第8話〜裁定者②
暦は桜の指示の元、こっそりと高松屋敷を後にした。山道を下り、ある程度のところまで行くと、彼女の右耳のイヤホンから桜の声がした。
〈そこまで行けば、死神の姿になっても影響は少ないはずよ……多分〉
暦は、「多分って何よ!?」と心配そうにしながら、恐る恐る衣を脱ぐ。
彼女の姿は、再び着物姿へと変貌を遂げた。暦は肌で空気が違うことを感じる。ここは屋敷より幾分か過ごしやすい。しかし、長時間の活動はやめておいた方が良いだろう。そう結論付けた。
桜に手渡された紙に記載された座標を確認すると、暦は薙と同じく両手を合わせる。暦を中心に、周囲の空間もろとも弾け、山道から忽然と姿を消した。
霊視で暦を追っていた桜も、無事にこの山を抜けたところを見て胸を撫で下ろす。今の所、燐瞳や薙に悟られてはいない。
☆☆☆
二人は屋敷の奥の間で私の悪口を言い合って楽しそうにしている。
私は”大人”なので、陰口を叩かれてもなんとも思わないけど、実父を貶す燐瞳の態度は改めてもらった方が良いかもしれない。これも教育。私は”大人”だから、学生の彼女に注意する義務がある。決して”私怨”ではないわよ? 私は”大人”だから! ちょっとくらい悪口言われたって気にしないわ!
それに閻魔薙! 閻魔の癖になかなかパンチの効いた性格をしているわね。衣の影響なのかもしれないけど、閻魔としての立ち振る舞いを思い出させてあげないと。私は”大人”だから。
……と自分に言い聞かせ、燐瞳と薙を制裁しに向かうのだった。
☆☆☆
……あんなに怒らなくてもいいのに
僕は自室で横になりながら、天井を眺めてそう思った。襖が勢いよく開いたかと思えば、鬼の形相の桜が説教を始めるんだもの。そもそも僕は何か悪いことしたか? 確かに燐瞳と一緒になって騒いだのは悪かったけど、「閻魔として立場が中立じゃないのはどうなの?」とか、「閻魔が私情に流されてどうするの?」とか正論を振りかざして来られるとちょっと……
いや、確かに最近、ふぬけていたかもしれない。閻魔としての立ち位置……僕は森之宮との約束を守っている。これは閻魔としての契約。だが、これは中立な立場ではない。私情に流されていると言われれば反論の余地もない。
現世に座礁してから考える余裕もなかった。全員に中立な立場を取るのがどれほど難しいのかを、僕は今、実感している最中だ。
……で、問題は隣の燐瞳か
燐瞳は桜の説教がショックだったようで、僕に抱きついて離れない。僕のシャツは燐瞳の涙でグシャグシャになってしまっている。桜も、「とりあえず燐瞳が落ち着くまでは抱き枕になってあげて」と、とんでもないことを口にするし、困ったものだ。いっそ、不動明王の剣で祓った方が落ち着くかもしれないと思いつつ、この屋敷で閻魔になるのは危険すぎる。
「うぅ……お兄ちゃん」
僕の胸で泣く燐瞳は幼児退行していた。この間は弟みたいと言っておいて、今は僕を兄に見立てている。確か、燐瞳には義理のお兄さんがいたんだっけ。僕とは似ても似つかない聖人だったって桜が言ってたけど……
「私を一人にしないで……!」
燐瞳の心の奥底に、普段は見えない何かがあるのを感じ取った。それは、意図的に蓋がされ、燐瞳があえて見ないふりをしている感情。
今日は燐瞳の子守りで終わりそうだ。
僕は燐瞳の弱みを知ってしまった。
彼女の奥底には、決して埋まることのないあまりにも大きな穴が口を開けていた。
☆☆☆
森之宮神社の境内に暦が現れた。着地と同時に足元の砂利が少し散らばる。足元を見て、他人の足跡が一切ないことから相当手入れされていることが伺えた。
「手入れが行き届いてる……」
「はは……誰も参拝に来ない証拠ですよ」
暦の後に作務衣姿の男が歩いて近づいてくる。神主の森之宮周芳だろう。暦は手元にある資料の顔写真と本人を見比べた。
「ようこそ、森之宮神社へ。さ、詳しくは中で話しましょうか、暦さん?」
「なんで私の名前を……?」
「桜からの電話ですよ。薙くんと同じように”暦ちゃん”と呼んだ方がいいかい?」
周芳は笑顔で接している。暦も警戒を解き、死神の姿からジーンズ姿に変化する。
「へぇ、身長は薙くんより高いんだね」
「薙様は最年少で五芒星に選ばれた天才ですから……身長は関係ないですよ」
周芳は、「ごめんごめん」と軽く謝罪をすると、暦を中に案内した。
