第9話〜裁定者③

 俺は目の前に立つ僧侶に向かって跳んだ。暦も俺の後に続く。俺の一歩、右後を暦が追従する形になっている。接近する俺たちに対して、僧侶は一歩も動かない。ただ、錫杖を体の前で構えているだけだ。俺たちと僧侶の間に、地面から猟犬が湧いてきては突撃を仕掛けてくる。


 燭台のブレードは、高密度のエネルギー体。生命力を大量に焼却した煉獄の炎が圧縮されブレードを形成している。その威力は、現世の物質のほとんどを一刀両断するほど。悪魔の使役する、猟犬など敵ではない。


 飛びかかる猟犬の首を次々と切り落とし、僧侶までの道を作る。コイツは、自分を攻撃する対象に向けて自動で猟犬を放っているはずだ。現に、”猟犬は暦に向かっていない”。


 三匹の猟犬が同時に俺の顔へ牙を向けた。


「……今だ!!!」


 体を空中で捻り、横薙ぎの一閃を放ち猟犬たちを灰にすると、俺の上に大鎌を構えた暦が現れ、僧侶の錫杖へ刃を振るった。


「何ッ!?」


 僧侶も、錫杖が攻撃されるとは思っていなかったのだろう。笠の下の顔は驚きの表情を浮かべているに違いない。


 目的は”アヌビス神の天秤量り”だ。先程から耳元で撤退命令を下している周芳や桜に、今回は従うとしよう。


 大鎌の切先が錫杖の天秤部分を切断するのに時間はかからなかった。弾き飛ばされた先端の天秤が闇夜に舞う。俺は地面を蹴って天秤を左手で掴んだ。そのまま暦へ「撤退だ! 瞬間移動しろ!」と指示を出す。


 彼女は声を聞いて僧侶とは反対方向へ駆け出した。しかし、数メートル距離を取った所で、突然静止してしまった。彼女の目は、手元の羅針盤を凝視している。


 何をやっているんだ!? 天秤は手に入れたんだぞ! 早く撤退……!?


 俺は、気がついた。僧侶の手の錫杖には、天秤が復活している。そして、俺の左手からは天秤が消えていた。一体、何をしたんだ? この一瞬で、どうやって空中の俺から天秤を回収した!?


「……天使に問う」


 “お前の罪は何だ?”


 シャン! と錫杖が地面を打ちつけた瞬間、俺の体に上空から負荷がかかる。六枚の翼が消え、飛行を維持できない。両手、両足がおもりを付けられたように急速に下へ引っ張られる。さらに頭部がガクンと前に落ちそうになる。姿勢の維持が出来ない。それほどの荷重をかけられた。罪の重さを、体感させられているとでも言うのか!?


 俺の罪は、財団の崩壊から唯一生き残ったことなのか? 散っていった人々は、今も生きている俺を恨み、許していないのか?


 いや……


 許していないのは、”俺自身”だ。


 空中から勢い良く地面に叩きつけられ、落下の衝撃で右手の燭台が僧侶の足元へ転がっていく。燭台は手を離すと自動で鎮火し先端が閉花した。


「……な、なぜ、天秤が」


 俺は、僧侶の目の前にうつ伏せで倒れている。足元から笠の中が見えた。僧侶の顔は、若い男。いや、若すぎる。まだ子供としか思えない。顔と体のバランスが取れていない。


 右手を燭台に向けて必死に伸ばす。届けと心の中で叫ぶ。


「天使ちゃん! しっかりして! 貴女には罪がない・・・・のよ!?」


 暦の叫び声が聞こえる……罪がない? そんな馬鹿なことがあるか。人間、生きていれば罪の意識を持つことぐらいあるだろう? 現世で犯す罪は天使の寵愛を持ってしても帳消しにはならない。


「ふん……流石は死神。確かに、この天使には”罪がない”」


 僧侶まで何を言っていやがる!?


