第25話〜衝突③

 時間は、ほんの少し巻き戻る。蓮華の右手から放たれた紫電がニコラスを場外に弾き飛ばし、アメリアが追撃を加えた直後、蓮華の前に、一人の男が現れる。


 靴のかかとがコンクリートを一定のリズムで叩く音を携え、右手に剣を握った男は、屋上の入口から蓮華へ言葉を投げた。


「久しいな……兄弟・・競争者ライバル……春人は元気か?」


 酷く皮肉な物言いだった。


 弓栄春人が命を絶ったのは、目の前で怪しく微笑む男が全ての元凶。それは、蓮華が最も知っている。


 ニヤリと口角を吊り上げた男を前に、蓮華は奥歯を強く噛み締めた。


弓栄ゆみえ 隼人はやと……」


 実の弟の命を奪い、友人だった男の肉体を奪い、自らを延命させ続ける怪異。それが目の前のハヤト。


「アルを解放しろ」


「返すと思うか? 俺が兄弟春人の身体をどうしたか、覚えていないのか?」


 蓮華の脳裏に、赤い月を背景に、眼鏡を投げ捨てる春人が浮かんだ。


こんな身体・・・・・でも、無いよりはマシなんでね」


 アルベルトの身体を侮辱し、蓮華を挑発するハヤト。


「────お前はハヤトなんだな」


「……何を言い出すかと思えば」


「お前がハヤトなら、殺す理由がある」


 自身の変化した右腕を凝視した蓮華は、視線を彼に戻し、右手を向けた。


 二人の間に閃光が走った。蓮華から放たれた放射状の紫電は、ハヤトの表面で見えない力・・・・・に防がれ火花を散らし続ける。ハヤトの前に浮かぶ剣……草薙剣の、持ち主への呪い、霊障を破壊する盾の力。


「学ばないな、蓮華君……十年前もやっただろう」


 涼しい表情のまま、空中の剣の柄を握り真横に振った。草薙剣の刃からは、紫電をも切り裂く真空波が、蓮華の立っていた位置まで放たれた。空間をも切り裂く矛の力。


 三種の神器の剣に位置する草薙剣。半分に分かれたと言えど、神殺しの力は健在である。無論、人間や怪異が相手なら、負けることはないだろう。


 例え、連盟の宝刀……童子切が相手でも。


 真空波は、紫電を切り裂いたものの、蓮華の身体を裂くことは叶わなかった。放たれていた放射状の紫電は、ハヤトの視界を塞ぐのには十分すぎたのだ。


 ハヤトの左側面から、童子切の刃が振るわれる。草薙剣を振り切っている以上、左側はガラ空き。潜り込まれたら、防ぎようのない急所。


 しかし、轟音と共に、蓮華の身体が元いた場所まで弾き飛ばされる。蓮華の身体から放出される生命力に、鋭利な牙を突き立て続ける巨大な影。


 大蛇オロチと呼ばれる怪異。どこにその巨体を隠していたのかと蓮華を驚愕させるほどの、虚からの一撃。


「懐かしいだろ……」


 草薙剣は、刃に触れた生物を怪異に変える。大蛇は、廃墟の影に身を潜めていたのだ。ハヤトの持つ魔笛の支配下に置かれた怪異は、蓮華への一撃を確実なものへするために、用意されたハヤトの罠。


「もっと見せてやろう!!!」


 ハヤトは腰の魔笛に左手をかざした。どす黒い光を放つ魔笛から、不快な高音が放たれる。屋上の貯水タンクの影から、必死に皮膜を羽ばたかせた蝙蝠こうもりがハヤトの元へと飛んでくる。


 振るわれる草薙剣の峰が、蝙蝠に触れると、歪な音を立てて巨大化し、姿を西洋の翼竜へと変化させた。


「────ワイバーン!?」


 蓮華は、身体に牙を突き立てる大蛇を拳で粉砕し、塵へと変えた。だが、自身に突進する翼竜に動揺を隠せない。翼竜の体当たりを真正面から受け止めた彼の足元に音を立てて亀裂が走る。


