独からの解放を目指した。五年前、ニコラスは人々の不安や恐怖を取り除き、心の安定……すなわち感情からの解放を目指した。そして今回、神は与えられた役割からの解放を目指した」
ゆっくりとこちらを振り返るハヤトは、俺を指差していた。
「だが、俺が望んだのはそんなものじゃない。孤独も、感情も、役割もッ!!! 俺にとってはどうでも良いことだ」
次に指差したのは遠くで横たわる老紳士だった。
「俺が目指したのは、
神と正面からまともに戦っても勝てないのは明白だった。マガツヒノカミは、自然現象そのものだ。神を前にして人は無力。例え連盟員と共闘しても無理だっただろう。だからこそ、神の内側に入り込み、付け入る隙を探す必要があった。そのために長い準備期間と実験を繰り返してきたという。
「依存……神の言葉を借りれば
「サンジェルマンだと……アルベルトの生みの親って桜が……お前まさか!?」
「せめて最後は、神の内燃機関などではなく、人として眠ってほしい……それが俺の願い」
俺達がずっとハヤトだと認識していた男は、元々はアルベルト・ハンターと呼ばれる笛吹き男だった。まさか、初めからハヤトなんていなかったのではないか?
「それに、これはアイツとの約束でもあった」
ハヤトが指差した先に居たのはカレンと呼ばれていた少女。その少女の姿が、みるみるうちに見覚えのある人物へと変化していく。
「────暦……!?」
着物姿の少女────死神見習いの暦は、ハヤトと組んでいた。
「いつからだ!? いつから組んでいた!!!?」
「初めからだ……十年前、俺に共闘を持ちかけたのはこの女なんだからな」
ハヤトの言葉に暦は「ふんっ!」とそっぽを向いた。
「閻魔薙は、結局のところ和睦を完全継承しなかった……私は言霊が欲しかっただけ……サンジェルマンの解放は貴方の目的でしょ?」
プランAがダメならプランBを。プランBがダメならプランCを。そう暦は呟いて、俺を指差した。
「本来なら、本件に私達は介入しなかった。私はあの歪んだ世界で全てを見たのだから」
ゆっくりと俺に近付いてくる暦の姿に、思わず後ずさりする。
「十年前の事件は弓栄春人と隼人の相打ちで幕を閉じ、同時に言霊も消滅したことで災厄の神は野望を遂げられず、この世界の理にゆっくりと分解されるだけだった」
地面を擦る音が何かしらのカウントダウンに聞こえてならなかった。
「でも、それでは空の座礁は防げない……私には言霊が必要だった……だから介入した。本来ならアメリア・シルフィウムなんて人間は登場しない……貴女は私が介入したから誕生したの」
「俺は……一体……」
暦が語るのは十年前の事件の全容。そして、その最後でハヤトと交わした約束について。
暦は弓栄春人の持つ言霊の力を求めていた。だからこそ歪んだ世界で閻魔薙と別れた後、わざと十年前の時代に降り立った。だがその時点で既に言霊は消えていた。
暦は、破壊された弓栄春人の魂を、同じく破壊された弓栄隼人の魂で補修し、再生のために十年もの歳月の間、隠し続けたのだという。
「還るべき場所はここにある」
暦がパチンと指を鳴らすと、棺が現れた。ゆっくりと開かれた中で、弓栄春人が静かに眠っている。遺体は当時の状態を維持し続けていた。
「そこまでだ」
俺と暦の間にハヤトが割って入った。
「俺達は同じ亡霊なんだよアメリア」
俺の目の前に燭台が投げ渡される。それを拾えとハヤトは顎で燭台を指した。
「十年前の遺恨だけがずっと渦巻いている……決着を付けるべきだ……お互いに怨嗟の渦から解放されるために」
空中から舞い降りた天叢雲剣をハヤトは握りしめた。
「なぁ、アメリア……いや、
彼の魂の隠し場所は、俺の身体。天使の寵愛は弓栄春人の魂を守るために使われた防壁でしかなかった。ずっと俺に話しかけていたのは、俺自身だった。
☆☆☆
衝突する燭台と天叢雲剣。周囲に火花を散らしながら激しい剣のやり取りが行われる。暦とアルビノの少女が観客とばかりに二人の戦闘を見届けている。
────ずっと、考えていた。寵愛を失い、俺が消えると弓栄春人から言われたときから、ずっと。
その答えは、俺の意識は消え去り、代わりに弓栄春人の意識が完全に目覚めるということだった。春人が何度も現れては消えていたのは、彼の人格が目覚め始めていた証拠。その事実を俺は受け入れたくなかった。
「俺は俺だ……俺なんだッ!!!」