そのやり取りを遠巻きにシヅキが見ていた。初めて見る死神。だがその雰囲気は、あの閻魔と変わらなく感じる。死神と閻魔は近い存在なのだろうか。そして妖怪のシヅキと何が違うのか。彼女は疑問に思った。
暦を観察しているシヅキの手元で端末が点滅した。この端末は、蓮華がシヅキに持たせたもので、その存在を誰も認識していない代物。つまり蓮華とシヅキの秘密の通信機。
「あら、蓮華君はもう少しかかるのね」
シヅキは蔵の中で横になる。蓮華の動向を考えつつ、これから一体どうなるのかをシヅキは楽しそうにしていた。
☆☆☆
和室に案内された暦は、ドライヤーで修道服を乾かす金髪の少女に出会った。雰囲気から、人間より高次元の雰囲気を感じる。しかし、なかなか乾かない修道服に苛立つ姿は、ただの女の子だった。
ちゃぶ台を挟んで対面の座布団に座った暦に少女が気付く。ドライヤーの電源を切り、諦めたように修道服と一緒に投げ捨てると、暦に近付いてきた。
「アンタが死神の?」
「……死神"見習い"の暦です。貴女は?」
ムッとした暦に聞かれた少女は、和室の障子を開き、縁側でタバコに火をつけた。足元のアルミ製の灰皿には、すでに吸い殻の山が出来ている。
「俺はアメリア……好きに呼んでくれ」
吐き出した煙が対流でクネクネ動く。
「……じゃあ、"天使ちゃん"で」
暦のまさかの返答にアメリアは咳き込んだ。手元のタバコの火を消して、驚愕の顔を暦に向けている。
「貴女からは天使の気配を感じる。だから天使ちゃん」
「よ、よく分かったな……」
初見で天使の寵愛を見抜かれた事がなかったアメリアは、暦を好奇の目で見てしまう。閻魔の薙ですらこちらから言わなければならなかったのにと悪態をつきたくなる。
「……何かあった?」
盆に湯呑みを乗せた周芳が部屋に入ってくるも、暦とアメリアの間の気まずい空気を感じ、部屋から出ようとする。それをアメリアは制止させた。
「とりあえず、"死神ちゃん"にも説明したら?」
「死神ちゃん!?」
驚く暦の顔を見ながらアメリアはニヤリとした。こっちが天使呼ばわりならそっちは死神呼ばわりしてやるぜとでも言っているつもりらしい。
周芳は咳払いをすると、今回の天秤捜索について作戦の詳細を話した。
出発は今夜。まず、暦の羅針盤で天秤のある方角を探索し、アメリアが上空から天秤の持ち主の生命力を探索する。
桜が暦を常に霊視で追い、状況に応じて周芳と共に指示を出す。今回はあくまで調査がメイン。仮にハヤト関連だとしても、天秤を回収出来たら即撤退。最悪は目視のみでも良いとのこと。
「まったく……桜の霊視の前じゃ隠し事も出来ん」
頭を掻きながら周芳はため息をついた。暦の耳元でイヤホン越しに〈へへーん〉と鼻を高くした桜の声がした。
「あの、質問なんだけど」
「なんだい? アメリア君?」
あぐらをかいたアメリアがタバコを咥えながら自分を指差し、「この服装で行くの?」と一言。彼女の服装は、白のタンクトップにホットパンツ、腰には男物の茶色い革ベルト。下着を付けていないため、胸の突起が服の上からはっきり分かってしまう。
「……夜までに修道服を乾かしとくよ」
周芳は「コインランドリーまで遠いけど、夜には間に合うよ」と返答する。
「それより、下着を着たら天使ちゃん?」
「女物の下着なんて嫌だよ」
アメリアは、暦に「俺は男だから」と伝えるも、「どこがよ」と一蹴される。舌打ちをしてアメリアは周芳に「下着って借りられる?」と言うと、「か、華苗に持ってこさせるよ……」とたじろいた。
そりゃあ男性に女性の下着を持って来させるのは大変だろうと暦も同情する。
暦は周芳の心中を察しながら、目の前のアメリアに視線を移す。傷一つない白い肌と金色に輝く髪が美しい。中身と外見がミスマッチすぎる。
「話は聞かせてもらったわ!」
襖がバンッ! と開き、こぼれ落ちる女性物の下着を抱えた女性が入ってくる。周芳の妻の森之宮 華苗だ。その目はキラキラとアメリアを捉えている。
「エイミーちゃんはどれが好み? 燐瞳に買っても全然着てくれないの! あ、これなんていいんじゃない? エイミーちゃん小柄だけど、黒のレースは大人っぽいと思うのよ〜」
捲し立てるような早口で次々に下着を渡してくる華苗に、アメリアは困惑する。なぜ、こんなにテンションが高いのか? なぜアメリアを”エイミー”と愛称で呼ぶのか? それにこの下着の数。全て娘のものなのか? そうだとしても、中にはどう見ても普段は着けなさそうな際どい物が見えるが、どういうことか?
