第10話〜閻魔薙

 天秤の回収から数日、連盟の掲示板は荒れに荒れていた。裁定者との戦闘跡について、警察へは連盟から説明があったようで、表向きには事故を調査していることになっているが、一部の様子が一般人に目撃され、その動画がウェブ上にアップされたため、火消しが間に合わないのだ。


 幸いにもアメリアや暦の顔までは割れていないものの、暗闇で青いブレードが振るわれ、猟犬を切り裂く様子が怪奇動画として動画投稿サイトで注目を集めてしまっている。


 桜は連盟員同士が罵倒し合う掲示板の画面をパソコンから消した。彼女の後ろには、座布団の上で薙が正座をして待っている。薙の方を向いた桜は、金色の天秤を彼の前に差し出した。


「……天秤!?」


 薙は、なぜ天秤が目の前にあるのかも何も知らない。暦が命懸けで回収した事実も、今知ることになる。


「連盟の方で回収してくれたんですね!」


 嬉しそうに手を伸ばす薙に対して、桜は天秤を引っ込めた。薙の表情が少し歪む。


「渡す前に聞きたいことがあるわ」


 桜は、”全能術”とは何か? と、薙に問う。その単語を耳にした薙は、「なぜそれを?」と困惑の表情を浮かべた。


「教えてくれたら、天秤は貴方に渡すわ」


 そう言われ、仕方なく薙は語り始めた。


「閻魔界で罪人を裁く際、素直に従わない魂が存在します……だから、僕たち閻魔は武力制圧用の様々な技の習得が義務付けられています」


 閻魔聖を例に挙げるなら、”光”を操る力がこれに該当する。


「しかし、罪人の中でも……特に神を裁くとなると並大抵の力では敵わない」


 暴れる神を制圧する程の力を持つ能力や技術……それらに”全能術”の名が与えられる。五芒星への加入条件にも、全能術の習得は必須項目となっていると薙は語った。しかし、それを見た者は少ないと。


「みんな知っているものではないの?」


「閻魔界で全能術が使用された事は、数える程度しかありません……なので、規定に記載されている程度で、実際に見た閻魔も一握り程度なんです」


 それを聞いた桜は、全能術の習得方法について深く質問した。


 薙の知っている習得方法は、自身の持つ特性に合った技を習得し、磨きに磨き上げ、技術を極めることが習得の王道というもの。


「一朝一夕で身につくものではありません……弛まぬ努力の先にしか存在しない技術……その分野に置いて右に出る者がいないと言わしめるほどの知識と法則……だから全能術と呼ばれています」


「……貴方も五芒星の一員なのよね?」


 薙は、「まぁ……”元”ですけどね」と顔を逸らして答える。


「貴方の全能術は何?」


 自由自在に空間を移動できる彼の全能術が、彼らへの対抗策になり得るかもしれないと桜は思ったわけだが、薙は、この質問にだけ口を閉ざした。


「それよりも、どうやって天秤を?」


 逆に質問を返され、桜はその経緯について詳細を話した。もちろん、話を聞いた薙は激怒した。


 “これは僕自身の問題なのだから、他人が危険に晒されるのはおかしい”……と。


 しかし、閻魔薙だけの問題ではないのだ。彼が現世に座礁した時点で……いや、それよりもはるか以前から、閻魔と連盟は結び目を作ってしまっているのだから。


「この問題は貴方に関わる全ての者にとって、共通の問題なのよ」


 そう言って桜は、天秤を手渡すと、出発の準備をするよう薙を部屋から出した。


 これから森之宮神社で会合が行われる。


 ☆☆☆


 その夜、僕は森之宮神社の本殿に召集された。僕の他に、燐瞳、桜、暦、シヅキ、アメリア、そして風切の姿があり、我々の目の前に森之宮が座っていた。本殿の灯りは蝋燭一本のみ。薄暗い室内で何をしようと言うのか。


「みなさん、お集まりいただき感謝します」


 森之宮周芳は深々と頭を下げた。呼応するように僕たちも軽く頭を下げる。森之宮は、本日の議題を述べる。


 一つは僕、閻魔薙について。もう一つは今起こっている事件についてだそうだ。本殿の入り口に人の気配を感じた。二つ目の議題に必要な人物なのだろうか。現状、何者か分からないが、僕は少し注意することにした。


