第5話〜連盟の歴史

 高松の屋敷に通された燐瞳は、日本家屋に不釣り合いな洋風の応接間に通された。向かい合うソファと間に置かれたガラステーブルが、亡き兄の事務所を彷彿とさせた。


「あらぁ、燐瞳ちゃん。久しいねぇ」


 腰を曲げた老婆が入口から杖をついて入室する。彼女こそ、この屋敷の主人、高松 宝山たかまつ ほうざんである。九十歳を超え、現在は連盟を引退した彼女だが、現役時代は日本で三本指に入るほど高名な霊能者だった。


 当時、彼女は霊視において右に出る者がいなかった。その力は、現在の弟子、風切 桜かざきり さくらを見れば一目瞭然だろう。


「高松先生、お久しぶりです」


「孫が来てくれたみたいで嬉しいねぇ」


 高松は笑顔で対面のソファに腰掛けた。その後には桜が立っている。桜は”全盲”だ。両目に包帯を巻いているのは、そのためなのだ。彼女曰く、目を塞ぐと安心すると言って気に入っているようだった。


「桜ちゃんも、燐瞳ちゃんが来てくれて嬉しいねぇ」


「えぇ、私にとっては妹に近いですからね」


 振り返って桜に問いかける高松。それに笑顔で答える桜。燐瞳は、こんなに落ち着いていて良いのかと内心思っていた。


 ……薙くんは無事なの? 一人でどこかに跳んでいって、あれから何分経ったかしら? もしこのまま戻らないなんてことがあったら……


「……心配そうね?」


 燐瞳の心中を察して桜が声をかける。


 ……そう思うなら私も連れて行くよう薙くんに助言してくれればいいのに。


「それは出来ないわ」


 ……心を読まれた。


「だってそうでしょ!? 薙くんは数分間しか閻魔になれないのよ!?」


 思わず立ち上がり、大声をあげてしまった。目の前で高松先生がオロオロしている。「どうしましょう? どうしましょう?」と焦っている彼女を見て申し訳なくなり座り直した。


「……燐瞳、彼を心配する理由は何?」


 桜は、”燐瞳の心を読んだ上で"質問を投げかけた。当然、燐瞳もそれには気がついた。思わず反射で叫びそうになるのを必死で抑えた。


 口を割らない燐瞳の代わりに桜が静かにつぶやいた。


「森之宮神社の本殿に鎮座する刀……連盟に伝わる二本の名刀の内の一本」


「その話は……薙くんが戻ったらお父さんがするわよ」


 燐瞳は、二週間後に森之宮神社で開かれる会合に参加するよう頼み込んだ。そこでその話をするから、それまで待ってくれとも伝えた。彼女の叔父も参加すると言うと、「なぜあの人が?」と不思議そうな顔をしていた。


 風切 宍道と風切 桜は親戚だ。だが、桜は叔父を知ろうとしない。


「私は視たいものを視るだけ……叔父はただの人よ?」


「今はもう違うわ」


 ため息をついた桜が「一緒よ……」と呆れてつぶやいた。


「あんな霊すら祓えず、全治一ヶ月の怪我するなんて掛ける声もないわ」


 ガッツリ視てるじゃないの……燐瞳はガクッと姿勢を崩した。


「まぁいいじゃないの。せっかくだし参加しておやり〜」


「高松先生……」


 桜は、再び朗らかに笑う高松に対して何か言いたげな表情を見せるも、静かに言葉を飲み込んだ。


「先生がそう言うなら……」


「ありがとう! 桜ちゃん!」


 桜が会合参加を承諾したのと同時に、庭先で砂利を踏む音がした。それに真っ先に気が付いたのは桜だった。体を強ばらせ、臨戦体制と言わんばかりに前屈みになる。


 彼女の目は、屋敷周辺を常に見張っている。誰が入って来たかを高松よりも先に探索し、危険因子なら排除する。それが彼女に与えられた義務なのだから。桜の手のひらがヒラヒラと顔の前で動く。これは合図だ。ドアの向こうで待機していた黒服たちが、一斉に庭へと出動する。