アメリアはチラッと周芳を見ると、頭を抱えてうずくまっていた。
「自分の娘の下着の趣味なんて知りたくないだろうに……」
顔面蒼白の周芳に対して、アメリアは同情の声を上げた。
そんな彼女の顔面に押し当てられるワインレッドのブラジャーは、どう考えても自身のカップ数以上ある。華苗を無視して着けられそうな下着がないかを探してみる。
「……スポーツブラが関の山か」
「あら! エイミーちゃんも燐瞳と同じ趣味なのね! 私の選んだのは誰も着けてくれない……」
悲しそうな華苗に対して、「お前が犯人か!!!」と周芳とアメリアは同時にツッコミを入れた。
「……通りでこんな私服があると思ったよ」
「アメリア君……すまん」
三人のやりとりを遠巻きに見ていた暦は、「なにこれ?」と困惑するのだった。
☆☆☆
時刻は深夜零時。月明かりに照らされる森之宮神社の境内に修道服姿のアメリアとジーンズ姿の暦が立つ。
「死神の姿にならねぇの?」
「時間制限があるから、極力、衣を纏うわ」
暦はポケットから羅針盤を取り出す。針は以前、一点を指し示している。”アヌビス神の天秤量り”がこの先にある。
「少ないけど、持っていけ」
周芳はアメリアと暦に茶封筒を手渡す。数十枚の厚みがある。
「いや、金なんてもらっても」
「違う! 解呪用の御札だ!」
返却しようとするアメリアに周芳は、掲示板に書かれていた一文を再度説明した。
“その僧侶は、道行く人々に質問を投げかける。「お前の罪は何だ?」と。質問への返答によっては、解呪困難なレベルの霊障が襲ってくる”
「霊障がどんなものかは分からないが、異変を感じたら使ってくれ」
御札を体に当てれば良いと説明を受け、二人は同時にうなずいた。暦の耳元で、桜から〈私が撤退命令を出したら、即引いてね〉と念押しされる。また、暦と同じ型式のイヤホンが周芳からアメリアにも支給された。これで、周芳、桜、アメリア、暦の四人は会話可能となった。
固く拳を握りしめる暦は、薙の天秤を必ず持って帰ると決意を固めていた。彼女の肩をアメリアが叩いた。その背中には、六枚の純白の翼が発生していた。暗闇で淡く白に輝く翼が、アメリアの美しさをさらに際立たせていた。
「方角は?」
「北北東よ」
暦の返答と同時にアメリアは暦を抱き抱える。俗に言う”お姫様抱っこ状態”。アメリアの小柄な見た目からは想像も付かない腕力。おそらく、背中の翼が関係していると暦は予想した。
「よし、行くぞ!」
力強く地面を蹴り上げたアメリアは、抱きかかえた暦と共に月夜の中へ飛翔した。
☆☆☆
暗闇を飛行する二人。高度は一万メートル、時速八十キロ程度の飛行に対し、アメリアの燭台から発生する微弱な炎が壁となって彼女たちを守っている。アメリア曰く、飛行速度はもっと上げられるそうだが、その分炎の消費が激しいため出力を落としている。
彼女は、アメリカから日本まで飛んできたと暦に言った。一万キロ近い距離を一体何日かけて来たのだろう。そして、その時の移動速度は、どの程度だったのだろう。自身の組織を壊滅させた男を追って、単身別の国に渡ったアメリアに、暦は現世へ座礁した自分を重ねてしまった。
そんな中、耳元で桜の声が響く。
〈初めましてアメリアさん、連盟員の桜です……今回はありがとう〉
「こちらはアメリアだ! 怪異の相手には慣れている! 好きに呼んでくれ」
過去、財団員だった頃に霊視を得意とする霊能者と会ったことがある。彼女も元々は連盟員だったと言っていたが、この桜という少女ほど強力な索敵能力はなかった。現役の連盟員の霊視がどれほどのものか、アメリアは楽しみにしていた。
〈じゃあ、”エイミー”さんで〉