「薙くん……待たせてしまってすまない」


「い、いえ……でも燐瞳さんが、僕の力に関する事と仰っていたので気になってはいます」


 精一杯、謙遜して発言する。この二週間、僕は連盟の曖昧な対応に対して歯痒い思いを抱いていた。高松屋敷から移動するのに一々許可が必要だったりもあるが、何より、僕の力に関して何か知っている上で秘密にされているのが気になって仕方がなかった。


 余程、重要な内容……それこそ連盟の核心に触れるほど重大な事項なのではないかと……


 周芳は、数百枚の紙の束を横に置いた。チラリと見えた表紙から、過去に、連盟の新年会で発表されたという”魂に関する報告書”だと読み取れた。以前、車内で話していた”悪霊化のメカニズム”に関する論文のコピーだろうか。


「薙くん……君が閻魔だと知った時、私と燐瞳は運命だと感じた」


 それは、淡海神道連盟の結成に関わる事だと、周芳は、連盟に伝わる二本の名刀の話を始めた。


 連盟を結成した淡海家と源家の先祖から、現代まで継承され続けたそれらは連盟の活動の核として充分なほど活躍したとされる。


「一本は、”童子切どうじぎり”と呼ばれる妖刀……かつて源家の先祖が山に住む酒呑童子しゅてんどうじの首を切り落としたとされる代物だ」


 童子切……童子切安綱とも呼ばれる天下五剣の一本。その実物を連盟は所持し、源家に管理を任せていたという。


「酒呑童子の呪いを受けた童子切は、持ち主の魂に鬼の記憶を刻み込む代わりに、魂を破壊する力を与えてくれた」


 酒呑童子は、死に際に自身の血で刃に記憶を書き込んだ。次に刀を握る人間の魂に鬼の記憶を移植し、現代に蘇るために。この呪いを管理するため、源家には妖刀の管理責任が発生している。


「……今、童子切は因幡の息子が持っている」


 周芳は、「本題はここからだ」と自身の後ろに鎮座する一本の日本刀を前に出した。台座に横たわる刀は、漆黒の鞘に金剛杵の紋様が彫られた鍔を付け、柄の頭に紐で鈴がつけられていた。


 連盟に伝わる二本のうち、もう一本……森之宮家が管理を任された刀……


「……この刀の名は、”閻魔薙えんまなぎ”。生物も霊体も傷つける事なく、邪気のみを祓い落とせる霊刀だ」


 この言葉に、僕と暦は絶句した。なぜ、連盟に伝わる刀に僕の名が付けられているのか。そして、今語られた刀の性質は、不動明王の剣そのもの。


 海岸沿いの洞窟で、燐瞳が剣を振るう僕を見て、「閻魔……薙」と言ったのは、僕のことではなく、この刀を指していたのか!?


「閻魔薙の持つ力はそれだけじゃない」


 閻魔薙は、霊を探知し、霊を記憶し、過去の行いから量られた罪に合わせた祓いを、斬る動作で全て終わらせる。祓われた霊の過去、罪状、罪の重さを持ち主は知ることができ、感覚として共有することができた。


 また、不安や恐怖などの負の感情すらも祓い落とし、鞘に納まった状態ならばあらゆる霊障をも無効化する絶対的な防御を兼ね備えていた。


「閻魔薙の名の由来は、”閻魔が多くの亡者を薙ぎ払った”逸話から来ているとされている」


「いや、違う……」


 僕は、身震いが止まらない。眼前の日本刀は、形状こそ異なるものの、発せられる力を知っている。特に、”刀を抜かなければ霊障が効かない”という部分……これは、敵意を見せていない相手を攻撃してはならないという”神同士の約束”と完全に一致している。