 少しずつ、後方へと押しやられる彼の右手のガントレットが輝いた。光が強くなるにつれて、蓮華の爪は鋭く尖り、犬歯が牙に変化し、半透明の角は黒くつやのあるものに具現化していく。


 踏ん張った両足が、翼竜の突進を完全に止め、紫電の一閃が放たれる。翼竜は、縦に真っ二つとなって、赤黒い雨を振り撒いた。


「まだ、変化するとは……完全に酒呑童子を手懐けたか」


 倒れる翼竜の奥で、一人の鬼が、狩人を険しい目つきで睨みつけていた。


 ☆☆☆


 二人の頬を、雨粒が濡らした。屋上の床を汚す翼竜の血溜まりを天然のシャワーが洗い流していく。


 互いに距離が離れているのに、二人は動かない。二体の怪異を一撃で滅却した蓮華に、ハヤトは内心焦りを感じていた。同様に、奇をてらった狡猾な攻撃を仕掛けてくるハヤトを蓮華は警戒している。


 互いが互いを牽制している。


「────お前の目的は、なんだ?」


 雨音が強くなる中、先に口を開いたのは、蓮華だった。


「十年前、お前は孤独から逃れようと、同じ境遇の仲間を集め、神の指揮の元で行動していた……だが、一番の目的は────」


 ────春人から肉体を取り戻し、現世で生きることだったはずだ。


 ハヤトが求めたのは、”孤独からの解放”。


 どれだけ叫んでも、声は届かない。どれだけ足掻いても、意思が通じることはない。誰も自分を見てくれない。誰も自分を理解してくれない。意識だけが、自分の存在を証明する証。


 苦痛から解放され、人としての生の充足を得たいと願っていた。


 だから、ハヤトは、双子の弟の肉体を奪うことに固執していた。


 神は言った。


 “お前の肉体を、弟が奪い取ったのだろう”、と。


 ハヤトの持つ、言霊の一部を欲していた神にとっては、単なる戯言だったのかもしれない。しかし、彼はその言葉を信じ、言霊を介して聞こえてくる神の指示に従い、仲間を集め、封印を解いた。


 そして最後には、彼の悲願だった肉体の奪取を成功させたのだ。


「神を解き放つ……これは、お前にとっては二の次だったはずだ。人間の共通意識を介し、他の神々の役割を掌握し、何を企む?」


 落雷の音と光が、蓮華の感情を煽る。


「今のお前は、十年前の模倣にしか見えない……」


 蓮華は、心に引っかかっていた疑問を吐き出した。神を使って何を成し遂げたいのか。ただ単に、十年前の礼として神の降臨を目指しているとは思えなかった。


「他の神々の役割? それは、お前が考えたのか?」


 蓮華の発言を鼻で笑ったハヤトは、再び左手を魔笛に添えた。その音は、雨から逃げるように山へと飛行する一羽の烏を魅了する。方向を変え、蓮華の背後からハヤトの持つ草薙剣へ真っ直ぐ飛来した黒い影は、その身を数メートルの巨体に変化させた。


八咫烏やたがらす、吹き飛ばせッ!!!」


 指示と同時に風の壁が正面から蓮華を襲った。足が床から浮き上がり、自由の効かない空中に打ち上げられた鬼が、フェンスの上を超えて場外に移動する。フェンスへ必死に右手を伸ばすものの、掴むことは叶わない。


 ならばと、放射状の紫電を放つ。それも、草薙剣によって届かない。弾かれる高音が、廃墟の敷地に響くばかりである。


 蓮華の姿が、階下に消えた。


「神の役割なんて、どうでもいい。俺の目的は変わらない。あの遊技場ゲームセンターでお前と会った時から……ずっと、同じ目的に向かって進んできた」


 ハヤトは八咫烏の翼を撫でた。蓮華の消えた屋上を眺め、ベルトから魔笛を取り出した。


 ☆☆☆


 ────俺を、甘くみるな……ハヤトッ!!!