「どうやら、空間をジャンプしてきたみたいよ?」


「薙くん!?」


 燐瞳と桜も黒服の後に続いた。桜は現れた客人の正体に気が付いているようで、先程までの緊張を解いている。


 庭の砂利の上には、紫の生地に朝顔の紋様が描かれた着物の少女が座り込んでいた。特筆すべきは、美しい桃色の髪に、身の丈ほどの大鎌を携えている点だろう。


 彼女は一体誰なのか……燐瞳は、その異様な姿に思考を停止してしまう。そんな中、黒服に囲まれた少女に、黒服を掻き分けて近づく桜。


 少女は、桜を掴んだ。桜も同時に彼女の腕を掴みかえす。二人は見つめ合い、桃色の少女が一言、「薙様が……」と言い終わるまで続いた。その後、桃色の少女は桜の胸に倒れ込むと同時に、”茶のシャツに青のデニムパンツ”という、あまりにギャップを感じる姿に変化を遂げた。


 ☆☆☆


 淡いキラキラした背景で薙が踊っている。こちらに向ける表情は屈託のない笑み。私は、こんな風に笑う薙様が好きだ。あぁ、このまま私を誘って踊ってほしい……探し物とか関係なく、夢の中へ……夢の中へ……


「……ブギーポップか!?」


 頭を叩かれた衝撃で目が覚めた。変なツッコミを入れてきたのは、私と似たような着物を着て、目に包帯を巻いた少女。


「私は桜よ……はい鏡」


 桜という少女が姿見をわざわざ引いてきた。どうやら、”私と似たような”という部分が引っかかったようだ。確かに今の私は衣の影響でだいぶカジュアルな服装になっている。


 ……あれ、声に出したっけ?


「私は心が読めるのよ……まったくもう」


 そういって桜はため息をついた。周囲を見渡すと6畳ほどの和室に私はいるようだった。薙様から教わった座標にジャンプして……それからどうなったんだっけ?


「目が覚めたとこ悪いけど、もう一人来たわよ」


 桜はそういって部屋を出ていった。廊下の方で別の女性が”薙くん”と言っているのが聞こえ、「薙様をそんな親しげに呼ぶなんて!?」と思わず私も表へ出てしまった。


 屋敷の外に出ると、桜の目の前で膝を付く薙の姿。そして、薙に駆け寄る別の少女の姿があった。暦も薙の姿を見て走って抱きついた。


「まったく! 一人で行っちゃうんだもの! 心配したじゃないの!? あれから”二十分”以上経ってるのよ!?」


「二十分!? 僕は、そんなに……!?」


 燐瞳の説教に、薙はそんなに時間が経っている事に驚きつつも、高松の屋敷の異様な空気でそれどころではなかった。跳ぶ時は気が付かなかったが、屋敷の敷地に戻った瞬間から、急激に体の電流が加速し、体の激痛が強くなっている。この土地で閻魔の姿はこれ以上無理だと言われているようだ。


「早く人間になりなさい。ここじゃ閻魔の姿は無理よ」


「なッ……!?」


 高松の屋敷は霊体が入れない様に土地を選んで建設されている。現世の霊は、この過酷な環境を避け、近づきもしない。そのお陰で霊視に集中できるのだと。


 僕は急いで少年の姿に戻る。


「跳んだ先は、だいぶ居心地が良かったんじゃない? あそこは普通の土地よりいささか霊が存在しやすい場所だし」


 桜のその言葉に納得する。僕も聖も、閻魔の姿で戦っていた。聖に至っては、僕が向かう前から閻魔状態だっただろう。経過時間から計算して、あの場所は、少なくとも六倍の時間、閻魔化することが可能なのか。