 僕は、五芒星時代にこれを見たことがある。つまり、今目の前にある”閻魔薙”と呼ばれる刀は……


「盗まれた天帝様の宝……神同士の争いを鎮めるための……”和睦わぼく”」


 “和睦”は、神同士で争いが起きた際、神の持つ力を封じる目的で作成された小さな剣。鞘と柄が様々な色の宝珠で装飾された両刃の剣だ。決して、今目の前にある打刀のような形状ではなかった。


 この剣の最たる力は、切り裂いた神の力を全て剣内に封じること。神の世界や閻魔界に存在する神や閻魔は、存在するための”役割”が必須なのだ。存在する理由のない者は消えてしまう。それが閻魔界の理。霊体の存在を許さない現世の理と同じだ。


 力を失った神は、役割を失ったのと同義。


 つまり、和睦に切られた神は、一撃で存在そのものを消し去られてしまう。この圧倒的な力が抑止力として働き、今の今まで神同士の戦争は起こらなかった。まさに神の世界と閻魔界にとって、ある種の平和の象徴。


 和睦が封じ込める力の量に限界はなく、ましてや封じた力が顕現することはない。


 天帝様の手元から災厄の神が盗み出した剣。窃盗こそが反逆罪。災厄の神が裁判にかけられる原因となったものこそ、目の前の和睦なのだ。


 しかし、


 霊を探知するのは”金剛鈴”。記憶するのは”鬼籍”。過去を見るのは”浄瑠璃鏡”。罪を量るは”天秤”。罪を洗い落とすのは”不動明王の剣”。災厄の神に奪われた筈の剣に、なぜそれら閻魔の力が備わっているのか。


 考えられる仮説は……ただ一つ


「薙様を切り、閻魔の力を取り入れた和睦が、現世で変化したものが、この”閻魔薙”と言うことでしょうか」


 暦も僕と同じ結論に至っていた。現世と閻魔界では勝手が違いすぎる。環境の変化で、封じ込めた力が顕現し、固定化されたっておかしくない。彼女は冷静さを保とうとしているが、僕の道服をギュッと掴み続けている。


「閻魔薙は、十年前に鵺によって一度破壊された。当時、この刀を継承していた弟子の”春人はると”は、折れた剣先から光球が飛んでいく様子を目撃していた」


 後に修繕された閻魔薙からは、”霊を記憶する力”だけが抜け落ちていたという。


 僕は鬼籍を取り出す。閻魔界で目覚めた時、この古本だけが、僕の持つ唯一の力だった。残りは、この刀の中に今も封じられているとでもいうのか。


「十年前、神降臨を企てたハヤトたち怪異の軍団は、”閻魔薙”を求めていた」


 十年前の惨劇は、言い換えれば、閻魔薙の争奪戦でもあったと周芳は語る。


「奴らが求めたのは唯一無二の祓いと不可侵の力……」


 だからこそ、十年前の継承者だった”弓栄春人ゆみえ はると”は、誰にも閻魔薙を継承させることなく自らの命を絶った。閻魔薙は持ち主を失い、休眠状態となって森之宮神社で保護されているのだ。


 力を失う前の閻魔薙は、誰でも使用可能な武器だったにも関わらず、力が一つ抜けたことで不安定になったのか、継承者以外は抜刀不可能となってしまった。閻魔薙に意志が宿った瞬間でもあった。


「……ハヤトが復活した以上、再び閻魔薙を取りに来る可能性は高い」


 同時に、閻魔薙のモデルとなった薙くんも連れ去られるだろう。彼らが求めているのは”完全な閻魔薙”。抜けた鬼籍の力を薙くんから奪うかもしれない。そう森之宮は補足した。


「だから……薙くんと関わった全員は、森之宮神社と高松屋敷の二ヶ所を拠点として活動してほしい」


 周芳は、僕を誘き寄せるために関係者が人質になるのではないかと考えているようだ。だが、閻魔薙が休眠状態で使用不可なら、もっと早くに言ってくれても良かったんじゃないかと思わずにいられない。


