第35話~火水の争い
あれから数時間が経過した。水月と霧華は大河の辺の小屋で閻魔暗鬼を待ち続けていた。
「────来ないですね」
「────そう……ね」
痺れを切らした霧華が漏らした言葉に、水月が答えた。水月は時間が経つにつれて憔悴してきている。よほど、閻魔暗鬼を信用していたのか、裏切られた気持ちを味わっていた。
パシンッと水月は自身の頬を叩いた。その音に霧華がビクッと身を振るわせる。
「自我の断捨離……自我の断捨離……」
深く呼吸をすると、水月は同じ言葉を繰り返す。
自我の断捨離────閻魔水月や暗鬼など一部の閻魔が行っている精神修行の一環。
業務に不要な余計な思考を捨て去ることで自身の中立性を維持するのだ。水月はまさに、不安や恐怖の感情を断捨離しようとしている。
「あの、どうして自我を捨て去るんですか?」
「────閻魔として中立性を失うってことは、この世界で死を意味するの……死ぬより自分を捨てた方が良いって、私はそう思っているのよ」
「でも、それは自分の心を殺しているって事じゃ……」
自我を捨て去る事は、自分の本心を殺しているのと同義だと霧華は言った。本心を無視し続けた人間がどうなるか、彼女はおしら様としてそれらを見てきた経験から、水月の行動を危険視していた。
水月は霧華に掴みかかった。馬乗りになった水月は、目頭に涙を貯めて霧華を見下ろしている。
「こっちの気も知らないで……私だって、私だって……自分を捨てたくはないわよ!?」
息遣いが荒くなる。震える手が、より一層言葉の重みを霧華へ伝えてくる。
閻魔水月は気が付いていた。自由意志の重要性について。だからこそ、災厄の神────マガツヒノカミの思想を理解していた。それでも閻魔としての職務のために自身を切り詰めている。
抱える自己矛盾が彼女の性格を大きく変化させているのだと霧華は理解した。
「どっちを選んでも自分が死ぬなんて、貴女からしたら滑稽よね……でもそれが
「ごめんなさい……」
霧華は謝ることしか出来なかった。そんな彼女に水月は「謝らないで」と一言言い残し、再び自我の断捨離を再開した。
☆☆☆
「それにしても、何か暑いですね……閻魔界にも夏があるんですか?」
霧華は話題を逸らすように顔を仰ぎながら水月を見た。
「夏? あるわけないでしょ……ここは現世と違って気候なんて────!?」
閻魔界に気候は存在しない。それでも彼女の言う通り、この小屋は熱気に包まれている。閻魔も霧華も今は魂だけの状態。発熱しているわけではない。では、この熱気の原因は? 嫌な予感は的中する。
突如、小屋の壁が赤い炎に包まれ消滅した。灰燼と化す小屋の外にいたのは閻魔琰器。眉間に皺を寄せ、二人を睨みつけた四角四面な閻魔がそこにはいた。
「やっと見つけたぞ、罪人ども!!!」
琰器の両手が燃え盛る。繰り出される拳に合わせ、火球がこちらに飛んでくる。水月は大河の水を操り火球を防ぐ。
「どうやってここを!?」
「しらみつぶしというやつだ!!! 俺からは逃げられんぞ!!!」
繰り出される火球と淡水の衝突で、周囲に水蒸気の靄が漂い始める。
焦る霧華────彼女は何かを決意し、水月に声をかける。
「ねぇ! 私に罪を戻せない!?」
霧華が提案したのは、現世で閻魔薙に祓い落された罪を自身に戻すこと。それが可能であれば、霧華はおしら様として再び糸を操る能力を得られる。
「それは無理よ!? 祓われた罪は保存していないの」
「じゃあ罪って、一体どこにあるんですか!?」
切迫した霧華の言葉に、水月は口を噤んでしまう。なぜなら、水月もまた祓い落された罪がどこにあるのか、どこへ行くのかを知らないからだ。
「お喋りとは余裕だな!!!」
琰器が跳んだ。両足からジェットのように火炎放射し、その勢いを利用して空中に浮かんでいる。倒壊する小屋の上空からこちらを見下ろす彼を見て、水月は嫌な予感がした。元はといえば自分が使用したのが悪いが、もし琰器が報復を考えている場合、全能術を放たれる可能性がある。