 海岸沿いの洞窟といい、あの山岳地帯といい、現世も場所によって環境が様々だと改めて実感させられる。


「だから……聖はあの場所に……」


「薙様! ご無事で何よりです!!」


 薙は、抱きついて泣き喚く暦に今更気が付いた。一瞬、彼女を暦と認識するのが遅れたが、改めて再会できた喜びから、強く抱擁を返した。最悪、異なる時間軸に着地し、永遠に合流できない可能性も十分にあった。そんな中、この二人は幸運にも非常に近い時間軸に降り立った。これはもう奇跡。


「ずっと探してたんです! でも、羅針盤がうまく働かなくて!」


 暦は数日前に現世へ降り立ったと言った。あの歪んだ世界で、僕が消えた後、同じように近くの風景に引き寄せられたらしい。現世では羅針盤を使ってずっと僕を探していたようだが、衣の防御が、閻魔としての僕を探知させなかった。その結果、暦は”薙”ではなく”閻魔”を検索したと。その結果が聖との遭遇だった。


「薙様のお力も探索したんです! それも全然引っ掛からなくて!」


 わんわん泣きながら暦は、力になれず申し訳ないと僕に謝ってきた。


 ……それは予想外だ。元々、暦の羅針盤で僕の失った力を探すのも目的に入っていた。それが探索できないとなると、僕の残りの力はどこに……神も封印されている上に、僕の力も存在しないとなれば、僕たちはこんな危険を冒してまで一体何をしているんだ……


「それなら、心当たりがあるわ……」


 狼狽する僕に燐瞳が胸に手を当てながら答えた。だが、全員揃ってから話すと言って聞かない。僕に関わった風切も、桜も、暦も”知る義務”があるとまで言った。


「私は知ってるけど」


「桜ちゃんは連盟の人間だから知ってなきゃ大変なことよ」


 これは、燐瞳や桜の所属する、”淡海神道連盟おうみしんどうれんめい”に深く関わることなのだとか。僕には何の事かさっぱりな訳で、連盟とかどうでも良いから早く教えろといいたくなってしまう。


 だが、現世では慎重に動かないと取り返しのつかない事になる。僕と暦が力を使えるのは限られた時間だけ。ここは座して待つのが得策か……?


「あなた……見た目に反して結構過激なのね」


 ……桜に心を読まれた。


「ま、連盟の現在のトップは森之宮家だもんねぇ……大人しく従うしかないわぁ」


 わざとらしく桜が間延びした大声を出した。


 ☆☆☆


 淡海神道連盟とは、江戸時代から続く霊能者で結成された集団組織である。結成時期は、平安時代から、室町時代からと諸説あるものの、それを証明する文献は存在しない。結成当時の目的は、人間に仇なす”あやかし”の対策、駆除だったそうだ。しかし、時代が進むにつれて妖の数は減り、今では一般的な宗教法人と同じ存在になっているとか。


 しかし怪事件が完全になくなったわけでもなく、国から極秘で依頼されることもあるとか。後は、連盟に所属する各霊能者の元を訪れる一般人の依頼に対応しているのが現状らしい。


 現在の連盟会長は、組織を結成した霊能者の直系にあたる”淡海 琵琶おうみ びわ”という老人らしい。最も、十年前から表舞台には姿を現していないようで、事実上のトップは理事を務める”森之宮 周芳”だそうだ。


 また、淡海 琵琶には三人の弟子が存在する。


 ”浄化”の専門家、森之宮 周芳もりのみや すわ


 ”霊視”の専門家、風切 洞爺かざきり とうや


 ”滅却”の専門家、源 因幡みなもと いなば


 浄化とは、お祓い……つまり人に取り憑く霊を剥がす事の他、呪いの解除、妖を守る負の感情の抑制などだ。


 霊視とは、目視不可能な霊体の視認、読心術、千里眼が該当する。


 そして、滅却とは、霊体を破壊する技術。地獄の鬼の牙が持つ魂の分解能力や、それこそ現世の理もこれに該当するだろう。


 それぞれに専門分野を持たせた理由は、かつての妖退治が現代では不要と判断されたためだ。妖の討伐には、浄化、霊視、滅却が必要とされていたが、時代の変遷へんせんか淡海琵琶はそれを三つに分けたのだ。