「あ、あの……すみません」


 暦が手を上げた。


「その、閻魔薙から薙様の力を解放して和睦に戻せないでしょうか?」


 破損した際に、鬼籍の力が解放されたのであれば、同じように破壊することで元の和睦に戻せるのではないかというのが暦の意見のようだ。正直、僕も同じことを考えていた。


 ……天帝様からは叱られそうだが、悪用されるくらいなら、天帝様も破壊をお許しになるだろう。実際、災厄の神に盗まれた直後に和睦の廃棄が議題に上がったほどだ。


 その議論がどうなったのかは裁判が間に入ったため僕の記憶にはない。


 “閻魔薙”から僕の力さえ分離できれば、奴らが刀を狙う理由がなくなるのではないか? そうなると僕に敵意が集中しそうだが……最低でもあと金剛鈴さえ戻れば僕は完全な力を取り戻す。


 そうなれば、三種の神器を持つハヤトとも互角に戦えるはずだ。


「破壊なんて……させるわけないでしょ!!!」


 激怒したのは燐瞳だった。僕の横で涙を流しながら走り出し、閻魔薙を抱き抱えた。周芳も「燐瞳! 台座に戻しなさい!!」と怒鳴っている。


「燐瞳!! 私は破壊ではなく、薙くんなら、春人に代わって閻魔薙を継承出来るんじゃないかと思っているんだよ!!」


 周芳は、僕に閻魔薙を渡そうとしていたのか……だから燐瞳は、少しでも心の整理をつけるために時間を伸ばした。そうに違いない。


「やっぱりそれもダメよ……閻魔薙を持って薙くんがいなくなったら、私はもう……」


「コリャ完全に混乱してるぞ……」


 泣き喚く燐瞳を見て、アメリアは困惑していた。


 僕は燐瞳に近づく。燐瞳から感じられるのは亡き兄、弓栄春人への想い。今まで直視せずに逃れてきた彼女の心的外傷トラウマ。それが浄瑠璃鏡を通して僕に感覚として伝わった。


 彼女は、”閻魔薙”を兄の形見として認識している。それを破壊するというのは、彼女にとって再び兄を失う事に等しい苦痛なのだと理解した。


 そして、僕が閻魔薙を抜刀できた場合、僕は間違いなく剣を閻魔界へ持ち帰る。和睦は天帝様の宝なのだ。返還しなければならない。


 燐瞳にとってはどちらに転んでも形見を失ってしまうのだ。


 彼女は連盟員として、森之宮家の人間として、そして、閻魔薙をよく知る者として、元となった僕へ説明する責任を負っていたのだろう。


 伝えなければならない。しかし伝えてしまえば自身が傷を負う。板挟みに置かれた燐瞳の心の均衡は崩れ、大きく取り乱してしまった。


 今の燐瞳は、何が正解なのかを頭で理解しつつ、心でそれを否定する自己矛盾を抱えている。


 もし、僕が燐瞳の立場だったらどうだろう? きっと、同じ行動をとるだろう。閻魔として中立では決してない。完全な私情だ。


 燐瞳がこれ以上苦しむのを僕は見たくなかった。


 高松屋敷で見せた燐瞳の本心。時が経っても兄を想い続ける少女をこれ以上傷つける事は……今の僕には出来ない。


「燐瞳さん、分かりました……”閻魔薙”は破壊しませんし、僕も受け取りません」


 このまま森之宮神社で眠りにつかせてあげてくれと、僕は周芳へ伝えた。


「な、薙様!? せっかく全ての力を取り戻す機会なんですよ!?」


「暦、その通りだ……でも、君とアメリアさんのお陰で天秤が手元に戻った……後は金剛鈴だけなんだ……そう、金剛鈴だけ」


 僕は燐瞳を抱き抱える。彼女の持つ”閻魔薙”と呼ばれる刀に触れた途端、僕の意識は刀に引き寄せられた。


 深く、深く、闇の中へ意識が落ちる。


 まるで、閻魔界から現世へ座礁した時のような、歪な空間に身を引き延ばされるような、不思議な感覚を味わいながら、僕は瞳を閉じた。


 ☆☆☆


 ……気がつくと、僕は裁判場の椅子に座っていた。罪人が入室するのを待っているのだ。被告人の立つ位置よりも数段高い位置に設置された机には、鬼籍、天秤、金剛鈴が置かれている。手元を見ると、腰には柄に革の巻かれた剣と首には浄瑠璃鏡が見える。