 落下する蓮華は、童子切を壁に突き立てる。鋼とコンクリートが擦れ合い、オレンジ色の火花を散らす。ガクンッと静止した衝撃で童子切がたわんだ衝撃を利用し、刃の上に跳躍すると、屋上まで飛び上がった。


 ────刀はいらない。この拳で、奴を殺すッ!!!


 屋上のフェンスを足場に再度跳躍し、滅却の力を込めたガントレットの一撃が八咫烏の首ごと屋上の床を粉砕した。破壊された床の穴は、三階を超えて二階まで続いていた。爆心地から近いハヤトは、瓦礫の破片を受け、草薙剣を三階に落とす。


 八咫烏の羽が空中で雨と共に散っていく。


 互いの武器は、肉体のみとなった。蓮華の突き出したガントレットを、ハヤトは掴み、捻りあげる。回転方向に合わせ、蓮華は空中で一回転すると、今度は左手を繰り出す。


 彼らの間で繰り広げられる拳の応酬。互いの拳の衝突点からは、魂を分解する紫電が発せられる。


「忘れたかッ!? 俺も鬼の分解能力を持っているんだぞ!」


「”鬼”の力だけなら、俺の方が上だッ!!!」


「いいや、もう”時間切れタイム・リミット”だろ?」


 蓮華の額から、角が一本、消えた。


 全身を包む紫電のオーラが弾け、右腕のガントレットすら消える。


 そんな蓮華を、ハヤトは嘲笑う。


「限りなく怪異に近い人間……そんな不安定な状態を維持できるわけが────!?」


 ハヤトの顎に、蓮華の右ストレートが直撃する。雨水に濡れた床でバランスを崩したハヤトは、後方に数歩動いた後、倒れ込んだ。


「だからなんだ?」


「ぐッ……人の話している途中に、不意打ちなんて」


 穴の淵を掴み、下階への落下に注意しながら、ハヤトは立ち上がる。口の端には、赤い線が浮かんでいたが、雨水がそれを洗い落とす。


「卑怯とか言うなよ? テメェらの方が何倍も卑怯なことやってきたんだからよッ!!!」


 生身の殴り合いが始まる。逃げも隠れもできない状況でのインファイト。互いの顔と胴体に振り下ろされる拳と脚。ハヤトの拳が紫電を帯びるが、紫電は胴体に当たる寸前で消滅し、蓮華に通用していない。 


「友のッ! 顔をッ! 身体をッ! どうして殴れるッ!?」


「せめてッ! 友としてッ! 俺がッ! お前を止めるッ!!!」


 十年前、雨叢雲剣が二つに分かれた時点で、蓮華とアルベルトは決別している。


「あの世で春人に詫びろッ!!!!!」


 絶叫と共に繰り出された蓮華の右拳に、黒のガントレットが出現しハヤトの左胸を強打した。フェンスに叩きつけられた彼の胸の中で、何か・・にヒビが入る音がした。


「────まだ、まだ……俺の役割・・は、終わっていない」


 そう言って、立ちあがろうとした瞬間、ハヤトは激しく咳き込んだ。咳き込む度に、口から血液が吐き出される。肋骨が折れて肺に突き刺さっているのか、右手で左胸を抑え、激痛に顔を歪ませている。


 対して、蓮華もまた、床に膝をつけて肩で息をしている。一瞬だけ出現したガントレットは消え、右腕に激痛が走っていた。右腕に眠る酒呑童子が、これ以上の戦闘を止めるよう警告しているようだった。


 ☆☆☆


 雷鳴が、朦朧とする二人の意識を覚醒させた。


 閃光が空間を引き裂いた。


 それは、単なる比喩表現などではない。遠くの空に、亀裂が入ったのだ。黒い一本線が、月のあるだろう場所に横一文字に出現した。


 風向きが、その方向へと変わる。流れる雷雲は、亀裂を囲うように周囲に集まり出している。


「────まさか」


 蓮華が最悪の予想をした瞬間、亀裂から、赤黒い液状の何かが、滲み出るようにして地上へ落下し始めた。木の幹に傷をつけ、樹液を染み出すように、粘度のある液体が、はるか上空から地面にボタボタと垂れているのが不気味でならなかった。