 しかし、十年前の惨劇で霊視と滅却の専門家は死亡。浄化の専門家、森之宮は弟子を一人失った。さらに、会長だった淡海琵琶が行方をくらまし、この事がきっかけで連盟は機能をほぼ失いつつある。


 ……という座学を受けたわけだが、講師が高松だったこともあり僕と暦は非常に長い時間拘束された。高松という老婆はかつて連盟会長と共に日本中の怪異を解決していた凄腕だった。そのせいで話が逸れ、かつて対峙した様々な怪異の特徴、苦戦したポイントが数多く解説される。


 まぁ、その部分は非常に面白く語られていたのだが、僕たちが知りたいのはそこではないのですよ。


 話を聞いていて、僕が閻魔界にいた頃に見た、地獄担当の鬼が人間をバリバリ食べていたのは、滅却の力だったのかぁ……通りで霊体を食べられる訳だよ……とはなったけどさ。


「……連盟には、古くから継承され続ける宝物ほうもつがあるけど、ここから先は燐瞳ちゃんに任せるかねぇ」


 数時間に渡る座学がやっと終了した。時刻はもう夕方だ。そんな時、桜が僕たちを呼び止めた。後ろには頬を膨らませた燐瞳もいる。なんでも、風切の退院までの二週間はここにいろとのこと。


 この申し出は僕としてはありがたかった。閻魔聖が現世にいる状態で好き勝手動くわけにはいかない。彼は僕の虚空を狙っている。暦の羅針盤もあるが、より詳細な霊視のできる桜と共にいた方が安全だろう。暦もそれには賛成のようだ。


「ちょっと! 薙くんは森之宮家で預かるのよ!?」


「そうまでして近くに置いておきたいのね……」


 これに反対意見を出したのは燐瞳だった。彼女は、どうにも僕と行動を共にしたがる。桜は理由を知っているようだが、これ以上話す気はないらしい。


「燐瞳、その心配は大丈夫よ」


 扉を勢いよく開く音がした。実際、扉は開いていない。この音は、森之宮神社で聞いた音だ。我々の後ろには、仕事帰りでフォーマル姿のシヅキが立っていた。


「何度来ても嫌なところね……気分が悪くなるわ」


 シヅキは高松屋敷の立地に文句を言いつつ、森之宮からの伝言を燐瞳と桜に伝えた。


「”燐瞳も高松屋敷で待機しろ”……だそうよ?」


 どうも森之宮は、今朝の依頼がまだ解決していないらしい。燐瞳は「神社はどうするの?」と運営を気にしていた。そこは燐瞳の母とシヅキで何とかするらしい。


「じゃ、伝えたから帰るわね」


 燐瞳の返答を待たずして、シヅキは消えた。


 少し胸騒ぎを感じつつも、薙は隣の暦を見て再び今後の動向について模索するのだった。


 ☆☆☆


 その夜、和室の布団の中で一人でいると、暦が虚空を使って入ってきた。


「暦、ここでは衣を脱がない方が……」


「……ごめんなさい」


 そう言って暦はカジュアルな服装に戻る。


 暦は、「私のせいでごめんなさい」と改めて謝罪した。あまりに無計画な行動だったと詫びる暦の姿に、薙は「大丈夫」と一言返す。


「この時代に、神は封印されている……だから無駄じゃないよ」


 障子を開けて月明かりを取り入れた。窓から見える月を眺め、再び暦に視線を戻す。暦は、羅針盤を取り出した。その針は斜め上をさし、延長線上には欠けた月が指し示されている。