 あぁ、これは記憶だ。閻魔界で僕が裁判を執行していた頃の記憶なのだ。傍聴席に視線を移すと、僕の二倍の身長を持つ閻魔王が、立派な口髭を携えて見守っていた。さらに五芒星の琰器、闇鬼、水月、聖、そして後輩の然樹が見える。他にも多くの閻魔がこの裁判を見守っている。匿名性を高めるためか、五芒星のメンバー以外のほとんどの閻魔が、顔に布を垂らしていた。


 卓上の金剛鈴がチリンと鳴った。


 両脇を鬼に支えられ、正面の門から入室する壮年の男。災厄の神、”マガツヒノカミ”は、ボサボサの髪と髭を携え茶色の作務衣姿で椅子に座らされた。一見して、失礼ながら神には見えない。浮浪者と言っても差し支えないだろう。


 僕は、空間の神と対面した経験がある。あの神々しさと威圧感を、目の前の神からは微塵にも感じられなかった。それほど、災厄の神は憔悴しきっていたのだ。


「被告人、名を述べよ」


 僕の口が勝手に開いた。手元の鬼籍に表示される名と相違ないか、改めて確認するための決められた動作。しかし、俯いたまま小刻みに震えるばかりで、災厄の神は名乗らない。


 傍聴席からザワつきが聞こえ始める。いかに神といえど、この状況で我々を見下していると、他の閻魔たちは騒ぎ立てた。それを閻魔王が咎める。僕は改めて災厄の神に質問するも、答える気配がないため、こちらで鬼籍上の名を読み上げた。


「……次に、罪状は”窃盗”と”叛逆”となっていますが、こちらについて弁解は?」


 僕の問いかけに、災厄の神はピクリと身を震わせた。


「盗難物は、神と閻魔の平和の象徴”和睦”……この宝を盗んだ理由は? 和睦を許可なしで持ち出す行為自体が我々にとって叛逆を意味することは知っていましたか?」


 鬼が僕の元に和睦を運んでくる。様々な宝珠で装飾された美しい短剣を机の上に置いた。


「…………あぁ、理解の上だ」


 ようやく口を開いた。しかし顔は俯いたままだ。彼からは沸々と湧き上がる怒りが浄瑠璃鏡を通して伝わってくる。その怒りは、自身が閻魔に裁かれるという屈辱的行為に対して発せられているものではなく、自身の行動に理解が得られていない事に納得がいっていない様子だった。


「我々神も、お前たち閻魔も、何も分かっていない……だからこそ、こんな”裁判”などという茶番を執行できている」


「法廷での私語は……」


「黙って聞けぇ!!!!!」


 災厄の神は声を張り上げた。その場にいた全員が身を震わせ、声も出せないほど固まってしまった。一瞬にして場を制圧するほどの覇気が放たれる。


「ここにいる全ての者は、人間の魂を”格下”の存在と決めつけている……俺もそうだった……だが、そうではなかった……神が人を作ったと信じてやまなかった……だが、全て逆だった」


 災厄の神の言葉に、僕も、そして傍聴席の閻魔や鬼たちも、混乱の表情を浮かべている。一体、彼は何の話をしているんだと、疑問に思わざるを得なかった。


「人間の共通思念こそが、俺たちを存在させていた……輪廻転生などというふざけた機構も、何もかもが、現世の人間のために存在している!!! 俺は、それが許せなかった……」


 災厄の神の体からパルスが発生している。あまりの怒りに自分の能力の制御が出来ていないのか?


「閻魔たちは疑問に思わなかったのか? なぜ、自らがこの世界に存在するのか? 罪人を裁くのは何のためなのか? 存在のために役割が必須なのはなぜか?

