第34話 ステラダウン

 ハープーンでの一連の戦いを生き残り、ようやく王都へと帰還したステラとエステル。ギガント・プルモーの死骸を運び込む必要があったので、真っ先に魔道研究所の扉を開いた。

 しかし、ステラ達の一番の目的は研究所に勤める祖母ガラシアと会うことである。約十年ぶりにアストライア王国へと舞い戻って来たルナ・ノヴァについて話し合わなければならないからだ。


「お婆ちゃん、入るよ」


「ン、ステラかい?」


 ガラシアの研究室をノックし、返事を待ってから室内へと入る。くたびれた白衣を纏う祖母の姿は見慣れたものだが、どこか様子が変だとステラは直感した。


「ハープーンから帰ってきたんだね」


「うん……それより、大切な話があるの」


「…ルナのことかい?」


「やっぱり、既にココにルナは来ていたんだね」


 今となっては忌むべき相手であるルナが自分の生活圏に足を踏み入れたとなれば、ステラは生理的な不快感を覚えずにはいられない。まさかとは思うが、自宅にも来ていたのだろうかと考えて多少の吐き気を催す。


「ああ。ステラもハープーンで会ったんだろ?」


「不意打ちみたいなカタチでだけど……で、ルナとはどんな会話をしたの?」


「アストライア王国を出た後、メタゼオス帝国の研究所に就職したこととか……他愛もないことばかりだったよ」


 嘘である。だが、本当のことをステラに言えば反感を買ってしまうのは間違いないので、誤魔化すべくフワッとした適当な返答をしたのだ。


「ルナ・ノヴァが他愛のない話を…? と、ともかくヤツは今後どうするつもりなの?」


 ステラにとって最も気になるのはルナの今後である。彼女の動向がステラテルに影響を与える可能性があるともなれば当然だろう。


「…そのことだがな、ルナにはワタシの手伝いをしてもらうことにした」


「なんで!? お婆ちゃんも分かっているでしょうに! あの女の非道さを!」


 まさか過ぎるガラシアの言葉にステラは驚きを隠せず、声を裏返しながら問いただす。ルナのイカれ具合はガラシアとて理解していないわけがなく、どうして追放しないのか訊かずにはいられない。

 取り乱す孫を前にし、ガラシアは再び誤魔化すべく嘘を考える。


「ルナをワタシの近くに置いたのは、彼女を監視しておくためであるんだよ。追放するのは簡単だが、ルナが何処でどのような研究をしているか不明という方が不安だとは思わないかい?」


「ま、まあ確かに……目の届く範囲で見張っておけば安心ではあるかもだけど……」


「だろう? ワタシの手伝いであれば妙なマネは出来ないしさ。この研究所でルナは好き勝手には動けんよ」


「けど、アイツはわたしやエステルを実験台にしようと考えている。事実、ハープーンでそう言っていたんだよ」


「二人には手出しをさせない。ルナの住居は別に用意したし、ワタシ抜きではステラとエステルに会わないよう約束を取りつけた」


 そうした配慮がなされているのなら、これ以上文句を言っても仕方がないかとステラは押し黙る。ガラシアの考えに完全には同調し得ないが、敬愛する祖母がそこまで言うならひとまず様子を見てみることにした。


「すまないね……理屈を説いたけど、これはワタシの甘さでもある」


「母親としての甘さ、ということ?」


「ああ……あんなでも一応は娘なんだ。だから切り捨てられずにいる」


「家族を大切に想う気持ちは分かるよ」


 ステラは隣で成り行きを黙って見守るエステルの手をギュッと握り、そう応える。家族とは特別な縁で結ばれた存在で、感情を優先してしまうのは仕方のないことだろう。


「とはいえ、ワタシの育て方が悪かったのは間違いない……だからこそ、それを修正するのは親の役割だ。もう少しだけチャンスを与えてやってはくれまいか?」


「お婆ちゃんがそうしたいのなら……でも、わたしはルナと和解したいとは考えていない。それだけは忘れないで」


「ああ、勿論だ。迷惑はかけない…とは言い切れないが。ふ、まさかこの歳になっても子育てに苦労させられるとはね。難しいものだな、イロイロと……」


 と、乾いた笑いを漏らすガラシア。娘に苦労させられているのは事実なため、本音としてポロッと呟いてしまったのかもしれない。

 

「それじゃあ、わたし達はこれで帰るね。ガネーシュさんが下の搬入庫にギガント・プルモーの死骸を運び込んでいるから、お婆ちゃんの研究に役立ててね」


「うむ、ありがとう。皆が持ち帰ってくれた魔物の欠片等は大いに役立っているよ。それらを使ったプロジェクトも進展しているしな」


「なら良かった」


 ガラシアの言うプロジェクトとは、女王主導の魔龍修復作業である。当初は骨だけであったが魔物の肉片やらを結合していくことで、徐々に生物としての輪郭を取り戻しつつあるのだ。