「……災厄の神を?」


「えぇ、羅針盤は壊れていない……やっぱり」


 そう言って言葉を切った暦の意図は、やはり、羅針盤が僕の道具に反応していない部分についてだろう。


「……暦、これを見てほしい」


 僕は、ポケットから金剛杵を取り出した。僕が現世で拾った不動明王像の剣。それが閻魔に反応して変化した代物だ。もちろん、今は少年の姿なので剣は出てこない。


「現世でも手に入るものもあるんだよ……」


 だからそう気に病まないでくれ。もしかしたら、金剛鈴も天秤も、それこそ元々なくした人頭杖すら、現世の物質が変化してくれるかもしれない。


 神が封印されている内に力を全て取り戻したい。神の捕縛は、確実な方法・・・・・が一つある。それをするには、神の目の前……閉じ込められた空間に僕が跳ぶ必要がある。


 だからこそ、万全の状態にしておきたい。


「でも、それじゃあ薙様の記憶は……?」


 暦は、僕が本来の道具を取り戻せば、失った記憶を取り戻せるのではないかと仮説を立てていたようだった。


 僕の失った記憶……僕が大罪人か否かを決定づける証拠。彼女に介錯の使命を与えてしまったせいか、記憶が戻らない方が良さそうな表情をしている。


「記憶は、別の方法で確認する……記憶というより事実確認だけど」


 高松の講義で、十年前の惨劇の項目があった。その中に、僕は知っている者の名があるのをしかと聞いた。


 ……僕が閻魔界にいた頃、友人だった少女がいた。元は人間の魂だったが、地獄の清掃員として採用され、僕に毎日相談してくれた名も無き彼女。その働きぶりを評価された結果、後に閻魔王から名前を与えられ、神の補佐官という大役を仰せつかった。


 その少女の名は”ぬえ”。その名が、神を地上に降ろそうとした集団の中にあった。本人かは分からない。現世で鵺と呼称される存在が別で存在しているだけかもしれない。だけど、神の補佐官に任命され、職場を変える際に、彼女を案内していたのは……時希だ。


 二週間後、外出が許可されたら桜に頼んで居場所を教えてもらおう。そうすれば、僕の失った記憶の一部を知っているかもしれない。


「……聖様を捕らえて吐かせるのは?」


「それは危険だ……失敗すれば、僕も君も、神の復活に利用されてしまう」


「それは鵺も一緒なんじゃ?」


 暦の鋭い質問に、言葉が詰まった。僕の知る鵺は、誰にも口答えせず、どんなに辛くても笑っていた少女なのだ。僕の前では本音を漏らすが、それでも、地上に逃げた災厄の神を支持するわけが……


“裁判の最中に発せられた神の演説。それに心打たれた者が何人いたと思っている”