 お前たち閻魔には分からないだろう……今も、この瞬間も、俺たち神には、人間の身勝手な祈りの声が響いてうるさくて仕方がない!!! だが、人間を滅ぼせば俺たちを支える思念すら消えてしまう!!! 分かるか!? ふとした拍子に人間が滅べば、俺たちも消えて無くなるんだ!!!」


 人間との歪な共生関係の上に成り立つ輪廻転生の機構。その機構を円滑に進めるための駒の閻魔。閻魔を管理するための神。我々は初めから機構に組み込まれた歯車に過ぎない。それらに改革が必要なのだと神は語る。


「……だから、和睦を?」


「和睦を使ったところで、神同士の争いに勝つだけ……俺は、この世界の理を改竄する」


 世界の理を……改竄する? そんなことが可能なのか?


「人間の共通思念という土台を破壊し、我々が独立した存在だと、世界の理に刻み込む……それが、俺の悲願だ」


 この言葉に、傍聴席の閻魔からは感動の声が上がった。それを閻魔王が鎮めようとするも、災厄の神の思想に共感した閻魔は止まらない。


 閻魔たちも、おおむね災厄の神と同じ意見を持っていたためだ。人間というあまりに弱く脆い存在を、なぜここまで丁重に扱わねばならないのか。そして、彼らの輪廻転生の手続きをなぜ行わねばならないのか。常々疑問だった者が次々に災厄の神の無罪を主張し始める。


「俺は、お前たちの抱える爆弾を取り除く……人類から完全に独立し、俺たちは自由になるんだ」


「待ってくれ……」


 災厄の神に僕は待ったをかけた。


「現在の規則では、神と人間の接触は禁止されている……もし、世界の理を改変し、独立した暁に、貴方は何をするつもりなんだ……?」


 震える僕にニヤリと口角を上げた災厄の神は、


「無論、人類を滅ぼす……耳障りな声を聞かなくて済むように」


 と、最悪の返答をした。


「薙!!! 其奴を拘束しろ!!! あまりに危険すぎる!!!」


 傍聴席から閻魔王が叫んだ。五芒星は、他の騒ぎ立てる閻魔たちの沈静化に手一杯の様子で、閻魔王も両手で二人ほど押さえつけていた。


「独立するのは勝手ですが、人間を傷つけるわけにはいかない」


「それも、仕組まれた役割だと知ってのことか?」


 災厄の神は立ち上がった。身から放たれる雷で、両脇の鬼は弾け飛び、一体は壁に、一体は傍聴席の柵へと激しく衝突する。


 彼を止める。僕は両手を体の前方で合わせた。浄の右手と不浄の左手。異なる概念が衝突することで、僕の力は発揮される!


「十全たる……!?」


 全能術の詠唱途中で、僕の体を光弾が弾き飛ばした。机から転げ落ち、床を転がり、視界が戻った時には、災厄の神の前に、聖が立っていた。


「聖……!?」


「薙……俺は、神の理想を達成する」


 聖の手は震えていた。僕は、「五芒星の君がどうして!?」と腰から剣を抜刀し、それを支えにして立ち上がった。


「薄々勘付いていた……俺の力を恐れ、媚びへつらう人間の魂が、俺たちを生み出し、支えているという事実に……最初から仕組まれた存在だということに……だが今の話を聞いて納得した……天帝も、それを知っていて接触禁止の法を制定したんじゃないのか?」


「その通りだ! 天帝は事実を知りながらも俺たちに隠していた! 全ては、保身のため……人と神の最終戦争を回避するために」


 人間を恨む神もいれば、慈しむ神もいる。だからこそ、共生関係が絶たれれば、異なる思想同士の神々が戦争を起こすだろう。災厄の神は、それを望んでいる。


 僕は再び手を合わせる。こうなったら聖ごと、神を拘束するしかない。


「誰でも良い! 全能術を放て!!! 薙を救うんだ!!!」


「撃てません!!! あの位置では、薙も被害を受けてしまいます!!!」


 閻魔の波に飲まれ、身動きの取れない閻魔王の叫びに、琰器が答えた。


 そう、災厄の神は、僕の真横に移動していたのだ。その手には、机の上に置いたはずの和睦。鞘から解き放たれた白銀の刃が、僕の喉元を掻き切るのに、そう時間は掛からなかった。