「本来、罪など自然界に存在しない……罪の意識とは、人間が決めたものに過ぎないのだ」


 僧侶は静かに、俺に向けて言葉を投げかけた。


「だからこそ問うのだ……お前の罪は何だ? と……そうやって閻魔達は罪人と呼ばれる魂を裁いてきたのだろう?」


 今度は、俺ではなく暦に向けて話しかけている。ここから暦を見ることは出来ない。彼女が狼狽えているのか、それとも凛々しく向き合っているのか、返答を聞くまで分からない……


 ☆☆☆


 暦の羅針盤は、常に僧侶を指し示していた。アメリアが分離した天秤を持って距離を取っても変わらなかった。つまり、僧侶自身が天秤なのだ。


 “裁定者”


 罪を定め裁く者……自分は閻魔と同じ名を冠する者だと僧侶は口にした。


 僧侶の言うことは最もだった。罪とは人間が決めた規則に過ぎない。罪のないアメリアが地面に伏しているのは、実際に罪を犯していなくとも”罪の意識”を持っているためなのだ。


 教育によって魂に刷り込まれる罪の意識。その意識は、人間が生活を送る上で本能を制御する枷となっている。本来、全員が安全に生活するための枷が、時として人を殺すほどの重石になる。罪の意識に己が耐えられず、命を絶つ人間がどれだけいることだろう。


 天秤は、それを表現しているのだ。


 罪の有無など、人間には既に関係ないのかもしれない。それを罪と認めた瞬間、他者が何と言おうと、その者の中で”罪”となるのだから。


「さて、死神……お前の罪は何だ?」


 僧侶の問いかけに暦は耳を塞いだ。問答を回避できれば、天秤の能力も回避出来ると考えたのだろう。だがそれは間違いだ。天秤の傾きは、回答者の魂の意識。天秤を前にした時点で逃れることは出来ない。

 

 ☆☆☆


「……!?」


 頭上から、僧侶の驚嘆の声が聞こえる。何か僧侶にとって不都合が起きたのか。俺は、何とか目線を上に向けた。


 そこでは、天秤の目盛りが振り切れていた。これは、おそらく天秤の測定範囲を大きく逸脱したことを意味している。


「死神……お前は、一体……どれほどの罪を」


 僧侶の天秤の目盛りが強制的に中心まで戻された。俺の体の負荷が軽くなったのを感じ前転しながら燭台を奪取すると、しゃがんだ姿勢のまま僧侶の両足を切断した。


 支えを失った僧侶は猟犬を出しつつゆっくりと仰向けに倒れ込む。切断された両足は、灰燼と化した。手に持つ錫杖の天秤には、黒いウネウネする小さな手が数本絡みついており、それらが皿を押し上げ目盛りを中心に戻したのが見えた。


 猟犬を処理しつつ暦の所へ向かう。暦は、両手で影絵の蝶のような構えをしていた。


「助かった」


「礼は後でいいわ! “鬼神の掌”は長くは持たないの……早く止めを!」


 “鬼神の掌デモニック・ハンド”は、暴れる魂を捕縛する死神の技術の一つらしい。本来、影から伸びる大小様々な手が相手を拘束するが、見習いの暦は小さな手を数本出すのが精一杯とのことだ。


 それでも充分だった。僧侶の虚を突き、反撃のチャンスを作ったのだから。


 暦は、「あの僧侶自身が天秤! 魂と天秤が一つに結びついている!」と叫んだ。錫杖の先端の天秤は、力が具現化しているだけだと。


 俺は倒れる僧侶の上空へ跳んだ。両手で燭台を持ち、左腕を体に引き寄せながら重力に引かれて僧侶へと近づいていく。奴の首を目掛けて燭台をスイングする。ブレードは首を焼き切り、回転しながら首は体と泣き別れとなった。


 僧侶だった者から距離を取ると、その体は青く燃え始める。


「天秤はいいのか?」


 天秤と一体化している存在を焼却しているのだ。魂と物体が融合する事象に経験がない。魂と共に天秤も消滅するのではないかと心配になって暦に確認を取ったのだが、彼女は肩で息をしながら「大丈夫」と言った。


 その証拠に、炎が消えた先には、金色の天秤だけが倒れている。魂と一体化しても、青い炎が消し去るのは魂だけだった。


 暦は、天秤を大事そうに持ち上げた。


 あとは、コイツを持ち帰るだけなのだが、先ほどから耳元で聞こえる桜の震える声。俺たちに向けて発せられている訳ではなさそうだが、誰と話している? 周芳も俺と同じ反応を示し、桜に何度も呼びかけている。


 周囲の生命力の量は、依然として変わらない。猟犬も出現しなくなったものの油断は出来ない。


〈二人とも聞こえる!?〉


 桜がこちらに向けて叫んだ。


〈今すぐ逃げて!!!〉


 ……と。


 俺は、周囲の生命力が公園の中心に急速に引き寄せられているのを、この目で確かに見てしまった。


 ☆☆☆


 桜は、僧侶の姿を暦越しに霊視で確認していた。自身の霊視を掻い潜る技術を持つ怪異。その存在をやっと見る事が出来た訳である。その力の異常性も、目視で確認した事でようやく理解できた。