頭の中で、かつての友人達の顔が浮かぶ。彼らから名前を呼ばれる度に、自身がアメリア・シルフィウムなのだと実感出来る。しかし、それと同時に蘇る記憶。幼少期の燐瞳の世話をする自分。これはまさしく、弓栄春人の記憶。
「兄弟、俺達は十年前の決着を付けなければならない!!!」
ハヤトの怒声が、またしても見知らぬ記憶を呼び起こす。黒のローブを着たハヤトと対面し、彼が孤独から解放されたいと心の内を語っている。
「違う……俺はッ!!!」
そう簡単に受け入れられる事じゃない。様々な感情が頭の中で渦巻き、心を強く締め付けてきている。
燭台を振るう度に寵愛は消費され、次々と記憶が蘇っていく。次第に、なぜ忘れていたのだろうと自覚するほどに、人格に影響を及ぼし始めていた。
もう、弓栄春人の幻影は現れない。
彼との境界が、溶けていく。
☆☆☆
何度も激しく衝突する刃により、二人の握力は限界を迎えた。先に剣を落としたのはハヤトだった。しかし彼は、姿勢を低く取り、突き上げるように蹴りを放ちアメリアの燭台を弾き飛ばした。
共に肩で息をしている二人。突き出された両者の拳がぶつかり、紫電と純白の羽毛が周囲に散った。
ハヤトの拳がアメリアの腹部を捕らえ、アメリアは口から液体を吐き出す。続けてアメリアの拳がハヤトの左顔面を捕らえ、彼はよろめいた後、折れた歯を吐き出した。
ハヤトは天叢雲剣に手をかざす。同様にアメリアも燭台に手をかざした。二つの聖遺物は、持ち主の手に吸い寄せられる。
限界の衝突────勝負を決めるのは、一瞬だった。
☆☆☆
「うぉおおおおおおお!!!!!」
燭台のブレードが天叢雲剣を再び弾き飛ばし、ハヤトのガラ空きの胴体へ一閃を放った。
「
全てを出し切った僕の背中で、翼がボロボロと崩れ去り、燭台の炎が消えた。途端に身体の力が抜けていく。もう立つのがやっとなのだ。
蒼炎に包まれたハヤトは、数歩後退した後、仰向けで倒れこんだ。彼はズルズルと身体を引きずりながら老紳士の方へと向かっていく。
視線を向けると、老紳士の身体は粒子状に分解され始めていた。賢者の石の製造機として神に酷使され続けた結果、その魂は自然へ還ろうとしていた。
「恩人……サンジェルマン……どうか、安らかに」
ハヤトは彼に寄り添って、そのまま動かなくなった。蒼炎が消え、アルベルト・ハンターだけが、そこに存在していた。その顔は、今までの彼からは想像できないほど穏やかな表情を浮かべていた。
「ハヤト……いや、アルベルト……さようなら」
アルベルトに
「君の目的は────」
「────ええ、貴方の言霊よッ!」
暦の右手が胸に突き刺さった。胸部から
「アメリアの人格は残させてもらう……!!!」
「それは無理でしょ? 私がそう
暦は、弓栄春人の魂を修復する際、アメリアの人格は弓栄春人の人格の完全覚醒と共に消えるよう設定していた。
しかし、そうはならない。
「僕の魂の一部は、閻魔薙が持っている……だから、僕の意識が完全覚醒する事はない」
故に、言霊も完全な状態ではない。少なくとも、その場で世界記憶の改定が行える様な便利な力では無くなっている。
「僕は再び眠る……そうすればアメリアとしてまた目覚めるはずだ」
「へぇ……貴方も策士ね」
暦は腕を抜き取ると、地面に印を書き始めた。そこに瓶の中の赤い液体を垂らすと、純白の球体が一つ出現する。
「不完全でも言霊は言霊……お礼をしなくちゃね」
球体は弓栄春人の遺体へと吸い込まれ消えた。
「無垢の魂を一つあげる……」
パンッと暦が両手を打ち鳴らした。その瞬間、遺体とアメリアの肉体が繋がった。
「源蓮華で実験しておいて良かったわ────
視界が揺らぐ。意識を無理やり引っ張られる感覚が起こり、気が付くと視界が変わっていた。目の前でアメリアが倒れている。その事実が、意識が棺の中の僕の身体に移った事を表していた。
「これは……おしら様も使わないといけないかしら」
暦は頭を押さえ、自分自身と対話しているようだった。
「────私はこれから閻魔界へ向かうわ……おめでとう、余生を楽しみなさい、二人とも」
「待ってくれッ!?」
まだ聞きたいことは山ほどあった。手を伸ばすと棺に敷き詰められた花が地面に広がった。僕の手は空を切る。目の前の死神は、僕の手が届く前にこの世界から消えてしまっていた。
☆☆☆
棺から抜け出すと、横たわるアメリアを抱きかかえるため腕に力を入れた。しかし、彼女を持ち上げられない。それどころか自身の足から力が抜けていく。十年もの間、休眠状態にされていた肉体だ。動かせるのが奇跡だろう。