琰器の全能術は、五芒星の中でも特殊────煉獄の炎に関係している。元々、彼が全能術を習得する機会は閻魔王の指示だった。その時、「神に匹敵するほどの高火力の術」と説明されたのを正直に実行した結果、威力が高すぎて神すら殺せる術として完成した。
皮肉にも、真面目ゆえに全能術のコンセプトからズレた術なのだ。
「お前が報復に全能術を使ったんだ! 俺もまた使おう!!!!!」
そして、当の本人は、神を捕らえる術としか認識していない。それは全能術を使用する機会が少なすぎるため。そんな術を閻魔に使用すればどうなるかは火を見るよりも明らか。
「閻魔王! 全能術の使用許可を申請するッ!!!」
琰器は袖から鬼籍を取り出すと、申請許可書へサインをした。その鬼籍上には”許可”の押印が表示される。
琰器の炎が赤から青へ変わった。
「────
「────
火水が衝突する。
☆☆☆
空中で大爆発が起こった。爆発とともに周囲に拡散する白い靄が全員の視界を遮った。十全たる激流の法則は瞬く間に蒸発していた。それでもなお、十全たる蒼炎の法則は勢いを弱めることなく水月達へ向かってきている。
十全たる煉獄の法則は、蒼炎の柱を中心に二本の炎が渦を巻きながら直線で進む術。形状だけ見れば聖の十全たる太陽信仰の法則に似ているかもしれない。
「
防御として全能術を使い続ける水月。発動の衝撃で砂利に足が沈む。再展開される激流に再び煉獄の柱が衝突し蒸発する。しかし無駄ではない。全能術同士の衝突により、蒼炎の移動速度は下がっている。
「水月さん! 逃げましょうよ!?」
「黙ってて!!! ────
巨大な蒼炎を防ぐのは無理だと判断した霧華は撤退を提案した。目の前の炎が直撃すれば、間違いなく消滅すると、恐怖の感情が彼女を支配していた。それを水月は断った。何度も全能術を使用し、蒼炎の威力を抑えようと必死だった。
「お願い……気付いて……
全能術は、何度も使用できるほど簡単な術ではない。既に四回使用している水月の全能術は、激流とは呼べないほど弱体化してきていた。それでも詠唱を止めないのには理由があった。
「無駄だッ! 俺の全能術は止まらない!」
水月の全能術をまたしても貫通した蒼炎は地面に着弾し大河の岸辺の地形を変形させるほどの爆風を発生させた。霧華は水月の作り出した泡に包まれ、はるか後方へ吹き飛ばされる。当の水月本人は爆風を直撃し大河へ叩きつけられた。
「勝負あったな、罪人ども……身柄を拘束するッ────!?」
高らかに宣言した琰器だったが、その身に訪れた違和感に気が付いた時には全てが遅かった。
水蒸気で視界が利きにくい状況だからこそ成功したのだろう。琰器の身体に巻き付く黒い靄が彼の気力を奪う。そう、水月は暗鬼が異変に気付くキッカケとして全能術を乱用していた。
「暗鬼……さん」
遠くで表情を曇らせる暗鬼と然樹を見て水月は安堵の息を漏らす。爆発の余波で身体が限界なのか、それとも彼らを見て安心したのか、水月の意識は途切れた。
☆☆☆
「何をしているんだお前達!? 閻魔同士で全能術を使うなんて何考えているんだ!?」
暗鬼は二人に怒声を浴びせた。その後ろでは状況を飲み込めない然樹が困惑している。
「あ、暗鬼殿……閻魔王から通達されていないのですか? 閻魔水月は罪を犯しました……よって、拘束を……」
飛行を維持できず、砂利の上に仰向けで落下した琰器は、絞り出すように言葉を発した。
「暗鬼さん! やっと来てくれた!!!」
泡を破って遠くから霧華が駆けつける。彼女を見て暗鬼は表情を曇らせる。
「お主は誰だ? なぜワシを知っている?」
暗鬼の言葉に霧華の表情が凍った。つい数時間前の出来事を覚えていないのかと尋ねても暗鬼は首をかしげるばかりである。霧華は水月を叩き起こした。それでも状況は変わらなかった。暗鬼は霧華と初対面だと言い張り続けている。
