第9話 双子の祖母、ガラシア・ノヴァ

 魔道研究所の内部は清潔に保たれており、行き交う職員らが着用する白衣もくたびれてはいるが汚れは付着していない。これは研究所所長の方針で、周囲環境に気を配り整えることは身を引き締める効果を生みだし、組織としての規律や秩序を守る原動力になるとの理屈らしい。所長が行き過ぎた綺麗好きであることも関係しているのかもしれないが。

 そんな施設内に、荒野での戦いによって薄汚れた戦闘着を着込む退魔師が現れれば場違い感もあるが、国家防衛に文字通り死力を尽くしている彼女達を咎める者はおらず、ステラとエステルはエントランスの受付へと向かう。


「ああ、ステラテルのお二人さんじゃありませんか。北東エリアに出撃したと聞いていましたが戦闘は終わったのですね。お疲れ様でした」


 受け付けの職員はペコリと頭を下げつつステラテルを出迎える。双子と知り合いなのか、お客様の来訪というより出張から帰って来た職場の先輩を労うような言い方であった。


「ひとまず脅威は去りました。ガネーシュさん達が回収した魔物の死骸を裏口から搬入してますよ」


 こういう応対をするのはステラであり、やはりというかエステルは無の表情のまま姉の後ろに控えている。


「サンプルは多い方が研究も進みますからねぇ。退魔師の皆さん方が持ち込んでくれるのは有り難い限りですよ」


「ところで、お婆ちゃ…いえ、ガラシア・ノヴァは出勤していますよね?」


「ガラシア様なら研究室にいらっしゃるはずです」


「どうも」


 普通、部外者が入館する場合はゲスト用の名札を付けるといった決まりがあるのだが、ステラテルは特別扱いされているのか顔パス状態でそのままエントランスを通過していく。それほど信頼されているのだろう。


「危ない危ない……また人前でお婆ちゃん呼びをするところだった」


「姉様、ほぼ口にしていましたが……」


「最後まで言っていないからセーフ。わたし達が孫とはいえ、人様の前では名前で呼ばないと恥ずかしいものね」


 と、少々赤面しつつステラはエステルと共に階段を昇り、最上階である五階へ赴いて一つの部屋の前に立つ。その扉の横にあるプレートには”ガラシア・ノヴァ”の名前が記入されていて、ここが双子の目的地のようだ。

 ステラがノックをすると、老齢の女性の声で入室を促してきた。


「失礼します」


「おや、ステラにエステル。おかえり、無事に帰ってきたんだね」


 整頓された室内にいるのはガラシア・ノヴァ、ステラテルの祖母だ。年齢は六十歳を超えているようで、白髪の混じる頭髪とシワが老いを感じさせる。だが背筋は伸びており、どこか強者のオーラを感じさせる精悍さもあった。


「ただいま、お婆ちゃん!」


 そんなガラシアにステラはニコニコしながら抱き着き、祖母の包容力を全身で味わっている。ステラはかなりのお婆ちゃんっ子らしい。


「おやおや、大きな甘えん坊さんだこと。魔物を容赦なく撃ち落とす退魔師さんと本当に同一人物なのかい?」


「戦場では頑張ってきたのだから、こういう時間だってあっていいでしょう?」


「たしかに息抜きも必要さね。ツマラナイことで壊れてしまっても仕方がないしな。さ、エステルもおいで」


 ガラシアは優しい声色でエステルも呼び、ステラと同じように抱擁する。エステルにとっては姉とハグするほうが嬉しいのだが、祖母のことも好いているので決してイヤではない。


「エステルは無茶な近接戦を挑む傾向にあるから、いつ怪我をするか不安だよ」


「そうは言うけれど、私に戦闘スタイルを教え込んだのはお婆ちゃんよ?」


「ハハ、そうだったね。まぁワタシの若かりし頃はもっと苛烈な戦い方をしていたがね。千切っては投げ、千切っては投げの大乱闘よ」


「さすがは伝説の傭兵。いろんな国で武功を立てた退魔師なだけのことはあるわ」


「それくらいしか取り柄が無かっただけさ。しかし、今では学者のマネ事をしているのだから人生どうなるか分からんものだな」


 そう言って双子から離れたガラシアは、魔物の臓器などのサンプルが置かれたデスクの前に立つ。

 かつては退魔師として名を馳せたガラシアであるが、歳を重ねたことで肉体が老い戦闘力が落ちてしまった。もう現役を続けるのは厳しいと悟り、引退して魔物などの研究調査を行うようになったのだ。