 罪の意識を荷重として再認識させる力……


 これを回避できる人間など、いるわけがない。罪ではなく、我々の行動に対して付きまとう罪の意識は、認識として存在していれば避けようがないのだ。


 そして、アメリアを襲撃した別の存在。桜は霊視の視野を広げて公園全体を捉えた。そして、発見したのは、公園の中心に突き刺さる”一本の片刃の剣”。


 桜には見覚えがあった。十年前、左右に別れてしまった国宝。”三種の神器”の剣に該当する”雨叢雲剣あめのむらくものつるぎ”の半身。


 十年前、ハーメルンの笛吹男によって半身が奪われて以降、発見できなかった存在を、今、この瞬間に見つけてしまった。


〈周芳さん……剣の半身が公園にあります〉


〈何だって!?〉


 周芳も想定外だったようだ。ガタンと何かを溢す音がイヤホンから聞こえた。だが、周芳は納得したと言った。


 アメリアの発言……公園を満たすほどの生命力。雨叢雲剣は、突き刺した土地を肥沃な大地に変える。それだけのエネルギーを秘めている剣は、触れた生物を怪異に変貌させる力も持っていた。


 古事記にて、雨叢雲剣が八岐大蛇ヤマタノオロチの尾から発見されたというのは、剣の力でヘビが怪異へと変化したことを表していた。


 当時、怪事件の主犯だったハヤトは、二つに分かれた剣をこう呼んでいた。


 連盟側が回収した半身を”雨叢雲剣あめのむらくものつるぎ


 怪異側が回収した半身を”草薙剣くさなぎのつるぎ


 つまり、ハヤトの発言に合わせるならば、公園には草薙剣があり、その持ち主がいる可能性が格段に高まっているということ。


 桜の霊視は剣を中心に周囲を警戒していた。耳元では、アメリアと暦の会話が聞こえているものの、剣から注目を外すわけにはいかない。


 それは、突然訪れた。


 剣の目の前に、見覚えのある男がスッと立っている。いつからそこにいたのか。いや、彼は、桜の霊視が始まる以前から、そこに立っていたのだ。


 アップバングの茶髪。白のワイシャツに黒のベストとスラックス。ベルトには、木製の横笛が差し込まれている。十年前、桜たち連盟員を苦しめた演奏家。ハーメルンの笛吹男こと、”アルベルト・ハンター”の姿があった。


 ゆっくりと顔を上げた男と桜の目が合った。


「……見ているか? 風切桜?」


 男は、桜に向けて言葉を発した。桜は言葉を失っている。表情は強張り、自然と体が震えていた。笛吹男の容姿は優しそうな青年にも関わらず、霊視から伝わる感覚が桜を恐怖に叩き落としていた。


 容姿こそアルベルト・ハンター。だが、彼の魂から読み取れる情報は、ハヤトと遜色がない。つまり、そこに立っているのは……


「久しぶりだな、十年ぶりか? まぁ、俺にはお前の声が届かない……だから勝手に喋らせてもらう」


 ハヤトは、この場所は実験場だと言いながら、剣の柄をコンコンと叩いた。生命力を満たしているのはそのためだと。


 実験の邪魔をしなければ、こちらから危害を加えるつもりはない。だが、もし邪魔をするのであれば、容赦はしないと忠告を入れた。


 裁定者は、十年前に彼自身が発見した技術の応用で作り出した実験体。ハヤトは十年前、悪霊や妖怪の持つ特異な能力を他の魂へ移植する事に成功していた。


 今回、聖遺物の能力でも可能かを検証しているにすぎなかった。


「まぁ、成功したわけだが……俺が求めているのは、”次の段階”だ」


〈つ、次の……段階?〉


 今回のハヤトの実験目的は、“聖遺物”の情報移植ともう一つ。


「容量の増加だ」


 悪霊や妖怪の持つ固有の能力。例えば、”気象”を操る雪女や、姿を”変化”させる鵺の能力は、魂に書き込める容量が決まっている。雪女の能力をコピーし、鵺に書き込む事で、”気象”と”変化”の二つを操る妖怪を作ることは不可能。魂の書き込み容量を超えてしまう。