 聖の発言が脳裏に浮かぶ。神の理想と目的。鵺は変わってしまったのだろうか。いや、彼女に限ってそんなことがあるはずない。きっと、何か事情があったに違いない。


 閻魔が私情を挟むなどあってはならないことだ。しかしここは現世。別に僕は裁判官として存在しているわけじゃないんだ。友人の心配をしたって良いじゃないか……


「……なら会いに行きましょう。羅針盤も鵺を捉えています」


 さらに暦は、衣を一着差し出した。閻魔界から持ってきた衣の一着のようだが、暦が加工を施したらしい。


「衣を着れば現世で活動できるって仮説は当たりましたが、代わりに能力の幅が狭まります」


 手渡された衣は、ポケットが追加で後付けされていた。せめて今ある道具だけでも、人間状態から取り出せるように工夫を凝らしたと暦は語る。


「流石に大鎌は大きすぎて破れちゃいましたけど」


「試したのか……」


 でも僕の道具……鬼籍に浄瑠璃鏡、金剛杵だけならなんとか取り出せそうだ。最初から出しておく必要がなくなるのは助かる。


「ただちょっと耐久は落ちるので、破れたりしたら教えてくださいね」


 暦は現世へ座礁してから数着ダメにしたと言った。僕は今日まで同じ衣を着ている。きっと、使い方の問題なんだろう。少年状態で大打撃も受けていないし。


「それにしても、現世ってなんなんでしょうね」


 暦が月を憂いながらそう呟いた。土地の多くが霊体の存在を許さない環境。人間の魂の変化。僕たちにも知らないことがあると実感させられる。


「私は見習いですけど、一応死神なので、正直……人よりは上の立場だと思っていました」


 でも実際に現世に降り立ってみて、私よりも人間の方が環境に適応しているのを目で見てしまうと、私って一体なんなんだろうと思ってしまってならないんです。


「神が上、閻魔が上、死神が上、人間が下……なんて、誰が最初に言い出したんでしょうね?」


 ……本当は逆かもしれないのに。


「あぁ、全くだよ暦……だからこそ人間に敬意を払おうと思っている……思っているんだけど」


 衣の影響か色々な考えが浮かんできて素直になれない自分がいる。暦も「色々な人間がいて、思想も様々です。衣が時代に合わせて変化するのを考えると、思想も一緒に変化させている可能性はありますね」と同じ意見を出してきた。


 本人も、昼間の大号泣は気になっていたらしい。


「……まるで智恵の実を食べた最初の人類ですね」


 多くを知る事が、必ずしも良い結果を生むとは限らない。僕はそう言われている気がした。


「そろそろ戻ったら? 燐瞳さんも同室でしょ?」


「それが……」


 燐瞳は僕の部屋の引き戸前で待機しているとのこと。理由は分からないが、今引き戸を開けて暦が出ていけば悲惨なことになるのは火を見るより明らかだ。


 ……だから虚空で跳んできたのか


 暦は僕の布団に潜り込んでくる。


「大丈夫です……我々は生殖活動ができないので何も言われません」


「そういう問題じゃない気がするんだけど」


 結局僕は暦を追い返すことができず、仕方がなく同じ布団で眠りについた。安心して眠れるのはいつぶりだろう。僕の意識は次第に薄れていった。


 ☆☆☆


 同時刻、森之宮は自室のパソコンでウェブ会議に参加していた。パソコンの画面には、二十代の青年が映し出されている。彼の容姿は短髪の黒髪で、左耳に三連ピアスを付けていた。しかし何より異質なのは、白のアルバ姿。日本人にも関わらず、雰囲気はまるで異国の宗教家のようだ。


〈お久しぶりです、森之宮さん〉


 青年は、ハッキリとした日本語で挨拶をする。


「……蓮華、まさかお前から連絡が来るとはな」


 青年の名は”蓮華れんげ”。滅却の専門家、源 因幡の一人息子にして、ある宗教団体の代表を務める男。蓮華は現在、ニューヨークにいる。


〈……少し、事情が変わりましてね〉


 蓮華は、十年前の惨劇以降、両親を殺害した妖の”ぬえ”に執着していた。親を亡くした彼は、連盟会長の友人の刀鍛冶に預けられ、復讐心を捨てるよう諭されたが、当時、その炎が消えることはなかった。彼は復讐のため、自由に動けるよう連盟を脱退。さらに連盟が保管する宝物ほうもつの一つを無断で拝借し、現在に至るまで所持し続けている。


 彼は自身が霊視で探索される事を予想し、定住せず、土地を転々とし続ける生活を送り、ついには海を越え国外まで移動した。


 そのため、彼は自身の居場所に関する全ての情報を、連盟はおろか、親代わりの刀鍛冶にも明かしていなかった。


「そんなお前が……一体何を……まさか鵺か?」


「いいえ、もう復讐なんて考えていませんよ」


 森之宮は、シヅキ経由でウェブ会議の招待コードを受け取った時には、にわかに信じられなかった。だが、いざ画面越しに彼を見て、それが現実なのだと実感する。


「……数ヶ月前に、とある組織が崩壊した」


 崩壊とは、言葉の綾ではなく、実際に大勢の人間が死亡し組織として機能不全となった。アメリカの超自然現象対策組織、”財団カルテ”は長い歴史に幕を閉じたのである。


「財団? そんな話はこちらには……」


「既に連盟も半壊しているというわけか」


 基本的に、連盟には海外の超自然現象の情報も入ってくる。しかし、今の連盟は情報収集のアンテナが弱っていると蓮華は指摘した。


 蓮華の話では、財団は吸血鬼との対談の真っ最中だったらしい。吸血鬼という種族は地球上に五人しか残っておらず、生きながらえる道として人間との共存を選んだと。各組織の代表同士の対談が秘密裏に行われていたと。