「でも、お婆ちゃんは学者や研究者としてのセンスもあるよ。わたしのメテオール・ユニットを発明したのもお婆ちゃんだし」


「たまたまさね。しかもアレはステラとエステルでしか扱えない武器だから、万能な発明とは言えん……だが孫の役に立てているわけだし、祖母としての役目は果たせたのかもしれんな。もっとオマエ達の母親代わりとして器用にできればいいのだがね……」


「お婆ちゃんはずっと親をやってくれてたよ。でなければ、わたしとエステルはとっくに飢え死にをしていたもの」


「ワタシの娘、ルナ・ノヴァは酷い人間だと思うよ。自分で産んだ双子を捨てていくなんてな。一体どういう了見なのだか……」


 双子の母親であるルナ・ノヴァは失踪して行方知れずであった。だからガラシアが面倒を見ているわけで、今日まで生きてこられたのも祖母のおかげなのである。

 ステラは遠い記憶の中にいる母親を思い起こしつつも、今という現実を見つめる。


「お母さんのことはともかく……そうだ、今日ガネーシュさん達と持ち帰ってきたのはサンドローム・トータスとハイぺリオン・コンドルのサンプルだよ。なかなか出会うことのない魔物だよね?」


「そりゃ凄い。特にサンドローム・トータスはレア種だからねぇ。細胞を少しでも解析できれば何か新しい発見があるやもしれん」


「あのような大型種の侵攻は滅多に無いことだったけど、この数年で段々と増えてきている……やっぱり何か良くない兆候なのかな?」


「…どうだかねぇ。たしかにアストライア王国は比較的平和な国ではあったが、その平和が永遠に続くということはない。世の中というものは流動的で絶えず変化をしているのだから」


 自分が認識できる世間の範囲など限られている。双子にとってはアストライア王国が全てのようにも思えるが、そんなものは世界のごく一部にしか過ぎず、いつどのような外的要因によって変化がもたらされるかなど分からない。

 確実に分かっているのは魔物の脅威度が増しているという事実であり、退魔師であるステラテルは戦いに専念するだけだ。


「ワタシも若ければ前線に立てたのだが……老化現象が恨めしい。これを乗り越えることは人類にとっての大きな課題だろうね」


「魔女は人間のような容姿をしつつ不老だって聞くけど……」


「魔女、か……」


 少し考え込むように顎に手を当てるガラシア。老いてしまったからこそ、不老長寿の魔女という存在に何か思うところがあるのかもしれない。

 

「フ、魔物はまだまだ謎の多い生命体だ。それを解き明かすのがワタシに出来る貢献だね」


「お婆ちゃんが魔物博士としても有名になるのを期待してるよ」


 そんな会話をしている中、部屋の扉をノックする音が響きガラシアが応対する。


「二人が持ってきたサンドローム・トータスの死骸の調査が始まるようだ。ワタシも参加するから、二人は先に帰って休みな」


 と、ガラシアは夕食代をステラに渡し、迎えに来た職員と共に研究室へと向かっていった。双子とて退魔師として稼いだお金はあるのだが、基本的に生活費はガラシアが出している。

 

「じゃあ帰ろうか。夕ご飯は何がいい?」


「そうですねぇ……市場に寄って購入できる食材を見ながら考えましょう」


「最近は外食が多かったし、わたしが腕を振るって作ってあげるね」


「ふふ、楽しみです。もちろん私もお手伝いします」


 魔道研究所を後にし、夕日をバックにしながら帰路に就くステラテル。ガラシアは平穏は永遠には続かないと言っていたが、ステラはその永遠を信じたかった。

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