 一人の妖怪の持つ能力は、魂一つに収まりきる。しかし、聖遺物の中には容量が膨大な代物も存在している。


「書き込み容量が多いなら、魂を増やせばいい。だが残念なことに、魂を二つ合成することは出来ない……肉体を使おうにも、一つの身体には一つの魂しか入れない……」


 魂はコップのような容器だ。二つのコップ同士を合わせて一つの大きなバケツにする技術をハヤトは持ち合わせていない。さらに肉体は魂の部屋が心臓に一つあるだけ。部屋に二つ入ることは出来ない。無理にでも入れれば肉体に支障が出てしまう。


「そこでだ、桜? 俺は君たち連盟員に着想を得ることにした」


 桜を指差し、ニカっとはにかんだ笑顔を見せるハヤトは知識を探求しているだけの純粋な存在なのだ。彼に倫理は存在しない。


 連盟員で、肉体に二つの魂を宿した例は二つ存在する。ハヤトはその内の一つ、”源蓮華”に注目していた。


〈蓮華くんと……同じってまさか〉


「なかなか骨の折れる作業だったが、何とかなった」


 パチンッ! と指を鳴らすと、ハヤトの横にワンピース姿の少女の姿が現れる。その後には、銀髪に眼帯を付けたフォーマル姿の男も立っていた。


〈髪が……燃えている?〉


 ワンピース姿の少女の髪は、腰まで伸びている。その髪が青白色に輝きうねっている。まるで、燭台に灯る煉獄の炎のように。


「”ベアトリーチェの燭台”……その情報を彼女に埋めた。俺は彼女を”案内人”と呼んでいる」


 つまり、アメリア・シルフィウムと同じ力。煉獄に灯る青い炎の権化。土地を生命力で満たしていたのは、煉獄の炎の燃料とするため。


〈なんで貴方が、煉獄の燭台なんて持っているのよ!!!〉


 桜はハヤトを問詰する。しかし、彼女の声は彼に届いていない。声は霊視を介して一方的に届けられるのだ。


「彼女には”煉獄”の力と”閻魔”の技術を与えている」


 閻魔は、五芒星に限らず、特殊な技を持っている。これらは暴れる罪人を制圧するための力で、本来なら非常時以外で使用されない。だからこそ、この事実を知らない者も存在する。


 桜は、ここまで情報を漏らしているハヤトが恐ろしかった。どうせ死ぬのだから、教えてやろうと言われている気がしてならなかった。


 その思考が誤りではないと、確信したのは、次にハヤトが口を開いた瞬間だった。


「……というわけで、今回邪魔をした二人には消えてもらう。次回以降も邪魔立てしないように……では」


 ハヤトは剣を引き抜き、ニコラスの肩を掴むと少女を残して姿を消した。少女の髪がより一層燃え上がる。アメリアと暦のいる方向に向けた右手の先には青い火球が発生し、時間と共に大きさを増していく。


 どれだけ火力が大きかろうが、煉獄の炎が焼却するのは生命力のみ。おそらく、周囲の建造物は無事だろう。しかし、この土地は生命力で満たされている。もし、その全てに引火したとしたら、アメリアと暦に逃げ場などないに等しい。


「全能術……”十全たる閃光の法則パーフェクト・ノヴァ”」


 “全能術”……五芒星が編み出した神を押さえつけるための大火力の技術。


 案内人から放たれる巨大な火球は、周囲の地面もろとも焼き尽くしながら二人の方向へ高速で放たれた……


 ☆☆☆


「生命力が引いている……何かくるぞ!!! 跳べ、暦!!!」


 遠くで青い閃光が見えた。光がこちらに近づきながら光量を増している。暦を見ると、天秤を大事そうに抱えてオロオロしている。


 既に光の正体は見えている。この場を覆い尽くすほどの火球が周囲の生命力を燃料にしながら飛んできている。


 こちらに近づくにつれて大きさを増す火球は、暦が手を合わせる頃にはここを通過するだろう。


 死期に直面すると、体感時間が遅くなるというのは本当だった。遠方から飛来しただろう火球の速度は俺たちの動作よりもはるかに速い。なのに、今は周囲の木々の葉が焼ける描写までも鮮明に見えるほど遅く感じた。


 俺は無意識に燭台を正面に向けていた。形成されたブレードを解除し、溶けかけた短い蝋燭だけが空気に身を晒しているだけの燭台を火球に向けていた。蝋燭の先端に火が灯る。その火は、蝋燭を全て溶かし切った。