「さらばだ、閻魔薙……」


 僕の意識は剣に引き寄せられた。


 役割を失った閻魔は消えてなくなる。他者から必要とされなければ、それは、死んでいるのと変わらない。そう言われている気がしてならなかった。


 深く、深く、闇の中へ意識が落ちる。


 まるで、歪な空間に身を引き延ばされるような、不思議な感覚を味わいながら、僕の意識は、完全な闇に囚われた。


 ☆☆☆


「………………!? ハァッ! ハァ……ハァ……!」


 目を開けると、心配そうに暦と燐瞳が覗き込んでいる。自分の荒い呼吸音が頭にうるさく響く。僕はどうやら、別室に移され、布団に寝かされているようだった。奇しくも、風切と初めて会った時を思い出す。


「薙様……!!」


「薙くん!」


 暦も燐瞳も僕に抱きついてくる。あれは夢だったのか。それとも、和睦に囚われた僕の記憶なのか。


「私、お父さんに伝えてきます」


 涙を拭った燐瞳は、襖を開けて部屋を飛び出した。燐瞳曰く、会合は続いており、今は二つ目の議題に取り掛かっている最中らしい。なんでも、連盟員が一人追加されたとか。


 ちなみに暦は、未だ僕に抱きついている。


「薙様、大丈夫ですか?」


「うん……なぁ、暦」


 僕は、先ほどまでの情景を伝える。暦も和睦に刻まれた僕の記憶が、逆流したと推測したが、ある疑問が生じた。


「その場には、閻魔王と五芒星もいたのですね?」


「あぁ、傍聴席で、神の裁判を見学していた」


「なら、おかしいですよ」


 もし、当時の記憶を見たのだとしたら、なぜ”薙に逃走幇助の罪がかけられたのか”。閻魔王も他の五芒星も何も言わなかったのか。それが疑問でならないと暦は言った。


「確かに……閻魔王も、それに然樹もあの場にいた……もし、他の閻魔が僕に冤罪をかけたとしても、あの二人が裏切るとは思えない」


「そこに、金髪の……時希様はいらっしゃいましたか?」


「……分からない」


 閻魔王と五芒星、そして然樹以外の閻魔は顔を隠していた。時希という閻魔もいたのかもしれないし、いなかったかもしれない。


「聖様だけではなく、他の全ての閻魔が結託して……」


「そんな馬鹿な!?」


 暦は、僕にかけられた罪は通説として閻魔界に広まっていると呟いた。現在の閻魔界は、時希の独壇場。彼が閻魔王の代理を勤め、五芒星は形だけの組織となって機能を失っている。僕を罪人と認識しているというのは、時希のせいと考えて間違いないのかもしれない。


「この間の聖の口ぶりだと、僕が罪人の可能性は低い……なぁ、時希とかいう閻魔は、催眠術でも使えるのか?」


「それなら、私も薙様を罪人扱いしていますよ」


 僕の胸に顔を埋めたまま不貞腐れたように暦は言った。


「正直、私も時希様がいつから閻魔王の代理なのか、詳しくは分からないんです……それでも、なんで薙様を罪人に」


 僕を罪人にすることで災厄の神の理想を達成しようとしているのか? 閻魔界を囲む壁は、神の世界からの断絶……鎖国を意味している? でも、それならば僕を叛逆者に仕立て上げ、賛同してくれた他の閻魔達と共に神を祀り上げれば良いだけ。わざわざ神の逃走幇助などと、まどろっこしい罪状にしているのはなぜだ……?


 もし、神が封印され続けているなら、一度、閻魔界に戻った方が良いのかもしれない。残る力の破片は”金剛鈴”。燐瞳のために、和睦はここに置いていくとなると、また似たものを探す必要がありそうだ。


 ポケットから金剛杵を取り出す。海岸沿いの、朽ちた不動明王像の剣から変化したものだ。人間の信仰の対象であれば、閻魔の道具と同等の物を生み出せるという事の裏付け。


 金剛鈴は、金剛杵の先端が鐘になった代物だ。もし、理屈が正しければ、この金剛杵を、剣の他に鐘に変化させる事も可能なはずなのだ。


 それには、信仰の対象となっている鈴や鐘が必要になる。


 これから周芳に聞いてみようか。僕は暦の頭を撫でながら、そう思い耽ていた。

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