出てきた可能性



 ぞわっ





「―――っ!?」



 影の中に手が入った瞬間に得もいわれぬ不快感に襲われて、実は反射的に手を引っ込めた。

 その拍子に、思い切り拓也の頭を叩いてしまう。



「いってぇ!!」



 拓也が頭を押さえ、驚き混じりの声をあげた。



「あ…」



 その声を聞いた瞬間、影に縫い止められていた視線が解放される。

 我に返ったのはいいものの、見下ろした先には拓也の怪訝けげん深そうな顔があった。



「ごめん、虫がいたから。」



 己の失敗を叱咤しながら、とっさにそんな言い訳を口にする。

 当然、拓也の懐疑的な視線がこちらを射た。



「本当かよ?」

「嘘に決まってるじゃん。学校に来てすぐ勉強してるから、ちょっかい出しにきた。」



 考えるより先に、口がどんどん嘘を吐いていく。



 おまけにばっちり悪戯いたずらな笑顔を作れるのだから、自分で自分に感心してしまうくらいだ。



「よくやるよね。昨日もずっと、こんな感じだったわけ?」



 拓也のノートを覗き込んで、からかうように言ってやる。



「そうだよ。どこかの誰かさんと違って、おれは勉強しないと点数が取れないんで。」



 頭をさすりながら、拓也はじろりとこちらを見上げてくる。



 どうやら、相当痛かったらしい。

 無意識に動いていた手で力の加減などできるわけもないので、仕方ないけど。



 拓也の頭を叩いてしまった自分の手も、若干のしびれを伝えてきているほどだ。

 これは、かなりの力がこもっていたと見える。



 実は苦笑を漏らすしかなかった。



「おいおい…。俺だって天才じゃないんだから、ちゃんと勉強はしてるよ?」



「それにしては、随分と余裕じゃねぇか。こうやって、おれにちょっかい出しにくるくらいなんだから。」



「あー……はいはい、悪かったって。もう何もしないから、好きなだけ勉強に集中してください。」



 このままではあっという間に拓也の機嫌が悪くなりそうなので、実は早々に拓也の席を離れた。



 自分の席に戻ってから拓也の様子を見ると、先ほどのやり取りなどなかったかのように、勉強に集中している拓也の姿が。



 しばらくは、拓也がこちらに意識を向けることはないだろう。



 それを確認して、実は肩の力を抜いた。



「………っ」



 右手を、やや凍った面持ちで見つめる。



 あの時全身を駆け抜けた不快感。

 それが、未だに全身をさいなんでいた。



 特に影に直接触れた右手に関しては、無駄だと知りつつも今すぐに洗いたい気分だ。

 心臓はどくどくと早鐘を打ち、血の気が引いて体の末端が冷えている。



 あの影の中は、明らかに普通の空気とは違っていた。

 右手が影の中に入った瞬間、空気から別の物体の中に手を差し入れたかのような感触がした。



 おそらくは、影を認識していない者が同じことをしても、なんの手応えも得られない。

 それは、昨日から影と周囲の様子を観察していた結果から断定できる。



 自分は影の存在をきちんと認識しているので、その違いを感じることができたと考えるのが筋というもの。



 と、いうことは……





 介入しようという確かな意志があれば、もしかしたら接触も可能かもしれない。





「………っ」



 実は右手をぐっと握り締める。

 一つ深呼吸をする間に、自分の中でぐるぐると渦巻くわだかまりを振り払う。



 時間の猶予は、全くないと考えていい。

 接触できる可能性が出てきた以上、それを行動に移さないわけにはいくまい。



(とりあえず、拓也も休憩する昼休みを狙うか……)



 そう結論をつけて、実は機会を待つことにした。

 ゆっくりと、右手をひらめかせる。



 そこから、淡い光がきらめいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る