後には退けない



「実!!」





 急に強く肩を揺さぶられて、実はハッと顔を上げた。

 目の前には晴人はるとの顔。



「……え?」



 学校だった。

 周りでは、相変わらず生徒たちの談笑する喧騒が広がっている。



 ついさっきまで拓也にく死神とゲームの話をしていたはずなのに、これは一体どういうことなのか。



 実は晴人から目を逸らし、ふと時計を見る。



 時計の針は、自分が影に接触を図ろうとした時から進んでいなかった。



「え……うそ……」



 無意識に、そう漏らしていた。



「うそ、じゃないよ。だめじゃんかー、実まで寝たらさぁ。もう~。ちょっと目を離したら、村田と同じくらい爆睡だもん。寝るくらいなら、オレの相手をしろ。」



 ドン、と。

 晴人が実の前に、かなりの質量を思わせる何かを置いた。



 反射的に見下ろすと、それは何冊もの参考書と教科書。



「……なんで拓也は起こさないで、俺は起こすんだよ。」



 状況はなんとなく理解できたので、実は晴人に疑問を持たれないうちに半目で言い返した。



「いやぁ、だってー。お前は大丈夫だけど、村田の場合は起こすと怖いじゃーん? ほら、最近はそうでもないけど、一学期らへんなんか、すっごいストイックで猛獣みたいだったし。ちょっかいついでに起こした時の、あの威嚇する獅子を思い浮かばせる目っていったらもう…。おれはあの時〝蛇に睨まれた蛙〟って言葉の意味を、身にみて実感したんだ。今思い出しても怖い。」



 言われてみれば、そんなこともあった気がする。



 あの時の拓也といえば、まだ地球に来たばかりで、何もかもが分からなかった時期だ。



 魔法で言語はカバーできたものの、ここでの知識を全て魔法で流し込むのはかなり拓也の負担になるので、勉強に関しては自分の指導の下、スパルタの勢いで叩き込んだのである。



 幸いにも拓也の学習能力は一般のそれとは桁外れだったので、テストまでにはひと通りの勉強をマスターできた。



 しかし、根が大真面目な拓也は自分がいないところでもかなり詰め込んで勉強していたようで、テスト当日になる頃には、寝不足とストレスでかなり参っていたらしい。



 あの時の拓也は晴人の言うとおり、まさに猛獣そのものだった。



 時間のほとんどを勉強に費やして、そのかたわらでこちらの世話を焼いていたのだ。

 ストレスも相当なものだったに違いない。



(そりゃ、そんな時に手を出したらそうなるだろうに。やっぱりこいつは馬鹿だ。)



 そう思いながら、実は机に積まれた参考書と教科書を見る。

 パッと見た感じでは、これらは今日のテストに全く関係ない。



「なんでテストと関係ない、お前の受験勉強に付き合わなくちゃいけないの?」

「いいじゃんかよ。どうせ、実力テストなんか余裕だろ? 塾でも成績トップの実君。」



「俺だって、勉強してるっつーの!」

「じゃあ、教えてくれないの?」



 じっと上目遣いで見つめられ、実は「う…っ」と言葉につまる。



 これは、晴人の最終奥義だ。



 お調子者の晴人はその愉快な性格故に、このまま断り続けるとわざと目を潤ませてきたり、女子の口調になったり、うざいことこの上ない状態になる。



 どう転んでも面倒だ。



「だめぇ?」



 猫なで声で詰め寄ってくる晴人。



「―――っ! ああもう! 分かんない所どこだよ!」

「そうこなくっちゃ!」



 表情を輝かせた晴人は、上機嫌で参考書をめくり始める。

 その隙に、実は晴人とは対照的に表情を曇らせた。



 晴人に起こされた時、今までのことが全部夢だったのではないかと思った。

 そうであればいいと、どこかで思っていたのかもしれない。



 しかし、それはありえない。



「………」



 実は自分の胸に手を当てる。



 胸の中にある、確かな違和感。

 あの時に感じた、何かを穿うがたれたような感覚が、微かな熱を伴って胸を締めつけてくる。



 まるで、全ては現実であると知らしめるように。

 この魂がもうあの死神のものだと主張するかのように、その違和感は確かな存在を伝えてきていた。



 実は後ろの拓也を振り返る。

 眠っている拓也の背後には、相変わらず死を招く不吉な影が揺れていた。



(ああ……俺、本当に命を賭けたんだな。)



 しみじみと認識する、自分の選択。



 きっと、あの死神に負ける気はないだろう。

 状況的に考えて、今は自分の方が圧倒的に不利だ。



「実? ここなんだけど……」



 肩を叩かれて、実は晴人が開く参考書に目を落とした。



「ん? ああ、ここは……」



 晴人に向き合いながら、自分に言い聞かせる。



 腹はくくったのだ。

 もう、後には退けない。


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