 そうとは知らないステラは小さく頷いてエステルと部屋を後にし、それを見送るガラシアの表情は複雑な心境を表すように歪んでいたのだが、ステラが気が付くことはなかった。






 魔道研究所を出たステラテルは自宅を目指して歩き出したのだが、


「姉様?」


 ステラは足がもつれて転びかける。運動神経は退魔師の中でも高く、猛スピードで大地を疾駆する脚力は特に優秀なレベルなのに、まるで老婆のように弱々しい姿であった。

 咄嗟にエステルは姉を支え、どうしたのかと顔を見つめる。


「ごめんごめん。なんか躓いちゃってさ……」


「大丈夫ですか? なんか顔が赤いですが…?」


「そ、そう?」


「はい。目もトロンとしていて、なんかエッチです」


 エッチかどうかはともかく、ステラの顔が赤みがかっているのは事実だ。目の焦点も合っていないように虚ろで、風呂にのぼせたような状態である。


「もしかして私に触れられて興奮していらっしゃる?」


「えへへ、そうかも」


「しかし、姉様の体のこの熱さは…? まさか本当に発情中という…?」


 エステルが掴むステラの腕は熱を持っていた。アストライア王国の現在の気候は特に暑くも寒くもない過ごしやすいハズなのに、まるで熱風の中に長時間晒されたかのようだ。

 ここでようやく卑猥な思考から切り替えたエステルは、姉が熱を出しているのだと推測する。


「姉様、体調を崩されているのですね?」


「かも。なんか目眩がするんだよね……」


「それはいけません! すぐに医者のもとに!」


「だ、大丈夫だよ。このくらい……」


「いえ、風邪は万病の元ともいいますし、もしかしたら何か病を患っているかもしれないのですよ? さ、魔道管理局内にある退魔師専門の医療機関へ」


 まだ足取りのおぼつかないステラを連れ、エステルは研究所の近くにある魔道管理局へ誘導していく。その内部には退魔師の治療を専門としている医療機関が存在し、普通の病院よりも充実した医療制度が整えられているのだ。




 エステルに連れられてきたステラは、さっそく医師の診察を受けてベッドに横になっていた。体のだるさが強くなっていたため、座っているのも辛いようだ。


「で、姉様は大丈夫なのですか?」


「発熱をしているが、これは過労や心労からくるものだろう。風邪や、他の病気の気配はないからね」


「過労と心労……」


 と医師に言われれば、思い当たるフシしかない。戦地にやたらと派遣されるし、最近ではルナ・ノヴァのせいで極めて強いストレスを感じていたのだから、こうして体調を崩すのも仕方がないことだろう。逆にピンピンとしているエステルの方がオカシイのかもしれない。


「話には聞いていたが、キミ達ステラテルの出動率は高いのだろう?」


「ええ、まあ。この一ヵ月の間に大型の魔物や、魔女とも何度も交戦していますし」


「よくやっているよ、キミ達は。それで生き残っているのだし大したものだね」


「姉様が頑張ってくださっているおかげです。もし姉様がいなかったら、とっくに私は死んでいました」


 頑張り具合はエステルもステラに引けを取らないレベルだ。むしろ、肉体の酷使度であれば近接戦を主体とするエステルの方が上である。

 しかし、エステル自身はそう思っていない。自らを過小評価しているのもそうだが、姉こそが力の根源だと信じているためでもある。


「あら、局長?」


 医師と会話している時、管理局局長が慌てた様子で現れた。彼女のもとにもステラの体調不良の話がいったらしい。


「ステラの容態はどうなの?」


「過労と心労による体調不良だそうです。暫く安静にしていれば良くなるそうですよ」


「私が至らないばかりに……申し訳ないことをしたわね……」


 局長は恐れていた事態が起きてしまったと頭を掻く。ステラテルにばかり負担を掛けてしまっていると分かっていたのに、それでも頼り切っていたのだ。だから、今回のことも自分に責任があると猛省している。


「局長のせいではありませんよ。いるべきでない者が姉様を苦しめているのです……ともかく、姉様の看病のために少し休養を頂きたいです」


「ああ、勿論だ。ゆっくり休みなさいね」


 エステルは頷き、姉が横になるベッドの隣に立つ。弱っているステラの姿に不安を覚えながらも、彼女の回復のために力を尽くすことを誓うのであった。

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