桜に対して、「さすがに愛称は早くないか?」と返答するも、〈暦さんが天使ちゃんって呼んでいるし〉と回答が返ってくる。チラリと暦を見ると笑顔で返してくる。「もう好きに呼んでくれと言わない……」とアメリアは拗ねた。
桜は「拗ねないでエイミーさん! 今度よかったらお屋敷にいらっしゃって? 高松先生も喜ぶと思いますし」と励ます。それを聞いて周芳は、(霊視で心を読みたいだけだ)と察した。
「……天使ちゃん、何か見える?」
「いや、これといって生命力の濃い部分はない」
右目に蒼炎のグラスを発生させて地上を観察するが、異常な部分は確認できない。「速度を上げるか?」と提案するアメリアに対し、暦は衣を脱いで着物姿になる。
「少し先まで跳びましょう」
アメリアの返答を待たずに暦は両手を合わせた。移動しながらの虚空は座標計算が複雑なのだが、暦は難なくこなしてみせた。周囲の空間が歪み、空間から二人が消えたかと思うと数百キロ先の上空に移動した。
〈ちょっと暦さん!? 跳ぶなら事前に言いなさいよ! 探すの大変でしょ!?〉
耳元で桜が叫んだ。虚空でのジャンプは霊視を一時的に切断できるようだ。桜は慌てながらも再び暦の霊視を再開する。アメリアも「アンタも閻魔と同じ事が出来るのか」と驚いている。
しかし、羅針盤の針の方角は依然変わらない。暦は「もう少し跳びます!」と桜に伝え、数回のジャンプを実行した。
そしてついに、羅針盤の針が動く……
「……天使ちゃん!? 羅針盤が動いたよ!」
自身を抱き抱えるアメリアの胸をパンパンと叩いて羅針盤を見せようとするも、アメリアの視線は前を向いたまま固まっている。
「天使ちゃん?」
「あぁ……分かっている」
彼女は羅針盤を見ず、ある一点を直視し続けている。
〈……? アメリア君、どうした?〉
〈エイミーさん?〉
イヤホン先の二人もアメリアの異常に気がつき声をかける。アメリアの額から汗が流れ落ちる。
「……なんだ、あの生命力の量は!?」
〈えっ!? 霊視じゃ特に変なものは見えないわよ?〉
☆☆☆
……俺の目には周囲一体を覆い尽くすほどの生命力が映る。蒼炎のグラスはサーモグラフィーのように色で生命力の濃度を確認できる。少なければ暗く、多ければ明るく見える。これで人間を見ればライターの火程度の明るさで見える。霊の多い土地であれば、ビルのオフィスのように建物や土地の一部が明るく見えるのだ。
今、俺の目には、サッカーグラウンド程度の広さが昼間のように明るく見える。ここまで明るいのは、燭台を得てから見たことがない。ニコラスでもここまでの生命力はない。
これだけのエネルギーなのに連盟員の霊視で索敵不能。一体、どんな手品だよ。
「本当に…………”一人”なのか?」
この面積、濃度を焼却するのに、俺はどれだけ寿命を捧げれば良い? 最悪は、”一回分”は覚悟しないといけないかもしれない……
高密度の生命力の上空を旋回する。チラリと見た暦の羅針盤の針は、土地の中心を常に指し示している。ここで間違いない。ゆっくりと高度を下げていくと、地方のダムとそれに隣接する公園だと分かった。周囲には施設が建てられている。当然、人もいるだろう。人間のいる土地を焼却するのはリスクが大きすぎる。
「このまま降下すると一般人に見つかる……暦、地上に跳べるか?」
「呼び捨てッ!? か、可能だけど……落下の衝撃はそのままよ?」
……なら、近くの人気のない場所に降りるしかないか。
周囲を散策するアメリアの目が異変を察知した。土地の中心部分の密度が濃くなっている。この高エネルギー反応は、燭台の出力を上げる現象に似ていた。
……やばい!?