「クククッ……こんなタイミングとは……最悪な登場だな、神よ」


 震える左手で、魔笛を掴むと、耳障りな高音が廃墟全体に響き渡った。


 それは、ハヤトがニコラスに宛てたメッセージだった。蓮華がそれを知ったのは、階下から亀裂を目掛けて飛び去る黒い片翼を目視したためだ。蓮華もアメリアのいる下へ叫ぶ。程なくして、二枚の白い翼が目的地へ飛び去った。


「さぁて、俺たちはどうする?」


 フェンスにもたれかかり吐血を続けるハヤトは、暴れる表情筋を必死に抑えようと手で顔を覆った。


「見たところ、限界なんだろ? お前も?」


 ────お前も……


 この言葉に込められた意味は、ハヤトも致命傷を負っているということ。蓮華は、チラリと自身の右腕を見た。石のように重く感覚のない右腕の重みを肩で感じる。


「蓮華君、右腕が動かないんだろ? 動くまでゆっくりしていくと良い」


「────随分と、余裕そうだな。お前の使える駒は、もういないだろう」


「それは、お前も同じ」


「俺は元々、一人だ」


 蓮華の言葉を、「そうか」と嘲笑したハヤトは、血に塗れた右手の人差し指を蓮華へ向けた。


「やっぱり、俺たちは似たもの同士だよ、蓮華君」


 ☆☆☆


 豪雨と強風が、加熱した思考の熱を取り去っていく。


 蓮華の耳は、聞き慣れたコール音が先ほどから鳴っているのに気がついた。シンプルな、ピピピッという同じ音が一定のリズムで繰り返されている。


 通信機は、自動的に通話状態に移行した。発せられたのは、桜の声だった。


〈蓮華君、ハヤトはどうなったの?〉


「……奴の心臓に一撃を加えた。感触から、”賢者の石”に傷は付けられたはずだ」


 ハヤトから視線を外さず、桜に返事をした。小さな通信機の端末から、返事がきた。


〈お願い……ここまで連行して〉


「悪いが、その余裕はない」


 自身の状況と、空間の亀裂について説明すると、桜は引き攣った声を上げた。


「風切桜は、霊視が使えないのか?」


 こちらを怪訝な表情で見ていたハヤトの表情が変わった。


「なら、好都合だ……カレンッ!!!」


 高らかに名を叫んだハヤトの左側の空間が歪み、右手で長方形の木箱を引きずった少女が現れる。ピンクカラーにオーバーサイズのパーカーを羽織った少女に、蓮華は見覚えがあった。


「お前……」


「お久しぶり……その節はどうも」


 蓮華に酒呑童子との融合を推奨したのは、このカレンという少女なのだ。


 カレンは、空いている左手でハヤトの肩を掴む。


「俺は、お前の先を行く」


 ギラついた目が、蓮華を見下した瞬間、二人は消えた。


「閻魔と同じ空間移動……あの武器商人……」


 ────アメリアが危険だ


「桜!!! 閻魔を現場に寄越せ!!! 神が復活する!!!」


 蓮華は、半ば強制的に通信機を切ると、屋上の端へ走り出す。そのままフェンスを飛び越えると、壁に突き刺さる童子切を掴み、落下の勢いを利用して抜き取った。


「今すぐ起きろ! 童子!!!」


 声に反応し、右腕が痙攣した。未だ感覚のない右腕に、ガントレットが出現する。地面と蓮華が衝突する瞬間に、再び蓮華は力を解放した。


 地面を足が削り取った。鬼となった蓮華の移動速度は、人を超えていた。蓮華は翔ける。アメリアの元へ。亀裂の元へ。

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