拓也だけは――



 あの子は、大丈夫だろうか……



 久美子はベッドの上で身を起こし、病室の窓から外を見ていた。



 時おり吹いてくる風がカーテンを揺らし、病室の中に新鮮な空気を運んでくる。

 最近の気候にしては暖かい風だ。



 本当は暖房の都合上、あまり窓を開けっ放しにしてはいけないのだが、ここ数日久美子はこうやって、窓を開けて外の風景に目を向けていた。



 体調はいい。

 昨日から一気に回復しだして、もしかしたら一時退院できるかもしれないと、医者が嬉しそうに言っていた。

 それを聞いた夫も嬉しそうだったし、今日も退院の日取りを相談するために来る予定だ。



 しばらく入退院を繰り返し、体が完璧に快復したら本格的に退院となる。

 しかし、当の久美子の表情は晴れなかった。



 この命は、本来あるべきものではない。

 あの時、自分は死ぬはずだったのだ。



 それは、久美子自身が一番よく理解していた。



(これは、拓也君がくれた命なんだわ。)



 寂しくて寂しくて、声をかけてきた男の子たち。



 少しでも話せればよかったのだ。

 それで楽しくなって部屋に来ないかと誘えば、皆困ったような表情をして、気まずそうについてくる。

 そして何度も何度も会おうとする内に、だんだん離れていく。

 そんなことを繰り返していた。



 トラブルになってもやめられなかった。

 どうしても、寂しかったから。



 けれど、拓也だけは違った。

 嫌な顔は全くしなかったし、離れていくどころか、自らここまで足を運んでくれた。

 自分が入院患者ではないにもかかわらずだ。

 そして、色んな話を聞かせてもらった。



 自分のこと。

 家のこと。

 学校のこと。

 こちらが聞きたいこと……本当に色々。



 こちらが長話をしても、じっと聞いてくれた。

 お見舞いにと、病院に売っていない茶葉を持ってきてくれたりもしたし、この前制服姿で来てくれた時には、一味違った印象を味わえた。



 優しい子だった。

 そして、それに甘えても受け止めてくれる子だった。



 だから、何度も何度も「また会いましょう。」と、その後ろ姿に言った。

 毎回あの子は振り返って、「はい。」と笑ってくれた。

 それが、たまらなく嬉しかった。



 久美子はその両手に持った写真立てを握り締める。



 まるで、死んだ透が帰ってきたみたいだった。

 きっと透も、生きていたらこんな子に育っただろう。

 そう思うと胸が温かくなって、成長した息子を見ている心地になって幸せだった。



 だから、この幸せにもっと浸っていたかった。

 だからあの時、死ぬことが急に怖くなってしまった。



 疑ってしまった。

 死んだら、本当に透に会えるのだろうかと。



 死ぬ時は、先に死んだ誰かが迎えにくると聞いたことがある。

 でもあの時、透の姿は見えなかった。

 透の声も聞こえなかった。

 だから怖くなった。



 死んでも透に会えないかもしれないなら、せめてあと少し。

 せめてもう少しだけ、拓也君と過ごさせて。



 もう少し、この幸せをどうか……



 きっと、その思いを感じ取った拓也が自分を生かしてくれたのだ。

 でもそのせいで、拓也が大変なことになっていないだろうか。



 久美子は、誰も来るはずのない病室のドアを見やる。



 あの日以来、拓也は来ない。



 たかだか二日だ。

 彼だって自分の生活があるのだから、土日くらい自分の時間を楽しんでいるのかもしれない。



 そもそも、本来なら来なくて当然なのだ。

 でも、どうしても期待してしまうのは罪だろうか。



 物げに目を伏せた久美子の耳に、ふとドアをノックする音が聞こえた。



「? ……どうぞ。」



 誰だろうかと首を傾げて、一応そう答えた。





 横開きのドアが静かに開いて―――




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