 蝋燭は、使用者の寿命だ。俺は、俺の寿命を”全て”捧げる。


 人間の寿命など、この世界の時間に換算すれば微々たるものだ。その程度であの火球が防げるとは到底思えない。だが、時間が稼げれば、もしかしたら暦だけでも帰れるかもしれない。


 正面の地面に青い線で正方形の幾何学模様が浮かび上がる。使用した寿命分だけ、煉獄の炎が呼び出せる。幾何学模様は、煉獄の地面の一部なのだ。


「”煉獄を支える炎柱ピラー・オブ・アビス”!!!!!」


 幾何学模様が砕け、巨大な炎柱が姿を表す。下から上へ吹き上がる大火力。正面の火球と炎柱が衝突し、青い閃光がダム周辺を明るく照らし上げた。


 ☆☆☆


 森之宮神社の境内から、砂利を巻き上げる大きな音がした。パソコンの前に座っていた周芳は、大急ぎで襖を開けて外に走った。音の出所は一目で理解できた。


 仰向けに横たわるアメリアと、彼女に覆いかぶさる暦の姿。暦は泣きながらアメリアの肩を揺さぶっている。アメリアは動かない。それどころか、生気を感じられない。


「お、おい……アメリア君……?」


〈周芳さん!? 彼女たちはそっちに戻ったのね!?〉


 周芳の声を聞いて、イヤホンから桜の安堵の声が聞こえる。しかし、彼女もこちらを霊視して、言葉を失った。


 アメリアは死んでいる。それがこの場の全員の見解だった。生命活動の兆候が一切確認出来ない彼女は、まるで西洋人形のようだった。


「……彼女を中に運ぼう」


 周芳は覆いかぶさる暦の両方に触れた。小刻みに震える彼女は、ゆっくりと立ち上がり、アメリアを明け渡した。周芳が遺体を抱き抱え、立ち上がった瞬間、アメリアの手から燭台が滑り落ち、空中で何度か回転した後に地面に落ちた。


 その時だった。


 アメリアの遺体から、六枚の翼が展開され、その内の二枚が光となって消失したのである。四枚になった翼は再び彼女の背中へ収納され、アメリアは目を開けた。


「……ッ!!! ゴホッゴホッ!!!」


 周芳に抱えられながら激しく咳き込むアメリア。その場にいた全員は唖然としている。霊視で見ている桜でさえ、何が起きたかを理解しきれていない。


「ここは……神社か?」


「あ、あぁ……」


 周囲を見渡すアメリアに困惑する周芳。彼女を地面に下ろすと、燭台を拾い上げ再び翼を展開した。自身の翼の枚数を数え、四枚になっているのを確認し終えると、大きなため息をついた。


「あ、あの……天使ちゃん?」


 涙を拭いた暦は、アメリアの体をペタペタ触り、脈がある事、体温がある事を確認した上で、「生きているのよね?」と問いかけた。


 彼女は首を縦に振ると、”天使の寵愛”について語り始めた。


 アメリアは七曜の大天使の寵愛を全て獲得していた。それは、彼女に七回分の人生が与えられているのと同義だった。燭台は使用者の寿命を消費しなければ使えない。ましてや、最大火力の使用は、寿命全てを投げ売って初めて作動する。


 彼女が燭台を長時間使用できる理由はこれなのだ。しかし、五年前に財団に所属してから今日までに、四回の死線に遭遇している。そして先ほど一つを消費し、残る寵愛は二つまで減ってしまっているのが現状だった。


「つまり……まだ二回は生き返れるってことなの?」


 “まだ二回ある”ではない。”もう二回しかない”のだと暦の発言をアメリアは訂正した。


「俺が命を落とす代わりに、寵愛が消費される……覚悟はしていたが、残り二回でニコラスと渡り歩けるのか……正直不安なところだ」


「すまない……」


「謝るな……これは戦争なんだ」


 頭を下げる周芳に対して、アメリアは冷静さを取り戻していた。


 その後、桜の指示で暦は高松屋敷へ天秤を持ち帰る事となった。アメリアは継続して森之宮神社に駐在し、未だ姿を現さない源蓮華との合流を待つらしい。


 こうして裁定者の件は解決したように見えたのだが、本件は別の問題を引き起こすことになる。これを彼らが知ったのは、翌日のことだった。

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