「今すぐ跳べ! どこでもいいから早く!!!」
飛行速度を上げても間に合わない。何かが来ると肌で感じて俺は叫んだ。暦は、急いで両手を合わせる。二人が空間から消えたのと同時に、彼女たちがいた地点を青白色の光弾が通過した。
もし、これが見える人間が地上から見ていたら、光弾の軌跡がイルミネーションのレーザービームに見えたかもしれない。しかし実際、そんな生易しいものではない。暦の虚空が遅ければ、撃墜させられていただろう。それほど高密度のエネルギーが照射されたのだ。その証拠に、上空の雲に穴が開いている。
二人は、地上数メートルの距離までジャンプしていた。落下速度をそのままにした瞬間移動は、肉体のない暦は大丈夫だろうが、俺にとっては大惨事。
「……クソッ!?」
左手で暦を抱え、右手で燭台を展開させる。地面に衝突する瞬間、煉獄の炎を地面に向けて発射し、反動を利用して落下の衝撃を和らげる。炎は地面に当たると撫でるように周囲に円状に広がり、満たされた生命力の一部を消し去った。
「なんだあれ!?」
なんとか着地出来た俺は、抱えた暦を下ろし、「昼間言ってた聖って奴の攻撃か?」と肩を揺さぶる。暦は閻魔聖についての情報を俺に教えてくれていた。太陽光を原動力に光線を放つ聖の攻撃が知っている中で最も近い。しかし、あの時の聖の攻撃とは違うと暦は語る。
閻魔聖の放つ光線や光弾は、閻魔界の頃から”白色”以外を見た事がないという。また、太陽光を原動力にしている関係上、閻魔界と異なり夜のある現世では、深夜に攻撃が出来ないのではないかとも。
むしろ、煉獄の炎に似た力を感じると言った。
〈二人とも何があった!?〉
「地上から迎撃された……手荒い歓迎だよ全く」
周芳の慌てた声に冗談混じりに返事をする。二人は近くの桜の木の影に隠れて周囲を索敵する。暦も身の丈ほどの大鎌を構えている。周囲には貯水池と街灯が数本、直線上に立っている。人の気配は……ダメだ、濃度が濃すぎて分からない。
「俺たちがいるのはどこだ?」
〈公園の端ね……中心までは少し歩くわよ〉
桜が口頭で現在地と公園の地形を説明してくれる。街灯に沿って進めば中央の広場まで行くことが出来、そのまま進めばダムに出るらしい。だが、隠れられそうな場所はない……どう進む?
「誰かいるのか!?」
街灯の先から警備服の男性が二人、懐中電灯を持って現れる。こちらは木の影なのでまだ男性達に見つかっていないが、どんどんこちらに近づいてくる。
青年と壮年の警備員達は、「この間と同じで学生が花火でもやってるんですかね?」と雑談しながら、こちらに着実に近づいている。どうする……このままだと見つかる。暦の瞬間移動で跳ぶしかない。
イヤホン越しに暦にコンタクトを取るが、返事がない。
☆☆☆
暦の耳には”別の音”が聞こえていた。
それはまるで、鎖が擦れるような金属音。
天秤量りが揺れるような音が、一定の間隔で警備員達の後方からこちらに近づいていた。それには、警備員も気が付く。二人が振り向いた先には、笠を被り、右手に錫杖を持った高身長の袈裟を着た男が立っていた。
特徴的だったのは、錫杖の上部が、金色の天秤量りになっていること。男が動くたびに、シャン! と錫杖の天秤量りが揺れる。
「二人に問う……お前達の罪は何だ?」
錫杖が地面に強く打ち付けられ、上部の天秤が、一段階傾いた。
「……!!?」
警備員二人の体に上空から負荷がかかる。まるで、二人の立っている位置の重力が増加しているように、二人は立っていることが出来ず、地面にうつ伏せに貼り付けられた。あまりの圧迫感に、警備員達の口から嗚咽が漏れる。
「ほぉ……これほどの罪とは……いや、もっと増えるか?」
天秤の傾きがさらに一段階傾いた。警備員達の身体から、骨が砕ける嫌な音が周囲に響く。砕かれた骨の一部が内臓に突き刺さっているのか、口から血液が流れ落ちている。おかしいのは、二人のいる地面は一切凹んでいないことだ。二人だけが耐えられない荷重に悲鳴をあげている。