暗鬼はそんな冗談を言う閻魔なんかではない。水月と霧華は、閻魔時希が何かしたのだと察した。
「まさか、時希の能力……? ねぇ然樹君? 時希の全能術ってどんな力?」
横たわりながら水月は自身を見下ろす然樹に質問した。
「いや、俺も分からないっす……アイツ、同期の俺にすら手の内見せないから」
水月、霧華、暗鬼の三人が溜息をついた。横たわる琰器はうわ言のように「拘束を解け」と呟き続け、然樹は「俺、何かやりました?」と申し訳なさそうに言った。
「確かに時希には会った……事務作業を頼まれただけだったが、気になる事があった」
「それは何ですか、暗鬼さん?」
暗鬼は「これだよ」と琰器に巻き付いている黒い靄を指差した。時希に会った際、自身の口髭に靄が少量付いていたという。靄は暗鬼の意思で深淵から呼び出している代物。ましてや口髭なんかに付着する事なんて今までなかった。
暗鬼には口髭を触る癖があった。だからこそ、何かのサインではないかと暗鬼は推察した。
「抜けた記憶……覚えのない靄……過去の自分からの伝言」
霧華に支えられながら立ち上がった水月は時希の能力について考える。他者の記憶に介入できる力を持っているのだとすれば、閻魔薙の死の偽装も可能ではないかと、頭の中で点と点が線で繋がっていく。
「この場の全員に伝えておくわ、閻魔薙は生きて現世にいる……私達は偽の情報を掴まされていた可能性がある」
水月の言葉を隣の霧華が補足する。彼女の語る記憶の内容に、全員が唖然としていた。ただ一人、然樹だけが目を輝かせていた。
「やっぱりアレは薙さんだったんだ! 薙さんが生きているって朗報じゃないっすか!? 俺は嬉しいっす!!!」
「バカモン!!! ワシ達は時希に騙されていたって話をしておるのだぞ!?」
暗鬼の拳が然樹の頭頂部にクリーンヒットした。
「閻魔薙が……? そんな馬鹿な……閻魔王が嘘を付くはずがない」
最も困惑していたのは琰器だった。水月と霧華の言葉を頭が理解できていない様子だった。彼が知る記憶と彼女達の言葉の齟齬が大きすぎる故だ。
「琰器、もし閻魔王がここに現れたら、アンタは閻魔王と時希のどっちを支持するの?」
「無論、閻魔王だ……なぜ、そんなことを?」
「閻魔王は長いこと私達の前に姿を現していない。だから閻魔王代理の時希の発言を閻魔王の言葉として扱ってきた。私は自我の断捨離で当たり前だと刷り込んできたけど、これって普通なのかしら」
「閻魔王は体調が優れないと俺は聞いているが……?」
「失礼を承知で、病床に伏す閻魔王に謁見しましょう……琰器はどう? 鬼達への私の行動が公務執行妨害に当たるのか、閻魔王にもう一度確認して……それで全てがハッキリするでしょ?」
水月は閻魔王への謁見を提案した。その場の全員が首を縦に振る。ちなみに無許可で全能術を使用した件についてはあえて言わなかったが全員がスルーした。
「閻魔王代理を疑うなど────俺の中立性が揺らぐ事になる」
「暗鬼さんの言葉を借りるなら、閻魔王に中立性を問うだけってやつよ……暗鬼さん、琰器の拘束を解いて」
パチンと暗鬼が指を鳴らすと黒い靄が消えた。徐々に琰器の顔色が戻ってくる。数分で元の熱血漢に逆戻りだ。
「さぁ、宮殿に行きましょ……時希に見つからない様に気を付けて」
「うむ、ワシも真実が気になる。これは、閻魔王へ中立性を問う行動だ」
「閻魔王がお認めになった場合は即刻逮捕するからな、水月!」
「薙さんが生きてるって、なんで教えてくれねーんだよ時希……」
「なんか凄いことになっちゃった……」
最悪の場合、閻魔王は既に消されているかもしれない……誰もがそう思いつつも言葉に出来なかった。
五芒星と人間の魂は、閻魔界の宮殿────旧閻魔王の部屋を目指す。
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