「まぁ、この程度であれば俺は関与しなかった……だが」


 蓮華は画面に一枚の写真を共有する。写真は、その対談を正面から撮影したものだった。左の椅子にアルビノの少年。右の椅子に老人が座っている。おそらくは左が吸血鬼、右が財団の長だろう。


 しかし、彼らの後に立つ男達。一見、彼らを警備しているように見える男達……銀髪に眼帯の男と、腰に横笛を携えたもう一人……!?


「笛吹男……!?」


 森之宮は、この男に見覚えがあった。いや、見覚えどころではない。笛吹男と呼ばれた男は、十年前に神降臨を企んだ五人の怪異の一人。


 十年前の計画が失敗した後、姿をくらませ、霊視でも発見不可能な奴らの一人がなぜここに……


「ハーメルンの笛吹男……アルベルト・ハンターに俺が気が付いた時には、既に事件が起きた後だった」


 蓮華は目の前の机を握った拳でガンッ! と叩く。その右腕は、先から肘にかけて至極色のガントレットで覆われていた。


「俺を察知した奴は、俺との戦闘の最中に銀髪の男……ニコラスを連れて日本に移動した」


 蓮華は、既に一戦交えていた。彼は準備を整えたらシヅキを使って日本に跳ぶらしい。シヅキには、既にその分の金を払っていると。単独で奴らを滅却する気なのだ。


「だから私に連絡を……?」


 その問いに蓮華は首を横に振った。


「アンタに連絡したのは……」


 蓮華の言葉に森之宮は耳を疑った。


 十年前、月に封じられた神を地上に解き放とうとした怪異は五人。


 “魔笛”を持ち、音色で他人を操る不老の笛吹男……アルベルト。


 “死者の魂”を影として使役し、自身の姿すら変幻自在の鵺……ツグミ。


 “気象”を操り、全てを凍てつかせる力を持つ雪女……フユカ。


 “空間”を司る神から力を継承された少女……シヅキ。


 そして、四人を統率する指導者。”言霊”と”滅却”の力を持つ悪霊……ハヤト。


 ハヤトはシヅキを言霊で操り、神の封印を解除しようと模索した。だがハヤトが森之宮の弟子と相討ちになり、現世から消滅したことで、操られていたシヅキは正気に戻り、残りの三人は雲隠れした。危機は去ったと、連盟の人間は誰もが思っていた。


 蓮華は、「ハヤトは、笛吹男の体を乗っ取って活動を再開した」とハッキリ言った。


「間違いないのか……? まだ、終わりじゃないのか……」


「アンタだから話したんだ……信じてくれ」


 蓮華は、対抗策として財団の生き残りの話を森之宮に伝える。単独で日本に渡航し、今も奴らを追っていると。


「”彼”と合流してくれ……神の封印が目的なら、奴はシヅキを狙うはず」


 別の写真が共有された。しかし、写真の人物はどう見ても修道女。男には見えない。年齢も燐瞳や桜に近そうだ。


「日本で青い光や炎が目撃されていれば、おそらく”彼”の仕業だ……最悪、桜を使ってでも合流してくれ……シヅキを奪われるわけにはいかない」


 出来れば森之宮以外の連盟員の力は借りたくないという蓮華の心情が読み取れた。それを聞いて森之宮の脳内で点が繋がった。連盟の連絡網に記載されていたのは、まさしくコレの事だったのか。


「準備が整い次第、俺も向かう……森之宮さん、頼んだ」


 そう言って通信が切れた。森之宮は急いで今日収集した情報に目を通す。そして、自身の胸騒ぎを鎮めるためか、神社の本殿へ向かい、そこに鎮座する一本の日本刀の前に座り込んだ。


「頼む、私達を守ってくれ……春人はると


 その思いに応える様に、刀から鈴と金属音が鳴った。

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