這いつくばった姿勢になりながら彼女の意識を確認する。幸いにもアメリアは意識を失っているだけのようだ。それでも僕は彼女を安全な場所に移動させたかった。彼女が目覚め、自身の名を口にするまで僕は見届けなければならない。
同時に周囲を確認する。霧が晴れてくる。この村の座標が現世へ戻りつつあるんだ。
遠くから声が聞こえてくる。その声は、閻魔薙の名を叫んでいた。
「────燐瞳? ここだッー!!! 早く来てくれッ!!!」
出せるだけの大声を出し、助けを呼んだ。次第に複数の足音がこちらへ近付いてくる。
僕の目の前で足音は止んだ。そこに立っていたのは燐瞳と周芳。その後方からシヅキが走ってきていた。
「いきなり走らないでよ燐瞳!!! どれだけ我儘を言えば気が済むの!?」
追いついたシヅキが燐瞳の手を握った。その手はかすかに震えている。僕を見て、燐瞳は言葉を失っていた。呼吸が乱れ、今にも倒れそうだ。
「
「春人!? それに────!?」
周芳は横たわるアメリアを見て驚愕の表情を浮かべている。この場にいるのは死んだとされている二人。驚かない方がおかしい。
「森之宮さん、お久しぶりです……事情は後で説明します、早くアメリアを」
「あ、あぁ……」
うろたえる周芳とは違い、「私が移動させるわ」とシヅキは冷静だった。僕を見て、「おかえりなさい」と静かに言うだけだった。
「あっちに、ハヤト────アルベルトの遺体がある……それも回収してくれ」
立ち上がろうと四肢に力を入れる僕の肩に、燐瞳が優しく手を置いた。顔を見上げると、燐瞳は静かに涙を流していた。
「ごめんなさいお兄ちゃん……会えて嬉しい気持ちと不安な気持ちが一緒になってて……」
再開を喜ぶ気持ちと、閻魔薙を心配する気持ちが衝突しているのだと燐瞳は声を絞りだした。
「お兄ちゃん……薙君はどこ……?」
「────ごめん、今は分からない……僕も彼に会いたい」
彼は一体、どこへ消えたのか……せめて直接お礼を言いたい。
空を見上げると、昇り始めた朝日が廃村を照らし始めていた。
☆☆☆
────目が覚めると、見覚えのある天井が視界に入った。
ここは高松屋敷の一室だ。間違いない、俺はここに宿泊したことがある。
自身にかけられた布団をめくり、立ち上がる。そこで初めて、汚れた修道服ではなく、燐瞳のパジャマに着替えさせられていた事に気が付いた。
壁の時計の日付は、俺が
「目が覚めたか、アメリア」
入口から声がした。何度も聞いた声だった。弓栄春人だ。目線を彼に移すと、半袖のシャツ姿の春人が腕を組んでこちらを見ていた。その腰元には桜が抱きついて離れようとしない。
「……こんな状態ですまない、桜が離れようとしなくて」
「あ、いや……俺は別に」
二人の間に気まずい空気が流れる。静寂を破ったのは俺の方からだった。
「俺は……消えたはずじゃ?」
ハヤトとの戦闘中、俺の意識は薄れ、全くの別人へと変貌した。その感覚が今でも鮮明に残っている。あの瞬間、アメリア・シルフィウムは死んだ。そう俺自身が確信していた。
「閻魔薙に金剛鈴を渡すようお願いしたのを覚えているか? あれは僕の────いや、君の魂の一部だった……それが幸いしたんだ」
弓栄春人の意識の完全覚醒がなくなった事で、アメリアの意識が消滅するのを防いだのだと彼は説明した。寵愛を失った際の保険として計算しての行動だったと。
「でも僕がこうして君と話している現状は、全くの偶然だ……本来、僕は身を引くつもりだった……なんせ僕は十年前に死んでいるんだから」
暦が気を利かせ、意識を別の魂に移さなければ成し得なかった現状だ。
「俺は、これからどうすれば……」
俺の肩を春人が掴んだ。俺達の目が合った。
「君はアメリア・シルフィウムだ……他の誰でもない……その身体も、魂も、君のものだ」
「でも……」
「君を構成するものが借り物だったとしても、
まっすぐな瞳だった。その目を見続けていると、次第に涙が溢れてきた。
「心の思うままに、やりたいことをやればいい」
「俺、本国に友達がいたんだ……メイスっていう……アイツの墓を建ててやりたい」
涙が止まらない。アメリア・シルフィウムとして生きた数年間の思い出が鮮明に蘇る。
「仇は取ったって……アイツに報告したい」
「ならそれをしよう、僕も手伝うよ……だから、君も僕に力を貸してほしい」
消えた閻魔薙の捜索────その言葉に、俺は強くうなずいた。
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