“アヌビス神の天秤量り”
天秤量りは死後、魂だけになった罪人に、自身の罪の重さを自覚させるための道具。罪人の犯した罪が大きければ大きいほど、実際の荷重となって罪人にのしかかる。ただし、魂だけの罪人は、荷重の苦しみを味わうだけで実際に潰れたりはしない。
閻魔界と現世では、力の勝手が違うのだ。
「元々、天秤は生者に使うことを想定していないんだわ……」
だから潰れる。肉体が限界を超えて傷つき壊れる。現世で天秤を使う事がどれほど恐ろしいか、暦は初めて知ることになった。
対してアメリアは、別の事実に気がついていた。目の前の僧侶から発せられる生命力は相当な量だ。もちろん、”天秤”という聖遺物の影響もあるだろう。だが、まるで”足りない”のだ。
この土地を覆う強大なエネルギーの数十分の一程度と言えばいいか。なら、残りはどこから来ている? それこそ、さっきの攻撃を仕掛けた奴は別にいる。そう思わずにはいられなかった。
暦の目には、僧侶の天秤がカタカタ揺れ、さらに傾こうとしているのが見えた。あの二人が、どれほどの罪を犯しているのかは分からないが、三段階目の目盛りに針が振れれば、彼らは自壊する。もう助からないだろう。助けられるのは今だけと、そう思った時には暦の身体は動いていた。
両手を打ち鳴らし、僧侶の側面に移動した暦は、身の丈ほどの大鎌を、その首目掛けて振り下ろしていた。死神の持つ大鎌は、首をはねる事で力が発揮される。現世から閻魔界へ、魂を強制送還する力こそが死神の大鎌の特徴。相手が悪霊だろうと怪異だろうと、”魂”のある対象ならば、この力は発揮される。
無論、当たればの話ではあるが……
大鎌が僧侶の首の皮を捕らえたのと、同じタイミングで、暦の身体は後方に弾き飛ばされた。着物の帯の部分に、人ほどの大きさの黒い物体が突撃してきていた。その勢いで、暦は無様にも地面に叩きつけられる。
黒い物体とは、猟犬だった。悪魔が使役する地獄の黒犬。悪魔との契約者の魂を刈り取る存在。皮肉にも、死神見習いと猟犬という、”魂を刈り取る”存在同士が敵対した瞬間だった。
猟犬は単独で行動をしない。常に群れを形成し対象を追い込む。従者の悪魔が狡猾であればあるほど、その猟犬達も悪賢くなる。大鎌を支えに立ち上がった暦の周囲は、三体の猟犬に囲まれていた。グルグルと周回を重ねながら襲い掛かるタイミングを計っている。
「……邪魔立てする者は、猟犬の餌食となる」
僧侶は笠の中で笑っている。しかし、僧侶の目の前で地に伏せた二人の荷重が消えている事に気が付き、声を失った。警備員二人の背中に落ちている茶封筒。それが天秤の力を代わりに請け負っていると見抜いた時には、二人の姿が目の前から忽然と消えた。
「薙様も……同じ選択をするはず」
両手を合わせた暦が、虚空で二人を安全圏に移動させたのだ。僧侶に切り掛かった時、同時に周芳から渡された茶封筒を落とし霊障を打ち消していたのは、攻撃が失敗しても彼らを助け出すため。
僧侶が「謀ったな」と錫杖を暦に向けると、口を開け、牙を剥き出しにした三体の猟犬が、暦に襲い掛かった。黒い体毛が闇夜に溶け込み、赤く輝く狂気の瞳が線となって向かってくる。
「勝手に動くなバカ!!!」
焦ったアメリアは、燭台からブレードを出現させ木陰から跳躍すると、空中で三体の猟犬の首を正確に切り落とし暦の前に着地した。首の切断面は綺麗に焼き切られており、胴体と分離した後、猟犬たちは青い炎によって灰塵と化した。
「猟犬は俺が相手にする! お前は早く天秤を奪え!」
アメリアは、僧侶と猟犬の他に誰かいると読んでいる。その何者かが登場する前に決着をつけたいと考えている。彼女の焦りが暦にも伝わると、二人は僧侶目掛けて地面を蹴った。
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